回遊魚

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極悪非道の赤松!

2007-12-09 16:47:49 | Weblog
「毒蛇山荘日記」から曽野綾子氏の文章の引用があるが、さらにそこから引用する。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/

>>引用ここから

赤松隊がこの島を守備していた間に、ここで、六件の処刑事件があつた、といわれる。琉球政府立・沖縄資料編集所編『沖縄県史』によっても、そのことは次のように記されている。

 一、伊江島から移住させられた住民の中から、青年男女六名が、赤松部隊への投降勧告の使者として派遣され、赤松大尉に斬り殺された。
 二、集団自決の時、負傷して米軍に収容され、死を免れた小峰武則、金城幸二郎の十六歳になる二人の少年は、非難中の住民に下山を勧告に行き、途中で赤松隊に射殺された。
 三、渡嘉敷国民学校訓導・大城徳安はスパイ容疑で斬殺された。
 四、八月十五日、米軍の投降勧告に応じない日本軍を説得するために、新垣重吉、古波蔵利雄、与那嶺徳、大城牛の四人は、投降勧告に行き、捕えられることを恐れて、勧告文を木の枝に結んで帰ろうとした。しかしそのうち、与那嶺、大城の二人は捕えられて殺された。
 五、座間味盛和をスパイの容疑で、多里少尉が切った。
 六、古波蔵樽は家族全員を失い、悲嘆にくれて山中をさまよっているところを、スパイの恐れがあると言って、高橋軍長の軍刀で切られた。

<<引用以上

今までの経緯から曽野綾子氏は「赤松大尉」を悪く言うことはないと考えるのは自然だろうから、ここに書かれてあること以上のことはあってもこれ以下と言うことはないだろう(つまり、誇張はないだろう)。
ということは、
 赤松某は「集団自決」の命令を出したかどうか以前に、これらのことだけでも人として、司令官としてアウトだろう。
 軍人として?それならばとうに切腹していなければならないだろう。生き恥を晒していたこと自体あり得ない話だ。よくおめおめと慰霊祭に出席しようなどとしたものである。

 「集団自決の軍命令はなかった」=赤松大尉は無実=かわいそう、気の毒

冗談じゃない!
沖縄の人々を虫けらのように扱った赤松某の大罪は決して消えることはない!

 山崎行太郎氏の今後の仕事に期待する。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2014-12-07 03:11:24
かわいそう
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同時期 (和田)
2015-04-01 14:31:32
私が曽野綾子と赤松隊等の会合写真を発見した頃の記事でなつかしくなります。  赤松は1944年末に留利加波基地を放棄し新たにもう一つ基地造成をしたため、肝心の出撃時に水勤隊朝鮮人軍夫を勤務隊本部壕堀に従事させていた。 新たな基地を造った動機の一つは留利加波のニッパハウスが居心地が悪く、民家に居住して出撃したいというものだったろう。
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