今日の予報は雨、いっそう寒くなったようです。
今日は第三弾おやつ休憩続きです。
ここから川の向こうが荒生田のバス停、私が朝バスにのる所です。右手に皿倉山の雄姿です!
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少し歩くと三条橋がり、ここに「荒生田の一里塚跡」がります、街道は一里(約4km)の目印として小高く土をもった所で、榎や松などが植えられ、江戸日本橋から全国への距離を旅人に知らせる目印で、馬や駕籠の料金を支払う時の目安だったと・・・・隣の看板に書いています。
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更に少し歩くと「高見神社」神社手前にあった木の枝が刈り取らて境内が望めるようになっています。
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この辺から豊前国から筑前国へ入ります。(あるはずの国境石を見逃しました)古くから北九州市は、そのほぼ中央から東西に豊前国と筑前国に分かれていました。そして国境には、江戸時代に小倉藩と福岡藩によって建てられた国境石が多数あり、そのうち現在14基が残っています。その中で、三条の国境石は、高さ3mを越え、県下最大の大きさを誇っています。当時のことですから国境は重要な標であったのでしょうね。
脚を進めると、清水の坂にかかる所に・・・
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我が母校(大蔵中学校)が、この上の高台にあります。その昔は麻生氏の砦として篠山城(名前は諸説あるよですだが)があったようですが遺構等は発見されなかったと言う事ですから物見櫓程度の出城かも知れませんね。私は8期生かな?団塊世代が増えつつある中で開校になたのでしょうね。・・・清水ヶ丘にそびえる白亜もしろき学び舎は・・・?校歌の一部ですが、この丘の裏は洞海湾が望める風光明媚な所ですがグランドが狭く、当時あこがれた野球部は入学前年で廃部になり、野球少年だった私は寂しい思いをしたものです。もしグランドが広い中学校であれば・・・・人生はいかに?
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麻生氏について
麻生太郎元総理とも血縁関係があるようでうですが、足利尊氏の挙兵から南北朝の対立や室町時代~安土桃山時代にいたり大内氏(中国の覇者)に取り込まれ、大内を滅ぼした毛利氏にも毛利が撤退すると大友宗麟(大分)に取り込まれ、その後島津氏と組んで豊臣秀吉による島津征伐した頃に花尾城(皿倉山すぐ下にある山)を退いたことになっている。
道路向こう側が、九州鉄道大蔵駅があった所、私が中学に通う頃は醤油屋であったが、道路拡張工事で立ち退きをしたようだ。
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高炉台公園の横を中央町へ下り・・・この朝顔は2階まで勢いよく伸びています。(ご立派!)
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中央商店街の入口、土曜日の11時なのに人影は少なく・・・・子供頃は沢山の人で賑わっていたのに・・・・
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北九州高速の向こうに東田第一高炉がみえます。同高炉は明治34年(1901年)、日本初の本格的製鐵所として建設された「官営製鐵所」で、かの有名な「高炉の神様」田中熊吉が最初に火入れされた溶鉱炉です(多分)佐々木隆三著「高炉の神様」では技術力のない日本がドイトの高炉技術を習得して世界に誇る高炉技術国なる礎が書かれています。この本を読んで感動し胸を熱くした!・・しかし、昭和47年(1972年)その役割を終えたそうですが、くしくも宿老・田中熊吉も同年98歳でなくなり最後まで現役の製鉄一筋の人生だったそうです。もう直ぐ現役を去ろうとするわが身が恥ずかしいお話です。
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少し行くといつも通うホームセンタ「ナフコ」の横を通り・・・
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大正4年(1915年)に竣工した旧百三十銀行の八幡支店です。
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唐津市出身の辰野金吾が主宰する設計事務所の設計による建物です。辰野氏は、東京駅・日本銀行・西日本工業倶楽部等近代日本の代表的な建築物を数多く設計しています。外観は、煉瓦タイル張りとなっていますが、鉄筋コンクリート造りです。
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現在はギャラリーとして活用されているようですが土曜日は休みかな?・・・
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只今月曜日23時少し前、外は雨が降り続いています。続きは更に明日へ・・・
今日は第三弾おやつ休憩続きです。
ここから川の向こうが荒生田のバス停、私が朝バスにのる所です。右手に皿倉山の雄姿です!
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少し歩くと三条橋がり、ここに「荒生田の一里塚跡」がります、街道は一里(約4km)の目印として小高く土をもった所で、榎や松などが植えられ、江戸日本橋から全国への距離を旅人に知らせる目印で、馬や駕籠の料金を支払う時の目安だったと・・・・隣の看板に書いています。
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更に少し歩くと「高見神社」神社手前にあった木の枝が刈り取らて境内が望めるようになっています。
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この辺から豊前国から筑前国へ入ります。(あるはずの国境石を見逃しました)古くから北九州市は、そのほぼ中央から東西に豊前国と筑前国に分かれていました。そして国境には、江戸時代に小倉藩と福岡藩によって建てられた国境石が多数あり、そのうち現在14基が残っています。その中で、三条の国境石は、高さ3mを越え、県下最大の大きさを誇っています。当時のことですから国境は重要な標であったのでしょうね。
脚を進めると、清水の坂にかかる所に・・・
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我が母校(大蔵中学校)が、この上の高台にあります。その昔は麻生氏の砦として篠山城(名前は諸説あるよですだが)があったようですが遺構等は発見されなかったと言う事ですから物見櫓程度の出城かも知れませんね。私は8期生かな?団塊世代が増えつつある中で開校になたのでしょうね。・・・清水ヶ丘にそびえる白亜もしろき学び舎は・・・?校歌の一部ですが、この丘の裏は洞海湾が望める風光明媚な所ですがグランドが狭く、当時あこがれた野球部は入学前年で廃部になり、野球少年だった私は寂しい思いをしたものです。もしグランドが広い中学校であれば・・・・人生はいかに?
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麻生氏について
麻生太郎元総理とも血縁関係があるようでうですが、足利尊氏の挙兵から南北朝の対立や室町時代~安土桃山時代にいたり大内氏(中国の覇者)に取り込まれ、大内を滅ぼした毛利氏にも毛利が撤退すると大友宗麟(大分)に取り込まれ、その後島津氏と組んで豊臣秀吉による島津征伐した頃に花尾城(皿倉山すぐ下にある山)を退いたことになっている。
道路向こう側が、九州鉄道大蔵駅があった所、私が中学に通う頃は醤油屋であったが、道路拡張工事で立ち退きをしたようだ。
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高炉台公園の横を中央町へ下り・・・この朝顔は2階まで勢いよく伸びています。(ご立派!)
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中央商店街の入口、土曜日の11時なのに人影は少なく・・・・子供頃は沢山の人で賑わっていたのに・・・・
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北九州高速の向こうに東田第一高炉がみえます。同高炉は明治34年(1901年)、日本初の本格的製鐵所として建設された「官営製鐵所」で、かの有名な「高炉の神様」田中熊吉が最初に火入れされた溶鉱炉です(多分)佐々木隆三著「高炉の神様」では技術力のない日本がドイトの高炉技術を習得して世界に誇る高炉技術国なる礎が書かれています。この本を読んで感動し胸を熱くした!・・しかし、昭和47年(1972年)その役割を終えたそうですが、くしくも宿老・田中熊吉も同年98歳でなくなり最後まで現役の製鉄一筋の人生だったそうです。もう直ぐ現役を去ろうとするわが身が恥ずかしいお話です。
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少し行くといつも通うホームセンタ「ナフコ」の横を通り・・・
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大正4年(1915年)に竣工した旧百三十銀行の八幡支店です。
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唐津市出身の辰野金吾が主宰する設計事務所の設計による建物です。辰野氏は、東京駅・日本銀行・西日本工業倶楽部等近代日本の代表的な建築物を数多く設計しています。外観は、煉瓦タイル張りとなっていますが、鉄筋コンクリート造りです。
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現在はギャラリーとして活用されているようですが土曜日は休みかな?・・・
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只今月曜日23時少し前、外は雨が降り続いています。続きは更に明日へ・・・
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