旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

お里が知れる。  

2016年06月11日 23時25分19秒 | エッセイ
お里が知れる。   

 その社長は口がうまかった。カリスマ的とは言えないが、人をその気にさせたり説得するのが得意だ。特にプロジェクトを立ち上げて、一口乗りませんかと金を出させるのが上手だった。インチキ商売とは言い切れない(社長本人は案外いけると思っている)が、結局大して儲からないか、元を取るまでに10年も20年もかかる。そうなると出資者が2度目は乗らないから、常に新しいカモ、生贄を探さなければならない。
ところで他の社長達が彼の話にのるのは、説得されたからではない。彼の肩書きを信用したのだ。彼は一級建築士だったが、それは別にどうという事はない。もう一つの肩書きは大学の教授(実は講師)だった。しかもかなり有名な大学だ。日本の社会はアカデミーな権威に弱い。大学の先生というだけで頭から信用してしまう。全く信じられないくらいチョロイ。海千山千のダンナがコロっとなる。
 この社長の本業は建築とは全く関係が無い。過去その建築一点に於いて、猛烈に勉強して学問上の実績があったのだろう。大学で教えているのは事実で、よく学生のレポートや論文、テストの採点等を会社の秘書にやらせていた。大学の授業は週に数回で給与は雀の涙だろうが、充分なお釣りを商売で得ていた。
 ところが社長、ビジネスの世界で飛び切りの切り札(トランプのジョーカーのような)となるこの肩書きを、夜の世界(バーやキャバクラ)でもやたらと振りかざす。女の子は「まあ、すごい。」とか口では言うが、本心ではバカにしている。夜の女性には何の効力も持たないのが、周りからすれば見え見えなのに、何故か本人にはそれが伝わらない。社長の肩書きだけなら大得点なのに、先生を加えるからマイナスになる。夜の世界で、三大スケベ&ケチとして「僧侶、先生、警察官」は嫌われているのを知らないのかな。
社長はよく一流会社の部長などを昼飯に接待する時、チェーンのうどん屋とかに連れて行っていた。大学の先生の肩書きがあるから相手も怒らない。結構珍しがる客もいる。気取らない人なんだ、と思われたら成功だ。昼飯代も安上がり。でもそのあざといやり方を一目で見抜く人たちも、割りといたのに違いない。
 とはいえ社長、流石に口がうまい。そのプレゼンに同席したことがあるが、大したものだ。その時のプレゼンの相手は、日本語の達者な台湾の当務長だった。社長の話は狭い応接室で熱を帯び、黒板に図を書いての演説は30分を超えたがテンションは落ちない。ところが何かの拍子に社長が、このシーンでは何々と言って黒板に書いた。CienA.はっ?SceneA.のこと?いくらなんでも大学の先生がSceneをCienって書くか。その 一瞬、ほんの一瞬、自分と客は目を合わせてしまった。いかん、俺は社長をアシストする立場だ。
あーあ、プレゼンはそこまでだった。8割方説得されていた客は、ストンと素に戻ってしまった。それに気がつかない社長が更に熱を帯びてCienB, CienCと書くうちに、客はどう切り上げて帰ろうかと思案していた。この先生、社長は建築の事以外はまるでアホーだった。だが何が利口で何が馬鹿というのだろう。大学の権威をビジネスに利用したのは、実に頭がよい。英語を知らなくても、一般常識がなくても、本当に阿呆なのは騙された社長たちだった。
 彼の会社は勢いに乗っていい所までは行くが、そこで社員に去られ良い所を持って行かれる。また奮起して業績をあげるが、ポシャる。どこまで行っても、いつまでたっても一流にはなれない。疲れるだろうなー、しんどいよなー、着想はすごくいいのに。まるで賽の河原の石積みだ。

 あのさ、これならエッセーでなくて小説になるよね。小悪魔と夢見る真面目女をからめてさ。でもサラリーマン小説なんて読みたくもないもん。

転石苔を生ぜず。 

2016年06月11日 23時21分26秒 | エッセイ
転石苔を生ぜず。   

 英語の格言だ。A rolling stone gathers no moss. どういう意味かというと、

1.石の上にも三年。転職を繰り返すようではスキルも信用も身につきませんぞ。
2.じっとしていたら汚れが身に溜まり心がよどむ。常に新しい事にチャレンジしなさい。

苔、mossを肯定するか否定するかで180度意味が変わってしまう。元々英国では1.の意味だったのだが、米国に行って2.の意味に変わった。
苔が汚いものだと思われるのは心外だ。苔は美しい。瑞々しい苔の美しさには、屋久島で出遭った。よく見ると水を含んだ緑の苔は、一本一本がスックと立ち、緑の花のようなものが見える。陽光に輝くその滑らかさ、柔らかさ、妙な言い方だが「瑞々しい死」を想わせる。

 願わくば、苔のしとねに横たわり、空を見上げて死を迎えん。

 実際に寝たら、ビショビショになるだろうけどね。

本性を見た。  

2016年06月11日 17時59分35秒 | エッセイ
本性を見た。   

 その日、稲光がして海は荒れていたが不思議と雨は降ってこなかった。我々は沖にある巨大な防波堤に船で渡り、暮れてゆく海に釣り糸を垂らした。左右にいくつもの針が突き出た、ゴツくて不細工な仕掛けだ。そこに餌を巻きつけ、テトラポットの穴の底まで下ろす。当たりがあっても我慢して待ち、待って待ってもうこれで充分、ガツガツ引いているとなったらリールを巻いて強引に引き抜く。ターゲットは伊勢海老だ。仕掛けのロスも多い。荒っぽい釣りで、漁業権はないから厳密に言えば密漁だ。嵐の夜には相応しい。
 だがその日はいかにも天気が悪すぎた。稲妻の音を恐れたように獲物が出てこない。いくつか子供の伊勢海老がかかったが、親の海老は上がらない。良い当たりがあっても巻き上げてみると、大ていは大きなカニだった。甲羅に海草が生えている、鋏の大きな20cmほどもあるカニだ。これはこれで身は少ないが、味噌汁に入れると実によいダシが出てうまい。
 この日のメンバーに、釣りに慣れていない男が入っていた。彼はカニを釣り上げ、仕掛けから外すのに四苦八苦していた。暗くて風の吹く堤防の上で、針と糸にグチャグチャに絡まったエビやカニを外すのは容易ではない。獲物はトゲトゲしていて片時もじっとしていない。逃走しようと必死だ。前回同行した女の子は、泣きながら海老を外していたそうだ。その気持ちはよく分かる。
 ところが新メンバーの男は、外すのが大変だと分かると立ち上がってグシャ、カニを思い切り踏み潰した。そしてグシャグシャになったカニの残骸から仕掛けを回収した。何かそれを見ていて、寒々しい気持ちになった。まあ自分もきれいにカニを捕まえたところで、釜茹でにしてしまうのだから大した違いは無いのかもしれない。
 でもあの日、あの場所で男に対して感じたイヤーな気持ちは、後になって当たっていたことを身に沁みて思い知らされた。話し方は丁寧で、笑顔を絶やさないが、心根は冷酷な男だった。