食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『夢追人の掲載』

2013年05月24日 17時44分06秒 | 趣味

私が四十歳頃に、自分の趣味のことを綴ったものに名前をつけようと思い、どうせ

なら自分で作った言葉にしようと考えに考えたつもりだったのが、夢を追い続ける

人を意味する『夢追人』この言葉は私の自作なのか否かを疑う余地はなく、当然自

作として思い込んできたが、最近になってどうも怪しいのではと思うようになった。

タイトルはさて置き、その冊子はワープロで作成したものだから、紙に印刷したもの

が一冊残っているだけで、このまま廃れさせるのは勿体ないと一念発起しワードで

作り直しを始めた。魚釣り、狩猟、アマチュア無線を纏めたもので全て実録ものだ。

当時から自然と接することが好きだったから、今ハンドルネームにしている『自然爺』

の礎となるものは成長過程、真っただ中といった頃のものだ。一日、一ページのペ

ースで再入力しているものを、日々の活動と共にブログで紹介することにした。時間

の都合のつく方は、ご覧頂きたい。

 

はじめに

 『趣味は何ですか』と問われ『無趣味です』と答える人でも、本当は何か趣味を持っ

ているが人様に『これこれで・・・』と説明するのはおこがましいからだろう。

この四十年間、生きてきた吾輩は趣味として、何一つ極めたものは無いが、興味を持

ったものには、その時その時でかなりのパワーを費やしてきた。『芸のためなら女房も

泣かす・・』と歌にあるような厳しさがないから其々の趣味が中途半端だったのだろう。

でも、それはそれで良いではないか。趣味の範疇はとても広い。外にあっては自然界

のこと、家にあっては工作に関することで、手芸のようなものやICを使った電子機器の

工作と、言ってしまえば興さえ湧けば何でもいい。流れは、やはり父のそれと似ている

かもしれないと思い始めた。確たる根拠がある訳ではない。私の最近のルーツをみる

限り『芸のためなら・・・』のスタイルは祖父にあるようで、どうもしっくりこない。祖母は

『芸のためなら・・・』と粋がる人に尽くさせられっ放しだっただけのようだし、母は『そげ

なことばっかいして、ほんに』と理解を示すタイプではない。消去法で正当に判断して

みると私の分析は正しいと思う。

さて、私たち大人が子供たちにどんな夢を与えてあげることが出来るのだろうか。生活

場所によって自然と接する機会の多少はあるにしても、子供に自然を感じさせることの

要性すら考えなくなっているのでは益々、子供に夢を与えることはできなくなる。ハイ

ク技術の粋を集めた遊びは子供を熱中させ虜にしてしまい確かに子供を喜ばすこと

できるが、この子供たちが大きくなった時に、それを幼き日の夢として語れるだろうか。

こんなこと、老婆心かもしれないと思う。

昔の幼子たちよ、思い返してごらん。

自然の思い出は何にも優る。

よき玩具であり、感性を育てる教師であったと思えるはずだ。

子供たちよ、父母にせがみなさい。

自然は何処にあるの、見ることは出来ないの?・・・・と。

今でも、鼻の周りを黒くした子どものように、何か目新しいものは無いか眼をぎらつかせ

を追い続ける中年の生き様がここにある。


『カラカラの畑』

2013年05月24日 17時42分09秒 | 日記

先週だったと思うが久しぶりの雨を喜んでいたのに、また晴天続きで畑が悲鳴をあ

げている。平年並みの気温にせよ、昼と夜の寒暖の差は夏野菜の成長には、こた

えるのではないかと思う。それに追い打ちを掛けるように乾燥のお仕置きだから、活

着の悪い苗には気の毒な環境にある。

乾燥を防ぐために敷き藁をしてやると夜露を溜め込んだり、散水の水を保水してくれ

るので、とても重宝する。農家の人は水分を好む茄子には根元に大量の藁を敷いて、

真夏を越させる。広い畑で水やりをするのは大変だから、取あえずこの方法で凌ぎ、

最後の手段として散水となる。確かに敷き藁をするとカラカラ天気でも藁の下は湿り

気が残っているから、保水と保温の点でとても貴重なものだ。保温については納豆の

起源でもよく出てくる。

未だ、水不足と騒いではいないが上流のダムでは水量が減っており、取水制限も検

討され始めている。稲はこれから水が要る季節だから、このまま空梅雨にでもなれば、

TPP以前に大きな打撃を受けそうだ。

大きなテルテル坊主でも作らなければならなくなるかも・・・


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