道東の狼!驀進 新鮮組

動乱の幕末を想わせる薄野。新鮮組は動乱の薄野を驀進します!

  お客様は神様か?

2018-03-06 05:56:41 | インポート
久しぶりに適当に書いていきます

ここ最近やたらと「お客様は神様か?」
みたいなことがネットに乗っている
いまさら何でこんなことが話題になるのか?
不景気しか知らない自分にはよくわからない

昔タクシー相手に万札ちらつかせていた人たちや
そのタクシーの運転手の人たちはどう思っていたのかな?

たとえ話で進めていくと・・・

「金やるから言うこと聞けよ!」
なのか
「余分に払わないと乗せてもらえない」
なのか?

運転手さんか?
「金出したらのせてやるよ}
なのか
「そんなに頂けるなんて、本当にラッキー」
なのか

今書いたのは、どちらかが上であって、対するほうが下になる
そのような関係
どっちにしても、よくせいりつしたなぁ~って思う
ちゅうか成立してないでしょ

何をもって成立というの?
それが問題なんですが
お金をもらえた!タクシー乗れた!
まぁ根本はそれなんだと思うんですが
商売とは交換であるという観点からすると成立してますよね

でもそれ以上ではない
成立しただけ

成立したということは、どちらかが上でも下でもないってこと
もし、お客様は神様だというんだったら
消費者からすれば、サービスを与えてくれる人は神様ではないのか?

神と神が重なるのだから、それはもう一個人にしか過ぎない
ということは神様なんかいないんですよ

さっき書いた二者の思惑で
上になる人同士の組み合わせだと、衝突しますよね?
上下ができたなら、これは感謝とは程遠くなります
成立したはずの交換に不満が残ります
あえてその次は書かないです

長々と書きましたが、何を言いたいかというと
お客様は神様だというお客様と、サービス側には”感謝”なんか起こりえない
ということ
なぜなら、サービス側は神様を相手にするのではなく
人間を相手にするから

それこそ、人によっては交換が成立したことによって
”神様”に感謝する人はいると思いますが、その神様とは目の前にあるものではありません
僕らも、あっ!いつの間にか自分の話になっちゃった
まぁいいか、僕らもお客様も何に感謝するのか?
それは交換が成立する際の、互いの気持ちに感謝する

僕らからすれば、その感謝は目の前にいる一個人だからこそ起こる
その中で、サービス側が「自分にとっては神様のような方です」となる
それは個人に対する最大級の感謝なんです

だから、感謝がなければ神様なんかあり得ない
言い換えると、お客様とは”神様なような人”となりえる一個人なの
いくつもの感謝の積み重ね

感謝がないところに神様は現れないし
感謝できない人なら、神様になりえない

でも、その神様は一個人
だから神様なんかいない・・・

仕事でうまい話をするときに、
「みんな友達になってみんなで幸せになればいいんだ」
そう言った人を何人も知っている
結局は、知ってる人間同士でお金を回しあおうっていうことを、聞こえ良くしてるだけだ
友達は支えてくれるかもしれないが、背負ってはくれないし
自分なら背負ってほしくはない

それと同じように、自分のことを神様だと思っている人も何人かは見てきた
神様なんかはいない、強制的な感謝はより気持ちを遠ざける

結論!!
お客様は神様だは
お客様は神様になりえる方なのだから感謝をもって接しなさい
ということであって・・・

しかし、僕はお客様は神様だというお客様が嫌いだ!!
残念なことに、強制的な感謝からは神様は生まれない

でもみんな大好きよ
恵まれてるね