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ルドン 秘密の花園 展

2018-04-21 02:56:35 | 一期一絵

桜も咲き終わり青葉が瑞々しい4月に三菱一号館美術館に行きました。

ルドンは日本でも人気があり、ここ数年で何回も展覧会が開催されてます。

2012年に同じ三菱一号館美術館で開催された「ルドンとその周辺  夢見る世紀末展」では、ルドンの作品と同時代の画家の作品が展示され、さらに同館が購入したルドンの大作「グラン・ブーケ」が日本で公開されました。

2013年では損保ジャパン東郷青児美術館で「オディロン・ルドン 夢の起源展」が開催され、ルドンに影響を与えた画家から始まり、若いころの作品から晩年までの画業を回顧。出展された作品数も多く、代表作がそろい見ごたえがありました。

今回は、ルドンの画業を回顧しつつ、三菱一号館美術館の誇るコレクション「グラン・ブーケ」を中心に据えた花の絵を多く集めた展覧会でした。

なんといっても、ドムシー男爵の城の食堂に飾られた「グラン・ブーケ」を中心とした18点の装飾画のうち、16点が集まり展示されたのは圧巻でした。

 

まず始めに、ルドンが「我がエチュード」と名付け、生前は公開されなかった風景画が展示されてました。

『ペイルルバードの小道』油彩

 

『メドックの秋』油彩

どちらの作品も制作年は不明だそうです。「メドックの秋」は色合いと言い木の幹の形と言い、ルドンの黒の時代の作品に通じる不気味さを感じます。

ルドンはボルドーで生まれ、生後すぐに近郊のペイルルバードに預けられて育ったそうで、その荒涼とした田舎の風景がルドンの芸術の源泉となったそうです。

病弱で内気な事もあり学校になじめず家ですごし、建築家を目指すも受験で失敗し、またパリで画家に絵を学ぶのだけど、そのアカデミックな画法に合わず帰郷してしまう。

親は心配したでしょうか。少なくとも日本では小さいころから周りと上手くやっていけるかどうか、親はとても気にします(私もそうだった)。

でも、こうやって生涯を回顧してみるとそれは決してマイナスではなかったようです。

 

ルドンは人生の師となる人物に会い深い影響を受けていきます。

バルビゾン派の画家カミーユ・コローからは「不確かなもののそばには確かなものを置いてごらん」そして「毎年同じ場所に行って木を描くといい。」とアドバイスを受けます。

放浪の画家ロドルフ・ブレスダンからは幻想的で思索に富む画風の影響を受けます。そして銅版画の技法を学んだそうです。

友人の植物学者のアルマン・クラヴォーはミクロの世界の植物の形態や極小の生命を顕微鏡で見せてくれたそうです。

それは、ルドンの絵の世界そのもの。

アカデミックな絵の技法に合わなかったルドンですが、そこで木炭で作品を描くことを学び、それが黒の美しい世界を作り上げていきます。さらに知識人が集まるサロンで知り合った画家のアンリ・ファンタン・ラトゥールから転写法リトグラフを学び木炭の描き味を損なわないで版画にする技法を学びます。

 

後年、ブレスダンとクラヴォーは自ら命を絶ってしまいます。

「『夜』1.老年に」1886年 リトグラフ

ロドルフ・ブレスダンの横顔を描いた作品。

 

「『夢想(わが友アルマン・クラヴォーの思い出に)》1.・・・それは一枚の帳、一つの刻印であった・・・」1991年 リトグラフ

聖遺布に残されたキリストの顔。その顔はアルマン・クラヴォーと似ているそうです。

作品に悼む気持ちが込められています。

 

ルドンの作品は世の喧騒から離れ、静かに潜む見えない存在を感じさせてくれます。黒は深く、浮き上がるような白は輝き、グレーの諧調が美しい。モノトーンながら鮮やかさを感じる。

「『ゴヤ頌』2.沼の花、悲し気な人間の顔」1885年 リトグラフ

淀んだ沼はペイルルバードにいくつかあったそうです。そんな沼から若い葉と茎が現れ出でて遂に咲かした花はすでに年老いています。

 

『キャリバン』1881年 木炭

シェイクスピアの戯曲「テンペスト」の登場人物

 

「『起源』2.おそらく花の中に最初の視覚が試みられた」1883年 リトグラフ

はじめは一つ目の人だったようで、うっすらと痕跡が見えます。

黒の世界に描かれた住人は、全体的に目が大きいのが印象的です。目玉そのものを中心に描いた作品も多いです。いずれも物悲し気な表情をしています。

不気味さよりもなぜか懐かしさを感じます。自分の心の中の闇の世界でひっそりと生息しているようにも思えるし、実は気づかないだけで身近なところに存在しているのかもしれません。

 

 

 

そして人生後半に鮮やかな色彩の世界へと変貌。人生に花が咲いたように、鮮やかな花が描かれることが多くなりました。

『眼をとじて』1900年以降 油彩

眼をとじて瞑想する女性像が色の世界へと入る転換期のきっかけになりましたが、最初に描かれた作品はとてもシンプルに女性を描いていました。その女性はルドンの奥様だそうです。この作品はさらに色が鮮やかになり、華が咲き乱れてます。

 

 

『若き日のブッダ』1905年 油彩

日本画家の土田麦僊がルドンの遺族から直接購入。日本に初めて来たルドンの作品だそうです。その作品がブッダの絵であるのが日本とのご縁の深さを感じます。ところで作品の横に書かれた説明を読んだら、土田麦僊氏はルノワールの絵を買うためにこの絵を売ろうとして、結局は思いとどまったそうです。もし買い替えたら、それはいくら何でも大切な作品を手放したルドンのご家族に失礼だったです。空の青とオレンジ色の瞑想するブッダの色の対比が美しい。この絵にも花が添えるように描かれてます。思いとどまって無事日本に来てくれてよかったです。

 

花の作品が並びます。花瓶に生けた花の絵が多く展示されてました。

 『野の花の生けられた花瓶」1910年 油彩

アンリ・ファンタン・ラトゥールの描く花瓶の花の絵ととても似ています。

 

 

『日本風の花瓶』1908年 油彩

花瓶には、歌舞伎なのかな?日本の役者の絵が描かれてます。

 

 

『蝶』1910年 油彩

乱舞する蝶や蛾に交じって花が咲いてます。

 

そして今回の展覧会の中心となる作品群。

ドムシー男爵はヨンヌ県の名士でドムシー城はヨンヌ県で最も重要な城だそうです。その城の食堂にルドンは依頼され18点の作品を描き飾りました。

でもその後相続税の代わりに、グランブーケ以外の17作品は明け渡され、「グラン・ブーケ」のみ残って食堂に華やぎを残したそうです。

明け渡された17点のうち15点は現在オルセー美術館に所蔵されています

その15点が来日し、三菱一号館美術館が所蔵する「グランブーケ」と一緒に、本来に近い形で展示されてました

 

左から「黄色い背景の樹」「人物」「人物(黄色い花)」「黄色い背景の樹」 1900~1901年 油彩とデトランプ

デトランプはテンペラ画の一種だそうで、顔料を卵を主とした液体で溶いて描くのだそうです。

「花とナナカマドの実」

「雛菊」

「グラン・ブーケ(大きな花束)」1901年 パステル

 壁画に囲まれると、まるで花園の中で食事するような気持ちになれたのでは。周りが抑えた色調で自然の花を描いた中で、「グランブーケ」は鮮やかな青い瓶に切り花。その花はところどころ顕微鏡で見た微生物みたいな姿をしてます。花が生きているように見えるのが不思議。

 

 

 

『ドムシー男爵夫人の肖像』1900年 油彩

ほっそりとして上品な佇まいが美しい。人物を端っこ寄りに描いていて、空いた部分にはどうも花の絵をたくさん描いていたようです。上から塗ってある白っぽい雲のような色の下から花の絵が少し透けて見えました。そうやって特に物が描かれてない空間ができて、ドムシー男爵夫人が思索しているように見えてきます。抑えめな色合いもむしろ美しい。

 

画家としては積極的に売り込みをして仕事を獲得したそうです。またいろんな事柄に好奇心を持っていて、友人との交流が作品に反映されたことを考えると、行動力のある人物だったようです。40歳で結婚し、長男は生まれてすぐに亡くなったそうですが49歳で次男が生まれ愛情を注いだそうです。そして画業は評価され、ナビ派の画家から尊敬され、ルドン自身もナビ派の作品から影響を受けたそうです。

ルドンの兄は音楽家となり、弟は建築家となった芸術に縁の深い家族だったそうで、ルドン自身もバイオリンを弾いたそうですが、確かにルドンの作品は音楽が聞こえてくるようだと思ってました。

黒の時代は単旋律のメロディが厳かに聞こえてきて

色鮮やかな時代は、色の饗宴が様々な楽器が音を合わせたり和音を作っているのと同じではないか。

それはまさしく「色彩のハーモニー」

色の美しさが心地よくて、人物の表情は穏やかで、親しみを感じます

 

『オルフェウスの死』1905~10年頃 油彩

ギリシャ神話に出てくる琴の名手オルフェウスは八つ裂きにされ、愛用していた琴に生首をのせて川に流される。流されながらオルフェウスは美しい歌を歌ったそうです。オカルトのような話なのに美しい色彩と穏やかに眠るようなオルフェウスの表情で恐ろしさを感じない。瑞々しい色合いが琴の音色やオルフェウスの歌声の美しさを感じさせます。

 

他にも美しい作品がいろいろありました。19世紀のヨーロッパの佇まいを感じる会場と作品がとても相性が良くて作品をさらに味わい深く鑑賞できました。

5月20日まで開催されてます。

 


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