現地に足を踏み入れ、まず驚いたのは、震災から半年経つというのにそのままの状態だったことです。家は傾いたまま、道路も至る所が寸断されています。初日、被害が一番ひどかった益城町の仮設住宅集会所2箇所でコンサートをしました。おばあちゃん、おじいちゃんたちがたくさん来てくれ、「とても励まされた」と言ってくれました。
2日目は夜、大津町のキリスト教会でコンサート。昼、被害の酷かった御船町にある平成音楽大学に支援金を届けました。平成音楽大学では校舎の8割が倒壊。学生達はプレハブの仮校舎で勉強をしていました。コカリナ講師でもある声楽家の春日保人さんのお母さんがこの大学で教えていたり、東京コカリナアンサンブルのメンバーが学長さんの親戚だったり、様々な縁がりがあり、長野や東京コカアンの皆さんから預かった支援金をこの大学にお渡ししました。作曲家、指揮者でもある出田学長さんが迎えてくださり、事務局長さんが大学の中を案内してくださいました。事務局長さんのお話の中で、あの地震から「学生達が他人のことを思いやれるようになったり、本当に変わった」と言ってくださったことが印象的でした。
夜は大津町の教会でコンサート。ところが、ここでアクシデント発生。周美の声が出なくなってしまったのです。話す事はできるのですが歌が中域(ソラシ)あたりの声が、みんなヒックリ返ってしまうのです。初めてのことです。全く休み無しで熊本に向かい、疲労がたたったのでしょう。頭を抱えました。ところがその日の主催者は40年前からコンサートを主催して来てくださった「黒坂正文」のファンの先生方。「黒坂正文の歌」も沢山やって欲しいとリクエストを頂いていました。「小さな花の歌」「待っているから」「走れブルートレイン」「なぜ私は」そして「夕張の子」。「『夕張の子』は炭坑事故に負けずに友情を深める子ども達の姿は今の熊本にぴったりだ」とおっしゃるのです。その言葉に乗じて、大津教会でのコンサートは周美は全く歌わず、それらリクエストの歌を歌い「黒坂黒太郎&黒坂正文、コカリナと歌のコンサート」になってしまいました。終了後、一人の女性が近づいてきて、「今日は黒坂正文さんの歌に会えて良かった。これ、30年前癌で亡くなった妹の手記です。黒坂正文さんのことが一杯書いてあるのですよ。読んでください」と手渡してくれました。図らずも急遽「黒坂正文」が復活したのですが、それはそれで意味があったことだったかもしれません。
大津教会の翌日は、それほど大きな被害はなかった菊池市の文化会館。ここは大きなホールだったので、福澤達郎氏にも来て貰いました。この日は周美の声も復活。でもここも
黒坂正文ファンが多かったので、黒太郎&正文&周美の三つどもえコンサートになりました。
平野部が終わるといよいよ阿蘇に入りました。山は崩れ、いたるところが通行止め。カーナビの画面は通行止めのマークで溢れています。迂回、迂回を繰り返し、やっと南阿蘇村(旧長陽村)に。ここは東海大学の学生が何人も犠牲になった村。多くの家が倒壊と言うより、でんぐり返っています。そこの保育園を会場にしてコンサート。ここは昔長陽中学校の文化祭に呼んでもらい、素敵な中学生に出会えた思い出の村でもあります。当時の先生や被災者の皆さんが、お疲れの体を引きずって来て下さり、とても癒された、と言ってくれました。終了後、サインセールをしていると、一人の男性がこのCDにサインしてください、と言って来ました。見ると、それは15年ほど前にポリグラムレコードから出したコカリナのセカンドアルバム。その男性は「これは以前熊本市内のCDショップで買ってとても気に入っていたCDです。今回の地震で持っていたCDすべてが潰れてしまったのですが、このCDだけ奇跡的に無傷だったのです」と。「まるで奇跡のCDですね」と僕。そして彼は「まさか自分の村で生が聴けるとは、ありがとうございました。」と感慨深げに言ってくださいました。
南阿蘇の翌日は南小国町。ここは阿蘇の外輪山を越えて、さらに北に行った、もう大分との県境の山間の町。3年前には東日本大震災被災地支援コンサートにも取り組んでくれました。今回の地震の被害はそれほどなかった地域ですが、道路が寸断され、一週間近く孤立し大変だった、という話を聴きました。今でも、通行止めが多く不便をなさっているとのこと。ここの木のホールにコカリナの音が響き渡りました。終了後、もの凄い霧が出て前が全く見えない山道を大津町のホテルまでヒヤヒヤしながらたどり着きました。
そして最終日は、阿蘇市。ここも何度も訪れている町。阿蘇の外輪山の中に、桃源郷のようにたたずむ、美しい町。東日本大震災被災地支援コンサート以来3年ぶりです。
開演前に阿蘇神社に案内していただきました。国の重要文化財に指定されている楼門が倒壊し、拝殿や神殿もグシャリと潰れている。でも神社の回りの建物には一切被害は無し。時計屋さんの時計も落ちなかったとか。おばあちゃん達は「阿蘇神社が被害を一手に引き受けてくれたのだ。ありがたや、ありがたや」と言っているとか・・。不思議なことがあるものです。先日、36年ぶりに噴火した阿蘇山の火山灰が喉に与える影響を心配しましたが、その日は雨。火山灰を落ち着かせてくれて本当に助かりました。会場の農村改善センターには沢山のみなさんがご来場下さり、フィナーレにふさわしいコンサートとなりました。
東北の時もそうですが、やはり被災地のみなさんは大変な状況下に置かれ中で「生きる」と言う意味を真剣に考え、会場からその電波のようなモノがことにジンジンと伝わってくるのです。それに対してこちらはまた、音楽で投げ返す。「命の電波の投げ合い」が会場を渦巻くのです。CD製作など、もの凄いハードスケジュールの中の熊本支援コンサートだったのですが思い切って行って本当に良かったと思いました。まだまだ熊本支援を続けたいと思います。みなさんも熊本を訪れてみてください。
益城町
倒壊した阿蘇神社