インドラネット

パソコンが壊れる度に全てが消えるデジタルデータ。このブログをクラウド代わりに活用させてもらいます。

「道徳的自警団」と人間の生き方

2018-01-28 17:28:17 | 日記

ちょっと今日は長文で、申し訳ない。

たぶん、半分も読めないかもね。

では、スタートォー。



「道徳的自警団」という言葉があるそうだ。

まさに今の日本に蔓延するクレーマー達のことを指すらしい。

当の本人との関係はまるで無く、事件や犯罪でもない

「不倫」や「浮気」、「セクハラ」の話題が大好きで、

「他人の喧嘩」や「誹謗中傷」も大好きな人たちだ。

そして彼らは、このような低俗な話題を見つけると、

一度ならず繰り返し叫び続けるのだ。

「こんな人たちは絶対に許してはいけない。」
「無責任すぎる。」
「道徳心のかけらもない人でなし」
「当然、社会から制裁を受けるべき」

と、自分はまるで裁判官か聖人のようにシュプレヒコールを絶叫する。

その様子は集団でリンチして興奮しているようにも見える。

いったい、それが彼らと何の関係があるのか。

なぜ、他人の行状にそこまで目くじらを立てるのか。

いったい、このクレーマーたちは何に怒っているのだろう。

自分のことはどこかに置いて、他人のあら探しにばかり興味がわくらしい。


また、それに油を注ぐのが、

同じくあら探しが大好きなテレビを中心としたマスコミ。

そこでも怪しげなコメンテーター達が、

テレビ局の意に沿おうと忖度して、言いたい放題に無責任なことを言う。

ところが当の司会やコメンテーター達も番組が終われば、同じ人間だ。

若い女を見れば胸や尻を見るし、かわいい子を見れば声をかけたくなる。

こんなことは当たり前のことで、

この本能を持たない者がいたら、それはむしろ人間ではあるまい。

ところが、偽善者のコメンテーター達は、いかにも倫理の体現者のごとく、

俎上に上げられた被告人をよってたかって滅多切りにしてみせる。

茶番もいいところだ。

それによって、誹謗中傷を浴びた人たちがどれほど苦しむかなど、

毛ほども気にもかけないようだ。

まさに集団リンチだが、その自覚はないのだろう。

こんなものを喜んでみる視聴者がいるから、

そのニーズを満たしてあげる、

くらいのつもりで発言しているのだろう。



ところで、『パーキンソンの凡俗法則』という有名な研究がある。

下記に「」書きで紹介する内容は、出典先が不明であるが

何かを読んでいた際に、よい言葉だと思いメモ帳に書き取っておいたものだ。

出典元には申し訳ないが、まさに「不倫」の話題で盛り上がる方々を、

ある一面で的確に表現しているので、この機会に転載させていただく。



《パーキンソンの凡俗法則》

「組織は、些細な物事に対して、特に不釣合いなほど重点を置く。

『自転車置き場』『自転車置き場の色』ともいう。

例として、

原子炉の建設計画は余りにも複雑であるため、一般人には理解ができない。

このため一般人は、

話し合っている人々は理解しているのであろう、

と思い込み、口を挟まない。

強固な意見を持っている人が、情報が不十分であることを知られないように、

一般人を押さえ込むことすらある。

このため、審議は粛々と進む。

この一方で自転車置き場について話し合うときは、

材質といった些細な話題が議論の中心となり、

そもそも自転車置き場が必要なのか、といった本質的な議論は起こらない。

次に委員会においての議題が、

コーヒーの購入といった身近なものになった場合には、

その議論はさらに白熱し、時間を最も消費する。

関係者の誰もが自分のアイデアを加えることによって、

自分の存在を誇示したがるのである。」



どうでしょう。この『パーキンソンの凡俗法則』。

まさに3面記事の内容に対して潔癖性を持ち出し、

これぞ「正論」とばかり自論を述べる。

そして自分の正しさを証明しようとするあまり、

「3面記事で取り上げられた男女」をヒステリックに猛攻撃する。

男には「女たらし」、女には「淫売」呼ばわりする。

このことは、実は、彼らの知性がこの程度の話題にしか反応できないことを示している、

といえるのかもしれない。

複雑化する国際情勢や、仮想通貨問題、国内の少子高齢化問題

などといった話題を彼らに振ったところで、

何ら反応することができないのではないだろうか。

あるいは、反応してもせいぜい「ヘイトスピーチ反対」とか

「沖縄の米軍基地は撤去すべきだ」程度の感情的なものではないだろうか。


近年のこの「他人のあら捜し」的風潮は、

社会に「監視」という悪害をもたらし、

人々の生活をぎすぎすした息苦しいものにしている。

自分たちで騒いで、自分たちの首を絞めている。

平和といえば平和な話だが。。



たとえば、極端すぎるほどの「プライバシー尊重」や「嫌煙運動」、

一方的過ぎる「弱者保護活動」や「自然や動物保護活動」、

義務を伴わない「個人の権利意識」、「妄想的被害者意識」、「言葉狩り」等々。

世の中はクレーマーだらけである。

ネット社会の「負」の面といえる。

ネットは、少数意見を発表できる有難いツールではあるのだが、

同時に、社会に不満を抱くヒステリッククレーマーにも場を提供してしまった。



クレーマーという人々は、短気で、

しかも自分の身を振り返ってみることができない人達だ、と私は思っている。

だから、社会や周囲に巻き起こるトラブルを解決したければ、

他者や制度そのものを変えなきゃいけないと思っている。

本当は、「自分が成長しなきゃ何も変わらない」ってことがわからない。

自分に降りかかる問題の原因をすべて他者に求めようとする。

そして他者の考え方を変えさせようとする。

同じ理屈で社会に問題があると考える。

世の中が悪いから自分は報われないのだ、と。

でも、自分の周囲で起きるあらゆる問題は、すべて、自分自身が起こしている。

100%といってもよいかもしれない。



仏教用語に貪・瞋・痴(とん・じん・ち)という言葉がある。

「我欲のままむさぼること」・「怒りや憎しみ」・「無知でおろかなこと」のことである。

これが、人間が克服しなければいけない三つの煩悩だと仏教で教えている。

結局これがすべての苦しみの元になっている。

逆に言うと

「欲してもむさぼることなく、分け合うことを知っていて」、

「心に憎しみや怒りをかんじることがなく」、「先人の知恵をよく学び、自分のものとする」

ことで、よい人生を歩むことができる、ということになる。

ま、簡単に言えば「自分の身体から発する欲に振り回されるな」ということ。



肉体は生まれて80年で塵に返るもの。

「私」そのものではない。本当の「私」はこの肉体とは別にある。

「私」はこの肉体を活用させてもらっているだけである、

と考えるのである。

そしたら「うらみつらみ、怒り、悲しみ」に振り回されなくなるし、

自意識過剰なんてこともなくなる。

「病気」を不必要に心配することもなくなるし、

「死ぬ」ことも当たり前に受け止めることができるようになる。

物事をあるがままに見て、

そこに余計な感情でもって歪んだ評価を与えないようになる。


たとえば、車が渋滞に巻き込まれたとき「運が悪いな」

とか「前の車があのときサッサと追い越さないからこんなことになったんだ」

とか考えるのは、自分の思考がそういう理論を組み立てただけだ。

車が渋滞したら渋滞が解けるのを待つか、別のルートに変えればよいだけの話なのだが、

かってに自分でそのように思考しておいて、イライラする。

だったら自分の思考を変えればよい。


町を歩いていて、ある人と目が合った。

ただそれだけのことなのに「なんであの人は私をにらむんだろう。気に食わないわ」

とか「彼女、俺に気があるのかな」なんて勝手なことを考える。

全部自分で作った話でしかない。

ただそこに居た人と目が合っただけなのに。

いちいちがこんな感じで、人は勝手な人間関係を作っていく。

そして気にしたり、苦しんだり、期待に応えようとしたり、

他人によい人物と思われようとしたり、

よい評価を受けようとしたりする。

つまらぬことだ。

まずは自分の思考には癖があることを自覚すること。

そして、その癖のために

どれほど自分や他人が苦しんだり、損をしているか、を認めること。

そして事象は事象であり、そこに「色」をつけているのは自分であることを、

機会あるごとに自覚すること。

その上で「色」をつけることをやめる。

そのうち

実際にはない、仮想の苦しみから開放されることができます。



日本人の悪い特徴の一つに

「他人への不必要な干渉」

があるように思います。

上記の「道徳的自警団」の皆さんもその傾向がいささか強く出ているだけ、と言えるのかもしれません。

でもやはり「悪い癖」であるには違いありません。

日本をもっと明るく伸びやかな社会にするためには、

一人ひとりが自分磨きを楽しみ、かつ、

お互いがお互いの成長を促しあう関係を作っていくことだと思います。

そこに人間としての「本物の喜び」もあります。

ぜったいに「他人の足引っ張り」や「噂話を喜ぶ」なんてことがないようにしていきたいものです。



ま、理想的願望ではありますが・・

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お気に入りの名言集

2018-01-20 17:27:37 | 日記
今日は、お気に入りの格言集の紹介です。

皆さんもお気に入りの格言をいくつもお持ちじゃないでしょうか。

私もネットサーフィンしているときや本を読んでいるときに、よく見つけた言葉を書き取ります。

ほんとに、先人は良い言葉を残してくれています。

その中から私の最近のお気に入りをいくつかご紹介します。



◎「富と成功を築く極意とは、

   誰にでもできる簡単なことを、とにかく延々と続ける、

    それをしたか、しなかったかというだけの話だ。」 音多秀茂


◎「こけたら、立ちなはれ」 松下幸之助


◎「最初から和尚はいない。拭き掃除から洗濯まで、小僧の苦労を重ねてこそ和尚になれる」 安藤樽六


◎「向上とは変化することである。

   完璧とは変化し続けることである」 チャーチル


◎「凧が一番高く上がるのは、風に向かっているときである。風に流されているときではない」 チャーチル


◎「迷う、ということは、一種の欲望からきているように思う。

   ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、という欲望から迷いが出てくる。

    それを捨てれば『問題』はなくなる」 松下幸之助


◎「解決策がわからないのではない。問題がわかっていないのだ」 チェスタントン


◎「人生の目標を達成しようとするとき、限界がたった一つある。

   それは自分が決めた限界である」 D・ウェイトリー


◎「一灯を下げて暗夜を行く。暗夜を憂うなかれ。只、一灯を頼め」 佐藤一斎


◎「失敗したって、せいぜい死ぬだけよ」 カーボーイビバップ


◎「過去に生きようとするな。また未来を夢見てばかりでもいけない。現在のこの一瞬に集中しなさい」 仏陀


◎「一つ作ると、行き詰まる。作り続けることだ」 奥山峰石


◎「一生の間に、一人の人間でも幸福にすることができれば、自分の幸福なのです」 川端康成


まだまだたくさんありますが、今日はこのくらいで打ち止め。


ちょっとした時間を利用して、こういった言葉を眺めるだけでも、心が落ち着いてきます。

心の穢れを洗い流すシャワーのような感じです。

それにしても、偉人たちは短い言葉で奥深い表現をするものです。

私もそうですが、凡人の頭からはなかなかこういう言葉は出て来るものではありません。

もともと非凡な上に、さらに並々ならない数多くの経験と苦労から生み出された格言なのだと思います。


余談ですが、

今回、書き留めておいた格言を拾い上げながら、意外にもチャーチルが多いのに驚きました。

他にも紹介したいチャーチルの名言があったのですが、今回はカットしています。

個人的にはチャーチルは嫌いなのですが、「うーん、いいことを言うねえ」と感心させられた次第。

好き嫌いは別にして、苦労人ではあったようです。


せっかく先人たちが残してくれた名言ですから、われわれも活用しなくちゃ、もったいないですね。

みなさんもこれを機会に自分のお気に入りの格言集を読み直してみたらどうでしょうか。

なんか今日一日、ちょっとだけ得をしたような気がするかもしれません。
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地球温暖化って悪いことなの?

2018-01-10 00:04:42 | 日記

地球温暖化対策を急げといわれて久しい。

実際温暖化によって人々の生活や地球環境がどうなるのかはっきりしない。

しかし温暖化はいけないことという認識が基本にあることは間違いない。

本日は、普段から気になっているこのことについて、皆さんに問題提起したい。



地球の空気層は、きわめて薄い。

地球をりんごに例えれば皮のように薄い。

その外側は絶対零度の世界。マイナス270度。

これがどんな温度かわからないが、空気の分子も活動を止めてしまうらしい。

北極や南極でも摂氏マイナス5、60度程度までしか下がらない。

そこからさらにマイナス200度の驚異的世界だ。

このりんごの薄皮でこの外界から地球は何とか守られている。

地球上で人類がいくら暖房を使おうと、

地球自体は周囲を絶対零度の世界が覆っている。

つまり暖めにくく冷えやすい環境にあるといえる。

国連(企業との癒着がいつも問題となるWHO含む)や環境保護団体はそんなことは考えない。

鯨の保護のような思い込みと偏見で作られたデータを、

さも最先端の科学的研究かのように国際機関を通して勝手に発表し、世界に警告する。

都合の良い過去数百年のデータをもとに近視眼的に何度上がった、大変だ、地球の危機だ、と叫ぶ。

地球上のあらゆる豪雨被害、乾燥被害、海面上昇といった災害を

無批判にすべて二酸化炭素排出による地球温暖化のせいにすることで思考停止している。


では2,3百年前の地球はどうだったのか。

実は小氷河期といわれ、旱魃や台風、火山の大爆発(日本でも浅間山や富士山などが爆発した)、

夏に雪が降るなど気候は安定せず、世界各地で餓死者を大量に出していた時代だった。

ところが、この150年はどうだ。

環境保護団体などが工業化などにより二酸化炭素放出量が増え、

そのせいで地球温暖化が進み、気候変動が激しくなったと非難している現代だ。

実はこの期間こそ、少なくとも過去1000年でもっとも気候が安定した時代だったことがわかっている。

むしろ人類史上稀有な出来事であったのだ。

このことは気象学者なら皆知っているはずだ。

この百年の気候は、人類にとって望外の出来事であったといって良いと思う。

それほどに人類史は過酷な気候変動による飢餓との戦いの連続だったのだから。



ところで、きわめて長期にわたって安定していた時代が大昔にあったんですが、わかりますか?

皆さんご存知の恐竜時代(中生代)です。

今から6千万年ほど前まで、1億5千万年余りの長きにわたって続きました。

そのころの空気中の二酸化炭素濃度は、今の5倍から10倍あったといわれています。

だからといって異常に気温が上がっていたわけではありません。ちゃんと動植物が大繁栄できる気温でした。

地球温暖化でもっとも嫌われている化石燃料(石炭や石油など)はその時代の遺物です。

つまり化石燃料として封じ込まれるまでは二酸化炭素として空気中に存在していたということです。

ところがその時代こそがもっとも地球の気候が安定していた時代でもあったのです。

大小の恐竜、哺乳類や巨大な樹木などに覆われた密林、そんなものが数千万年にもわたって存在していた時代でした。



このことを踏まえて実は私、ある推論をしています。


地球温暖化が進んだこの100年。

地球は、少なくともこの1000年の中で、

人類が経験したことの無かった気候安定期を迎えることになりました。

このことは、それ以前の1万年にも及ぶ農業などの一次産業のみを生業とする歩みに別れを告げ、

化石燃料を大量に消費する工業化、機械化という

新たなスタートを切った時期とも重なりました。

このことから、この100年余の「二酸化炭素排出量増大」と「気象安定期」とは、連動していると考えてよさそうです。

ましてや、環境保護団体が警告するように

地球温暖化が人類にとって悪をもたらしたとは考えられません。

たとえば、急激な人口増加などはその証左と言えるのではないでしょうか。

以前は当たり前だった激しい気象変動は、地球上に「飢え」をもたらし、

結果的に人類の人口を抑制してきました。
 
逆に二酸化炭素による地球温暖化は、

気象の安定をもたらし、人類の救いとなったと言えるのではないでしょうか。

先ほどの恐竜時代の長期にわたる繁栄が、強くそのことを示唆しているように思います。
 

しかし、いずれ近い将来にまた地球に氷河期が訪れます。

南極などの氷河をコア採取して、過去50万年余のデータを調査したところ、

地球は9万年近い氷河期と、1万年余りの温暖期が繰り返されていることがわかったそうです。

すでに現在の温暖期に入って1万年余が経過しています。

すでに温暖期の期間を過ぎた可能性が高いのです。

研究者によっては氷河期の開始について、2~3000年後の可能性を指摘しているようですが、
 
1000年後には急激に地球の氷河期化が進んでいるかもしれません。

その開始時期を少し遅らせる効果が、二酸化炭素の排出量にかかっているような気がするのです。

むしろ、化石燃料を大いに活用しなくっちゃいけない、ということです。
 

ちなみに、「海面上昇」が盛んに地球温暖化と結びつけて問題視されています。

これなど環境保護団体などが格好の例としてよく取り上げます。

私、以前ノルウェーの大学院生とこの話題で盛り上がったことがあります。

彼は

「ノルウェーは今上昇中です。 この調子でいくと1万年ほどで500mから1000mも上昇することになりますが、実際はそんなことは起きません。

そのうちまた氷河期になって雪が積もり、スカンジナビア半島自体が再び数千メートルもの氷河に覆われることになります。

するとその重みで沈み始めますから。」という。

そこで私から

「ああ、ということは氷河期になって、地球の北極南極に巨大な氷河が発達すると、

その重みでシベリアなどがだんだん沈み込み、逆に、赤道付近を中心に盛り上がるってことになるんだね。」

と言ったら、その通りだとうなずかれた。

もっとも、その上昇がどれほどになるかわからない。

赤道付近なら、概ね数百メートルは隆起するのではないだろうか。

当然、そのときは地球表面のプレートが大きく動くわけだから、

火山の大規模爆発があちらこちらで起き、

プレート同士のぶつかり合いによる大地震も頻発することだろう。


もっとも、そんなことは信じられないね、という人も多いかもしれない。

実は、われわれにとって身近な存在である「東シナ海」だって、

1万年前まではもっと大きな陸地が顔を出していた。

私の住む島は、もともと揚子江の河口域であったそうだ。

地層から見える礫層は丸石(川石)であるから、たぶんそうだったのだろう。

また、東シナ海や沖縄本島の下に存在するいくつかの海溝は1、2万年前に陥没したものだ。

浅瀬にしかないさんご礁や象の骨などが海底から見つかっていて、そういう事実があったことはわかっている。

他にも宮古島などには、エゾ鹿なみの大型の鹿の骨が見つかっているから、

元は北海道ほどの大きな草原が広がる島であったのであろう、といわれている。

ちなみに今姿を現している宮古島は当時は浅い海岸部分で、

昔陸地だったところは、現在海の中に沈んでいるとのこと。

調査に当たった大学教授から教えてもらった。
 


気象変動の原因は、二酸化炭素でもなんでもない、

ただ地球の「自然周期」によるだけだ、と言う人もいます。

(地球も生きてるから、マントルの活動次第で発熱量が変動する。)
 
ま、ほんとのところははっきりしないわけですが、

このことが人類に悪害をもたらしているわけではありません。

むしろ、人類史上「稀有な気象的安定期」をもたらしている可能性のほうが高いのです。


 この二酸化炭素にしても、ダイオキシン問題

(微量でも体に入れば死に至ると喧伝されたが、今やほぼ無害に近いことがわかっている)

にしても、

環境省や厚生労働省といったところはウソばかり流しますから、皆さん気をつけましょう。

たとえ官公庁からの情報といえども鵜呑みにせず、できるだけ他の情報で確認をとる習慣が必要です。


それにしても世の中じゅう、自己中心的で我利我利亡者ばかりなんだなあ、

と痛いほど感じられる今日この頃ではあります。

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平成30年 今年話題になりそうなこと

2018-01-03 23:27:29 | 日記

あけましておめでとうございます。

今年の目標は決まりましたか?

私の目標は、体重10キロ減でメタボ解消!です。

ついでに体力も少し増強できたら言うことなし!


ということで、今年少し気がかりな、そして世間の話題になりそうなことをリストアップしてみます。



◎ 緊迫度を増す北朝鮮情勢

この北朝鮮情勢しだいでは2月にピョンチャンオリンピックが開催されるかどうか不明な状況です。

というのも、

まず、ロシアがオリンピックに参加できなくなったのに静かにしているのが気になります。

それと、アメリカがオリンピックに参加するのかどうか、も未だ不明な状況です。

しかも、北朝鮮への経済制裁強化が安保理であっさり可決されたことも気になるところです。

とはいえ金正恩が核兵器を放棄することは絶対にないでしょうし、

アメリカには、これを許せない事情を抱えています。

宗主国を自任するシナはシナで、自国の言いなりにならない金正恩を嫌っています。

4年前に金正恩に粛清された張 成沢氏のときのように、

今もチャンスがあれば、シナは金正恩政権の転覆を狙っているのです。

(細かいことは以前書いた『必死の金正恩』を参照してみてください。 http://blog.goo.ne.jp/komejirusi6/e/23063b36ee62ce7a07600cf2003a9d9f

それだけに核兵器開発は「金政権の命綱」とも言えるわけで、

これを持たないと彼自身の命の保障がなくなってしまうことになります。

シナの北朝鮮政権の転覆工作がどこまで進んでいるのか不明ですが、

それができそうに無いとなったなら、シナが直接手を下すことが無くても、

アメリカの実力行使は十分考えられるでしょう。

それほど北朝鮮の核ミサイル保有は、アメリカにとって絶対あってはならないことなのです。

その時期は、いつなのか?

早ければ1月中にもあるかもしれないし、もう少し後になるかもしれない。

どちらにしろ核ミサイル開発が急ピッチに進んでいる以上、年内には決着をつけなければならないでしょう。

イスラエルに敵対するイランなどの国々に核兵器を持つ口実を与えないためにも、

核不拡散(と人道的立場)を理由に、必ずアメリカは行動を起こすはずです。




◎ 少子高齢化加速、特に少子化対策

5年ほど前あたりからついに日本人の人口減少が始まりました。

この間すでに100万人弱減少しているそうです。

出生率も1.44とのこと。

この勢いは今後加速しますから、何らかの事業予測を立てるときは、

10年後には1千万人ほど減ることを前提にして考える必要があります。

特に大都市は人口を維持する一方で、その分、地方の減少率はますます高くなりますから、

「限界集落」の増加や町村の消滅があちらこちらで起きるでしょう。

空家率も高まります。

10年後予測には、空家率が4件に1件、ひどいのになると3件に1件になる、と予想する人もいるようです。

また、「所有者不明土地」が現時点で既に九州全体を超える面積に及ぶことは、みなさん知っていると思いますが、

高齢化の進んだ日本では、その勢いはまこれからすます加速していきます。

誰も相続することの無い土地や建物が、日本中を虫食い状態にするのです。

ちょっと周辺を見回してください。

親族のどなたかが土地を相続したいのに、2代以上に相続がまたがってしまい、

必要書類を揃えることができずに所有権移転登記ができなかったり、

そもそも相続したはずの山林や田畑がどこにあるかも知らない、なんてことはざらでしょう。

10年後には、

国や市町村が税金をかけたくても、所有者、管理者とも不明

という土地が、日本の全面積の1/5程度は占めているのではないでしょうか。

亡くなる人より、これを引き継ぐ世代のほうが少ないのですから、

土地の「登記法」や相続に関する法律のシンプルかつ大規模な改正を急がないと、

日本中「死に地」だらけになりかねません。



◎憲法改正問題

法律改正といえば、もっとも重要なのが、この「憲法改正」問題でしょう。

そもそも現憲法が制定された際、

誰が、どのような意図を持って作ったのかご存知でしょうか。

さらには現憲法が、国会の承認を受けたものなのか、あるいは国民投票がされたのか。

もし、そういう手順を経ずに制定されたのであれば、

時の政府の都合で作られた「仮の憲法」であるといわざるを得ません。

現憲法制定当時、日本は敗戦国として連合国の支配下にあり、

主権国家ではありませんでした。

主権国家として、世界に復帰したのは1952年のことです。

つまり現憲法は、敗戦国として他国に支配されていた時代に、

その管理下の元、戦勝国の立場から作られたものです。

よって、主権国家日本としてもう一度全文を作り直し

国民投票し直すのが、本来ではないかと思うのです。



◎皇室の意味の再確認

来年4月を持って平成の元号も終わります。

今上天皇は素晴らしい方です。

ずっと慰霊と世界平和のために生涯を捧げてこられたような印象があります。

なにか申し訳ない気分にさえなります。

天皇というものは、政治の奥にあって、もっと優雅にゆったりと暮らしていてもよいのではないかと思うのですが。。

天皇家として、そこに連綿と存在していることが重要で、

それだけで日本国にとって十分に価値がある、と。

それにしても元号が変わるということは、なんだかとても重々しい気分になりますね。

「時代」が変わるというか、そんな感じです。

「昭和も遠くなりにけり」なんていう言葉がありましたが、これに「平成」も入ってくるのね。。しんみり。



◎メディアの崩壊?再生?

この20年ほど、マスコミの変更報道がどんどんひどくなり、

これに愛想を付かした国民の間についに新聞離れ、テレビ離れが起き始めています。

その危機感が徐々にマスコミの間で広がりつつあるように思います。

これまでは、「世論はマスコミによって作られる」との傲慢さが抜けなかったわけですが、

ネット社会の充実(口コミや情報の拡散力)とネットメディアの増大により、

マスコミによる国民世論のコントロールを不可能にしました。

ある新聞社などは、

「平和とか人権とか書くだけで、胡散臭い目で見られる」

とぼやく始末。

自業自得というやつです。

複数の政治家が朝日新聞や東京新聞を名指しで批判することもできるようにもなりました。

こんなことは過去には考えられないことでした。

マスコミを批判すれば、「ペンのリンチ」を免れない、という恐怖があったからです。

新聞、テレビといった大手マスコミは、ジャーナリストの原点に戻り、

「売れるんなら何だってする。

火の無いところに煙だって立てるし、そのためにはフェイクニュースだって平気だ。

自分たちの主義を通すためなら、

マスコミの持つ権力のすべてを利用させてもらいます。

国家、国民の意見など聞く必要はない。

自分たちこそが正義なのだから。」

といった「下品さ」をいち早く脱却しなきゃ、

今年あたり廃刊、ないし、電波停止なんてことも現実化してくると思います。



◎大地震

最近の地震発生箇所を眺めていて、ちょっと気になっています。

大地震は必ず来ます。こりゃどうしようもない。

地球は活動をやめることはありません。

場所によっては100年、あるいは200年単位で必ずおきるし、そのたびに津波の被害も受けます。

東北のように4,50年単位という頻度のエリアもあります。

南海トラフ、相模トラフ、あるいは沖縄周辺で起きる巨大地震は100%起きるのです。

ためしにみなさんもご自分が住んでいる地区の「歴史」を、江戸時代までさかのぼって確認してみてください。

あるいは、お住まいの地区の「地名」を確認してみてください。

津波や大地震に関連した歴史や名称が大変多いことに気づくでしょう。

昭和以降、「開発」と「合理性」「便利性」を追求するあまり、

日本人は、自らの足元に残る過去を「伝承」することがなくなりました。

本来、住んではいけない場所に駅ができ、

その周辺に住宅街が広がる、

なんてことは日本中ざらです。

本来浜辺は危険な場所ですし、風光明媚な場所はなおさら危険です。

断層が走っているのに、その上に何も知らずに住んでいる方も数多くおられます。

震災グッズを用意するのも大事ですが、

そもそもご自分の住んでいる地区の歴史と地名くらいは、必ず確認しておきましょうね。



◎AIの加速

人工知能の開発がとまりません。

シンギュラリティなんて言葉が現実味を増してきています。

現時点では、人工知能(自学自習能力)にも弱点があるようですが、

そんなことに安心してちゃあ、いけません。

何が問題なのか、それがわかったときにすでに解決しているような世界です。

人間が人工知能と共存していく時代が、すぐそこに迫っています。

一人ひとりが、この急速に変わっていく人工知能の動向に敏感に反応していくことが、

AIやロボットの行き過ぎにブレーキをかけたり、コントロールする世論となるのですから、

大いにこの分野に対し、神経を尖らす必要があります。

科学者たちに暴走を止める力はありません。

彼らは、加速する進化についていくのが精一杯となるはずですから。



◎人は人とかかわることで自分を自覚できる。他人がいるから自己顕示欲も生まれる。一人で何も生まれることはない。

こりゃなんじゃ?

全然予測と関係ないじゃん。

と思ったでしょ?

IT革命が今後急加速しますが、そのとき必要なもの。

それが「人間って何?」、「僕って何」、

「人間は何のために生きるの」、「人間はどこから生まれて、どこへ行くの」、

「コンピュータと人間って何が違うの」

まあ、哲学っていうか、宗教的悟りというか、宇宙そのものについてというか、なんかそういったこと。

「人間のアイデンティティ」を求めていく作業を、

各々が自分で考えてやってく必要があると私は感じています。

そこをはっきりさせないと、人間の社会的役割がナンなのかわからなくなって

自暴自棄になった人々が多く現れて、社会の仕組み自体が壊れかねない嫌な予感がするのですよ。



以上、「今年話題になりそうなこと」でした。


いかんいかん、思った以上に時間を食ってしまった。はよ寝よ。明日は仕事始めじゃ。

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