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「時間」って意味あるの?

2018-07-13 21:10:10 | 日記

現在も過去も未来も同時にある。

 

ふと、そんな気がするときがあります。

 

今、同時平行的に、(我々から見ると)歴史上の人物も存在し、

それぞれが命を懸けて、必死に智謀をめぐらしている。

そんな予感がするのです。

 

空間こそ違うものの、実はこの瞬間も

西郷さんは日本国のあるべき姿を考えていて、

佐藤一斉は「人の道」を人々に説き、

信長は新しい世を作ろうと野望に燃え、

後醍醐天皇は政争に頭を悩まし、

清盛は平家の子々孫々の繁栄を願い、

天智天皇は国家の維持に苦しみ、

聖徳太子は国家建設に腐心している。

卑弥呼は自分の霊力の衰えを恐怖し、

縄文人は、明日の生活が恙無く送れることを神に祈っている。

あるいは、今、

同時代を安倍総理が河野外務大臣が、

はたまたトランプ大統領が、習近平国家主席が、

それぞれの欲やそれぞれが持つ国家のあるべき姿を求め、

野望、敵対勢力、疑心暗鬼から来る人間不信といったものと格闘している。

そして、「私」という存在も今あって、

何やら日々の人間関係に振り回されながら、

生きている。

もちろん、10年前の「私」も

現在進行形で頑張っているし、

未来の私も、今、前向きに生きようと頑張っている(多分)。

 

そしてその時、その時、同時代を共に生きた者たちも

同時代を共有するものとして存在している。

 

我々、つい

眼に見えるものだけを唯一無二の世界だと捉えてしまいがちだが、

そうではなくて、

始まりも終わりもない大宇宙という空間に、

現在も過去も未来も共に、今、存在しているのではないだろうか。

そして、

その時、その場所で良い未来を夢見ながら、

積極的に生きようと頑張っている。

 

いつか、人は死ぬが、

始まりがいつだったかわからないように、

終わりもいつのことだか自分にはわからない。

 

 

ただ、我々の願いはただひとつだけ。

何もしない、後悔だらけの人生は送るまい。

せっかくもらった身体だ。

これを思う存分活用して、

やりたいことはやった、充分に楽しませてもらった、

と思える人生を送りたい、

ということ。

 

すべては、今も存在する。

宇宙に始まりも終わりも無いように、

魂(と人は言う)はどこからか来るわけではなく、

どこかに行くわけでもない。

時間は進み続けるが、

すべての時間は同時にまた進んでいる。

そして同時にある。

ただ、その時間空間でポジティブに生きようと心がけることが

その他の時間空間にも影響しそうな、、

 

そんな感じがする。

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