ミステリーとは何か?
「動機やトリックにより意図的に理解できないようにした謎」
その動機やトリックが上質であるかによって極上のミステリーが出来上がる。
なぜ報道による重傷者数は消えたのか?
”知られれば不都合が生じる”為に”説明なしに報道をやめた”という
下級の動機とトリックにより出来上がったミステリーとは呼べない茶番。
その不都合とは何か?
重症者数と死者数の矛盾した関係から見えるコロナ死者数の定義 。
意図的に隠されたものは
「直接的にも間接的にも死亡要因とされないものまでカウントされている」
小説などに代表されるミステリーを”意志の持った創作物”だとした場合に、
その本質は受け手に対する創作者の意思とは何であるか?
今あるコロナ禍における様々な出来事にも、それを動かす人と意志がある。
この本質に向かう為の初めの扉がコロナ死者数の定義 となる。
それではWHOにより要請されたこのカウント方法が悪であるのか?
そんなことはない。少し考えればその理由に辺りが付く。
世界各国における被害の状況把握において、それぞれの国が独自の判断に
よって死者カウントされてはその把握もままならない。
だから一定のルールのもとに死亡者のカウントしているだけである。
曖昧な判断を失くすため陽性者の死亡は全てカウントする。
そのような観点から考えれば、この死者数のカウントは
各国の状況把握や比較の為のものであり、感染の恐怖を計る物ではない。
本当に意味が解らないのは、感染の恐怖を計る事が出来ないはずの
この数字を使って、なぜコロナの恐怖をあおっているか?
さて、コロナ死者数の定義 について知る事でいくつかの疑問が出てくる。
同じ”死者数”という数字を使って比較されるインフルエンザとの関係性。
その論調は2つで、1つはA「コロナはインフルより死者がいない」。
もう1つが「コロナはインフルなんかと比較できない恐ろしい物だ」
という論調で、その”恐ろしい物だ”と言う根拠が
B「コロナ死亡率はインフルの死亡率よりも高い」であって、
一方には比較するなと言って自らは比較しているとんでも論調。
勘違いされやすいが、Aの論調はコロナとインフルを比較した物ではない。
Aの本質は「死者数に対し対策が過剰ではないか?」である。
インフルと比較してどうだと言っているわけではなく、
「決してコロナの死者数は多くない」という事を理解しやすくするために、
インフルの死者数を用いて目に見えるようにしているだけ。
初期の例えで言えば、餅を詰まらせた死者数などと同様だ。
あくまでもコロナの死者数に対しての論調でインフルは関係ない。
この論調自体は間違ったものではなく、当然出てくる意見。
もしこれを”過剰ではない”とするのなら、数字をもって説明すればいい。
インフルと比較するなと言ってかき消す事こそおかしな話だ。
そもそもコロナとインフルの死者数は、そのカウントの仕方が違うので
比較なんてすることは出来ないし、誰もしない。
コロナの死者数は死者が検査陽性であればカウントされるが、
インフルは医師が判断して「直接的要因」とされる死者数と、そこから
数式にあてはめて推測して数字を出す「間接的要因」の死者数がある。
要はインフルによる死亡かインフルがきっかけの死亡なのか。
直接的には年に3500くらいで、間接的には13000~20000とされている。
コロナ死者数は要因が関係ないのだから、もし双方が同様の毒性であれば
当然死者数は インフル直接<インフル間接<コロナ死者数 となる。
なんにせよ前提の違う数字を比較する事なんてできない。
ただし、本来多くなるはずのコロナ死者数が少ない限りにおいては
「現状では」という前文を付けたうえで比較する事も出来る。
しかし現状の対応を続ければ必ずコロナ死者数は大きく膨れ上がるので、
あくまでもその時点においてとなり、その理由は後に出てくる。
いずれにせよまずはAの論調こそ無視できない問題だと言う事。
ではなぜそれに対し議論することをしないのか?
コロナ死者数に対し対策が過剰ではないか?について議論するとは、
言い変えると「対策の効果を議論する」事になる。
そうなると、なぜそうならないかの答えを考えても、推測の域を出ない。
しかし、報道が隠した重症者数を死者数と照らし合わせて見えた
死者数の定義と言う最初の事実の扉から枝が伸びたそれは過剰な対策なのか?
という疑問を考える事で、さらに見える事実はある。
それは、コロナを直接の要因とした死者は少ないということ。
さぁここで一呼吸あけていきます。
スケ番なのに愛らしいナンノちゃんを見てください!
コロナを直接の要因とした死者は少ないというと、何言ってるんだ!
と怒ってしまう人がいるかもしれませんが、それはニュアンスの問題で
実は誰しもが知っている事です。
「基礎疾患をもった高齢者による被害が大半である」
この言葉をどう受け取るのか?もしくはどう伝えるのか?
それによって事実が隠れてしまいます。
現状の受け止め方は「感染させてはいけない」と言う恐怖感のピックアップ。
それ自体は正しい事であるが、それが全てではない。
「基礎疾患をもった高齢者による被害が大半である」と言う言葉の裏には、
そのほとんどの死因が間接的な要因であるという事実です。
コロナ死者数はその要因関係なく、死者が検査陽性であればカウントされる。
当然コロナ死者の内訳にも間接・直接の要因が存在している。
20年21年の二年間におけるコロナ死者数が約13000人。一年ベースで6500。
対して間接的要因(要因なし合わせ)での死者数を少なくとも7割とすると、
直接的要因の死者数はいって2000人。これは多い数字なのか?
さらに、60歳以下の死者数がほぼほぼいないことを考えれば、
その直接的要因となる死でさえ、抵抗力の有無によるものと言える。
コロナ死者の平均年齢が一般の平均寿命を超える理由がそこにある。
これらから見えるものは何か?
まず、ほとんどの死因が間接的要因であると言う事は、
言ってしまえばコロナは死に至るきっかけに過ぎないと言う事になる。
では、コロナだから死亡のきっけとなったのか?そうとは言えない。
もしそうであればコロナの殺傷力がもっと高くなければいけない。
殺傷力が高ければ、直接的要因での死者数がもっと増えている。
データとしてみればコロナ死者の平均年齢がもっと下がっているはず。
しかしコロナ死者の平均年齢は一般の平均寿命を超えてる。
これはコロナに限らず他の感染症でも死亡のきっかけとなりえたと言う事。
でなければインフルの間接的死亡者が年間1万人を超える説明がつかない。
さらに直接的死亡においても抵抗力の少ない高齢者に偏っている。
これらの状況と死者数を考えれば、見えてくる答えとは
「コロナは決して特別な物ではない」ということ。
少なくとも死者数と平均年齢を見た場合これが事実。
ただし、この事実が正しい物なのか誤った物なのかは判断が必要になる。
なぜこのような事実となったのか?
それを見極める物が「コロナ対策による効果の実態」となる。
さて、一週回って下級ミステリーと言う茶番が出来上がってしまいました。
これまでに上がった疑問はすべてコロナの実態に関わる事。
その議論を避けると言う事は、答えを出す事を避けていると言う事。
コロナ死者の定義を知り、コロナ直接的死亡者を知った事で
色んな可能性が見え隠れしてきた。
次回は先ほど出た B「コロナ死亡率はインフルの死亡率よりも高い」
を考え、その先にある三つ目の扉「感染者」について探りたい。