もうすでに8か月近く前になってしまいますが、4月9日にかっぱ村の方たちが河童ゆかりの街・牛久散歩ツアーに出掛けたとのことです。大野芳氏が1975年に開村した「かっぱ村」は当初は日本浪漫派の文豪である中河与一氏を村長にスタート、氏の没後は言い出しっぺの大野氏が二代目村長となった経緯があります。中河与一氏の「天の夕顔」についてはまた後日論じることもあろうかと思いますので今回は割愛。
つい最近、大野芳氏の残された諸資料原稿等々の管理一切を託されている高橋氏からお手紙をいただいたのです。と同時に「かっぱ村公報」をたくさん送っていただきました。これも白朗学会が管理する大野芳文庫の資料の一つとさせていただきます。私信ではありますが、高橋氏の許可を得て若干公開させていただきます。
『・・・・大野さんが最後の“遠出”となった牛久散歩ツアーです。・・・・このツアーの昼食時、掘りごたつ風の座席でしたが、昼食後、大野さんはなかなか立ち上がれず、Oさんらが両腕に肩を入れて介護していました。・・・入口に近い私たちが先に出て談笑しているところにSさん(大野氏の盟友とされる作家)が「大野は秋までだ、秋だ」と我々の前で言い放ち、「そんな」という声に、「いや、秋だ、秋」と断言。結局、盟友の断言の前に、旅立ちました。・・・・牛久は大野さんの発案で、急遽行きました。今から思えば、という感じがします。Kさんと三人で秩父に行ったのも、いろいろな意味でうなづけることがあります。』(吉田宛の高橋氏の私信から)
私はその場にいたわけではないけれど、ジーンとするものがあります。盟友S氏の言葉を大野氏はどのように聞いたのでしょうか。私には≪今、春になったばかりだ。秋までにはたっぷり時間があるぞ!≫という励ましの声のようにも感じます。その10日後くらいに私も、大野氏と伊藤博文を論じていたN氏とともに埼玉のご自宅を訪れました。それから2週間余りの時を経て逝かれたのです。あのときベッドからは離れはしなかったもののしっかりした口調で話される大野芳氏の横顔が思い出されます。合掌! (文責:吉田)
お勧め⇒小日向白朗学会
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