旧約聖書の出エジプト記(岩波文庫・関根正雄訳)の四七 神の現在~第33章にはこう書かれている。
『ヤハウェがモーゼに語られた。「さあ、ここから君も君がエジプトの地から導き上った民もわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに君の子孫にそれを与えると誓った地へと上れ、わたしは君の前に一人の使いを遣わし、カナン人、アモリ人、ヘテ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い払う。乳と蜜の流れる地へと。というのはわたしは君の間にあって上らない。君は項強き民だから、わたしが途中で君を滅ぼすことのないためである。・・・・・・・』
続けて四八再度の契約~第34章には、『・・・・・・今日わたしが君に命ずることを守りなさい。見よ、わたしは君の前からアモリ人、カナン人、ヘテ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い払う。君がそこに入ろうとしているその土地の住民と契約を結ばぬように気をつけよ。それが君の間でわなとならないためである。かえって君たちは彼らの祭壇をこぼち、その石柱を砕き、そのアシュラの像をこわさなければならない。何故なら君は他の神を拝してはならないからだ。ヤハウェはその名を妬みと呼び、彼は妬みの神なのだから。君がその地の住民と契約を結ぶことのないように───────・・・・・・・』
約束の地カナンへと導かれるイスラエルの民・神の子たち、乳と蜜の流れる地へと。今、その地は石油とガス(天然ガス)が流れる地へと変貌しているのか。いや、そうではないような気がしている。そもそもモーゼの時代から、もともと彼の約束の地には民の生き死にを左右するエネルギーが充満していたのではないだろうか。神はすべてを見通しているはずであるから。これを独り占めにせよ、そして、決して他の神と契約などしてはならない。・・・と。(文責:吉田)
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