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映画『アンタッチャブル』を地で行く統一教会という犯罪者集団(2) ―統一教会を犯罪者集団と断定した「フレーザー委員会」報告書―

2022-11-30 | 小日向白朗学会 情報

はじめに
 2022年11月28日に『映画『アンタッチャブル』を地で行く統一教会という犯罪者集団(1) -「内部告発者を裏切り者として刺殺未遂」、脱税、国体破壊等の犯罪-』を寄稿した。この中で統一教会は、元世界日報編集局長だったの副島嘉和氏が統一教会の内部告発を行ったことから文鮮明の怒りを買い刺殺未遂事件を起こしたことを紹介した。この刺殺事件からもわかる通り統一教会は宗教法人という仮面をかぶった犯罪集団だと述べてきた。
昨今の国会論議の中で統一教会の扱いはと云うと、依然として「か弱い宗教者」の扱いである。国会論議の中で統一教会を真正面から犯罪者集団であるとする意見は意外に少ない。無論、自民党国会議員の半数以上が統一教会の影響下にあって、背乗り(はいのり)状態であることから致し方のないことかもしれない。筆者が調べた限りでは、最近の国会関係資料に出て来るのは次にものであった。
 令和4年8月3日、衆議院に宮本徹から「統一協会」=世界平和統一家庭連合に関する質問主意書」とする質問主意書が提出さている。その冒頭部分を引用する。
 『……かつて、アメリカ下院の外交委員会国際機構小委員会(フレーザー委員会)の最終報告書では、「文鮮明が関係している多数の教会、企業、委員会、財団その他の集団は、文の中央集権的な指導と統制下にある実質上単一の世界的機関の一部分である」「これらの多数の組織のあいだには、主として諸組織間の人事異動や財政の混合の点で、あれこれの構成要素を一体であるかのように使用する点で、そしてもちろん、文という人物において、たえまない、緊密な交流がある」として、それらを総称して「文鮮明機関」と呼んでいる。
  「統一協会(家庭連合)」は、国際勝共連合、原理研究会、ハッピーワールド、世界日報、世界平和女性連合、天宙平和連合、世界戦略総合研究所、勝共UNITEなど様々な顔を持ち活動しているが、この質問主意書では、これらを「統一協会(家庭連合)」もしくは「統一協会系団体」と呼ぶ。……』
この質問主意書では、統一教会の本質をアメリカ下院の外交委員会国際機構小委員会(フレイザー委員会)(Subcommittee on International Organizations of the Committee on International Relations)の報告書に求めている。いくら「テッシー」こと勅使河原秀行が統一教会の改革を訴え子羊のごとく「信仰の自由」を希う姿が、いかに欺瞞であることを同報告書は見事に説明しつくしているのだ。宮本徹は、この質問主意書で統一教会の問題の所在から始めている姿勢は完全に正しい。

一、1970年代極東のデタント
 フレーザー委員会報告書が作成されることになった直接の原因、1978(昭和53)年に「コリアンゲート事件」が発生したことから始まる。この点を知るには1970年代の世界情勢から考える必要がある。

 1968(昭和43)年におこなわれたアメリカ大統領選挙で共和党のニクソン(Richard Milhous Nixon)は、公民権運動やベトナム反戦運動で暴徒化、過激化することに対して「法と秩序の回復」を、そして長引くベトナムからは「名誉ある撤退」を主張して当選した。
 当選後、ニクソンは直ちに、ネルソン・ロックフェラーの外交政策顧問を務めていたキッシンジャー(Henry Alfred Kissinger)を、直々にスカウトして国家安全保障問題担当大統領補佐官に就任させた。後に、シティー・バンクがいち早く中国進出を果たしたのは、この関係があったからである。そしてキッシンジャーは秘密裏に中国との関係改善を模索することになった。このキッシャンジャーに協力したのが小日向白朗であった。白朗は、1970(昭和45)年9月15日から同年10月10日までアメリカNSCの依頼を受けて訪米することになった。アメリカに到着後の小日向はアメリカ国家安全保障会議(NSC:National Security Council)と行った会議の冒頭でアメリカ外交の基本であるニクソン・ドクトリンについて、その本心を確認することから始めた。小日向が作成した論文は予め配布されていたためか、対応したNSCスタッフは、小日向の持論であるドクトリンの完全実施、即ち、ベトナムからの撤退を断言した。ただし小日向は、アメリカの完全撤退には懐疑的であった。そのためアメリカがドクトリンを実施するにはアジア人の信頼を獲得することが重要であり、そのためには1969(昭和44)年11月から日米間で始めていた沖縄返還は当初の声明通り核抜きで実施することと、ベトナム戦争を放棄することの二点は完全に実施することを薦めている。ただし、アメリカが直ちにベトナム戦争を放棄した場合にアメリカの敗北宣言と見做されることから沖縄返還後に行うことを提言している。さらに小日向は念を押すように、アメリカはベトナムとの戦争に勝利できないため名誉ある撤退を行うのかと問い質したところNSCスタッフもその考えに同意した。
 ところで大統領に就任したニクソンは、1969(昭和44)年7月25日に、グアム島で行われた記者会見でアジアの地域紛争への過剰介入を見直す方針を明らかにしていた。ニクソン政権は翌1970(昭和45)年3月に在韓米軍の削減方針を韓国政府に通告した。このニクソンの通告に韓国政府は強く反発したにもかかわらず同年7月には削減方針を公表にしてしまった。ニクソン政権は約2年で削減を実施することを韓国政府に打診していた。最終的にアメリカは、ベトナム、タイ、韓国といったアジア大陸部における米軍すべての撤兵を考えていた。そして、実際に翌年3月末までに在韓米軍の主力2個師団の一つである第7歩兵師団およそ2万名が半島を離れた。
 朝鮮半島での在韓米軍の削減などを行ったうえで、1972(昭和47)年2月21日、第37代アメリカ大統領リチャード・ニクソンは中華人民共和国の首都北京に大統領専用機で到着した。その夜、ニクソン大統領は同行のキッシンジャー大統領特別補佐官(Henry Alfred Kissinger)とともに中南海に向かい、毛沢東主席と歴史的な会談が実現した。その会談は第2次世界大戦以降、長らく対決を続けた中国とアメリカによる直接対話が実現したことを意味する。そしてリチャード大統領と周恩来首相によって開始した対話を要約したものとして、1972(昭和47)年2月28日に「上海コミュニケ」として発表している。その中でアメリカは、次の内容を確認している。
 『……米国側は次のように表明した。米国は,台湾海峡の両側のすべての中国人が,中国はただ一つであり,台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している。米国政府は,この立場に異論をとなえない。米国政府は,中国人自らによる台湾問題の平和的解決についての米国政府の関心を再確認する。かかる展望を念頭におき,米国政府は,台湾から全ての米国軍隊と軍事施設を撤退ないし撤去するという最終目標を確認する。当面,米国政府は,この地域の緊張が緩和するにしたがい,台湾の米国軍隊と軍事施設を漸進的に減少させるであろう。……』
 また、米中が台湾問題を協議する過程でアメリカは「二つの中国」や「一つの中国、一つの台湾」という解決方法を明確に拒否し中国の内政問題扱いとすることで合意した。そのため台湾、チベット、南沙諸島、ウイグル、内モンゴルなど様々な問題を抱える地域は全て中国の国内問題となったのである。
上海コミュニケに記載はないものの、ニクソンは沖縄を日本に返還する用意があることを佐藤栄作に伝達済みであることを次のように周恩来にあかした。
『……アメリカが沖縄を返還したように、(ソ連も)日本に対して寛大になることを望みます。私は佐藤(栄作首相)にサクラメントであった時にいいました。沖縄は日本のものだから、時がたって、決断したことは正しかったと……』
このニクソンの発言は、アメリカにとって沖縄返還は、アメリカの寛容さと誠実さを中国に示すためであるとともに、中国の意向に沿ったものでもあった。つまり沖縄返還ができたのは小日向白朗のNSCに対する助言と周恩来が同意したことで可能となったもので、日本政府の外交努力とはほど遠いものであったのだ。

二、韓国政府によるアメリカ議会工作(コリアンゲート事件)
 ところで、ニクソンから在韓米軍削減を告げられた朴正煕を首班とする韓国政府は、国家存続にかかわる重大事であったことから強い危機感を抱いた。そこで韓国政府は、朝鮮半島に駐留する残存勢力を維持することと、米軍撤退の代償とされた韓国軍近代化援助を確実なものとするためアメリカ国内で議会工作に乗り出すことにした。
 議会工作を担ったのは、大韓民国中央情報部(KCIA)であった。KCIAは、実業家朴東宣を通じて前職及び現職議員計32人に85万ドルの選挙資金として賄賂を提供した。
ところが1973年、ニクソン大統領はウォーターゲート事件の疑惑で、国民からの批判を受け、辞任に追い込まれようとしていた。そのような中で統一教会もKCIAのもとで積極的な議会工作を行っていた。当時の統一教会は、1961(昭和37)年に大韓民国中央情報部(KCIA)部長金鍾泌の指示で「韓国政府機関」として再組織され日本で政治工作の実績を持っていた。
1973(昭和47)年11月30日「ニューヨークタイムズ」に掲載された「許せ 愛せ 団結せよ」というニクソン擁護の意見広告を掲載している。

その後、1974(昭和49)年2月1日には、文鮮明はニクソン大統領と単独会見した。文鮮明は、ニクソンに対して「国民の前で 今までの罪を 涙を流して謝罪し、そして、大統領を辞任しないよう」訴えた。
文鮮明のニクソン擁護は、単にニクソン大統領のためではなく、アメリカを共産主義から守るためでもあり、世界を共産主義から守るためだという理由であった。しかし、ニクソンは1974年8月8日、大統領を辞任することを発表した。



 
 KCIAによる政界工作は徐々に成果を表すようになったのは、1976(昭和51)年に行われる大統領選挙に民主党候補として出馬したジミー・カーター(James Earl "Jimmy" Carter, Jr.)は大統領候補の指名獲得に先立つ1976年6月、「韓国と日本との協議のうちに徐々に在韓米地上軍を撤退させることは可能であろう」とニクソンが開始した駐韓アメリカ軍削減問題を継続しようとしていたが挫折していった。
 1976(昭和51)年に韓国政府による米政界への工作が発覚して政治スキャンダルとなった。アメリカ合衆国下院は、事件の真相を調査するためにフレーザー委員会を設置した。その後の公聴会で、KCIAの元部長金炯旭や米国統一教会のさまざまなメンバーが、朴東宣の関与を証言した。

三、フレーザー委員会の結論
1978(昭和53)年11月1日にフレーザー委員会は最終報告「韓国の対米関係に関する調査」を公表され、これは議長のミネソタ州選出・ドナルド・M・フレーザー下院議員にちなみ「フレーザー報告書」と呼ばれている。同委員会の統一教会に対する結論は次の通りである。
  1. 文組織(注:「文鮮明機関」(Moon Organization))が主催する統一教会その他多数の宗教・非宗教団体は、実質的にひとつ国際組織を形成している。この組織は、その関連団体を相互に交流させることができること、および人的・財政資産が国境をこえて、また営利事業と非営利団体の間で、自由に移動することができることに大きく依拠している。
  2. 文組織は文鮮明によって描かれた目標の達成を企図しており、文鮮明は、それらの目標追求のために文組織が企てる経済的、政治的、宗教的諸活動にたいして実質的な統制力を握っている。
  3. 文組織の目標の中には、教会と国家の分離が廃止され、文鮮明とその信徒によって統治される世界政府の樹立が含まれている。
  4. これらの目標追求のために文組織は、成功の度合いはまちまちだが、米国や他国の企業および他の非宗教的諸機関に対する運営権の獲得ないし確立を企てるとともに、米国において政治活動を展開してきた。これらの活動の中には、韓国政府を利すため、あるいは米国の外交政策に影響を与えるために企てられたものもある。
  5. 文組織は、独自の目標を追求しながら、同時に韓国政府の利益を促進し、時には韓国の政府諸機関や要人と協力して、あるいはその指示を受けてこれを行った。文組織は、いく人かの韓国政府要人と互恵的結びつきを保持していた。
  6. 文組織は、表向きは韓米関係推進のための非営利財団としてKCFF(韓国文化自由財団)を設立したが、組織自体と韓国政府の政治的・経済的利益を助長するためにKCFFを利用した。
  7. 文組織は、米国の上院議員や下院議員、大統領、その他の著名人の名前を広範に利用して募金活動を行い、文組織自体と韓国政府のための政治的影響力を醸成した。
  8. 組織の一企業は、韓国における主要な防衛契約業者であり、M-16型ライフル、対空砲その他の兵器の生産に関与している。
  9. 文組織の代理人は、米企業から韓国製のM-16の輸出許可を取りつけようとした。M-16は、米国政府認可の共同生産協定にもとづいて製造されており、米国政府はM-16の生産を韓国政府の独占管理下に置いている。それにもかかわらず文組織の代表が一明らかに韓国政府の代理として一協定延長交渉に現れた。
  10.  組織は、教会員の名前で株式を買うのに使う資金の出所と見せかけて、ディプロマット・ナショナル・バンクの過半数の株式を手に入れようと企てた。
  11.  文組織は、自らの政治・経済活動を支えるために教会その他の免税団体を利用した。
  12.  文組織の目標や活動の多くは合法的、適法的ではあったものの、文組織が米国の税、移民、金融、通貨関係の各法規、外国人代理人登録法、ならびに慈善事業を装った詐欺行為に関する州や地方の法律を計画的に犯していたこと、またこれらの法律違反が俗世界の権力の獲得という文組織の全目標と関係があることを示す証拠があった。
 統一教会という組織と活動の全体像と、アメリカで行った不法行為が列挙されている。さらにフレーザー委員会では、他にもの不正を明らかにしている。
  1. 金大中事件に韓国中央情報部(KCIA)が関与したこと。
  2. ソウル地下鉄建設の際に車両価格の水増しがあり、日韓の政界にリベートが流れたこと。
  3. 朴正煕政権下で不正な資金工作と蓄財があり、日本の政財界もこれに絡んでいたこと
  4. 文鮮明機関と韓国政府・KCIAの結びつきは複雑かつ緊密であり、両者のパイプ役を四人の韓国軍将校が担っていたこと(うち一人が文鮮明の側近の朴普煕(文鮮明の娘と結婚した統一教会の古参幹部)であった。
  5. 文機関が、金鍾泌や朴鍾圭など韓国政府内に多数の支援者を持っていたこと。
  6. 文機関のアメリカでの活動資金や人員の多くが日本から送られていること、などが明らかにされた。
 このフレーザー委員会の報告書で特に注目すべきは(3)の「……教会と国家の分離が廃止され……」である。日本の国体である日本国憲法には第20条に「政教分離」を定めている。これを根拠に統一教会は昭和39(1964)年7月15日に宗教法人となった。したがって統一教会は、日本で活動する限り政治と宗教とを分離することが求められるとともに厳守する必要がある。ところが統一教会は宗教法人となった後も、空気銃の輸入や不正送金など様々な社会問題を引き起こしきた。それにも関わらず日本政府は憲法20条で保障されている信教の自由を重視して、重大な社会問題を起こしている統一教会の規制には及び腰であった。日本政府が及び腰であったのは、文鮮明の脅しに屈したわけではない。憲法重視の姿勢が表れた結果なのである。
 令和4年10月19日、午前の参院予算委員会で岸田文雄首相は統一教会の宗教法人法に基づく解散命令請求の要件について、「民法の不法行為も入り得ると整理した」と答弁している。前日には解散命令請求の要件となる法令違反の解釈について「平成8年の最高裁判決を維持している」「民法の不法行為は入らない」と明言した。当たり前なのだ。

まとめ
1978(昭和53)年11月1日にはフレーザー委員会は最終報告として「韓国の対米関係に関する調査」を提出している。その中で統一教会は犯罪者集団であると認定済みである。そして宗教法人統一教会とは、多面的な犯罪者集団であって、宗教の仮面をかぶった犯罪者集団なのだ。ところが日本の国会論議は、宗教法人統一教会だけを見て犯罪性の有無を論議する日本政府の対応は、完全に間違いである。
以上(寄稿:近藤雄三)
P.S.
安倍晋三を中心とする自民党の中の統一教会閥は、統一教会が犯罪者集団であることを十分に認識しかつ、その犯罪を庇ってまでも協調してきたのかという大きな疑問がわいてくる。
次回の寄稿はこの疑問に答えてみたいと思う。
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