このポスターにあるモンドリアンドレスに会いたくて、イヴ・サンローラン展を鑑賞しに行きました。
思い立って前の晩にユディト熊(クラーナハ展でお迎えした子です)にフェルトでモンドリアンドレスを作って着せて連れてきて、先ずはポスターと一緒にパチリ☆
イヴ・サンローラン(1936~2008年)はフランス領アルジェリアの裕福な家庭に生まれ、小さいころから絵が好きなお子さんだったそうです。そして次第にファッションに興味を持ったようです。
その子供時代に、ファッション雑誌からモデルの写真を切り抜き、もしくは自分でも女の人を描いて、固紙に貼り付けて紙の着せ替え人形にして、自分で描いた紙の洋服を着せて遊んでいたそうで、その紙の人形と着せ替え服が展示されてました。
この遊びを小学生の私もしていました。お友達とそれぞれ女の子の全身像を描いて色を塗って切り抜いて自分で描いたドレスを着せて遊んでましたっけ。国が違っても同じ遊びをしてたんだと思うと面白いなあ。私は少女漫画の女の子のようなお人形で正面を向いてましたが、サンローランのお人形はお顔は横向きで細くくびれたウエストに細腰をくいっと前に突き出したモデル立ちの大人の女性でした。
紙のドレスは現実の女性が着れそうなデザインでとてもおしゃれで細いウエストが強調されてました。
1953年17歳でファッションデザイナーの養成校に入り、コンクールで賞を取ります。そのデザインがクリスチャン・ディオールの眼に留まり1955年19歳で「ディオール」に就職。サンローランが21歳の時にクリスチャン・ディオールの死去により主任デザイナーとなります。
1960年にサンローランはアルジェリア独立戦争に徴兵されます。細くひょろっとしていてお人形遊びが好きだった男の人に軍隊生活は合うはずがなく、いじめにも合い、神経衰弱になり精神病院に入れられ、電気ショック療法など理不尽な療法を受けたそうです。その経験が後々まで影を落としたようです。
そして「ディオール」も解雇されてしまう。
1961年に回復したサンローランはパートナーのピエール・ベルジェと共にオートクチュール(仕立服)の店「イヴ・サンローラン」を創設。1966年にはプレタポルテ(既製服)のブランドも立ち上げたそうです。
オートクチュールを立ち上げて最初に行ったファッションショーの洋服がランウェイでモデルさんが歩いてるようにマネキンを並べて展示されてました。ドレスやスーツはウエストがきゅっと細く、オーソドックスでディオールのファッションを思い出しますが、男性服の要素を入れたり、帽子などアクセサリーとの組み合わせがとても洒落ていました。
その中でいいなと思ったのが、体をすっぽり包む本当に男の人が来てそうな大きいPコートでした。
「ポーティング・アンサンブル ファーストPコート」 1962年
大き目の金ボタンがアクセントになってます。これは冬にあったかく着れそう。
展示された服はプロトタイプ(原型)でこの作品を基準にお客さんに体型や希望に合わせて丈を変えたり、一部を変えたりしたそうです。
それからどんどんデザインが大胆になり、街を歩くのに丁度いい服から、豪華なイヴニングドレス、そして舞台衣装が展示され、服に関連したアクセサリーも展示されました。
凄いと思ったのは、サンローランのデザイン画は割とラフなスケッチなのですが、それを見て型紙を起こすパタンナーさんが見事なシルエットに作り上げている事。これはまさに職人技です。
アクセサリー類は専門のデザイナーがサンローランの意を汲んでデザインしたそうです。
舞台衣装でいいなと思ったのが中世ヨーロッパの貴婦人を思わせるこの服です
「女王のドレス 演劇『双頭の鷲』の衣装」1978年
これを見て思い出したのが中世フランスの時祷書の挿絵です
フランスのファッションの伝統をサンローランは継承しているのですね
他にも世界の服、各時代にちなんだ服などいろんなテーマの服がありました。街を颯爽と歩くのにかっこいい服や、パーティなどに注目を浴びそうなイヴニングドレス、そしてウェディングドレスなど様々な服が展示されてました。70~80年代の服は当時の雰囲気をまとっていました。
教会のマリア像に着せる服も展示されていて、美しい刺繍やフリルをふんだんに飾りつけしながらも厳粛な空気を纏っていました。
あれれ、と思ったのは中国の清時代の男性の服をヒントにデザインした作品で、解説で「漢服」と書いてましたが、あれは厳密に言うと漢民族ではなく満州民族の服ではないかな。←これは説明の問題
映画や舞台衣装はカトリーヌ・ドヌーブが着た清楚なデザインから周りの注目を一身に浴びるような挑戦的なデザインまでいろいろありました。
イヴニングドレスはシンプルなデザインからこれでもかというくらい豪華な作品がありました。パーティやレセプションによって私的な場からハイソサエティが贅を尽くして競い合う場までいろいろなシチュエーションがあるからなのでしょう。
贅を尽くしたドレスは豪華さが半端なく、ジャケットなども刺繍も一流の職人さんがかなり時間と労力をかけて完璧に、重厚に仕上げています。鳥の羽をふんだんに使ったり、見たことないような不思議な布地を使ってます。とことん突き詰めて、より豪華で人の眼を引く服へと欲求が進んでゆく。何となく18世紀のフランス宮廷のファッションを思い出しました。ひたすら足し算の美。
私はこんなに贅沢な服を作って良いのかな、と怖くなったのですが、これはもう芸術作品で画家が大作を作り上げるように三次元の作品を作り上げている。そして、そういう華やかな服を披露する場があり、その服を求める顧客がいるのですね。
最近は撮影可能なコーナーを設ける展覧会が多くなりましたが、イヴ・サンローラン展も撮影可能な部屋がありました。
サンローランが画家の作品に触発されてデザインされた服で、ピカソやブラック、ボナールやマティスなどの作品を思い起こす服が展示されてました。
その中でいいなと思ったのが
「《アイリス》イヴニング・アンサンブルのジャケット フィンセント・ファン・ゴッホへのオマージュ」1988年
ゴッホの鮮やかな色合いと筆致が再現されたような美しく豪華なジャケット。
そして、憧れのドレスも
「カクテル・ドレス ピート・モンドリアンへのオマージュ」1965年
サンローランの作品の中でもとりわけ有名で展覧会ポスターにもなってる作品です。数年前テレビでイギリスの裁縫技術を競い合う番組「ソーイング・ビー」を見てたらこのモンドリアンドレスが課題に出て、解説で、この服が発表されたとき、型紙も一緒に売り出されたのでアメリカで流行したと言ってました。だからほかの作品より比較的手が届くデザインなのかもしれません。が、憧れつつも到底着こなせないです。そこでフェルトで作ってユディト熊さんに着せてみました。私の分身が着ているようで嬉しくなってポスターに一緒に写したのですが、まさか本物のドレスと一緒に記念写真が撮れるとは。
でも本物を見ると白だと思ってた部分の布地はアイボリー色で、洋服の脇にも黒いラインが入ってましたので、帰宅後少し改良しました。
ファッションショーのクライマックスはウエディングガウンやウエディングドレスが登場するそうです。美しいウエディング衣装が数点展示されてました。
その中で異彩を放ってたのがこの衣装です。
「バブーシュカ ウエディング・ガウン」1965年
このびっくりするようなデザインはロシアのマトリョーシカをヒントにしたそうです。それから赤ちゃんのおくるみにも見えます。それからピグモンにも見える・・・。
全体が太い生成りの毛糸で編まれていて見るからに重そうです。それに歩きづらそう・・・。さすがにこの作品はこのプロトタイプ1点しかないそうで、つまりは実用には使われてない。でも、存在感がありました。サンローランがファッションデザインの可能性を開拓していた時期の挑戦的な作品。これは服というよりオブジェもしくは彫刻だと思います。着るというより見て楽しむ服。
着る服は動きやすく着心地のいい方が良いな。
グッズ売り場では当日券を持っている人のみ購入出来て、点数も限られてました。ハイブランドですから買占めや転売への対策なのだと思います。
会場の国立新美術館はもともとおしゃれな鑑賞者が多いですが、イヴ・サンローラン展は思い思いにおしゃれした若い女性が素敵でした。
帰宅した後、さっそくフェルトを買いなおして、ユディト熊さんのモンドリアンドレスを改良しました♪
連れ歩いては眺めて楽しんでます♪