<帰国>
ヨンジュンは、午後8時過ぎ、笑顔で帰国しました。
帰る直前に六本木のスタバで珈琲タイムだったようです・・・
となりに座っていた人はだれでしょうね・・・
見知らぬ他人か・・・・えへへ
また、いつでも、何度でもきてね・・・ヨンジュン
冬ソナ」ブーム10年、監督が語る「日韓」
◆ドラマ監督ユン・ソクホさん(57)
「すごく心配でした。私の作品が代表選手みたいになってしまって。
評判が良くなかったら、韓国ドラマ全体の評価に関わるんじゃないかと」
2003年のNHK・BSに続き、
04年にNHK総合で放送され大ヒットした韓国ドラマ「冬のソナタ」。
日本での放送前、メガホンを取った監督には一抹の不安があった。
「冬ソナ」の世界観は繊細で感傷的。
日本人がイメージしがちな「マッチョ」な韓国気質の対極にあったからだ。
「自然の叙情性と初恋の純粋性をマッチさせ、アナログ的な感性を大事にしたドラマ。
テンポが速い最近の流行とは違って、しっとりしたドラマが私の好みなので。
私自身が少年時代を自然の中で過ごし、
高校時代の初恋を引きずって大学入学まで3浪した経験が大きいのかもしれません」
心配は杞憂(きゆう)だった。テーブルにコップが置かれたドラマのシーンがある。
牛乳を注いだコップの上には1枚のティッシュ。
牛乳にほこりが落ちないよう主人公が恋人に見せた気遣い-。
独特の細やかな演出が多くの日本人を魅了した。
「日本人はこういう優しさに感動するんだな、と。私もそんな表現が好きですから。
韓国では、少しこそばゆいように思われるんですけどね」
◆運命的に日本とつながった
「冬ソナ」は瞬く間に社会現象になった。04年には流行語大賞にノミネートされる。
当時の小泉純一郎首相は「主演のペ・ヨンジュンさんは『ヨン様、ヨン様』と
日本人女性に大人気だ。
『ジュン(純)様』以上だ」と笑わせた。
「日本のタクシー運転手には『韓国人にはムキムキしてタフなイメージがあったが、
ペ・ヨンジュンを見て驚いた』と言った人もいた。
韓国にも日本人が大勢訪れ、触れ合う機会が増えた。
お互いによく知らなくて持っていた偏見や先入観が崩れたと思う」
日本人の韓国観は劇的に変わった。
それを誰よりも喜んだのは、根強い偏見や差別に苦しんできた在日コリアンだった。
「東京で知人と食事をしていると、在日のおじいさんが来た。
私の手を取って『本当にありがたい。こんな日が来るとは思わなかった』と言うんです。
これまでいろんな経験をしてきたのでしょう。冬ソナが果たした役割の大きさを感じました」
中高年女性の心をわしづかみにした「冬ソナ」に続き、
時代劇「チャングムの誓い」で韓国ドラマのファン層は中高年男性にも広がった。
しかし、12年以降、両国の摩擦が表面化。地上波テレビ局は嫌韓派の攻撃にさらされ、
韓国ドラマは潮が引くように画面から消えてしまう。
「当時、日本の政治家で『日韓関係は冬ソナ以前と以降で分けられる』と言った人もいた。
私も以前は1年に20回ほど日本に行っていたが、
最近はめっきり減った。政治や外交よりも文化が果たす役割は大きいと思ったが…。残念です」
それでも「冬ソナ」の功績が色あせることはない。
ハングルを習い、韓国を旅行し、韓国の友人をつくる。
ファンたちの「2次行動」で日韓交流の裾野は確実に広がった。
まかれた種は寒さに耐え、芽吹きの春を待っている。
「ソウルの私の事務所にはドラマ展示ルームがあり、
今でも日本人の方が来て一緒にお茶を飲むこともあります。
冬ソナで私は運命的に日本とつながった。使命感のようなものを感じます。
また韓日関係にいい影響を与えるような作品がつくれたら、と思っています」
.
西日本新聞社 12月3日(水)
ヨンジュンは、午後8時過ぎ、笑顔で帰国しました。
帰る直前に六本木のスタバで珈琲タイムだったようです・・・
となりに座っていた人はだれでしょうね・・・
見知らぬ他人か・・・・えへへ
また、いつでも、何度でもきてね・・・ヨンジュン
冬ソナ」ブーム10年、監督が語る「日韓」
◆ドラマ監督ユン・ソクホさん(57)
「すごく心配でした。私の作品が代表選手みたいになってしまって。
評判が良くなかったら、韓国ドラマ全体の評価に関わるんじゃないかと」
2003年のNHK・BSに続き、
04年にNHK総合で放送され大ヒットした韓国ドラマ「冬のソナタ」。
日本での放送前、メガホンを取った監督には一抹の不安があった。
「冬ソナ」の世界観は繊細で感傷的。
日本人がイメージしがちな「マッチョ」な韓国気質の対極にあったからだ。
「自然の叙情性と初恋の純粋性をマッチさせ、アナログ的な感性を大事にしたドラマ。
テンポが速い最近の流行とは違って、しっとりしたドラマが私の好みなので。
私自身が少年時代を自然の中で過ごし、
高校時代の初恋を引きずって大学入学まで3浪した経験が大きいのかもしれません」
心配は杞憂(きゆう)だった。テーブルにコップが置かれたドラマのシーンがある。
牛乳を注いだコップの上には1枚のティッシュ。
牛乳にほこりが落ちないよう主人公が恋人に見せた気遣い-。
独特の細やかな演出が多くの日本人を魅了した。
「日本人はこういう優しさに感動するんだな、と。私もそんな表現が好きですから。
韓国では、少しこそばゆいように思われるんですけどね」
◆運命的に日本とつながった
「冬ソナ」は瞬く間に社会現象になった。04年には流行語大賞にノミネートされる。
当時の小泉純一郎首相は「主演のペ・ヨンジュンさんは『ヨン様、ヨン様』と
日本人女性に大人気だ。
『ジュン(純)様』以上だ」と笑わせた。
「日本のタクシー運転手には『韓国人にはムキムキしてタフなイメージがあったが、
ペ・ヨンジュンを見て驚いた』と言った人もいた。
韓国にも日本人が大勢訪れ、触れ合う機会が増えた。
お互いによく知らなくて持っていた偏見や先入観が崩れたと思う」
日本人の韓国観は劇的に変わった。
それを誰よりも喜んだのは、根強い偏見や差別に苦しんできた在日コリアンだった。
「東京で知人と食事をしていると、在日のおじいさんが来た。
私の手を取って『本当にありがたい。こんな日が来るとは思わなかった』と言うんです。
これまでいろんな経験をしてきたのでしょう。冬ソナが果たした役割の大きさを感じました」
中高年女性の心をわしづかみにした「冬ソナ」に続き、
時代劇「チャングムの誓い」で韓国ドラマのファン層は中高年男性にも広がった。
しかし、12年以降、両国の摩擦が表面化。地上波テレビ局は嫌韓派の攻撃にさらされ、
韓国ドラマは潮が引くように画面から消えてしまう。
「当時、日本の政治家で『日韓関係は冬ソナ以前と以降で分けられる』と言った人もいた。
私も以前は1年に20回ほど日本に行っていたが、
最近はめっきり減った。政治や外交よりも文化が果たす役割は大きいと思ったが…。残念です」
それでも「冬ソナ」の功績が色あせることはない。
ハングルを習い、韓国を旅行し、韓国の友人をつくる。
ファンたちの「2次行動」で日韓交流の裾野は確実に広がった。
まかれた種は寒さに耐え、芽吹きの春を待っている。
「ソウルの私の事務所にはドラマ展示ルームがあり、
今でも日本人の方が来て一緒にお茶を飲むこともあります。
冬ソナで私は運命的に日本とつながった。使命感のようなものを感じます。
また韓日関係にいい影響を与えるような作品がつくれたら、と思っています」
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西日本新聞社 12月3日(水)