NHK大河ドラマ「韋駄天」は、自由奔放、大胆な作風で非常に面白い。
長年、以前の大河の焼き廻で金太郎飴みたいな大河には飽き飽きしていたが、
これはいい。
新鮮で、
過去の作風にとらわれない、伸び伸びとした作品作りには、
こちらまでワクワクしてきて、明るい気分になれる。
ああ、これでいいんだ。
面白い、と思ったことをやればいいんだ。
視聴者がニコニコして、元気になれて、一緒に泣いたり笑ったりしてる姿を想像しながら、
そのためならと、常識にとらわれることなく、スタッフが思いっきり、やりたいことをやっている。
そんな感じが伝わってくる。
ともすれば閉塞感に満ちた現代日本において、
「韋駄天」の存在は貴重だ。
もっとおおらかに、もっと自由に、思いっきりやりたいことをやって
挑戦して、みんなが励ましあう姿を描くことで、
そこにこそ、本当に望ましい日本の姿があることを教えてくれる。
私も、いつでもこのようにありたい、と思う。
イジイジ小さな事に目くじらを立て、
人の行動に文句を言い、
自分の考え(拘り)を、絶対に正しいこととして他人に強制する、
最近の内向き日本人。
同じことを他人からされたら、許せないでしょうに。
十人十色。
人にはそれぞれの考え方がある。
決まり決まったこともない。
まして、絶対のものなどありはしない。
どう行動するか、
は、それぞれが決める。
強制されたことなど、一つも楽しめない。
強制して、他人を動かして、自分を偉いと思っているアホチンがいる。
自分の出世しか考えない。
本物の阿呆であるが、肝心の本人だけはそれがわからない。
「面従腹背」してるのに
それでもよいらしい。
しかし、周囲にとって迷惑な事ではある。
なにせ周囲は「我慢」しなければならないからね。
周りが大人だからできる我が儘。
やれやれである。
他人に強制して、無理に従わせていないか、を自省して
少なくとも、私だけでも気を付けることとしよう。
どのみち
「馬を水辺に連れて行けても水を飲ませることはできない」
のです。
「やりたい」、あるいは「そうしよう」と思ってもらえること。
そして
「水を飲む」、「飲まない」を
「決めているのは、常に自分である」
これまでもそうであったように、そしてこれからも。
そのことを気づいてもらえたら十分です。
特に若い人には、主体的に生きることを心がけて欲しいと思います。
私にできることは、
仕事にしても、私事にしても
「それは、誰のためにやっているの?」
「それイイね。」
「がんばったね。」
なんて声をかけるくらい。
前を向いて進んでいることがわかれば、それでいい。
一番いけないのは、
防御的で、義務的で、自分のために仕事をする人。
さてさて、
何でそもそも「韋駄天」か、というと
今日も出てたけど、主人公金栗君の友人に身体の大きい柔道家が出てきます。
なかなかいい味出してます。
これが我が徳之島が誇る
「徳三宝(とくさんぽう)」先生
です。
明治19年生まれ。お父さんは鉱山師で、徳之島で下久志鉱山、松原鉱山という銅山を発見しました。
三宝は、中学の時には、剣道で九州に敵なしとなり、
その後柔道を始め、東京高師(現筑波大学)に入り、
後に「講道館の四天王」と呼ばれました。
対戦相手が、徳の膝を着かせることすらできなかったことから、
そのあまりの強さに
「膝着き一本」(徳の膝を着かせることが出来たら一本とみなす)
という言葉が生まれたほどでした。
下の動画は講道館の3年先輩、三船久三十段の70歳くらいのときの映像ですが、
今とは違う、本物の「柔よく剛を制す」世界です。
https://www.youtube.com/watch?v=8aFmbixw4tw
こういう人たちの中で、徳の強さが光ったというのだから、
どれほどの強さだったかわかります。
ついでながら、徳三宝と亀津小学校の同級で、同じく東京高師に通った
「盛島角房」
という偉人もいます。
民間人でありながら、内蒙古の独立運動を「徳王」の片腕として、ともに戦った人物です。
昭和2年には、貴族院で「外蒙を中心としたる日露支の關係に就て」の講演を行い、
その10年後には、徳王を伴って日本に凱旋しています。
できたら、「韋駄天」にこの盛島角房氏も出てきたら、もっと楽しいんだけどなあ。
ご参考までに「徳之島先駆者の記録」を見てみてね。
徳之島からどんな人たちが生まれたかがわかります。
まあユニークな人材の島だと思いますよ。
ま、そんなことで
「韋駄天」で大笑いしたり、ほろっと涙ぐんだりしながら
徳之島の人も出てくるので、親しみも加わって
次回を楽しみにしているところでありますよ。
皆さんもぜひ「韋駄天」を見てくださいね。