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奈良原一高 王国

2015-02-03 00:00:19 | 一期一絵


1月29日、国立近代美術館にて「高松次郎 ミステリーズ」に続いて鑑賞しました。
 
奈良原一高氏(1931年生まれ)の写真展「王国」は1958年フォトサロンにて発表され、また「中央公論」の9月号でも巻頭のグラビアページで紹介され、高い評価を得て1958年度の日本写真批評家協会賞新人賞を受賞されたそうです。
今回の展覧会は、2010年度に株式会社ニコンより寄贈を受けたプリント全87点により、「王国」を紹介したものだそうです。

「王国」は2部作でそれぞれ世間から離れた特殊な場所で暮らす人を写真に収めています。
見ると強く心に残りました。

第1部「沈黙の園」
北海道のトラピスト修道院にて





神への祈りと共に働き暮らす人々
幾分うつむき加減に歩き、聖書を読み、静かに暮らしている。
建物の作りが日本と違う西洋建築で、改めてキリスト教が西洋から伝来したことを感じました。世界各地のキリスト教修道院の建物はやはりこんな建物なのだろうか。彼らが瞑想しながら座る椅子が、一人一人囲むような作りの木の椅子で中世の絵に出てくるのとそっくりでした。


彼らは自らの意思でこの世間から隔離した世界の住人となった。
たぶん年齢的に戦争に召集された経験を持つ方は多かったのではないだろうか。
勿論いろんな事情で、いろんな動機で修道士として祈りの日々を選んだのでしょう。
笑顔の表情の写真はなかったけど神への祈りに希望を託し、彼らは神から祝福された存在になろうとしている。神は己を信仰する者を祝福しているはず。彼らの心の平和は訪れていただろうか。


第二部「壁の中」
和歌山県の女性刑務所にて



彼女たちは法律の裁きでこの隔離した世界に送り込まれた。
周りの人に迷惑や危害を加えた人もいたでしょうし、辛い目にあい追い詰められて犯罪に手を染めてしまった人もいたでしょう。

写真でみると刑務所の塀はとても高くそびえていて、世間と完全に隔絶し、威圧感で押しつぶされそうです。その塀のふもとにささやかに花を植えている。

建物の中は殺風景で壁の塗装が所々はがれてました。
独房の中は人が寝れるスペースと格子のついた窓辺に洗面所と蓋のついたトイレがありました。
刑務所の中にも娯楽があり、みんなが椅子に座って映画を見てる写真がありました。あと婦人冊子も置かれていて、パーマをかけている写真も。
もしかしたら、刑務所に収監されて救われた人もいたのかなあ・・・

パーマでウエーブをかけた女性の頭部の写真があり、白髪交じりの髪にこれまでの苦労が感じられました。


この写真の女性の半そでから出てる腕には彫り物がちらっと見えている。そして手首の包帯。

さらにとても強い印象を受けた写真がこちらです

白黒写真なので黒く写る液体が本当のところ何色かわからないのですが、ドアからあふれるように流れているのは血なのだろうか・・・

彼女たちの人生に刑務所で暮らした事実はずっと重くのしかかってしまう。



世間から隔離した世界といってもまるで正反対の世界でした
でもなぜかどちらも心の中に沈むような孤独を感じるのは、モノクロの画面のせいなのか、写真を撮った人の心情を写したのか、あるいは意図してそうしたのか。


奈良原一高氏を勝手に想像して、顔に苦労の皺を刻んでいる修道僧のような風貌を思い浮かべてましたが、知的な風貌、経歴の方なんで驚きました。
奈良原氏が当時抱えた捉えがたい疎外感、不安、空しさが2つの世界を見つめる動機となったそうです。彼の視点はどの高さだろうか。




この展覧会の公式ホームページに書いている説明をそのままコピーします



タイトルの「王国」は、アルベール・カミュの中篇小説集『追放と王国』(1957) にちなんでいるものです。奈良原は、同書におさめられた一篇「ヨナ」の結びにある以下の一節を、作品発表時に引用しています。

 「その中央にヨナは実に細かい文字で、やっと判読出来る一語を書き残していた。が、その言葉は、Solitaire( 孤独) と読んだらいいのか、Solidaire( 連帯) と読んだらいいのか、分からなかった。」


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