インドラネット

パソコンが壊れる度に全てが消えるデジタルデータ。このブログをクラウド代わりに活用させてもらいます。

貴乃花親方のプライド

2017-11-27 21:44:37 | 日記
私、どうも風邪をひいているようです。体がだるくっていけない。

だからなのか、少し気が重たい話をします。貴乃花親方のことです。



俺は大横綱だ。今の八角理事長をはじめすべての役員、協会関係者は、私より格下のものばかりではないか。

この俺こそが日本相撲協会の代表であるべきだ。

それなのに巡業部長とは我慢ならん。

今回の事件をきっかけに八角理事長には引退してもらって、

私が「旧弊にまみれた相撲界を刷新する新理事長」に就任するチャンスだ。

押しも押されぬ戦後相撲界の第一人者「貴乃花」がついに頂点に立つのだ。

白鵬が何だ。何が大横綱だ。俺を越えただと?そんなことがあってたまるか。

あいつはモンゴル人ではないか。日本人の俺こそが日本一の大横綱にふさわしい。



なんだか、貴乃花の態度を見ていると、そんな叫びが聞こえてきそうです。

彼は、警察に被害届を出すなど自分から問題を大きくし、貴ノ岩を休場させ、日馬富士まで引退の際へ追い込んでしまった。

それなのに、なぜそこまでするのか誰にも説明しない。

また、今貴ノ岩がどんな状況にあるのかも話さない。

何が問題なのか、何を協会として改善してほしいのかもはっきりしない。

この問題をどのように解決したいのかといった協会へ提案、協議もまったく行わない。


こんなことだから警察だって、一体何をもとにどの法律を持って罰すればよいのかわからない。

協会と警察に別々に提出された診断書が2種類あって、しかも内容が違う。一見重症のような診断書を書いた医者は、実はそれほどの怪我ではないという。

しかも貴ノ岩は事件翌日に元気に練習している様子が動画で流れていた。

警察の本音としては、「おいおい、それじゃ練習や本番での怪我のほうがよほどひどいんじゃないの。」と思っているんじゃないかしら。

しかし被害届は出ているのだ。実際殴った事実もある以上、警察としては調査し、立件する方向で進めなければならない。

その上でどう判断するかは裁判所の裁量だ。警察じゃない。


この事件には救いがない。不毛な感じがする。大喜びしたのはマスコミだけだ。これで当分飯が食える。

貴乃花の誇大妄想的プライドがこの問題のまず第一の根底にあって、

加えて(これもまったくの憶測だが)誰か貴乃花をそそのかした者、

親族あるいは占い師のような人物が裏にいるような、そんな気配を感じるのは私だけだろうか。

もし、そうであるなら相撲協会、八角理事長、日馬富士、貴ノ岩、相撲ファンのすべてが彼(と彼をそそのかしたもの)に振り回され、マスコミの餌食となったことになる。

当然、近い将来には事実が判明し、この一件も幕引きとなるわけだが、そのときには理事長含め幾人かの当事者、関係者がその責任を取ることになるだろう。

以前、本場所の開催すら危ぶまれるほど大相撲が危機に陥ったことがある。わずか6,7年前のことだ。

このとき白鵬は一人横綱として、黙々と立派な相撲をとり相撲界を支え続けた。

これに応えるように多くの力士がよい相撲を心がけ、ついに現在の相撲人気復活を果たすことができた。

この努力を台無しにしかねない彼の罪は重い。

貴乃花が「俺が相撲界のトップに一番にふさわしいのだ」と思っているとすれば、

実は、彼こそが悪い意味での「相撲界の古い体質」そのものなのかもしれない。
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FOMCの利上げ

2017-11-23 15:51:20 | 日記
今日は2本目。でも1本目とぜんぜん関連性の無い話題。


11月1日にあった米国のFOMCで物価目標をさらにあげる可能性が指摘されている。

だが、ほぼ完全雇用の状況下で一向に賃金が上昇しないともある。

私、思うんですけどね。

いくら金利を上げても、経済的に引き締めを食らうだけで、デフレは解消するどころか悪化するのではないですか。

もしかすると彼らは根本的に問題の本質がわかっていないのではないでしょうか。

このデフレ気味の経済状況は、単純に「需要」よりも「供給」が過多になっているだけだと思うんです。

だから金利を上げるのではなく、賃金を上げる必要があるのです。

金利を上げれば、巨大基金や銀行などは株などの商品よりも安全に利息が得られますから、国債などに資金が移動して、市場に流通する資金の回収は進むでしょうが。。。


この問題の根本は、1%の富豪に富の99%が集中する歪な社会にこそ問題があるのだと思うんです。

中間層や低所得層にもっと十分にお金がまわるようにできれば、自然と税収も増え、借金漬けの米政府も助かるはずなんですがね。

金持ちにはわからん理屈ですかね。

もっともっとお金が欲しいですかね。いつかは全部。。。
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男はみんな恐妻家

2017-11-23 12:36:49 | 日記
今回もふと頭によぎったことをメモります。今日は男と女。


恐妻家って多すぎる。男のほとんどがそうじゃないだろうか。

そもそも男と女が一緒に暮らすこと自体問題があるようにも思われる。

もしかすると人間という動物にとっては、昔(平安時代)のような男が女性の家を訪れる「通い棔」こそ健全な形なのではないだろうか。

たしか東南アジアではこの風習が未だに行われている地区もある。

家を守るのは女性たち。男たちはそこに時折通うだけ。嫁姑のトラブルも無く、女性たちにとってそのほうがなんらストレスがないそうだ。

方や日本などの国々では、奥さんが怖くて帰宅恐怖症になる旦那衆がたくさんいるが、これはたぶん女性も同様かもしれない。


たとえば、男の立場からすると次のような例がある。

日ごろ、度々嫁さんが切れるので、もしかすると家事仕事にずいぶんストレスを感じているのかもしれないと気を使って、

茶碗を洗ったり、洗濯物を干したりたたんだりした経験は誰にでもあるだろう。

すると決まって「こんな茶碗の並べ方があるもんね!汚れも残ってるし!洗濯物のたたみ方も汚い。」と怒られる。

「ありがとう」とほめてもらえると思っていた旦那さんはショックを受け、(心の中で)2度とするものか!と腹を立てる。

買い物も然りだね。妻に頼まれて仕事帰りに買い物して帰る。

このとき感謝されたことなど無いでしょう?いつもダメだしをされて、2度と買い物なんかしないぞ!っていつも思う。

またよくあるケースとして

疲労して仕事から帰ったとき、旦那としては「大変ね。お疲れ様」の一言がほしい。それだけでいいんだ、と願いながら帰ってくる。

ところがそんな旦那の様子を見た妻は決まって狙い済ましたように小言や不満を言ってくる。

そんな時、こいつは人間じゃない、悪魔に違いない、と思う。

こんなことを幾日も繰り返すうちに嫁さんが「鬼」に見えてくる。

怖くて顔を合わすことを避けるようになる。何か言えば文句が返ってくるから話もしない。

一方、奥さんだってそうだろう。「私の話をまるで聞いてくれない」とか「以前話したことをまるで覚えていない」、

「私を馬鹿にしている」、「気が利かない」、「そばにいるだけでうっとうしい」などなどいくらでもあるのではないだろうか。

やれやれである。


男性と女性は余りにも考え方や価値観が違いすぎる。

男性は理屈でものを考え、女性は情緒的に理解する。男性は解決を図ろうとし、女性は同調を求める。

これは性差だからどうにもならない。世界に人種は2種類しかないといわれる所以だ。

なぜ、これほどまでに違いのある2つの人種が、夫婦だからといって同居しなければならないのだろう。

お互い苦しいだけではないか。子育てが大変なら嫁の実家に住めばよいではないか。

実のところ旦那など邪魔なばかりで不要ではないのか。

本当にこれが自然な姿なのだろうか。「家」「家柄」などという形式にこだわっているだけではないのか。

本当に本来あるべき姿なのだろうか。なんとなく不自然な感じがするのだ。

昔、CMに「亭主元気で留守がいい」というのがあったが、多くの主婦が支持していたのを思い出す。

男は男同士で遊び、飲み、鍛えあうのが楽しいし、女は女同士でおしゃべりするのが一番だ。

男と女が一緒に楽しめるのはいろんな意味で刺激がほしいときだけだ。


どうです?異論ある?

こんなことを言うと頭から否定してかかる御仁がいるが、よっく自分の心と相談して、そろそろ本音を語ってみてはどうでしょう。

最近はすっかり未婚の男女が増え、バツ1、バツ2の人もまったく珍しくなくなった。

この少子化のご時勢、別に結婚という形を取らずとも子どもを持つことがあってもよいと思うのだが。

あるいは、結婚しなくても子供だけはほしいのよね、でも世間がうるさくて、という人も多いのではなかろうか。

今後30年ほどで日本の人口は4000万人ほど減少するそうな。( → なんと関東地区全体の人口に相当する。)

そのころには今の夫婦のあり方も変容して、それこそ「通い棔」のようなものになっているかもしれない。


もっとも、今はこんなことを言っているが、いつ逆の事を言い出すかわからない。

夫婦には良さも少なからずあるからね。

高齢になったとき支えあう相手になってくれる(?)かもしれないし、

男性にはわからない気がつかないことを、女性ならでは気がつくということもある。もちろんその逆も。


あ、補足します。上述の夫婦トラブルが起きたときは、私の経験からすると旦那は黙ってないで、率直に女房に物申したほうが良いみたい。

たぶんちょっとした口げんかにはなるけど、ストレスにはなりにくいように思います。


ここまで書いてきて、こんなこと言うのもなんだけど、女房がもしこれ読んだら、ひと悶着おきそうな予感。。。。

ま、いいか。気にしない気にしない。
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人生に不要なもの

2017-11-05 22:19:50 | 日記
やっぱりブログを更新するのは難しいですね。

なんせ基本怠け者なんでね。

感じたり、考えたり、むっときたり、「こりゃいいね。ぜひ拡散したいものだ」と思うことはよくあるんだけど。

このブログは、そんなときの忘備録(おっと変換されない。「備忘録」だと変換される)として活用するつもりでいたんだけどね。


てなわけで、たった今ふと思ったことがあったので、忘れないうちに書いておこう。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐

人間、よく弱気になりますよね。

これってまったく自分にとってお得にならないことは皆知っています。

でも不思議とメソメソ、クヨクヨしたくなるときがあります。

何なんでしょう、この感覚。

古~い時代、生物学的な進化の過程でそのほうがメリットを受けることがあったということでしょうか。

私、まったく思いつきません。

弱気になるときって、たぶん深層心理で誰かに頼りたい、できたら代わりに誰かにやってもらいたいと思っているときによくなるように思います。

あるいは、何かイベントを任されたときなどに「自分には荷が重いな」、「ああめんどくさいな」なんてときにも。

でも、この感覚ってストレスを生じるし、とても不愉快な気分になります。

自分にとっても、あるいは周囲の人たちにとっても迷惑千万な感情です。

ひとつとして良いことがありません。

もしかすると代わりを立てて当事者でなくなることによって、身を守ろうとしているのでしょうか。

だとしたら、ちと卑怯かな。

もっとも自分の主義主張と相容れないことを任された時なら話は別だけど。


さてこんな時、私の場合、そんな感情がわいたこと自体を忘れるようにしています。

若いときはそれを知らなくて、好きなだけ弱気の虫に取り付かれて、随分失敗や辛い思いをしたもんだけど。

今、57歳。

この歳になると人生が短いことや人の一生はそんなに大げさなものではないこと、生身の肉体が持てている間に思う存分生きなければもったいないこと、

そんなことがわかってきます。

年はとるものですよ!皆さん。本当に生きるのが楽になります。


ところで、「忘れる」なんてことできるの?と思う人もいるでしょう。

これできるんですね。

まず、「弱気」になること自体がまったく「無意味で、かつ悪である」ことを疑わないことです。

そして一瞬「弱気」になったときには、すぐにこれを消し、楽しいイメージに刷り替えるのです。

つまり自分のためではなく、人のために働いている自分をイメージします。

そして、人々が喜んでくれる顔まで浮かべば完璧です。

最初はうまく行きませんが、思考の癖(習慣)ですので、繰り返しているうちにできるようになります。

ぜひやってみてください。


人生は短いです。

その短い人生をクヨクヨ、スネスネ使うか、それとも思いっきり自由に、伸び伸びと使うかは自分次第です。

誰もそれを規制はしません。

規制しているのは、実は自分自身です。

人間の脳のシナプスは100兆個といわれます。どんなに過酷に使ったって使いきれるものではありません。

自分のありったけの能力を出し切り(怠け者は怠け者らしく使い切って)生きましょう。

自分の人生です。誰に遠慮がいるでしょう。

まずは誰かにカッコよく見られようなんてしないことです。まったく意味がありません。

失敗したっていいじゃないですか。クヨクヨ、スネスネしてちゃあもったいないです。


人生最後には「ああ、楽しかった。」と言える生き方をしたいものです。


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