早朝ウォーキングで掃除する通りに新品の竹ホウキが2本も増えた。さっそく使う、これは助かる。かなりの数の落ち葉が一挙に掃けるのだ。掃いた落ち葉は数ヶ所に分けて溜めておくと、翌日には専用ビニール袋に移されている。清々しい光景、ちなみに落ち葉はクチナシやらソウシジュやらユウナが多い。
本日、JAファーマーズ南風原くがに市場が津嘉山にオープン。産地直送、新鮮安価な野菜を求めて広い店内が多くの買い物客で賑わう。開店記念のラジオ公開放送は店頭から2番組、かなりの数のリスナーだ。買い求めた野菜はニンジン10本入り100円、大振りレタス140円、茄子三本入りは南風原の赤嶺さん提供(袋に記載)で170円、県外産だがリンゴのジョナゴールド100円はオープン特価。ヘチマはハウスもので、時期早めで少々高めだが美味しそう。
西原町で見かけたソニー坊や、今日も交通安全を呼びかけている。昨日午前、歯科医院の治療を終えてバイクで移動中、1キロほど走ってヘルメットを装着していないのに気付いた。オーマイガッド!何ということでしょう、ライダー生まれて初めてだ。ソニー坊や、交通安全だ、気をつけます。
本日、クラシックコンサートを久しぶりに堪能。会場の南城市佐敷シュガーホールも随分久しぶり。主に賛美歌をメインに据えた楽曲構成、メンバー5名。管楽器はフルートにクラリネット、トロンボーン、そしてピアノは伴奏やソロでも華を添えた。グリーンスリーブス、アメイジンググレイス、アブェマリア、沖縄の楽曲は芭蕉布をクラリネット独奏とピアノの伴奏。あ~、清々しかった、心の贅沢、感謝の2時間。
本日午後、沖縄県庁に全日本女子バレーボールチームの表敬があった。4月23日から25日までのミニ合宿ではあるが、初の沖縄合宿であり、県内のバレーボール関係者やバレーボールファンには待ちに待ちたる快挙でさぞかし万感の思いであろう。小生もかつてのバレーボール小僧であったので注目しているのだ。インタビューされた眞鍋監督や木村キャプテンの合宿に向けた抱負をラジオで聴いた。8月に開かれるワールドカップへ向けたチーム強化は勿論、来年のリオオリンピック出場も焦点に据えている。沖縄市体育館で取り組まれる今回の合宿には選手14名他で総勢26名が加わっている。リベロに沖縄県出身・座安琴希選手が登録されているが、今回参加しているのかな?23,24日の練習は非公開で25日は公開練習と子供たちとのバレーボール教室があるそうだ。現在は世界ランキング4位、沖縄合宿打ち上げの翌日には本土へ移動して合宿継続というからハードな日程だ。くれぐれも怪我のないようにだ。あ、先ほど取材を終えた記者に確認したところ、座安選手は沖縄合宿に参加していない由。監督が述べるには戦術云々よりも選手のコミュニケーション向上が第一ということだね。
中学1年の頃、中学校の担任が宮里孝三先生だった。体育の専門で生徒には厳しかった。当時の生徒はウーマクー(沖縄方言でワンパク、やんちゃ)が多く、先生の指導で小生もよくビンタされた。でも、体罰とは思わなかった、自分が悪いんだし。担任の一方で女子バレーボール部の監督でもあった、当時の女子は強かった。小生は男子部に所属していたが、これといって指導者がつくでなく弱かった。宮里先生は生徒や教師から“こうぞう先生”と呼ばれて慕われていた。いつだったか、沖縄ろう学校へ本人が希望して転勤していった。ろうの生徒たちにバレーボールを指導するためだ。高校生になってバレーボール部に所属したら、ある大会でろう学校チームの試合を間近で見た。子供心に感動した、こうぞう先生がコートサイドで指示している。声の代わりにアイコンタクトや手話である。歳月がたち、こうぞう先生が監督を務める全日本チームはろう者世界大会で銀メダルを獲得した、沖縄出身の選手も当然メンバーにいた。その後、沖縄県バレーボール協会の会長などを歴任しバレーボール界に貢献された先生は今年2月に開かれた沖縄県バレーボール協会創立60周年記念式典に於いて功労賞を受賞された。式典に招かれた小生は遠くで先生を見ていたが、中学を卒業以来お会いしていないため、覚えていないであろうと一人合点した、挨拶しなかった。しかし、あれが元気な姿を拝見した最後だった。急な病に倒れたこうぞう先生、本日告別式、享年77歳。こうぞう先生、安らかに、さようなら。