イタリア北部のビエモンテ州・オッソラ県のドモドッソラ(domodosola)。ミラノから約100㎞でスイスのブリークとを結ぶ国境越えのシンプロン峠の交通路、イタリア側の起点です。当時の周辺人口は約18000人で自然豊かでヨーロッパアルプスの山や川に周辺には湖もあり美しい町です。ミラノから当時の列車で約1時間、スイスのジュネーブまで山岳列車で4~5時間でした。
japan is No1の日本のバブル絶頂期の頃の話です。パリコレやミラノコレクションの高額なブランドの洋服やバックや靴やファッションフレームがよく売れた時代です。ミラノの工房とでベネッチアブランドの「アルレキーノ」のアジア販売権の契約と東洋人向きの製品製造で何度かミラノに出張したのです。西洋人との鼻幅など修正、修正で製品化までに2年位かかった。
イタリア語の通訳には元日興証券ミラノ支店に勤務していたファウスタ嬢にお願いしました。ファウスタはお茶の水女子大の留学経験もあり日本語も堪能でした。工房の頑固なイタリア人職人にも立ち向かってくれました。ある連休にスイスのジュネーブに行ってみませんかと提案があったので行くことにしたのです。
ミラノ駅からジュネーブ行きの列車の乗り継ぎ地ドモドッソラで下車し少し町を散策することにしたのです。山々はきれいで落ち着いた雰囲気の町でした。不動産価格が知りたいとファウスタに言うと地元の不動産屋が物件を案内してくれる事になった。高台で庭には花々が咲き乱れ築年数は古い感じがしたが4ベッドルームがあり室内はきれいな間取りの別荘でした。当時の価格で日本円で600万円弱でした。
日本の不動産高騰の時代です。安い買いだ。ドモドッソラでの暮らしは無理でも友達との共同所有で投資用に考えてのです。その夜ジュネーブのホテルから東京の友達に300万用意して振り込むように電話をしたのです。一晩考えさせてくれと。翌朝電話があり老後ならともかく働き盛りでイタリアは遠いし投資用でも言葉の壁や管理も難しいとの返事でした。適切な意見で筆者も何度来れるかわからない。ファウスタに不動産屋に断りの電話をさせ幻の別荘になったのです。
その後イタリア経済も混迷しイタリア通貨リラは2002年にユーロ圏通貨のユーロに変更された。温暖なイタリア不動産は北欧や英独仏や中国などの富裕層が投資し高騰したそうです。幻の別荘も推測ですが1億円以上になっているでしょう。コロナ禍時には中国人がイタリア、ビエモンテ州付近でコロナ禍を蔓延させ大変だったようです。
海外不動産の投資は国際情勢、特に政治経済の動向に立地、災害、治安、気象条件も重要です。先見力、忍耐力、為替レート動向、時間など必要です。熟慮して決断していれば大きな収益を得ることができたでしょう。
その後ファウスタから連絡がない。元気であればカプチーノや砂糖いっぱいのエスプレッソを飲み世話好きの老婦人になってになっているのかな。小生は限界集落の広い別荘でバラやひまわりなど花々の畑の中で雑草の猛威と戦っています。それに京都橘高校吹奏楽オタクと野性動物と食糧争奪戦をしながら自給農業暮らしをしています。