はじめに
昭和45(1970)年9月15日、小日向白朗は、アメリカ国家安全保障会議(United States National Security Council、略称NSC)の招きに応じパスポートも持たずに横田空軍基地から渡米した。NSCが白朗に訪米を要請したのは、泥沼化したベトナム戦争を終了させるためにその鍵を握る中国と接触を図る糸口を見つけ出すことをキッシンジャー(Henry Alfred Kissinger)に命じられていたからであった。しかしアメリカ国内には、ニクソン政権が進める中国とのデタント(Détente)に抵抗する勢力があった。その対抗勢力と同調する岸信介、賀屋興宣、佐藤栄作ら台湾ロビーは直ちに行動を開始した。
白朗が訪米すると、その行動を訝った岸信介は後を追うようにワシントンに到着し反ニクソン派の巨頭と懇談した徴候があった。そして岸が帰国すると岸の顧問矢次一夫はすぐさま台湾に出発し、台湾政府は矢次が滞在中に尖閣列島領有を主張した。つまり尖閣列島問題は、ニクソンとキッシンジャーが進める中国とのデタントを妨害するために仕組まれた罠だった。台湾が、石油資源のある尖閣列島を領有することで、中国が台湾進攻を開始した場合に、アメリカは資源防衛と称して台湾を軍事的に支援し、ベトナム戦争の敗北で崩れかけ冷戦構造を再構築する糸口を残す狙いがあった。すなわち、日本の安全保障で問題となる尖閣諸島問題の発端は、ニクソンとキッシンジャーが推し進めた中国とのデタントだった。
その後、半世紀が過ぎ、前自民党総裁安倍晋三は、内閣総理大臣であるにもかかわらず日本国憲法を改正するために必要な三分の二の国会議員数を確保するため犯罪者集団統一教会を利用し国会の掌握を目指してきた。安倍は、なぜそこまでする必要があったのか。それは祖父の岸信介から代々利権として引き継いできた日米安全保障条約を中心とした防衛利権を維持するために、その秘密を国民に悟られないようにしながらアメリカの要求に応じていたからである。その本質は、自衛隊を海外に派兵するために必須となる憲法を改定してアメリカと締結した日米安全保障条約と行政協定(後の日米地位協定)の定めに従い、アメリカの安全保障政策の中で自衛隊を傭兵として利用できるよう装備や兵員に限らず法体系も整備して提供することにある。そしてその論議の中心に尖閣諸島が出て来るのは当然の帰結なのだ。
この論文は、日本の安全保障論議を通して自民党が進めようとしている「外交及び安全保障」がいかに危険な代物であるかを明らかにしてゆく。ところで岸田内閣は、令和4年12月16日に急遽、「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」の改定を閣議決定した。つまりこの三文書は、日本国の防衛計画だということになる。そのため本論ではこの三文書を『令和4年日本国防方針』として扱うことにした。
防衛三文書を「国防方針」としたのには理由がある。嘗て日本は「明治40年帝国国防方針」「大正12年帝国国防方針」「昭和11年帝国国防方針」を作成して国防方針、国防に要する兵力及び用兵要領を定め陸海軍の整備を進めた。しかし、不幸にも各国防方針が尽く誤っていたため国を亡ぼす結果になってしまった。特に「明治40年帝国国防方針」は、際立って問題の多いものであった。「明治40年帝国国防方針」を作成した理由は、明治38年に日英同盟を改定し防禦同盟から攻守同盟に変更したことから、その運用を協議するにあたり日本として国防方針を纏めておく必要に迫られて作成したものであった。そのため自国の防衛に必要なものとして策定したわけではなく、イギリスの要求に応じることができる兵力数や派遣地域をあらかじめ見定めておくためのものであった。この日英同盟改訂が持ち上がったのは、日本からの申し入れにイギリスが応じたことからは始まったとされているが、実際は巧妙にイギリスに嵌められたのだ。この話が持ち上がった時は日露戦争の最中で、陸軍の兵力は底をつき、加えてバルチック艦隊がじわじわと日本近海に近づきつつあって、その挙動に国民は固唾を飲んでいるときに持ち上がった。すなわちこの改訂は、日本海海戦前、日本国民の恐怖感が頂点に達しようとしているまさにその時を狙って、イギリスがインド防衛のためアフガニスタン方面に日本の兵力を派遣、と云えば聞こえがいいが、いわば提供することを約束させてしまったのだ。その餌は、日本海軍がバルチック艦隊に敗れた場合に、その仇を自慢のイギリス海軍が取ってくれるものと信じ込ませたことであった。当時のイギリスは、戦艦数だけは整っているもののドイツが艦隊法により着々と戦艦を建造していたことから、イギリスの海軍力に陰りが出ていた。つまり日本は狡猾なイギリスにまんまと騙され日本の防衛とは縁もゆかりもないインド防衛に日本陸軍を派遣することを約束させられてしまった。
当時の最高機密「明治40年帝国国防方針」が帝国議会にその片鱗をのぞかせたことがあった。それが「二個師団増設問題」である。陸軍が帝国議会に提出した2個師団を増設するための費用を要求したことで初めて最高秘密がほんの一部だけ顔を覗かせた。かといって陸軍は費用だけは要求するものの、その理由がインド防衛用兵力であるとは口が裂けても語ることはなかった。これでは議会は紛糾し政治問題となって当たり前である。
ところで日本の安全保障は、憲法と表裏一体である。つまり日本の安全保障計画、すなわち「日本国国防方針」は憲法の定めるところに従って策定していく必要がある。だが現在の日本には、国防権つまり「自衛隊の指揮権」を昭和27年に日米安保条約及び行政協定によりアメリカに移譲して早70年が経過してしまった。国防権のない国として70年経過しているのだ。日本のような国防権の無い国家に「国防方針」が存在するであろうか。あり得ない。あるのは自衛隊をアメリカの安全保障を補完する傭兵とすることだということになる。
「令和4年日本国国防方針」を強引に進めようとしている自民党は、憲法9条に自衛隊の存在を明記することも目指している。ならば自衛隊が置かれている現状通りに、憲法9条に「同盟国の傭兵」と書き加えるべきではないのか。いくら自民党でも、そこまではできないはずだ。やはり国民をだまし続けるしかないはずだ。
それにも拘わらず、日本政府が閣議決定し予算を要求しようとしている「国防方針」は、国民に対する虚偽であるか隠蔽以外の何物でもない。よって本論では「令和4年日本国国防方針」の秘密を戦略から予算まで徹底的に検証してみる必要があると考えている。
ところで明治の日本は、治外法権という不平等条約に悩まされ多くの国民は憤慨していた。それから一世紀、現在において、いまだ日本には主権が回復されていないばかりか、何のためらいもなく国家主権を他国に移譲することで政権を維持している自由民主党がある。それにも関わらず、多くの日本国民は自民党を支持し続けているのも事実である。実に摩訶不思議な現象である。国民は、よほど上手いプロパガンダに洗脳されているのか、さもなければ自民党はとうの昔によからぬ集団に背乗りされたか、クーデターではと思いつつ論を進めたいと考えている。
尚、今回この論文を作成するため小日向白朗学会が白朗の業績を顕彰するため収集した小日向関連資料を利用してきた。しかるに、最近は小日向白朗を顕彰のために収拾した資料を使い、白朗の業績を貶め矮小化する情報を流布する輩が出現している。筆者らは「富士ジャーナル」に書かれていた「日本政府がアメリカに国権を売り渡していたこと」等は、公文書で確認しており些かの間違いも発見できなかった。にもかかわらず、不届きな輩は白朗の忠告を過小評価させるため、白朗個人の人間性から白朗の真価を矮小評価しようと試みている。恣意的な白朗の過小評価は、日本の安全保障に影響して日本の針路を誤らせる可能性すらある。筆者は、不届き輩に対して「白朗を大衆娯楽にすることは日本の安全保障を危険にさらすことになる」ことを理解し猛省することを求めるものである。
(第一回終了)