8月6日に広島市で行われる平和記念式典で、歴代の広島市長は世界平和を目指すオピニオンリーダーとして、全世界に向かって高らかに世界平和を訴える貴重な機会を得る。
昨日の秋葉忠利広島市長も、言葉を慎重に選びながら世界平和と日本のあるべき姿を格調高く宣言した。
しかし、しかしだ、讀賣新聞の社説はそれを批判したのだ!
(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100805-OYT1T01121.htm
からの抜粋)
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広島市の秋葉忠利市長が式典で行う平和宣言は、「核の傘」からの離脱や非核三原則の法制化を日本政府に求めるという。現実を踏まえた議論とは到底言い難い。
米国の核抑止力を機能させるためには、非核三原則の「持ち込ませず」についても、核搭載艦船の寄港・通過などは認めることを検討すべきだろう。
広島、長崎に原爆を投下されても、「核の傘」に頼らざるを得ない――。そうした深いジレンマの下で、核軍縮、核不拡散をどう世界に訴えていくか。日本に課せられた大きな課題である。
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(抜粋ここまで)
讀賣新聞社が何の側にいるのか、わかりやすい社説だ。
恥も外聞もなく、ジャーナリストとしての誇りも棄て、ひたすらアメリカの利益を守る姿勢を貫くようだ。売国新聞以外の何者でもない。
讀賣新聞には、日本国憲法を守ろうとする姿勢が全くないこと、日本の新聞社としてのプライドが全くないこと、は承知していたが、こうもあからさまに日本を危険に晒す世論誘導をするようでは、廃刊の強権を発動したいものだ(権限があればだが)。
まあ「現実を踏まえた議論とは到底言い難い」が、日本国憲法をあからさまに批判する新聞は廃刊処分があってもいいと思うのだが。
日本国を否定する新聞が発行部数が一番だと言う「深いジレンマ」を解決する唯一の手段だと思う。
渡邉恒雄は今回の社説に同意するのだろうか・・・。
昨日の秋葉忠利広島市長も、言葉を慎重に選びながら世界平和と日本のあるべき姿を格調高く宣言した。
しかし、しかしだ、讀賣新聞の社説はそれを批判したのだ!
(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100805-OYT1T01121.htm
からの抜粋)
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広島市の秋葉忠利市長が式典で行う平和宣言は、「核の傘」からの離脱や非核三原則の法制化を日本政府に求めるという。現実を踏まえた議論とは到底言い難い。
米国の核抑止力を機能させるためには、非核三原則の「持ち込ませず」についても、核搭載艦船の寄港・通過などは認めることを検討すべきだろう。
広島、長崎に原爆を投下されても、「核の傘」に頼らざるを得ない――。そうした深いジレンマの下で、核軍縮、核不拡散をどう世界に訴えていくか。日本に課せられた大きな課題である。
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(抜粋ここまで)
讀賣新聞社が何の側にいるのか、わかりやすい社説だ。
恥も外聞もなく、ジャーナリストとしての誇りも棄て、ひたすらアメリカの利益を守る姿勢を貫くようだ。売国新聞以外の何者でもない。
讀賣新聞には、日本国憲法を守ろうとする姿勢が全くないこと、日本の新聞社としてのプライドが全くないこと、は承知していたが、こうもあからさまに日本を危険に晒す世論誘導をするようでは、廃刊の強権を発動したいものだ(権限があればだが)。
まあ「現実を踏まえた議論とは到底言い難い」が、日本国憲法をあからさまに批判する新聞は廃刊処分があってもいいと思うのだが。
日本国を否定する新聞が発行部数が一番だと言う「深いジレンマ」を解決する唯一の手段だと思う。
渡邉恒雄は今回の社説に同意するのだろうか・・・。
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