エンタメ化を続けるプロレス村に取り残された。
興行として継続してきたプロレスにおいて、
今を見つめるファンの求める物こそが答えであって、
取り残された者の言葉なんて愚痴に過ぎない事は重々承知している。
ただ、その変化の中で今まで築き上げてきた
思想・理想・プライドなどが埋もれてしまうのはさみしすぎないか?
いったいプロレスとは何だったのか?
取り残された者の視点から、その壮大なミステリーの答えを探して行きたい。
前文の様に続けた過去2回を超えて、これから本題に入っていくが
序盤から「プロレスとは八百長であるのか?」について取り上げていく。
市民権を求め続けたプロレスにおいて、これは一番大きな問題である。
それと同時に、この問題についてある種の形を持たなければ
「プロレスとは何か」について考えていく事が出来ない。
例えば、プロレスに投げかけられる大きな疑問の代表としてある
「なぜロープに飛ぶのか?」
本来考えられる理由はいくつもあるだけれど、その大きな問題に
形を示さなければ「わざとですよね」で終わってしまう。
しかし、そもそもそんな簡単な理由で終わってしまうようなものならば
とっくの昔にプロレスは完全なエンターテイメントとして確立をしていた。
しかし、そうではないのが事実なんだ。
納得するかしないかは別としても、
これまでの長い歴史の中で、エンタメとして確立されなかったという現実は、
その逆側にある物がプロレスの中に存在していたと言う証なんだ。
決して一言で終わるような簡単な物ではない。
それゆえに、思想・理想・プライドがうずめくミステリーなんだ。
さぁそれではその大きな問題について考えていきたいと思う。
しかし、その前に問題に取り組む為にいくつかの前提を示していきたい。
それは取り組みに向かう為の”角度””視点”を共有しなければ
絶対に意見がかみ合う事がないからだ。
それと同時に、一個人の”ある視点”から見た意見だと言う事。
所詮は個人の見解であるから納得する必要はないのだけれど、
どんな見方をしているかが伝わらないと、何を言っているかもわからない。
まずはその前提について記していく事になる。
①そもそも八百長とは何か?その意味においては完全否定されるべき
②プロレスと興行としてのプロレスの区別
③木刀と真剣を用いた真剣勝負の嘘
④とりあげられる具体的時間軸と先導
これらを整理したうえで、問題に取り掛かる事となります。
皆様気長にお待ちください。