3月18日から5月8日まで国立近代美術館で鏑木清方展が開催されてました。私は5月4日に鑑賞してきました。ゴールデンウイークの最中でしたが、日時指定制なので混雑はなくじっくり鑑賞することが出来ました。会場には着物姿で鑑賞されている方もいて、絵の世界と重なって素敵でした。
鏑木清方は1878年(明治11年)に神田佐久間町に生まれ、父親は「日日新聞」(現 毎日新聞)の創業者の一人(その後、「やまと新聞」を創業)で、戯作も書かれてたそうです。この展覧会を主催した数社の中に毎日新聞が入っていて、会場も毎日新聞社本社のすぐそばにある国立近代美術館なのもそのご縁なのかなと思いました。国立近代美術館は鏑木清方の作品を多く所蔵してますからね。
そして母親は大きな神社の神主のお嬢様でお芝居や寄席も楽しまれてたと会場の説明に書かれていました。
鏑木清方は江戸の情緒や芸能が生活の中にしみこんだ、恵まれた家庭で育ったようです。
左 《浜町河岸》1930年(昭和5年)
中央《築地明石町》1927年(昭和2年)
右《新富町》1930年(昭和5年) いずれも国立近代美術館 所蔵
美人画の第一人者と評される鏑木清方氏の代表作のような三連作。《築地明石町》は長い間行方不明だったそうですが、2018年に発見され翌年国立近代美術館の所蔵となり、今回晴れて三点揃い踏みで展示されたそうです。
絵の中にいる女性と背景にはそれぞれの街の特色を表しているそうです。
《浜町河岸》では武家の建物が並ぶ背景に踊りの稽古帰りと思われる十代の少女が描かれて、お稽古のおさらいを思い出しながら歩いているように見えます。
《築地明石町》では港の船と洋館が建っていた街に佇む20代後半から30歳代前半の人妻(左手薬指に彫刻の入った金の指輪をはめている)が、変わりゆく街の風情を懐かしむように振り返ってます。
そして《新富町》で、評判だった芝居小屋が背景に描かれ、その帰りに雨傘をさしている30代くらいの年齢の女性が描かれてます。
いずれも関東大震災の後に描かれているので、その風景は描いた時にはもうなかったのでしょう。
女性はいずれもすらりとしてほっそりして色白で、面長で鼻筋が通っておちょぼ口で、江戸時代の浮世絵美人の系譜を感じます。他にも展示されていた美人画もやはり同じ系譜を感じました。
離れて見ると、絵の中の女性の立ち姿が美しく凛としていて、近づいてみると、着物の柄やまつげや髪のおくれ毛などが一線一線細かく丁寧に描かれてます。
着物の色合いは鼠色やお納戸色など渋めで、長襦袢や帯、道行の裏地、そして鼻緒に鮮やかな赤を利かせている。これが江戸の粋な着こなしなのかな。
《道成寺(山づくし)鷺娘》1920年(大正9年)福富太郎コレクション資料室所蔵
母親の影響で歌舞伎を愛した鏑木氏。特に娘道成寺を描いた絵が多く会場にもたくさん展示されてました。かわいらしい娘が情念を募らせどんどん我を忘れてゆく様子に強く引き付けられたのだろうか。
鷺娘は鑑賞した事はありませんが、玉三郎丈が鷺娘に扮して舞っている写真集を見たことがあります。それはもう幻想的な美しさでこの作品を鑑賞してあの時の写真集の玉三郎さんの表情が目に浮かびました。
左《弥生の節句》1934年(昭和9年)
右《端午の節句》1936年(昭和11年) いずれも国立近代美術館所蔵
この掛け軸は、普通なら表装に織物や錦が使われるところを、本紙(絵の部分)の周りも全て絵にして描いている「描表装」という作りだそうです。可愛らしくちょこんとまとまって描かれているお雛様の絵と描表装、そして、童顔の武将の絵の周りにはみ出しそうなこいのぼりの大胆な描表装。どちらもとても洒落ていていいなと思いました。
節句の飾りがなくてもこの掛け軸さえ飾れば、とても素敵な節句のお祝いが出来そうです。
《一葉女史の墓》1902年(明治35年)鎌倉市鏑木清方美術館所蔵
この作品は樋口一葉の肖像画と隣り合わせに展示されてました。樋口一葉の肖像は、教科書などで見る写真の姿とそっくり。昭和になってからの作品なので写真をもとに描かれたのかな。
こちらの作品は、樋口一葉のお墓に「たけくらべ」の美登利が寄りかかるように抱きしめるように身を寄せてます。肩には水仙の造花。まだ幼い表情だけど髪は島田に結っているのでもう子供時代を過ぎた若い女性の姿。樋口一葉の早世への悼みと喪失感、無邪気な子供時代を過ぎた美登利の悲しみとやはり喪失感の二つを感じました。
鏑木清方は樋口一葉の物語を愛し、「たけくらべ」を暗記するほど読んだと書いてありました。樋口一葉は吉原の近くに住んでいたそうで、美登利のような身の上の女の子がいたのでしょう。それを周りの人はなんてことなく当たり前だと思っている。そんな世界を冷静な目線で描写した物語に思いました。鏑木清方や森鴎外がこの物語を愛したのは子供には聖と俗の隔たりがないことや、実ることのない儚い恋と、物語の向こうに透けて見える無垢で美しい存在が手折られる風情に惹かれたのかなあ。今となってはとんでもない事だけど。
鏑木清方はまた泉鏡花とも親交が深く、泉鏡花の小説の挿絵を描いています。二人の交流を描いた《小説家と画家》が展示されてました。
展覧会にはところどころ鏑木清方の語録が壁に描かれてありました。そのうちの一つを記します。
「勧められて画く場合、いはゆる美人画が多いけれども、自分の興味を置くところは生活にある。それも中層以下の階級の生活に最も惹かるる」(昭和10年4月「そぞろごと」より)
《鰯》1937年(昭和12年)頃 国立近代美術館所蔵
小さなお店と住居が合わさった家のおかみさんに鰯を売る少年。鏑木氏が惹かれた人々の生活ですね。制作したのは昭和12年で、徐々に軍国主義が台頭し、日本髪を結っている町のおかみさんはもういなかったでしょう。若い時に見た人々の営みを思い出して描いたように思えました。
それとは別に個人的にこの家の玄関に惹かれました。ガラスがはまってなくて風も虫も入ってしまう格子の引き戸。小さいころ遊びに行った祖父母の家と同じだ。
《雛市》1901年(明治34年)公益財団法人北野美術館所蔵
お雛様を売りに出している市に買いに来ている女の子と母親。楽し気に一緒にお雛様を選んでいて、綿の入った着物を着て暖かそうなショールを羽織ってます。そのそばを通る女の子は節句の飾り用に使われる桃の枝を担いで、裸足で薄物しか着てません。担ぎながらお雛様を見てます。きっとお雛様の飾りは憧れつつも遠い存在なのでしょう。風物詩の中に如何ともしがたい貧富の差を表現しています。
この時、鏑木氏は「深刻小説」を熱心に読んでいたと説明に書いてありました。深刻小説とは自然主義小説のことなのかな。
この貧富の問題を他の作品でも絵にしていました。一番印象的だった作品は、三菱財閥が注文して皇室に献上した屏風絵《讃春》(1933年、昭和8年制作)です。昭和の大礼を記念した作品で、右隻には皇居前広場に佇むセーラー服の双葉女学校の生徒さんが清楚な姿で描かれてます。左隻には隅田川のモダンなデザインの清州橋を背景に船上生活している母と幼い子供を描いています。勿論どちらも穏やかな表情に描かれてましたが、左隻に描かれた船は小さく屋根は低く船の屋根の下では立ち上がることは出来なさそうです。木に塗装はされてなく、激しい雨風が吹いたら激しく揺れて下手したら転覆しそうな作りなのです。その船を危なっかしく乗っている小さな子がいて、低い屋根の中から見つめる若い母親が描かれてました。天皇陛下に献上される作品に恵まれた家庭の女学生と、皇室の方々が目にすることはないだろう貧しく生きる人を同じ比率で描いたことに鏑木氏の意図があったのでは。貧しさのなかでも精一杯生きている民がいることを知らせたかったのかな、と勝手な解釈ですがおもいました。
《十一月の雨》1956年(昭和31年)上原美術館 所蔵
この作品を描いたのは78歳の時だそうです。会場に入ると最初に18歳で描いた《初冬の雨》(1896年、明治29年)の作品と隣り合わせで一緒に展示されてました。どちらも街角の焼き芋屋さんを描写しているそうです。
2点の間に60年の歳月の隔たりは感じず、同じようなタッチで明治時代の人々の営みを描写していました。時は過ぎ、日本はどんどん西洋化され、関東大震災がおこり、軍国主義になり、第二次世界大戦がおこり東京は大空襲にあい、そして戦後は急速に復興してアメリカ文化が入り高度成長期になろうとしていた昭和31年に、江戸時代の情緒がまだ漂っていた明治時代の風物はほぼなくなっているに違いなく、記憶だけで描かれたのだと思うのですが、細かいところまで描写されています。明治時代に幸せに育ち青春を過ごした氏にとってはあの時代の風物が掛けがえのない記憶だったのでしょう。
切なくて、懐かしい気持ちいっぱいで描かれた作品のように感じました。
鏑木清方は肖像画も描かれていて、その人の人柄もうかがえるような表情や佇まいも描写してました。
そして、小さな作品も多く展示されてました。「卓上芸術」と鏑木氏は言っていたそうで、机の上で作品を手に取って鑑賞することを言うそうです。会場で大きな作品を鑑賞することも良い事だし、身近に作品を楽しむこともまた大切という。本当にそうですね。 物語の挿絵や、旅行のスケッチなどが並んで展示されてました。
その中でやはり樋口一葉の小説「にごりえ」の挿絵が印象に残りました。スケッチするように描かれた絵なのですが。その中に小さな男の子が貧しい身なりでポツンと立っている絵があって気になってしまったのです。帰宅してから「にごりえ」を読んでみました。・・・樋口一葉の住んでた時、身近に似たようなことがあったのだろうか・・・。なんとも不条理で理不尽でした。それを文章で描写した樋口一葉。
鏑木清方の描く美人さんはどんなだろうと見に行き、美人画に江戸時代の伝統の系譜を感じ、風俗や舞台や物語の絵には鏑木氏の心情を感じました。
私は、出版社さんからチケットをいただいたので足を運びましたが、物凄く堪能できました。
最も心惹かれたのは、絵の色調でした。こんな色が出せるんだ~って感動するくらいの繊細さと、失われた昔の日本の風情。
美人画も見事でしたが、Himaryさんが記事に書かれている様に、日常の風景描写が本当に素晴らしかったです。
泉鏡花との出会いのエピソードも興味津々でした。
鏑木清方展を鑑賞して、江戸情緒が残る古き良き東京を愛し、大切な風物や情景を絵にして残してくれた画家なんだなあと感じました。美人画もその情緒の中の一つの形なんだと。
色彩は舞台や物語の絵は煌びやかですが、風物を描く時は落ち着いた色調で、女の人の着物の色調も寒色系が主で、少しだけ朱色がアクセントになってる。これが粋な江戸風着こなしなのかな?と思いました。
こだわりぬいた細部描写や美意識は確かに泉鏡花の世界とも通じていますね。
絵に描かれた泉鏡花の佇まいが神経質そうな色白メガネの青年で、あの艶やかで大胆で時にデカダンスも感じる物語を書いたのだと思うと面白いなと思いました。
そう、鏑木清方の絵の世界の場所はごみつさんの生まれ育ったところととても近いですね!私たちが生きた年月でも暮らしはだいぶ変化しましたが、明治から昭和にかけて生きていった鏑木氏はもっと激変していて、だからこそ思い出の情景を描くことに個人的にも後世に知らせるためにも深い意義をかんじていたのでしょうね。
一方、社会的な問題も絵にしていた、視点が広い画家にも思えました。
私もとても堪能しました!