東京国立博物館の本館に入るとすぐに見える壮麗な大階段はテレビドラマやCMでおなじみですね。その大階段の後ろにある特別5室 (ホールのような一室)で特別展「空也上人と六波羅蜜寺」展が開催されてます。
特別5室は博物館としてみるとそんなに広い方ではないと思います。部屋の中はほの暗く、浮き上がるように仏像に光が当てられてました。天井は高く上部は壁に沿って人が通れる通路があり、はっきりとは見えませんでしたが凝った造形の欄干が設えてました。
そのほの暗さや、一つの部屋に仏様が密接に並んでいる展示が、お寺のお堂に入って仏様にお会いするような雰囲気とも通じていました。また、感染予防のため私語を慎むようにと書かれたボードをもった職員の方が会場内にいて、そのため静かで厳かな雰囲気を感じながら鑑賞しました。
六波羅蜜寺は地図で見ると鴨川と東山の清水寺や高台寺の間の場所に建てられてます。10世紀半ばの頃、京都は伝染病が流行り、村上天皇の要請を受けて空也上人は寄進を募って大般若経を写経し十一面観音像を造営させ、その観音像と共に門下のお坊さんと一緒に患者の医療に携わり、人々が利用する水に問題ありと分析して新しく井戸を掘り直し、道を整備し、当時死体は鴨川の河原に放置していたそうですが火葬を推進したそうです。その成果があり疫病は次第に治まっていったそうです。
疫病が収まった後、尽力を評価した天皇は空也上人に十一面観音像を本尊とした西光寺を建立させたそうです。
空也上人入寂の後、寺院を引き継いだ天台宗延暦寺の僧中信が「西光寺」を「六波羅蜜寺」と改名し、天台宗の寺院となり、江戸の桃山時代に真言宗の寺院になったそうです。
重要文化財 薬師如来坐像 平安時代 10世紀
お寺の名前が六波羅蜜寺となったあと、改めて本尊として薬師如来像が造営されたそうです。天台宗の如来像は頭の肉髻(にくけい)が段々になってなくてなだらかなのが特徴だそうで、現存する最古の寄せ木造りの仏像だそうです。同時代に造られた四天王像(一体は鎌倉時代に補造)を従えて存在感があり、そっと手を合わせ拝みました。
もう一体の本尊である十一面観音像は今は秘仏本尊として12年に一度姿を拝むことが出来るそうです。
重要文化財 地蔵菩薩立像 平安時代 11世紀
こちらのお地蔵さまは定朝が造営されたと今昔物語に書かれているそうです。繊細で華奢で美しい地蔵菩薩です。お顔立ちが優しい。衣の襞は浅く掘られていて、ネックレスのような瓔珞の飾りが腹部まで垂れてとても華麗。彩色もされていたそうです。王朝の雅を感じるお地蔵様。
重要文化財 地蔵菩薩坐像 運慶作 鎌倉時代 12世紀
運慶の造営されたお地蔵さまは颯爽として頼もしく、お顔がとても端正で賢そうです。衣は深く掘られていてその衣からもしっかりとした肉付きでいてなお引き締まっている体つきがわかります。瓔珞はシンプルながらセンスの良いデザインです。胎内にはぎっしりと巻物や冊子など書物が詰まって入っているそうで、運慶の深い信仰心が詰まっているお像。
死体が多く放置された鴨川の近くにあるお寺だからこそ死が身近に感じられ、地獄に堕ちても救い出してくださるお地蔵様の存在はありがたく、切実におすがりしたい仏様だったのでしょう。
この展覧会には、運慶のお像(木彫)も展示されてました。亡くなった後まもなくに造られたそうなので、運慶の面影を良く写していると思われます。運慶は勝手に想像すると気難しそうで職人気質な巨匠を思い浮かべますが、そのお像の運慶は気さくな明るい雰囲気な方に見えました。手がごつっと大きく、頭が大きくちょっと尖がってました。
隣には運慶の長男の湛慶のお像も展示されていました。真面目そうで堅実な雰囲気でした。
重要文化財 伝平清盛坐像 鎌倉時代 13世紀
湛慶像の隣には平清盛と言われるお像が展示されてました。このお像はよく日本史の教科書に写真が載ってます。亡くなってから後に造られたお像ですが、こういう風に正面を向かなくて日常の様子を見せるお像をこの時代に作られるのは珍しい事ではないかと思います。お顔も理想化されてなくてリアルです。お経を目を細めて読み(老眼なのかな?)少し開いた唇から読教の声が聞こえるようでした。
六波羅蜜寺のあたりは12世紀後半ごろ平家の屋敷が建ち並んでいたそうです。平清盛像はきっと滅亡した平家の魂を弔うために永遠に読教されているのでしょう。
重要文化財 空也上人立像 康勝作 鎌倉時代 13世紀
左手に鹿角杖を持ち歩く遊行僧の姿で造られてます。これまで仏教は特別な立場の人のものでしたが、空也上人は民衆に仏の教えをわかりやすく「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽に必ず行けると説き、首から鉦を吊るし、鳴らしながら広めたそうです。疫病では自分たちの為に祈りや医療や衛生的な街の立て直しに尽力された空也上人が鉦を響かせて歌うように「南無阿弥陀仏」と唱える姿を見て、京の街の人々が熱狂したのは想像に難くありません。「街の聖」ともいわれ、鎌倉時代に新しく宗派をつくられた法然上人と親鸞上人、一遍上人に影響を与えました。今年は空也上人入寂後1050年になるそうです。
造られたのは運慶の四男である康勝だそうです。お像は空也上人が生きた時代から200年後に造られたそうなので、実際のお姿というわけではないようですが、とても写実的でしかも街を歩き仏の教えをひろめる聖の理想的な姿をされてます。父親の運慶の傑作「無著・世親」像を思い出します。小柄で痩身で、空也上人が南無阿弥陀仏を唱えると言葉が仏様になったといういわれを効果的に表現しています。
この像は360度鑑賞することが出来て、空也上人が着ていたと言われる鹿革の衣の質感、草鞋を履いて歩く足の指先など細部にまで神経が行き渡り、鉦を首からつるしている重さを感じました。「南無阿弥陀仏」と唱えるお顔は無心な表情をしているようにも、少し苦しそうにも、少し恍惚な表情にもいろいろと感じられました。
私も空也上人と共に心の中で「南無阿弥陀仏」とつぶやきました。
閻魔大王像の怒った表情、やはり怒った表情ながら素朴な雰囲気を持つ夜叉神立像も印象的でした。
展覧会に行った日は上野公園は桜が散り始めてました。でも上野駅近くの舞姫という桜はパステルピンクの花が満開でした。東京国立博物館の敷地内でも桜が咲いていました。
そして本館の目の前にあるユリノキの大木はちらほらと花を咲かせていました。
ごみつさんも鑑賞されたのですね。展示数は多くはないけれど、見応えのあるいい展覧会でしたね(*^_^*)
私は平家の事はあまり詳しくないのですが💦、新興勢力として広大な屋敷を建てる時に、すでに中心地は建物が並んでいる中、鳥辺野の地に近いとはいえ都にさほど遠くはないこの地がとても利便性が良かったのだろうなと感じました。武士は常に生死の境を渡り歩いているからこそこの地を怖くなかったのかもしれませんね。
またこの地は鎌倉時代に六波羅探題も建てられ、武士に関連深い土地でもありますね。
この展覧会は六波羅蜜寺に新しく堅牢な建物を造り仏像などを移す機会に合わせて東京での展示が可能になったそうですが、それと同時に世界に蔓延する疫病の終結を願っての展覧会なのではとも感じました。
さらに世界中に戦争が起きていて、辛い事実を知るにつけ祈らずにはいられない気持ちでこの展覧会に行きました。
博物館は先人の素晴らしい技術と芸術を鑑賞する場ですが、そのお像には祈りが込められて造られていますもんね。
ごみつさんはさらに博物館の中をいろいろ見て回ったのですか。本館や平成館だけでなく、表慶館は見れる時とそうでない時がありますが、さらに東洋館や法隆寺宝物館もありますもんね!。量も質も見応えがあるし歩きがいもあり、へとへとになりそうだけど私もまる一日使ってやってみたいです!(^^)!
博物館の鑑賞は時空の旅でもありますからね(^_^)v
私もこちらの展示会、見に行って来ました。
一室だけのこじんまりとした展示ですが密度の濃い展示会でしたよね。
六波羅と言うと、平家物語づいている事もあって平家ばかりが頭にありましたが、その創建が空也上人であった事、六波羅という土地の特殊性などを知る事が出来ました。
空也上人像は現地では正面からしか見られないそうなので、360度グルリと鑑賞させていただけるのは貴重な体験でしたよね。
この日は展示が少なかったので、久しぶりで常設展示も見てまわりました。東博はやっぱ広い!2万歩以上歩きました。(;^ω^)