川上村は長野県南佐久郡の最南の村。山梨県、埼玉県、群馬県に隣接している。「川上」の名の通り千曲川の最上流部に位置し、日本一の大河信濃川はこの村から発している。村全体が標高1000メートルを越える高地にあり、村の西側を高原列車「小海線」が走っている。日本有数のレタス産地でもある。気温は寒い長野県の中でも最も低く、冬は氷点下の日が続く。
その最も寒いときに被災地支援コンサートが行われました。会場は川上村文化センター。この村で育った唐松をふんだんに使い内装を施したホールは木の響きが美しい素晴らしいホール。コンサートには佐久地方のコカリナサークルの皆さんも駆けつけてくれ、「浜辺の歌」を演奏してくれました。実は、僕にとってこの村は「限りなく懐かしい村」。今から50年ほど前、僕の父親がこの村の小学校の校長をしていたのです。その頃、休みになるとこの村にやってきて過ごしました。思いでの山、思いでの川。そして建物も古い建物はそのままの形で残されています。終了後のサインセールでは、「お父さんには本当にお世話になりました」と80代のご夫婦が語りかけてくださり、胸が一杯になりました。そして、なんとも懐かしいのは「小海線」。どうしても乗りたくなってしまい、コンサート終了後、「中央線の小淵沢まで 送りますよ」と行ってくださる、係りの方の申し出を断って、信濃川上の駅まで送っていただき、猛烈に寒いホームに立ち、そこから大きなリュックを背負った若者達と一緒に乗車、東京に帰りました。途中、富士山が遠くに夕日を浴びて輝いていました。またどうしても行きたい村の一つです。
その最も寒いときに被災地支援コンサートが行われました。会場は川上村文化センター。この村で育った唐松をふんだんに使い内装を施したホールは木の響きが美しい素晴らしいホール。コンサートには佐久地方のコカリナサークルの皆さんも駆けつけてくれ、「浜辺の歌」を演奏してくれました。実は、僕にとってこの村は「限りなく懐かしい村」。今から50年ほど前、僕の父親がこの村の小学校の校長をしていたのです。その頃、休みになるとこの村にやってきて過ごしました。思いでの山、思いでの川。そして建物も古い建物はそのままの形で残されています。終了後のサインセールでは、「お父さんには本当にお世話になりました」と80代のご夫婦が語りかけてくださり、胸が一杯になりました。そして、なんとも懐かしいのは「小海線」。どうしても乗りたくなってしまい、コンサート終了後、「中央線の小淵沢まで 送りますよ」と行ってくださる、係りの方の申し出を断って、信濃川上の駅まで送っていただき、猛烈に寒いホームに立ち、そこから大きなリュックを背負った若者達と一緒に乗車、東京に帰りました。途中、富士山が遠くに夕日を浴びて輝いていました。またどうしても行きたい村の一つです。