麗らかな秋の日に三菱一号館美術館で開催されているシャルダン展を見に行きました。
人もそんなに多くなく、作品数もあんまり多くなく(38点)ゆったりと展示されてます。作品も穏やかな内容で、落ち着いた19世紀イギリス風の建物と良く合って心地よい空間になってました。マントルピースの上にさりげなく静物画がかざったりするのも、当時の様子はさもありなんと思います。壁はさすがに昔はあったであろう模様はないですが。たぶん近代的な建物で見るよりぐっと雰囲気が出て、当時に鑑賞者が見た感じにより近いのじゃいかな、と思いました。
あ、それは、前回見たバーン・ジョーンズ展も同じですね。バーン・ジョーンズは同じ時代の同じ国の建築様式の建物に展示されたのだから、これ以上ふさわしい展示場所はなかったでしょう。
さて、展示は最初のビリヤードをする群像の風俗画から始まりました。まだシャルダンっぽくなかったです。それから最初の静物画の世界に入ります。
最初の静物画の中で印象深いのは
「死んだ野兎と獲物袋」でした。
本当は動物の死体なんてあんまり見たくないし、第一兎が可哀想です。だからむしろ妙に印象に残ってしまったのです。
またオランダの17世紀あたりの静物画と比べると意外と筆致が荒く、朴訥な感じがしました。でもこういうふうに画面から離れて見るとすごい存在感。
他の調理器具や食器や果物や肉などの食品の絵も、流麗というより実直で一つ一つ時間をかけて描いたような感じがします。シャルダンご本人は遅筆でじっくり描く人だったそうです。だから早筆の人特有の動きは殆どなく静かで穏やかな絵でした。
そうそう、これは一緒に見た友人も指摘してましたがお肉の描写がちょっと他と違ってました。妙に赤いんです。これが画面の色のアクセントにもなっています。多分、いや勝手な想像ですが、お肉はすぐ茶色くなってしまい腐るのである程度形をとったら外してあとは記憶で描いたのかな。冷蔵庫なんて当時はなかったし。
面白いなと思うのは、鍋の底とかグラスのヘリが近くで見るとときどき歪んでいたことです。そして意外にモチーフの境界が曖昧でした。本物そっくりに迫ろうという以上に、絵でモチーフそのものの存在感をいかに感じさせるかを考えている人に思えました。ちょっとセザンヌを想起しました。
それから風俗画の世界へ。シンプルに人物を大きく描いた絵もありましたが、日常の家庭内の私的な情景を描いた絵が良かったです。特に印象に残ったのは
「買い物帰りの女中」です。
女中さんのそばに次の部屋へつながる開け放ったドアがあります。向こう側には銅製の貯水器が横向きに置かれて隣の空間へと誘っています。その隣の部屋の壁にはさらにドアが開け放たれていてちょうどそのドアから外の世界へと進む女中さんがいて、さらに奥に空間が広がっている事を暗示しています。小さな二次元の絵なんですが、三次元の奥行きがあるように見せていくおもしろさがあります。
このドアの向こうの空間はきっと絵の中で創造したものだろうなぁ。女中さんの影とドアからくる光の向きが一致してないし、唐突に存在する。でも、この広がりがこの絵の世界が風通しの良い気持ちのよい空間に見せてくれるし、シャルダンの遊び心みたいのを感じて楽しくなります。
そして絵の中の女中さんはなんだかご機嫌。顔におしろいをつけ頬紅を付けてるように見えます。買い物先に何かロマンスがあるのかしらん・・・。そんな想像も楽しいです。
それからシャルダンは再び静物画の世界に戻ります。
当時は絵の内容にランクがあって静物画は一番低いランクだったと展覧会の説明書きに書かれていました。そのためきっと静物画を一旦やめたのかもしれませんね。
でもやっぱり静物画を描くのが相にあっていたのでしょうね。
美しさと深み、そして奥行きを感じさせる空間。モチーフ自体が瞑想しているように見えます。
「静寂の巨匠」の由縁ですね。
「木いちごの籠」
コップの中の水のひんやりとした存在感が美しい。
「銀のゴブレットとりんご」
金属の食器の質感が手にとって感じれるようです。
他にももっと大きな静物画があったし、清楚な花瓶と花の絵もありました。風俗画も落ち着いた筆致で人々の営みを愛情深く描いていて良かったです。
1月6日まで開催されてます。興味がありましたらご覧になってくだされ。
三菱一号館美術館は東京駅の近くにあります。東京駅舎も美術館も赤煉瓦の美しい建物で、明治時代この界隈は「一丁倫敦」と呼ばれていたそうです。
リニューアルされ、往時の面影が再現された東京駅を帰りに撮りました。
文明開化のかをりがしますね♪