<以下、プラユキ・ナラテボー師のお話し、および「『仏法』ポー・オー・パユットー著(サンガ)」を参考にしました>
さて、問題です。「車」には、「これが車である」という「実体」はあるでしょうか…?
設計図に従って、様々な部品を組み立てたものを「車」と呼んでいますが、部品ひとつひとつに分けてしまうと「車」はなくなってしまいます。
「人」も同じように、構成要素の集まりです。
ということで、「人」にも実体はなく、構成要素が集まった状態である(だけ)なんですね。
このように、「今ここ」に気づき、ものごとの「ありのまま」を見ていく力を育てていくと、だんだんと悩みや苦しみのあらわれる仕組みもわかってきて、取り組み方も見えてきて、徐々に楽にもなっていく、という感じです。