食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『浪江町の行く先は』

2013年05月08日 21時12分33秒 | 日記

東電福島原発の事故で放射線の汚染により、浪江町から避難した方々のこれから

はどうなるのだろうか。事故から2年経ち私たちは時々、報じられるニュースや片隅

に載せられている新聞記事を通じて、その様子を窺い知ることが出来る。私が購読

している新聞では4面あたりに、こうした記事が載るから、新聞をつぶさに読む人でし

か接し得ない場所とも言える。

私は原発事故以後、これらの記事に関心を持ち、見逃さないようにして必要に応じて

ハンディー・スキャナーに保存するようにしている。これらに特別の関心を持たない人

たちにとって浪江町、大熊町の現状はどう映り、ここから避難している人たちのことにど

のような思いを寄せているのだろうか。もう過去の事として、これらの町の事は関心事の

外、自分のことで精一杯という方もいるだろう。関心を持たれなくなると惨状すらも忘却

の彼方へ・・・・・結果としてこれらの町の人は『すてごま』にさせられてしまうのだろうか。

自然災害がトリガといえど、原因を作り全責任を持つはずの東電が、自分たちの手で

した町を元の通りに戻す責任を果たすことは不可能なのである。

新聞では浪江町の96%が帰還困難と判定されている。勿論の事、いつになったら帰還

難から帰還可能になるのか目途はたたないし、何か対策を取ろうにも雲を掴むような

から、政府が希望のあるようなことを説明しても空虚でしかない。

私はど素人だが、素人なりに考えるに『浪江町の再生』などと夢の在りそうな事を口に

が、本当にそれは可能なのかということだ。例えば私が浪江町の住民だったと仮定

れば私は67歳だから、早いペースで除染され20年後に帰還解除となった時、87歳に

ている。『待ちに待った故郷に帰られる』と本当に喜び帰ることを選択するのだろう

か。除染され安全だと言われるようになった町に、『安心で安全な原発』は無くなった代

わりに、廃炉途中の何が起こるのか誰にも分からない残骸が残されている。事故以前は

怖さ知らなかった原発だが、実際にはそれより何倍も恐ろしい原発残骸と暮らすことは

のだろうか。

疑問が疑問となり、この町に将来という文字はあるのだろうかとまで疑問に思う。私には

力もないから関心を持ち続けることが励ましになると思っている。福島原発の事故と

同じようなシビア事故になる確率は天文学的に低い数値と言いたがっているようだが、日

本では40数年に1度ということになる。

40数年に1度は町を壊すかもしれない日本製の原発は『安心な原発』として輸出されるの

ろうか。


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