道東の狼!驀進 新鮮組

動乱の幕末を想わせる薄野。新鮮組は動乱の薄野を驀進します!

猪木ロスが止まらない

2023-10-10 05:05:13 | 格闘技談話
というよりも、止まるはずがない!
プロレス村を外れてしまったマニアたちにとって
猪木ロスが収まるはずがないのは当たり前。
言い方を変えるならば、
しまってあったはずのプロレス熱が
猪木さんによってよみがえってしまったのだから。

長州力がよく言うように、
「今も体張って現役でやってる人たちがいるんだから」
だから、今のプロレスはどうとかあまり言いたくなかったし、
いわないようにしていた。
村から外れたマニアたちはそうやってフェードしていった。
だって今のプロレスを愛している人たちがいるんだから。

でも、わかった。
今プロレスを楽しんでいる人たちと同様に、
「見たいものは見たい!」
というべきだ。
だって、こんなにも多くの人が本当はそう思っていたんだから。
現状のプロレス界が猪木プロレスを継承することは難しい。
だったら、猪木プロレスを未来に引き継ぐことは
村から取り残された猪木信者の仕事だ!
猪木プロレスを語ることで未来に継承する使命がある。

だから、いつか猪木プロレスを継承する誰かが現れるその時まで、
当然猪木ロスは終わることがない。



猪木ロスが終わったとき、プロレス最強神話がよみがえる!

プロレスと興行としてのプロレスの区別【プロレスを解き明かせ5】

2022-07-24 03:19:17 | 格闘技談話
いつしか多団体時代と呼ばれるようになっていったプロレス。
力道山が起こした日本プロレス当時から考えれば、
今のプロレスラーの数はあり得ないほど増えている。

それが良かったか悪かったかの答えを出すことは、かなり難しい事だ。
都市圏における多団体化は興行戦争を起こし、プロレスと言うジャンル
そのものの存続さえも脅かした。
一方で地方にホームを持った団体の出現により、都市部以外のファンに
プロレス興行に触れる機会を多く持たす事が出来た。
また、一定のレスラーにおいては、レスラー寿命を延ばす事にもなった。

賛否が分かれる話だと思うが、「なぜそうなったのか?」を考えた時に
想像できる理由が、セカンドキャリアに関する事だ。
現実的に、プロレスを続けたいという思いと同じくらい
「プロレスをやめるわけにはいかない」と言う状況があったという事だ。
もし早い段階で協会が出来上がっていたなら、そのような問題にも
対応できたのではないだろうか。まぁもしもの話はあてにならないが。

ただ、早い段階で協会を創りプロレスと言う物を整備できなかった事で、
現状にもたらした大きな変化が2点あげられる。

かつてアントニオ猪木は、レスラーに対し常々こう言っていた。
お前達はスポーツエリートである
ようは選ばれた人間たちなんだと言う事だ。
通常は競技として一般に広がり競技人口が増え、プロスポーツ化していくが、
プロレスはそれが形を変えて競技化(アマチュア化)した特有な物だ。
その特有さは、通常意識しない事だがあらためて考える驚く事だ。
それは、野球もサッカーも人と場所があればする事が出来るが、
プロレスはプロレスラーしかする事が出来ない、許されない物なんだ。
だから、レスラーである事に誇りを持てと。

しかし現代のレスラー飽和状態において同じことが言えるだろうか?
少なくとも、日本プロレス初期に比べれば窓口は広がっている。
もし選ばれるはずではなかった者がレスリングをしたらどうなるか?
それは”危険”か、それを回避するためのレスリングの”弱体化”。

もう一点、「プロレスとは何か」と言う思想が1本で繋がらない。
ただでさえ存続をかけた企業戦争の中において、興業としてどうするべきか?
が重要視されてしまうプロレスで、「プロレスとは何か」がしっかりと
継承されなければプロレスの源流自体が消えてしまう。
興行として行う”プロレスが存続をかけ変化するのは仕方がない事だが、
プロレスと言う物自体が”人前で行う疑似格闘”になってしまってはいけない。

どうやってもプロレスの奥にある物を伝えるのは道場論しかありえない。
それが途絶えてしまえば思想の継承もなくなってしまう。
そして、現状の多団体化の中でそれが出来て来たとは思えない。

この2点は、興行戦争で生き残るための変化を理解しながらも、
それを受け止める事が出来ずに、村から取り残されてしまった要因でもある。
レスラーが飽和状態にある中で、企業存続の為に
「あれもプロレス」「これもプロレス」言ってる内に原型が見えなくなった

そのような捉え方もあって、以降記していく中での前提の2つ目として、
源流としての”プロレス”と”興行としてのプロレス”を区別していく事となる。



これは完全に妄想ではあるが、猪木が参議院議員選挙に出なければ
今のプロレスはどうなっていたのだろうか?



八百長とは何か?その意味においては完全に否定されるべきである【プロレスを解き明かせ4】

2022-07-22 06:08:55 | 格闘技談話
プロレスはその曖昧さが故に深いものだ。
プロレスに興味を持たない者からすれば、その曖昧さこそが
疑似であるという単純な答えを導く。
しかし、プロレスを愛すものからすればその曖昧さこそが
プロレスの奥行きを深い物へと変えていく。
もしその曖昧さを言葉で表現しろとなれば、
それは暗黙の了解となる。
よってプロレスを解いていく事は、暗黙の了解を解く事となるだろう。

市民権を求めたプロレスにおいて常に”八百長”と言う言葉が付きまとう。
まずはそこを解き明かしていこうとなるのだが、
そこに向かうにあたっていくつかの前提を持つこととする。
要は話の角度や視点を明確な物とするためだ。
今回はそのひとつ目となる。

八百長と言う言葉は当然だが、あまり良い言葉ではない。
言葉そのものには「競技において勝ち負けが決まっている」と言う事だが、
その言葉はその意味以上に大きなマイナスの印象を私達に与える。
要は”詐欺”的な印象だ。

そもそも言葉の始まりである大相撲においての八百長とは、
「勝ち星を買う」と言う事があったためにどうしても金銭がちらつく。
後には、かけ事などに対する「イカさま」を現す言葉としてもつかわれた。
言葉も生きているので、与える印象の変化も仕方がない。

しかし、ここで記していく内容においてはそのような意味は含まない。
もしその部分に焦点を当て答えを出すとするならば、
プロレスにとって八百長とは完全に否定されるべきである。

なぜなら、勝ち負けが最重要視されるわけではないプロレスにおいて、
そこに個人的利益など発生しないからだ。
”しょっぱい試合”をして勝ったところでだれも賞賛してくれない。
逆に、例え負けたとしても良い試合をすれば認められるのがプロレスだ。
勝ち負けによって出世が決まり、給料が変わる大相撲とは違うし、
会社(プロレス団体)がそれで賭博をした事実だってない。

いずれにせよ、ここで記していく内容においては
そのような意味は含まないとするのが、まず最初の前提だ。



例え村から取り残されても、愛しているプロレスが
「悪だ」「悪ではない」なんて話はしない。
そもそも、勇気を与えるプロレスが悪なはずがないのだから。