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ホイッスラー展

2015-02-27 13:40:58 | 一期一絵
2月13日にそして2月25日に横浜美術館にて鑑賞しました。



ジェームス・マクニール・ホイッスラー(1834~1903年)はアメリカ人で父親が陸軍を退役したあとロシア皇帝に雇われて土木技師として仕事に赴いたのでロシアでかなり裕福な少年時代を過ごしたそうです。17歳でアメリカの陸軍士官学校に入ったもののの問題生徒だったそうで3年で退学、その後ワシントンD.C.にあるアメリカ合衆国沿岸測地局の図面部門に勤務してエッチングの技法を習得。3か月後に退職しロンドンへそして21歳の時にパリに行きパリの素描学校で学んだそうです。
ホイッスラーはイギリスとフランスを行き来し、フランスではレアリズム絵画に影響されたり、ルーブル美術館に展示されている絵画に学び、印象派の画家と親交を結んだり、イギリスではラファエル前派の画家と親しくなったり唯美主義運動を展開しました。
小柄で痩せ形でしたがお洒落でダンディでエネルギッシュで、知的で魅力的で辛辣で、短気で攻撃的で自己主張が強かったそうです。

でも、ホイッスラーの作品は落ち着いた色彩が美しい日本美術に影響された絵画で魅力にあふれてました。
そういえば昨年菱田春草展を鑑賞した時、師である岡倉天心と同朋の横山大観と一緒にアメリカに渡って絵を披露したら、日本では朦朧体と揶揄された輪郭を描かずグレー調の柔らかい色調の絵がホイッスラーの絵のようだと評されとても評判が良かったと説明に書いてありましたっけ。
両者は会うことはなかったけど、日本美術の影響を受けた西洋画と西洋美術に影響された日本画の両者が近寄った初めての出来事ですね。


測地局で実用的なエッチングを身に着け素描学校で学んだので、エッチング(銅版画の一種)作品と水彩画がとてもいいです。


「ラリエット坊や」1859年
20代の作品。ふっくらした頬っぺたや柔らかい巻き毛の感触が伝わりとても愛らしい。


「戸口『ヴェニス、12点のエッチング集』(ファースト・ヴェニス・セット)より」1879~1880年
40代の作品。複雑な作りの建物を見事に描きひなびた風情や情感もありとても好きな作品です


続いて水彩画

「ふたりの人物がいる海岸の情景」1885~1890年
小さな絵でしたが波打つ海の表現が見事で、繊細に描写されて色合いもにじみも美しい。


油絵作品は初めクールベに影響されたレアリズム絵画で街や人物を克明に描いていましたが、いきずまり、色彩の調和とジャポニズム絵画を意識した作品へと移行します。
しっとりとした色彩のセンスの良さ、そして絵の中の小物や構図に日本の浮世絵の影響が濃く見られます。


「煙草を吸う老人」1859年
荒い筆致、パレットナイフで絵の具を盛りたてるようにのせ、厳しい生活を生き抜いてきた人物を表現。レアリズム絵画。


「肌色と緑色の黄昏:パルパライソ」1866年
これまでの写実的な絵画から転換した作品。絵の具を油で薄く溶いて何層にも重ねて微妙な色合いを表現して色彩の美しさを意識している


「リンジーハウスから見たバターシー・リーチ」1864~71年
こちらの絵はむしろターナーの風景画を思い起こします。霧の立ち込める空気、佇む女性と傘がどこか東洋風でもあり、またローマ時代の遺跡に描かれたフレスコ画の趣もあり不思議な絵。個人的に好きな作品です。(バターシーというと、ついピンクフロイドの「アニマルズ」のジャケットに載ったバターシー発電所を思いだしてしまいます(^^;))


「白のシンフォニー№2:小さなホワイトガール」1864年
モデルは愛人でもあり、長い間一緒に暮らしたジョアンナ・ヒューナン。ほかのラファエル前派のモデルさんと同じように貧しい身の上から見出されました。だけど、ロシア皇帝とも親交のあった家族は認めなかったそうで結婚にはいたらず別れました。直接の原因は彼女をフランスにおいてホイッスラーは南米に行ってしまって彼女は生活に困りクールベのヌードモデルになったことだそうです。仕方なかったような気がします。クールベも多分無防備な彼女に迫ったのではないかな・・・
手に浮世絵が描かれた団扇、暖炉の上には染付の壺、それから紅い漆の蓋つき汁椀があり、足元の花もどこか東洋風。
ドレスと陶器と暖炉の大理石の白を見事に描き分け、響き合わせています。白を引き立てる団扇や暖炉や鏡やジョアンナの色合いも美しい。


「白のシンフォニー №3」1865~67年
微妙に違う色の白のドレス、白いソファー、白い花が響き合うように描かれ、水色のカーペットが清涼感と共に白を引き立ててます。
題名に音楽と色を取り合わせているのは、これまでの絵画に当たり前にあった物語や教訓の暗示を入れないためであるそうです。

「音楽が音の詩であるように絵画は視覚の詩である。そして主題は音や色彩のハーモニーとは何のかかわりもないのである」
・・・まさに唯美主義

ホイッスラーの重要な絵画作品の中で今回展示されなかったのが2点あります。一つは横向きに座る母を描いた「灰色と黒のアレンジメント:母の肖像」1871年作(昨年「オルセー美術館展」にて展示)
初めて公的なコレクションに買い上げられた作品です。
その作品のバリエーションが展示されてました

「灰色と黒のアレンジメント№2:トーマス・カーライルの肖像」1872~1873年
モノトーンの色の諧調が美しい背景は水平垂直に区切られて、黒い服のどっしりと椅子に座った人物が配置されている。肌の色だけが暖色でひきたってる。
人物の後ろに描かれているマークはホイッスラーのマークで日本の花押を参考にイニシャルを組み合わせて蝶の形をしてます。


そしてもう1作は「黒と金色のノクターン:落下する花火」1875年作(やはり昨年「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860-1900展」で展示)です。
こちらは絵画論争を巻き起こした問題作で夜のテムズ川の上を花火が光り落下する様子を描いた作品です。
今回やはり夜のテムズ川に花火が光る作品が展示されてました

「ノクターン:青と金色ーオールド・バターシー・ブリッジ」1872~75年
どうも夜の水風景をノクターンと名付けているようです。木製のバターシーブリッジは橋脚を長く誇張されてまるで浮世絵に出てくる橋のようです。橋の下で小舟を立って漕ぐシルエットも広重の絵からやってきたよう。こんな風に橋を下から一部分を描く構図もやはり浮世絵からヒントを得たそうで、参考になった浮世絵も並んで展示されてました。
花火や明かり以外は柔らかいブルーの諧調で夜のもやに包まれた空気感も感じます。
額縁もこだわりがありました。ブルーで青海波の模様が描かれています。そして蝶のイニシャルも
それにしても19世紀の明かりはまだひっそりとした明かりだったんですね。21世紀の今ならもっと煌々輝く明かりでこの絵のような風情は薄れてしまっているように感じます。

このノクターンシリーズはどんどん内省的になり、色合いもほとんどモノトーンになっていきます。その色合いがとても美しい。

「青と銀色のノクターン」1872~78年

そして唯美主義芸術を生活に取り入れた作品

「青と金色のハーモニー:ピーコックルーム」1876~77年
貧しい身の上から一代で富豪になったレイランド氏は芸術の造詣も深く、ホイッスラーに絵のタイトルに音楽用語を使う事を示唆したそうです。氏の食堂に飾る絵を描いたホイッスラーはドアの色合いの相談を受けたのをきっかけに、不在の時に一気に自分好みに改装し、勝手に内覧会を開いて家の中に人を読んだそうです。自分の理想とする美の世界を作りあげるめったにない貴重な機会と思い、無理強いして作り上げ、また会心の作となったのでしょう。批評家から絶賛されたそうですがレイランド氏は激怒したそうです。
これは確かにレイランド氏は怒りますね。自分の好みを取り入れてほとんど出来上がった室内を勝手に改装されるのも腹を立てるだろうけど、それ以上に断りもなく自分の家に他人を大勢呼んで勝手に会を開かれるのはいやですよね。
ふたりは絶交してしまいますが、このピーコックルームは大切に残したそうです。レイランド氏はやはり芸術に深い理解を持っているのでしょう。今では殆ど失った唯美主義的装飾の貴重な作品となったそうです。
展覧会では一部屋を設け映像で室内を見せてました。青緑色の壁に金色で孔雀が描かれてましたが、これは日本の金蒔絵を再現したかったのだろうなと思いました。

短期間だし絵の具で描いてますが、本当に漆を使って壁を装飾したら大変な時間ととんでもない金額になってしまったでしょう。自信作と語るように壁に蝶の形のイニシャルを入れてました。


展覧会の最後の方でホイッスラーの持ち物が展示されましたが、柄が50センチほどもある筆が印象的でした。壁に大きく貼ってあった写真にも柄の長い筆を持ってる様子が写ってました。最初に長い筆で全体のバランスを考えながら描き、ある程度したら普通の筆で細かく描いたそうです。
他のラファエル前派や唯美主義画家がかなり細かく描写するのに対し、筆遣いがおおらかなのはやはり親しくしていたフランスの印象派画家の影響もあるのでしょうか。その筆致が心地よいのです。

また額縁も凝った彫りがあるきんきらなものではなく、素朴で、時に虫食いがあるような古い木を使用して、時に自分で模様をささっと描いているのが印象的でした。
これはもしかしたら日本の禅の「わびさび」を取り入れたものなのかも・・・と思いました。確証はないのですが、美的感覚としてさりげない不完全さ奥ゆかしさを美しいと感じ取り入れていたように思いました。
ホイッスラー本人は攻撃的で自己主張の強い人だったと思うと彼の絵が奥ゆかしく美しいのが興味深いなと思いました。まるでご本人の性格と作品が合わさってひとつの調和(ハーモニー)を作っていたように思いました。


「灰色のアレンジメント:自画像」1872年
画面にも額にも蝶のイニシャルが書いてあります



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