黒坂黒太郎コカリナブログ

黒坂黒太郎のコカリナコンサート活動、東日本大震災被災地支援活動など

青根小学校の子ども達との青根小コカリナ演奏会 9月23日

2016-09-29 11:11:12 | 日記
 4月に火災で焼失した青根小学校の校舎がコカリナに復活、子供達や先生達によって
高らかに鳴り響きました。
 計画では、校舎があった校庭で皆で「青根コカリナを吹きましょう」ということでした。
ところがその朝目覚めると雨。「おかしいな、僕の野外コンサートで雨ということはほとんどないのに。この雨には何か意味があるはずだ」とウトウトしながら思ったのでした。 学校に着くと、「会場は体育館に変更します」とのこと。その体育館は校舎は全部焼けたのですが、類焼を免れ無傷のまま建っていたのでした。
 「もしかして火事から学習の場を中学校に変えた青根小学校の子供達は、あれから一度もこの体育館に入っていないのでは」と思った僕は先生に質すと「そうなんです。今日初めてです」との答え。
 その時思ったのです。「ああ体育館が呼んだんだ」と。小さな小学校の小さな体育館は壁に木の板が貼られた山間の小学校らしい温かな体育館です。4月、校舎が焼かれひとり残った体育館。前日まで床をドカドカと走り回っていた子供達の足音は消えた。歌声も聞こえない。学芸会もない。焼けた校舎の残骸達は片づけられ、更地に。何もなくなった学校の敷地に寂しく建ち続ける体育館。そこに子ども達が帰ってきた。焼けた校舎のコカリナの響きを持って。村の人々も沢山来てくれ、青根の木の響きを放つ子供達を優しく見守ってくれました。コカリナ愛好家のみなさんも沢山東京や横浜から集まってきてくれました。交通の便が良くないところですが、バスを乗り継いで何時間も掛けてやってきてくれた人もいます。僕は、青根小のコカリナで青根のために創った「青のワルツ」を披露しました。
 体育館は歓びに満ちあふれ、精一杯の響きを作ってくれました。そして泣いていました。それがあの雨です。
 童話の中にいるような一日でした。
 「青のワルツ」は1月にキングレコードから出る新しい黒坂黒太郎のCDにも収録されます。

第20回 コカリナフェスティバル in やまのうち 9月18日

2016-09-23 09:31:40 | 日記
 今から20年前、志賀高原の笠岳キャンプ場ではじまったコカリナフェスティバルも今年で20回。今年は小沢征爾さんプロデュースの奥志賀高原「森の音楽堂」で行われました。長野県を始め、全国から350名の愛好家が参加、すっかり秋めき、ススキが揺れる志賀高原に美しいコカリナの音色を響かせました。最初は山ノ内町や周辺の子供達のグループが5つも登場、可愛らしいステージを作ってくれました。その後、黒坂も1時間10分のコンサート、「初恋、夕暮れの空」を初演したり、チャルダッシュをピアノ連弾をバックに演奏したり、と色々新しいことをやらせていただきました。大人のグループの演奏もホールの響きがいいためか、もの凄くレベルが高くなった感じがしました。
夜はここ数年やっていなかった「酔いどれ交流会」これがまた盛り上がりました。ここで黒坂はコカリナの画期的な新奏法を発表しました。どんな奏法かって?
 それは、参加した方にお尋ね下さい。本当に面白いモノです。2人でやることもできます。また来年も志賀高原でお会いしましょう。

子どもたちの最後に行われた合同合奏(TAEKO ASANOさんのフェイスブックから)

第8回東京コカリナアンサンブル定期演奏会

2016-09-21 09:33:00 | 日記
第8回東京コカリナアンサンブル定期演奏会が9月10日紀尾井ホールで行われました。今回は過去最多の60名の団員が参加。前回の定期演奏会から2年間積み上げてきた
成果を披露しました。
 一部は今の季節を歌う「小さい秋みつけた」から始まり、ヘンデルの「泣かせたまえ」そして黒坂黒太郎作品「故郷の山に」「友よあなたは菜の花」、さらには翌日に9/11テロから15周年を迎え、あのテロをきっかけに創られたと言われる「ハナミズキ」と続きます。そして一部の最後はドヴォルザークの交響曲第9番第2楽章より「家路」を福澤達郎氏が7分間にアレンジした大曲。高音から低音まで7つのパートが織りなし、木の音だけで重厚な和音を作り上げました。
 後半は黒坂、矢口の演奏に続き。昨年、発表から50年を迎えたミュージカル映画「サウンドオブミュージック」から「サウンド・オブ・ミュージックテーマ」「私のお気に入り」「ドレミの歌」「ひとりぼっちの羊飼い」「エーデルワイス」「すべての山に登れ
」の6曲をナレーションを入れながら奏でました。   
 そして最後はアンサンブルのメンバーであり、被爆二世でもある山田みどりさんが、自分のお兄さんの事を書いた話を朗読、それにコカリナの合奏を重ねた組曲「じろうちゃん」。会場からはすすり泣きも聞こえ、沢山の人達を感動の渦に巻き込みました。

国立競技場コカリナ、子ども達の輪が広がっています

2016-09-16 23:15:16 | 日記
先月、私が住んでいる埼玉県飯能市の市民会館で、「コカリナ20周年コンサート」が開かれました。そこにゲストとして登場してくれたのは飯能市立西川小学校の子供達。子供達は1年生も一緒に、「カッコー」「飯能山歩きマーチ」を大人の合奏団をバックに、見事に演奏してくれ、満席のお客さんから、大喝采を浴びていました。なぜ、この子達
が「国立競技場のコカリナ」を吹いてくれたかというと、それについては黒坂黒太郎コンサートニュース「なんじゃもんじゃ112号2015年8月発行」に詳しく書きました。
  
  ・・・ 僕の住んでいる埼玉県飯能市は木材の町です。江戸時代から西川材と呼ばれる杉と檜の銘木の産地として知られ材木屋さんが沢山あります。この町にもコカリナサークルがあるのでそこの中心の方に(国立競技場の木の運搬について)相談すると、たまたまサークルのメンバーに材木屋さんの奥様がいて、そのご主人がトラックを出し運搬から製材までしてくださる事になりました。また材木置き場として畑を提供してくださる方も出てき、話はトントン拍子で進んでいきます。ところが国立競技場での積み込みが大変。材木屋さんも「積み込みを伐採業者さんが手伝ってくれないかな」と言うのです。国立競技場に掛け合うのですが「積み込みはそちらで」と素っ気ない。ただ僕はこのプロジェクトに取りかかるとき何となくなのですが、「もしかしたら伐採も飯能の業者さんがやるのでは?」と予感がしたのです。でも国立競技場から来た資料の伐採担当の欄にはさいたま市の造園業者の名前が書かれている。「勘ははずれたか」と思ったのでした。ところがです。いざ、国立競技場に搬出の打ち合わせに出向き、現場監督さんに会い、「搬出は埼玉県飯能市のA材木さんがやってくれます」と告げた途端、現場監督さんの顔が急にほころび「ヘーA材木さん、良く知ってるよ。俺たちも飯能から来てるんだよ」というのです。やっぱり。勘は的中!飯能の伐採業者さんが下請けで仕事を受けていたのでした。そこからはもう「チーム飯能」が結成。搬出、運搬、製材、保管がなんともスムーズに、まるで何かに導かれるかのように連携、事が成し遂げられていったのでした。それにしても不思議です。関東には何百という伐採する業者さんがあると思われるのですが、たまたま飯能のごく身近な人たちが伐採するとは・・。
 そしてその伐採を担当してくれた人たちですが、伐採業と言うより「森つくり」「山つくり」をしている人たちと言った方が良いと思います。彼らのホームページにこんな言葉があります。
 「愛だよ、愛」「木にありがとう~と言ってな、愛を持って倒すんだよ」
 国立競技場の木たちは確かに無謀な計画の元に伐採されました。でも無造作に伐採されたのではなく、こんなふうに木を愛する人々によって一本一本丁寧に「愛を持って」切られたと思うと、少し気持ちが救われます。そして、それがコカリナと和太鼓に復活する。


こんなことがあり、その材木業者さんの子供達が通う、西川小学校児童全員(と言っても30人しかいないのですが)にプレゼントさせていただきました。
 子供達への国立競技場コカリナ提供は、その他四谷第六小学校、千駄谷小学校の新4年生、そして西東京市の小学校など、とんどん広がっています。

国立競技場コカリナを吹く飯能市立西川小学校の子どもたち