イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

122.聖アンナ教会

2006年11月12日 | Weblog
【写真:聖アンナ教会・イエスの母マリヤのお生まれになった場所】
ベテスダの池を見学する人たちの後方に見える建物。


 ベテスダの池のすぐ横に、聖アンナ教会があります。
「伝説によればですね、イエス・キリストの母マリヤの両親である、イエスの母マリヤのお生まれになった場所と言われる。
ヨアヒムとアンナが、この場所に住んでいたと考えられています。また、この教会の地下に洞窟がありまして、そこで、マリヤが生まれたとも伝えられています。
 
 ここは非常に、音響効果がよく出来ていまして、最近ある教会のグループが訪れた際、1曲だけ賛美をする予定が、あまりにも響きが良かったので、なかなか止めずに数曲歌いましたね。
 建物は十字軍時代のものですが、その後、ほとんど修復されたことがありません。十字軍時代の教会の中では、一番完全な形で残っているといわれています。それでは中に入ってご覧ください」

「ホオー、ホオー、ほんとだ、きれいに響くわ」
「こりゃ、すごい。聞きしに勝るとはこのことだ」
私が歌っても、天使の声のように響くのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

121.ベテスダの池

2006年11月11日 | Weblog
【写真:ベテスダの池】
 4~5m上から見ています。


 ステパノの門を通り抜けて右に曲がると、ベテスダの池があります。聖書に記されている通り、5つの柱廊と2つの水槽を持つ建物の発掘現場に案内していただきました。立っている所より4~5mぐらい下になるでしょうか。柱の数まで聖書通りでした。倉田さんが言います。

「少し、ヨハネを読んでみましょう。
*・・・ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには5つの廊があった。その廊の中には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えたものなどが、大ぜいからだを横たえていた。
 彼らは水の動くのを待っていたのである。それは時々、主のみ使いがこの池に降りてきて、水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。
さて、そこに38年の間、病気に悩んでいる人があった。イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に
『なおりたいのか』
と言われた。この病人はイエスに答えた。
『主よ、水が動く時に、私を池の中に入れてくれる人がいません。私が入りかけると、ほかの人が先に降りて行くのです』
 イエスは彼に言われた。
『起きて、あなたの床を取り上げ、そして歩きなさい』
すると、この人はすぐに癒され、床を取り上げて歩いて行った。(ヨハネ5:2~9)
 みなさん、ここがそのベテスダの池です」

 私の霊体は、すでに池に飛び込んでいました。病が癒されるなら、せめて痛みが消えるなら、車椅子だろうと何だろうと、恥も外聞も捨て去って、新しく生きる覚悟は出来ていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

120.ステパノ門

2006年11月11日 | Weblog
【写真:ライオン門とも言われるステパノ門】ミルトス社「聖書の世界」より。
 残念ながら、彫られているライオンがはっきり見えません。


 ゲッセマネの園の次に向かったのは、ステパノ門でした。ここは使徒行伝7章に関係あります。
「みなさん、聖書に出てくるステパノという人をご存知ですよね。彼は石で打たれて殉教したと記されていますが、その話の舞台がここだと言われています。(使徒7:54~60)

 またここはライオン門とも呼ばれていますが、それはですね、オスマン・トルコのスレイマン大帝に、夢の中でつがいのライオンが2組現れて、『もし、聖都エルサレムのまわりに、城壁を築いて住民を守らないならば、お前を食い殺す』と言ったそうです。
驚いて夢から覚めた大帝は、すぐに都の城壁を築きなおし、このように門の上にライオンを彫りつけたと言われています」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

119.ゲッセマネの園の入り口

2006年11月11日 | Weblog
【写真:ゲッセマネの園の入り口】

 順番が逆になりましたが、写真が見つかりましたので載せることにしました。ぞろぞろ入って行きますので、ここを撮る人はほとんどおりません。ここまで来ると気持ちが早やって、入り口までは撮る余裕がないようです。これは私にとって貴重なお宝です。
 ここを通り抜けて、初めてあの園が広がっているのです。上に「ゲッセマネの園」と書かれていますが、見えるでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

118.苦悶の教会の壁画

2006年11月09日 | Weblog
【写真:苦悶の教会の壁画】
 小さ過ぎて見えないかも知れないが、真ん中の下の方に、岩にもたれかかって祈るイエスの様子が描かれている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

117.苦悶の岩

2006年11月09日 | Weblog
【写真:イエスが血の汗を出しながら祈り、もたれかかった岩】
フェンスで囲まれているところです。上部は説教台です。その上の壁画と天井は、次の118の写真をご覧下さい。


 さて、初めてイスラエルに旅した8月のことでした。

「これはですね、『みこころならば、どうぞ、この杯を取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください』と血の汗を出しながら、イエスがもたれかかった岩だと言われています」

 旅行者のミサの邪魔にならないようにと、ささやくような声の説明を聞いていた時、全身の関節が、ネジが外れたように緩みはじめて、もはや立ってはいられなくなってしまったのです。近くの礼拝用のベンチに腰かけ、しびれるような体をやっとの思いで支え、頭を垂れていますと、耳元に言葉が流れてきて、そのまま心を貫きました。主が直接私におっしゃっているかのようです。

「わたしがここで、血の汗を流すほど苦しんだのは、お前のいたらなさを赦すためではなかったのか。十字架にかかったのも、お前の罪を赦すためではなかったのか。全人類のためとか、私たちのためとか言ってるうちは、お前はまだわたしから遠い。わたしはお前のために苦しんだ。お前のために十字架にかかった・・・」

 声を上げて泣きそうになるのを堪えて、何度も何度も深く息を吸い込みました。その夜ホテルの一室で、ベッドの横にひざまずき、毛布をかきむしりながら号泣したのです。
 今にして思えば、なぜあんなに泣けたのか、不思議でならないのですが、忘れられないのは、あの時与えられた主の言葉です。そしてそれ以来、私の心はガラリと変わりました。体にトゲをいただきながら、主に愛され、見守られているという実感に、安らぐ日々を取り戻したのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

116.ゲッセマネの園の教会

2006年11月09日 | Weblog
【写真:苦悶の教会・万国民の教会】

 ゲッセマネの園を通って行くと、教会が建っています。中に岩があって、イエスが血の汗を出しながら、もたれかかったものだと説明がありました。次の117の写真がその岩です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

115.ゲッセマネの園

2006年11月08日 | Weblog
【写真:ゲッセマネの園の一部】

「ここはですね、イエスがエルサレムで過ごされた時、いつも祈りの場としていたゲッセマネの園です。ゲッセマネというのは、「油しぼり器」という意味の、ガットシマニュウムからきています。
 みなさん、2日目に見学した「パンと魚の増加の教会」を覚えておられるでしょうか。あそこの庭に、オリーブ油を絞る石臼がありましたね。あれと同じものが、ここでたくさん発見されたわけです。
 そのことからですね、昔はこの辺りで、オリーブ油の精製がさかんに行なわれたのではないかと言われています」

 樹齢2千年という1本の老木に加えて、趣のあるオリーブの大木が7本ぐらいあったでしょうか。今回は実りの時季ですから、どの木もたくさん実をつけていました。花も色とりどりに、また整然として美しく、咲き誇っていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

114.園の墓のドア

2006年11月07日 | Weblog
【写真:墓のドアに書かれている言葉】
HE IS NOT HERE FOR HE IS RISEN

 ドアは小さ目で、こげ茶色のペンキが塗られており、よく見ると英語が書かれてあります。

「ここにですね、イエスは甦って、もうここにはいない、という意味の言葉が書いてあります。甦ったイエスは、ここからガリラヤに行きましたね。そして、すでに見学したあのペテロ召命教会、あの場所で、再び弟子たちと食卓についたわけです」

 一瞬、ぐいと込み上げるものが体中を走り、目頭が熱くなって、すっかり肉親のお墓参りの気分です。これもみな、全身全霊をもって主の業を伝える倉田さんや峯崎さん、そして添乗員の皆さんの、御霊のなせる業だと涙をこらえて感謝しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

113.イエスの墓

2006年11月07日 | Weblog
【写真:園の墓】
この日はたくさんの旅行客で賑わった。

 
 「園の墓」と書かれた小さな入り口を入ると、真っ直ぐ売店に通じており、その裏口を抜けると、木々に囲まれた美しい庭がありました。知らずに歩くと、ここがゲッセマネの園かと思うほどです。庭の小道を真っ直ぐ進んで、まず、しゃれこうべの形をした岩石を見学しました。小高い丘になっています。

「1967年にですね、エルサレムの住民が、骨のいっぱい詰まった、赤い十字架の洞窟を発見しました。もうひとつのゴルゴダと言われている場所ですね。よく見てください。あの辺がしゃれこうべの形に見えませんか」
「ふむ、ふむ」
「向こう側のふもとの方に、イエス・キリストの墓と言われているものがありますので、これからそちらへご案内します」

 別の小路を入り口の方へ戻りますと、巡礼者のミサのために設けられたのでしょうか、ベンチが多数置いてありました。お墓を見下ろす位置に、腰かけながら説明を聞き、階段を下りたところにあるお墓の前で、さらに説明を受けます。

「ここはですね、1883年に、ゴードンというイギリスの軍人さんが、イエス・キリストの墓だと指摘した場所です。日本ではみな、地面を垂直に掘って埋葬しましたので、墓といえばそれを連想しがちですけれども、イスラエルの第二神殿時代、つまりイエス・キリストの時代はですね、金持ちの墓は、岩を真横にくり抜いて造られました。聖書には、このように記されています。

『岩を掘って造った新しい墓に納め、そして墓の入り口に大きい石をころがしておいて、かえった』と。(マタイ27:60)
 ご覧下さい。それを裏づけるように、ここに溝があって、大きな円盤状の石をころがして、ふさいだような跡がありますね」

「これを管理しているのは、どこの宗派ですか」

「プロテスタント派が管理しています。園の墓という名前はですね、イエス・キリストが十字架にかけられた所には、一つの園があって、そこにはまだ、だれも葬られたことのない新しい墓があったという、聖書の言葉から名づけられたと言われています。(ヨハネ19:41)
 後でゴルゴダに行けばですね、皆さんも感じられると思いますが、こちらの方が、より聖書の雰囲気を現しています。それではですね、どうぞ中へ入ってご覧下さい」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

112.ダイヤモンド工場

2006年11月06日 | Weblog
【写真:ダイヤモンドの台を作る工員】
許可を得て撮らせていただきました。

 10月19日の見学を終えて、今日の夕食は中華料理店に招待されています。ご主人の病気のため、シナイ山に残った小田さんの奥さんと正美ちゃんが、ここで合流しました。今日は正美ちゃんの誕生日だそうで、バースデーケーキも準備されています。ご主人は大事をとってホテルで休まれているとか・・・・。一気にキャンドルの火を吹き消す正美ちゃんに、添乗員の泉さんもホッとしたお顔です。私たちも喜びが2倍になって華やぎました。

 この後、夜にもかかわらず、ダイヤモンド工場を見学したいという我がままを言い出して・・・・倉田さんも、泉さんも、さぞお疲れだったでしょうに、快く応じてくださいました。
 ダイヤモンド世界第二の産地が、ここイスラエルと聞けば、目の保養だけでも、と思うのが人の常というもの。欲しければ日本の価格の半額ぐらいで買えるという説明にみなさんの目がキラキラ。しかし、いくら卸値で買えるといっても、さすがダイヤモンドです。私などのお小遣いで、二つも三つも買える品物ではありません。

 ちなみにGカラーのVSIの場合は、0.3カラットで、当時のレートで14万弱でした。確かに日本の半額くらいでしょうが、私には眩しいばかりです。ただ、ダイヤモンドの価格が4つのCで決まるということが分かっただけでも、新しい知識になりました。4つのCとは、カラット、カラー、カット、クラリティです。大きければいいってものではないのだそうです。

 主の前にあっては、人間も同じではないでしょうか。私など、1年を1カラットのダイヤモンドとするならば、12月には53カラット(当時)の結構大きなダイヤモンドになるのですが、さてそのカラー(色合い)と、クラリティ(純度)と、カット(デザインつまりスタイル)を総合しますと、標準以下の価値ではないかと・・・そんなことまで思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

111.ヒエロニムスとパウラ

2006年11月05日 | Weblog

【写真:聖カテリーナ教会】


 地下室の聖誕の場所から上に戻って、アルメニヤ教会が管理している場所から北側に抜けますと、フランシスコ会の聖カテリーナ教会の礼拝堂に出ました。ずーっと中でつながっているのです。写真でも分かるように、美しくて清楚で、現代的な雰囲気です。
 ここは、毎年12月24日に盛大なミサが行なわれ、世界中に放映されています。日本ではニュース程度の紹介で終りますが、知っている人たちには、ちらっと放映される場面に、宗教と関係なくたまらない懐かしさを覚えるのです。
 右端の通路を前に進むと、真ん中辺りに聖母マリアの像と、その下にイエスを象徴した人形の赤ん坊がおいてあり、20数本のロ-ソクに火がともっていました。
 ちょうど、その真下になるのでしょうか、地下に下りて行きますと、洞窟になっていて、暗い所で説明を受けました。

「ええと、ここは何かと言いますと、聖ヒエロニムス(350~420年)が聖書をラテン語に翻訳した場所です。彼は激しい迫害の中で、この洞窟にこもってですね、生涯を聖書の翻訳に捧げたわけです。
 またその陰には、ローマの貴族未亡人パウラの励ましと援助があり、パウラの死後ヒエロニムスは、彼女の骸骨を見ながら翻訳を続けたと伝えられています」

 中庭に出ますと、翻訳をしているヒエロニムスの銅像が立っていました。その足元には、パウラの頭蓋骨があります。ふと頭をかすめたのは、善であれ悪であれ、やはり「陰に女あり」ということ。
 彼女の骸骨を見ながら翻訳を続けたという、短い説明を通して、ヒエロニムスにとって彼女がどれほど大切な存在であり、励ましであったかと、深く考えさせられました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

110.小さな入り口を入ると

2006年11月04日 | Weblog
【写真:聖誕教会の中】

 小さな入り口を入ると、こんな光景が広がっていました。正面奥の祭壇の下が地下室になっていて、そこがイエス・キリストの生まれた場所と言われている例の場所でした。
 手前に、コンスタンチヌス帝時代のモザイクを見学できるように、床板を上げてあるのが見えますね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

109.聖誕教会の入り口

2006年11月04日 | Weblog
【写真:腰をかがめて入る小さな入り口】

 私は毎回頭をぶっつけました。体格のいい人は、必ずクスクス笑いながら、この困難を越えることになります。出口は違うので、再びここに戻る事はありません。最初はここも大きな入り口だったそうですが、外部からの侵略を防ぐため小さくし、また小さくし、更に小さくして、人も簡単に通れないようにしたのだそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

108.イエス聖誕教会

2006年11月03日 | Weblog
 【写真:イエスの生まれた場所】 聖誕教会の地下室

 ガイドさんの説明
「この教会はローマ・カトリック教会、ギリシャ正教会、アルメニア教会の管理のもとにあって、教会内部にそれぞれの聖域があります。現在の建物は6世紀のユスティニアヌス帝の時代のものですが、最初は326年、ローマのコンスタンチヌス皇帝によって、この場所に建てられました。それでは中に入りましょう」

 要塞のような建物の小さな入り口から、腰をかがめて中に入ると、結構奥が深く、表面はいかにもギリシャ正教らしく、イエスの誕生から死までの、すすけたような古びた絵が掛けられていて、教会というよりも、日本のふるいお寺のような雰囲気です。
 入り口近くの床下には、コンスタンチヌス帝時代のモザイクが保存されており、当時はさぞ美しく、荘厳な建物であったろうと想像しました。

 ちょうど正面の祭壇の真下に洞窟があって、そこに下りて行きました。
「こちらがイエス・キリストの生まれた場所だと伝えられています。銀の星がはめ込まれていますうが、その星にはですね、『ここにてイエス・キリストは生まれたまえり』と、ラテン語で書かれています。
 3人の博士を導いた星にちなんでいますが、星の角が14あるのは、聖書に基づいているといわれています。アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンへ移されるまで14代、バビロンへ移されてからキリストまで14代というわけですね」

 世界のあらゆる宗派から贈られたというランプが、いくつもいくつもぶら下がっていました。星の中心が穴になっていましたので、好奇心のあまり、礼拝と同時に手を突っ込んでみますと、中はやわらかく固まったロウでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする