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逆境の絵師 久隅守景展

2015-10-28 14:06:58 | 一期一絵

副題は「親しきものへのまなざし」
久隅守景(くすみもりかげ)は江戸初期に活躍した絵師。狩野派の棟梁の狩野探幽の弟子だったそうです。
弟子の中でも選りすぐりの4人は四天王と呼ばれ、さらにその中でも筆頭と言われた実力者。師匠探幽の姪と結婚し、狩野家一門の身内となり絵師としての栄達の階段を順調に上って行ったのですが、人生の後半生は事情により師匠のもとを去ったそうです。
絵師としての前半が華々しかったこともあり、その上、当時から絵師として高い評価を得ていて作品も少なからず残っているのに生まれも没年もさらには作品の制作年も殆ど明記されてなく不明であることもあり、逆境もしくは異端の絵師と呼ばれているそうです。

私は、「納涼図屏風」は知ってましたが、久隅守景の事と他の作品は知りませんでした。「納涼図屏風」は穏やかな風情がとても好きで是非とも間近で鑑賞したくて展示されている期間(11月3日まで)にサントリー美術館に行きました。(10月23日鑑賞)
展示作品は紙に描かれた日本画なので保護のため長くは展示されず、二期、もしくは三期か四期に別れて展示替えをするので私は全作品数の半分よりちょっと少ない作品を鑑賞したことになります。
全く作品が入れ替わる後半の展示作品も気になるところですが、「納涼図屏風」がとてもいい作品なので展示期間内に是非紹介したくて感想を今書きたいと思います。



《十六羅漢図 》 十六幅のうち一部 江戸時代 17世紀(神奈川県 光明寺所蔵)
これは粉本(狩野派のお手本の絵)から学んだ絵。探幽の弟の安信の絵とほぼ一致しているそうです。


画像が見つからなかったのですが京都の知恩院の襖に描かれた《四季山水図》を見ると全体の画面の構成、細かいところまで描かれた人物、そして線描がとても端正で無理がなく技術の高さを感じました。形の狂いを無理やりねじ伏せて自分の持ち味にしてしまわない。くせのない作品なんです。

  (右4面)

(左4面)
《四季山水図襖》1655-58年(富山県 瑞龍寺所蔵)
私が鑑賞したのは右の4面で11月5日から左の4面が入れ替わりに展示されるそうです。建物をかなり細かく描写していますが、その正確さに技術の高さを感じました。細かく描写すればするほどちょっとした線のずれや形の狂いが目立つのですが、とても安定していて見ていられます。

そして線が強いのです。建物を途中でぼかして雰囲気で描く方法もありだと思うのですが、建物の瓦の一枚一枚を丁寧に確信のある線で描いている。建物の中には人物が細かく描かれています。
さすが四天王の筆頭。追随を許さない技術の高さを誇っていたのが伺われます。凄く自信のある絵。


守景の年表が会場の壁に貼られていました。それによると師匠の探幽より少し年上なのだそうです。狩野探幽は祖父永徳のような豪快な作品から徐々に転換して、太平の世の中にふさわしい穏やかで装飾的な余白を効果的に使った作品を製作したそうです。幕府の御用絵師となり朝廷や大寺院の注文もこなすため大勢の弟子を使って製作し、弟子にも一定以上の技術が必要で癖の強い絵を描く弟子はむしろ作品を乱してしまう。技術の高く端正な作風の守景は探幽にとって信頼のおける人材だったのがわかります。
探幽の姪ごさんと結婚したそうですが、そうすると年の離れた夫婦ということなのでしょうか。二人の間に娘と息子が生まれ、その二人も絵師となってます。
が、娘の雪信は同じ探幽門下の弟子と駆け落ちしてしまう、そして姉より7つ年下の息子彦十郎は吉原に入りびたり素行不良で同じ門下の弟子とトラブルを起こし佐渡に島流しにされてしまい破門されたそうです。一家は離散してしまいます。気性の激しさは夫婦のどちらに似たのだろう?

守景は狩野派を去っていきます。狩野派のお嬢様である奥さんとはどうなったのかなあ…。
守景はしばらくして加賀藩の招聘で加賀に身を寄せたそうです。

そこで絵の世界がひろがっていきます
当時、藩主は屋敷に《四季耕作図屏風》を飾って鑑賞したそうです。守景が加賀で制作した《四季耕作図屏風》が数点展覧会場で並んで展示されてました。
四季耕作図は中国から伝来した元々狩野派の絵のジャンルで、狩野派は梁楷の作品と伝えられている《四季耕作図》をお手本にして描いたそうです。守景は雪舟の画法も私淑して取り入れたそうです。

だから守景の四季耕作図も中国の人物、建物で描いているものが多いですが、日本の風物で描いている作品もありました、でもそんなに違いはありませんでした。男の人がちょんまげなのが日本だなというくらい。
その四季の稲作を描いた作品が並んで展示されていて、それがとても良かったのです。端正な筆さばきで自然な風景の広がりや季節の移ろいを描き、人物も丁寧に描かれ建物も農作業もかなり細かくまで稲作や米の袋詰めまで描写されています。みんなで力を合わせてもくもくと働き、子供は遊んだり母に甘えたり、余暇には闘鶏を楽しんだり、舟遊びを楽しんだり、女たちは糸を紡ぎながら談笑していたり・・・。そうそう何気なく配した動物も見て楽しい。
お殿様がお城で飾る絵だし、農民の世界を理想化した作品だというのはわかるのですが、守景自身もとても楽しんで風景や建物や農民を配して描いたのが感じられました。急な雨であわてて被り物の下に入る子供の様子など見ている私もにんまりしてしまいます。
そして日本の四季耕作図には鷹狩をするお殿様と家来が登場しています。これを見たお殿様は自分が絵の中に入り込んだような楽しさを感じたかな?

《四季耕作図》こそが久隅守景の代表作でした。が、鑑賞した作品の画像が見つかりませんでした。個人像の作品は無理だけど、公共の美術館の所蔵作品なら検索して画像を探せるかと思ったけど。
一部の画像だけ探せましたので載せます。


《四季耕作図屏風》六曲一双のうち左隻の一部 江戸時代 17世紀
脱穀したお米を俵に詰めてたり、藁を干してたり、子供が座って遊んでたり、これだけ見てても楽しい。


そして、一番お会いしたかった作品が晩年に描かれたというこの作品


国宝 《納涼図屏風 》 二曲一隻 江戸時代 17世紀(東京国立博物館所蔵)


こちらは拡大した図像。
木下長嘯子の「夕顔の咲ける軒端の下涼み 男はててれ女はふたのもの」という詩歌を元にした作品だそうです。ててれはふんどし、ふたのものは腰巻を指す名前だそうです。
・・・夕顔(?_?)・・・瓢箪がぶら下がっているけど。調べてみたら夕顔は瓢箪の一種だそうです。食用に品種改良されて実は干瓢になるのだそうです。
お花じゃなくて実を描いたのは守景氏なりの意味があるのでしょうか、いろいろ想像する余地があってそれはそれで趣深いです。
見たところ貧しい家ですが奥さんも子供もふっくらとして健康的です。夫はちょっと年を取っていてふんどしの上に薄物を羽織っている。頬杖ついてほっぺたがちょっと寄ってしまって寛いでます。
家族はお風呂か行水をしたあとなんでしょうね。若い妻は洗い髪を背中に垂らしている。着物を羽織ったら着物が濡れちゃうから髪を乾かすまで腰巻姿でいるのかな。
夏の終わり、どこからか聞こえる虫の音に聞き入りながら夕涼みをしている。
何てことのない家族の風景。でもそれが守景が到達した人生観の境地。
こんなに普通に何でもない、そして仲良くただ寛いでいられる人は家族は一体何人いるでしょう。
おそらくはほんの一握り。でもみんなほんの一瞬なら、どこかでこの境地にいたのかもしれません。だからでしょうか郷愁を感じます。

守景自身も若い頃は有能な絵師として大企業の工房で出世していった野心家だったのです。だからこそ誰にも負けない技術を身に着けた。そして晩年にこの境地の絵を描くことができたと思います。
やはり抑制のある端正な絵だと思いました。瓢箪の大胆な線、男の太い輪郭、女の柔らかい輪郭の線など自在に筆を使い分けています。半裸の若い妻が背中を見せているのもすごくいい!体をこちらに向けてたらきっと艶めかしくなってこの絵の醸し出す親密な風情が影薄くなったかもしれないです。

守景は晩年は京都に住み作品を制作したそうです。
絵の中にちょっとしたユーモアと遊び心を持った作品が展示されてました。
こちらは中国の書の達人王羲之が曲水のうたげを催した様子を描いた作品。小川に酒の入った盃を流し、川辺にいた人は盃が来ると通り過ぎないうちに詩歌を作るという雅な遊びです。
左端の建物に鎮座する王羲之。そして川辺で几帳面に机を置いて詩歌を描く人、盃を取ろうと実を乗り出してる人、すでに酔っぱらってる人を表情豊かに描いてます。

(左隻)

  (右隻)
《蘭亭曲水図屏風》六曲一双 江戸時代 17世紀(静岡県立美術館所蔵)
別々の所から画像を集めたので色が違って見えますが、本物は同じ色合いです。

《鍋冠祭図押絵貼屏風》は女性の私としては笑えないものがありました。これをおおらかに笑いとして見るのは現代では厳しいように思えるのです。


俊足で駆ける競馬を詳しく描いた作品。
  (右隻)

(左隻)
《賀茂競馬図屏風》六曲一双 江戸時代 17世紀(神奈川県 馬の博物館所蔵)
騎馬武者も見物人も近くで見ると居眠りしてる人、柵によじ登って見ている子供など表情が豊かで楽しい。画面左に駆け抜けて競り合ってる騎馬武者同士の真剣な面持ちも描き切ってます。
馬の描写が見事!


間近で細かい部分部分を味わいながら鑑賞するともっといいです。

動物の絵もどこかかわいらしい。展覧会の紹介動画から撮った画像なので写りがぼんやりしてますが…

《虎図》江戸時代 17世紀(個人蔵)
猫っぽい、怖くない虎。香箱座りしてるよ(^^♪


花鳥画はさすが狩野派出身と思える気品がありました。


《花鳥図屏風》(六曲一双の一部) 江戸時代 17世紀(石川県立美術館所蔵)

鳥と草花の画面配置や空間のあけ具合も美しい。さすがの画力。
その中でじっと瞑想するミミズクのかわいらしさと味わいの深さが特に印象深かったです。


もし、あのまま狩野派の筆頭として生涯を全うしたら、今も名を残しているかしら?少なくとも四季耕作図屏風や納涼図屏風のような作品は生まれなかったかも。
人世とは妙です。


その後、久隅守景の娘である清原雪信の作品。息子の久隅彦十郎の作品も展示されてました。彦十郎の力強い作品も良かったですが、父の端正で技術の高い画風を譲り受けたのは姉の雪信のようです。
絵師としての評判は高く、井原西鶴の小説にも名前が出ているそうです。

展覧会の後期にはもう一つの代表作《鷹狩図屏風》や《舞楽図屏風》など彩色の豊かな作品、そしてまた別の《四季耕作図屏風》が鑑賞できるそうです。
そのように時期を分けて展示されているため展示作品はさほど多くはなかったですが、むしろゆったり余裕を持って作品を鑑賞できました。
11月29日まで開催されてます。


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