インドラネット

パソコンが壊れる度に全てが消えるデジタルデータ。このブログをクラウド代わりに活用させてもらいます。

周りの人が幸せなら

2018-10-31 23:17:27 | 日記

周りの人が幸せならそれでいいかな。

そんな気がします。

 

周りの人たちの幸せそうな顔

うれしそうな顔

楽しそうな顔

そんな顔を見ているだけで

私も幸せな気持ちになれます。

 

そのために、

私から

気持ちの良い風を

私の周りにいる人たちに

送れるようになりたいな。

人間だから、時々感情に振り回されることもあるけど

そんなときは、

口を閉じ、

いったん思考を止めて、

頭の中を空白にして、

乱れた波動を調えよう。

 

人生は、私のものであって

私だけのものではない。

私から送る波動に乱れがあっては

周りの人たちの波動まで狂わせてしまう。

こんなことをしてしまっては、

みんなを不幸にするだけだ。

 

仕事をするときも

それによって喜ぶ人の顔を想像して

頑張ろう。

その気持ちでやった仕事に

間違いなんかあろうはずが無い。

 

いつもいつも自分をコントロールできるわけではないけれど

「自我」に束縛されることが無いように

常に心がけ、

生涯にわたって、本当の「私」を解放し続けたいものだ。

その結果、何が待っているか。

「神のみぞ知る」

ことだが、

歳をとるのが楽しくなってくるから不思議だ。

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米中間選挙まであと1週間

2018-10-30 22:23:56 | 日記
どのメディアも
 
中間選挙では、民主党有利との事前の評価だが、
 
ここ最近の
 
「露骨な爆弾テロの自作」
 
「株価暴落演出」
 
「メキシコ国境への難民大移動」
 
といった大掛かりな事件は
 
いずれもトランプ嫌いで、
 
陰謀好きなヒラリー(バックに中国共産党がいる)と
 
ジョージ・ソロス(政治に介入する投資家)が
 
またぞろ手を組んで動いているようだ。
 
 
 
私は、この強引で醜い演出は、
 
ヒラリー一派による嫌がらせに間違いないと見ているが、
 
今回の中間選挙という機会を利用して、
 
トランプの政治生命をよほど終わらせたいようだ。
 
なんだか、相当焦りがあるようにも感じられる。
 
さすがにあまりにも露骨で、汚いやり口なので、
 
米国民もいささかあきれ気味で、
 
特に爆弾事件については、冷ややかに見ている印象だ。
 
 
 
ヒラリー一派が、こんな粗雑な陰謀的策略ばかり続けると
 
存外、民主党有利という事前評価とは
 
逆の結果が出る可能性があるのではないだろうか。
 
通常、中間選挙は、大統領の所属する党が負けるものらしいが、
 
今回は常識が通用しないかもしれない。
 
 
 
トランプ大統領が大敗して、大喜びする国や人物は誰だ?
 
トランプが大統領になって、腹が煮えくり返るような思いをしている人や国。
 
それが今回の騒動を起こしている犯人ってこと。
 
11月6日(火)まで、まだ暫く時間があるから
 
まだ、次の騒動があるかもしれない。
 
それにしても、この連中、資金が豊富だねえ。
 
 
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魅力的な「雑談スペース」

2018-10-29 22:32:42 | 日記

「国際インテリジェンス機密ファイル」というメルマガに

『◆ジリアン・テット『サイロ・エフェクト:高度専門化社会の罠』を読み解く』

という本が紹介されていましたので、一部転載します。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

※要旨


・ ただ視点を変えるために、
  必ずしもドラマチックな転職をする必要はない。
  接する情報やニュースを変えてみたり、
  知らない場所に行ってみたり、
  普段接する機会の少ない人たちと会って、
  彼らの視点から世界を見直してみたりすることで、
  一時的に違う世界に身を置くことができる。

(中略)

・ 何より重要なのは、
  自分の属するサイロの外側にいる人や
  アイデアとの出会いに対してオープンな姿勢を保つことだ。

・ サイロシンドロームの弊害を緩和するための
  アイデアはいろいろある。
  フェイスブックがしたように、
  大規模な組織においては部門の境界を
  柔軟で流動的にしておくのが好ましい。
  ハッカソンやオフサイトミーティングのような
  異なる部門の社員が出会い、
  絆を深められるような場所や制度を設けておくのも良い。


・ 社員を同じスペースに誘導し、
  常に意外な出会いがあるように
  建物の物理的デザインを工夫するのも有効だ。

(中略)

・ ブルームバーグNY市長の特命事項。
  ブロンクスで、違法建築のビルに住んでいた家族が焼死した。
  なぜ、ニューヨーク市庁の検査官は、
  こうした違法建築を見つけることができないのか。
  答えは、300もの細かな専門に分かれた部署、
  つながっていないデータベース、つまり「サイロ」にあった。


・ 一見関係ない4つのデータベースを重ねてみる。


・ CIAをはじめとするアメリカの情報機関が
  なぜ2001年にアルカイダがもたらした脅威を
  予見できなかったかを調べた捜査官は、
  個別の組織がデータを抱え込み、
  他者と共有しないというパターンがあることに気づいた。


・ ジョブスはアップルを部門に分けなかった。


・ ジョブスの後継者となったティム・クックは
  こう書いている。
 「アップルには独自の損益責任を持つ『事業部』は存在しない。
  会社全体で一つの損益があるだけだ」


・ このためアップルの技術陣がデジタル音楽の未来を
  検討した際には、製品カテゴリーの垣根を越えて
  さまざまなアイデアがブレーンストーミングされた。
  社内で垣根を越えてアイデアを交換したことは、
  有意義な成果をもたらした。


・ フェイスブックのザッカーバーグは、
  創業当初から、マイクロソフト化や
  ソニー化しないためにはどうすればよいかを
  考えていた。


・ フェイスブックのシュレップは、こう説明する。
 「社員が活発に移動し出会いが増えるほど、
  相互作用が増えることを示す研究結果は山ほどある」
  建物の間のスペースは魅力的な「雑談スペース」に仕立て、
  さわやかなカリフォルニアの気候の下で
  社員が交流できるようにした。


・ オハイオ州の病院、クリーブランドクリニックの場合。
  建築部門は空中通路を明るく開放的なデザインに変え、
  壁には魅力的な芸術作品やスローガンを掲げるなど、
  通る人が足を止めて会話したくなるような雰囲気にした。
  フェイスブックと同じように物理的な空間配置によって
  サイロ破壊を促そうとしたのだ。


・ 通路は正式な全職員集会より交流を
  促す効果が高かった。
 「用事があるから通路に行くのだが、
  結局それとは無関係の人と出会って話すことになる。
  目的地にたどり着くまでの所要時間は長くなるが、
  新しいニュースを仕入れることができるので、
  時間の無駄ではない」
  とモディックは語る。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「交流を促す」

これ、とても大事なことです。

これこそが元気な組織を作る秘訣です。

垣根、縄張り、情報の独占、保身、

そういったものが組織を無機質な冷めたものにしてしまいます。

一つの組織は、そこに所属するみんなのものです。

情報を交換し、共有し、相談し、助け合うことで

元気で、健全で、明るく楽しい職場になります。

特に「明るい職場」であることは大事です。

そこからは「良い発想」と「積極的な行動」が生まれます。

逆に

「上司」とか「部下」とか、「うちの部署」とか「他の部署」なんて感覚は

組織全体の力を奪います。

 

みんなで協力し合うんです。

仕事も1人で抱え込めば苦しいが、

お互いに得意な分野で支えあえば、

逆に楽しいものになります。

しかも、一人のときよりずっと良い仕事ができます。

 

上のメルマガの記事にもありましたが、

成長する会社は、社員同士のコミュニケーションがよく取れている

と思います。

あちらこちらで立ち話をしていたり、

人がよく動いています。

縄張り意識も無いから、人の輪も広がります。

組織全体の動きも一人ひとりがよく理解できるようになります。

自然と一人ひとりの仕事への取り組み姿勢も積極的になっていきます。

力を合わせて仕事をするのは、楽しいですから、当然のことです。

 

もし、「保身」のために情報を自分のものだけにしている人

自分が所属する部署を第一に考えている人

「敵」と「味方」、「上司」と「部下」、「自分」と「他人」、「私の仕事」と「他人の仕事」

というような二元的なものの見方をしている人は

早くその呪縛から逃れましょう。

貴方を苦しめている「苛立ち」や「怒り」、「嫉妬」や「蔑み」

あるいは、人を嫌ったり、嫌われたり

こういったことが起きる原因は、この二元的なものの見方から来るものです。

全部、

「貴方」を中心にものを考えるから起きるのです。

 

貴方がもし

「みんなが喜ぶ顔を見ることが私の喜び」

「私は、そのために全力を尽くす」

という感覚になれたとき、

その感覚は、周囲に広がっていき

所属する組織だけではなく、

貴方が触れ合う人たちみんなを元気にし、

鏡のようにそのまま貴方に反射して、

貴方も元気になれる、と思います。

 

 

と、

ついカッコいいことを言う私ですが、

ついでながら、ちょっと訴えたいことがあります。

 

エーッとですね。

 

最近、みなさんタバコ吸う人に厳しいでしょ。

あれ、ぜひやめてほしいんです。

せめて職場内に喫煙所くらいは残しておいてください。

実はあれ、

たいへんなコミュニケーションの場なのです。

いろいろな部署を超えて、数多くの情報が飛び交う場なのです。

 

普段から様々な人たち(課長から新人まで異年齢、かつ部署もばらばら)が

仕事の話、趣味の話等々をするうちに顔つなぎができて、

いざ、何かプロジェクトを動かそうとするときに、

物凄く役に立つんです。

 

ぜひとも、フェイスブックの「魅力的な『雑談スペース』」

と同じ空間を

「喫煙室」が演出しているのだと思って、

「キィー!また仕事をサボってる!」

みたいに思わないで、

「わざわざ喫煙室まで歩いていかなきゃならないなんて、大変ね。」

くらいに考えて、

これからは大目に見てやってくださいね。

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共に是れ凡夫のみ

2018-10-23 20:50:43 | 日記

「我れ必ずしも聖にあらず。

   彼れ必ずしも愚にあらず。

   共に是れ凡夫のみ。

   是非の理、たれか能く定むべき。

   相共に賢愚なること、

   鐶(みみがね)の端無きがごとし。」

 

上は、聖徳太子の17条憲法第10条のことばです。

あの聖徳太子ですら

「共に是れ凡夫のみ」 (自分と同じように、みんな凡人だ。)

と言っています。

 

聖徳太子ですら凡人を自認しているのに、

「自分は賢い」

などと勘違いしてしまっている人いませんか。

物知り顔に、他人を見下している人いませんか。

エリート気取りで偉そうにしている人いませんか。

 

私、たまーにではありますが、そんな様子の方を見受けることがあります。

よくもまあ、人前でそんな態度が取れるものだなあ、と呆れてしまいます。

そして少しだけ心配にもなります。

 

「とてもかっこ悪いし、恥ずかしいことですから、すぐにやめましょう。」

・・と言っても無理か。

必死になって見え張ってるんだものね。

 

 

2500年も前、哲人ソクラテスが

「無知の知」

と言ったように、

何もかも分かる人などこの世に存在しないのに、

知ったような顔をして、生活している人がいるから不思議です。

どこからその根拠の無い自信はやってくるのでしょう。

実際には、何か分かっていることなどこの世の中にはほとんど存在しない、

というのが真実でしょう。

 

 

残念ながら、凡夫ばかりの人間社会ではありますが、

 

尊敬に値する立派な方々がいらっしゃるのも事実です。

立派な業績や社会的地位、研究結果を残されているのに

そういう人は、少しも偉そうには見えません。

 

自分より優れた人はこの世の中にたくさんいて、

私は何もわかっていない、

ということを充分に自覚されている方ばかりのようです。

だから、

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

という表現があるんでしょうね。

 

また、よく超一流の研究者たちのインタビューなどを聞くと

とことん勉強して、研究して、修行して、

高い目標を目指して努力された人たちは

最後に、

自分たち人間には、

決して知りえない、わからない世界が存在する、

というようなことを言うようです。

 

研究を続ける中で、人間としての限界を感じるときがあるのかもしれません。

数学だったり、物理だったり、哲学だったり

医学だったりとそれぞれの分野からその究極にアプローチして

「神の領域」というか「絶対の世界」というか

「色即是空、空即是色」的世界というか、

何が真実で、何が偽物かもあやふやな世界、

そのようなものに、

最後に行き着いて、

呆然とするのです。

 

 

我々、凡夫中の凡夫と言える模範的凡人は、

学問を究めた人たちが、行き着く先には「混沌」があるのだ、

と言っていることだけ知っておいて

生きとし生けるもの、空気、水、地球、宇宙、この世界そのもの

すべてについて、

何一つ人類は分かっていないのだ、

ということを意識するよう心掛け、

決して自分を過大評価することなく、

生きて行きたいものです。

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昔の人は賢く、偉かった(その4)

2018-10-22 21:58:19 | 日記

今日は、龍野先生のお母様の教えです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

五、母の教訓

   父の教えとともに私の生活信念を育て上げたものは、子供のときの母の教訓であります。

   私が中学校に進学することが決まったとき、母は私を膝下に招いて、将来の希望目的などを尋ねたので、「私は学者か教育者などになるだろう」と答えたところ、母は襟を正して次のお話をなさいました。

「世の中の人はよく『稼ぐに追いつく貧乏なし』とか『花より団子』などと申すが、それは稼ぎ人という農工商の人たちの心掛けである。農工商の人たちは、朝早くから夜遅くまで働けば働くほど多くの収益が得られて豊かになり、貧乏することはないのである。しかし、学者や役人など棒給以外に収入があるべきものではない。もし、お金や物質などの豊かな生活がしたければ、学者や役人などになるものではない。学者や役人にはお金よりも別に貴いものがある。それで農工商の人たちは、一時間も油断せず働いてお金を稼ぎ蓄えることに努めることが大切だが、学者や役人などは昔から『食い出しはあるが稼ぎ出しはない』、『得を取るより名を取れ』と教えられ、質素倹約を重んじて、日常の生活をつつましくし、決して稼ぎ根性を出さず、一時間でも学問修行に志して、読書研究に努め、優れた学者になり役人になって、世のため人のために役立つように働くことを心掛け、努力精進しなければならない。だから将来立派な学者になり、役人などになりたいならば、今から充分注意して、あまり贅沢を慎しみ、倹約に努め、質素な生活に慣れて、人のために働くことを楽しむように心掛けて、勉強に励まなければなりません。」

と、事例を挙げてねんごろに教え諭されたことが、深く私の胸にしみて、八十歳の今日まで私の生活を作り上げるもとになったと考えています。

   母は、安田佐和応の長女として子年に生まれ、明治十年丑の年に父佐和応に伴われて鹿児島に旅行し、西南戦争のために難儀したが、帰ってくると龍野の家の嫁として迎えられました。年十四歳、しかも夫である私の父前定はこのとき、川上親晴などに誘われて沖縄に行って勤めており、この夫のいない若妻は、十七年に父が帰宅するまで、七、八年間一方ならぬ苦労をしたのであります。それで十六歳のときには、

「われ親なし児、人間ならじおくめ、二月桜花咲かじおくめ、われ親なし児、こなすほどこなせ、こなす田の稲やあぶし枕。」

と歌って独り慰め、独りで励まして働いたと申し、年老いても時折り歌って私たちまで励ましてくださいました。十六歳の少女が

「二月桜花の咲かずにはおかないように、時が来れば人間にならないではおかない」

とひそかに自ら誓って希望に燃えた心持ち、そして

「こなすほどこなせ。田圃でもこなした田の稲こそは、やがて秋になると畦を枕にして実るように、自分も成人すると必ず立派にみのり人間になる。」

と励んだ決意を思うと、私たちもまた「憂きことのなおこの上に積もれかし」とさえ考えて、どんな困難にも耐え、将来の希望に燃え立ったのであります。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

どうでしょう。

このようなことを子供に指導できる親って、

今どれほどいるのでしょうか。

私も残念ながらできませんでした。

龍野先生のご両親は、

江戸末期の生まれ。

文部省も無かった時代です。

幼少期より、それぞれのご両親や寺子屋で

たいへんすばらしい教育を受けていたことが伺われます。

 

私は、文部省不要論者です。

地域の教育は、地域の主体性に任せるべき、と考えています。

もちろん公費で学校は運営しますが、

そこに文部省をはじめとする教育委員会が口を挟むのは

よくないように思うのです。

教育者の主体性を失わせてしまいます。

貴方だって、自分の仕事に

ああしろ、こうしろ、それは規則から外れている、

上の言うとおりにやれ、そんなやり方はおかしい、、、、

などと、一々言われたら、どうします?

仕事にやる気がおきますか?

「君に任せる。なに問題が起きたら、私も一緒に対応するから安心しなさい。」

と言ってくれたら、どれほど意欲が湧くか。

 

国がどこかの機関で、全国共通の「基本教科書」だけ作ってくれればそれでよいのです。

それ以外にどうしろ、こうしろと言う必要はない、

と思います。

教師も教員免許さえ持っていれば、

各自治体の裁量で、職員採用試験を行うように採用すればよいと思います。

もし、学校の指導方針や教師の資質に問題があると感じた場合は、

親が学校を選べるようにすればよいのです。

 

昔、寺子屋などでよく行われていた学習風景に

生徒に生徒の勉強を見させるやり方がありました。

授業も生徒にさせてみたらどうでしょう?

教える側も教わる側もよく伸びると思います。

そもそも学校は、学生のためにあるのですから

教師は、なんでも教えるのではなく、

生徒に学校のルール決めさせ、生徒会運営、運動会の開催などをやらせてみて、

教師は、その相談にのったり、

正しい方向に導いてあげるのがその本来の仕事ではないでしょうか。

 

人は、「成長しようとする本能」を持っています。

そして人が成長するのは、

自分から「よし、やろう」と、主体性を持って動いたときです。

今は、逆にその主体性を「命令」することで潰してやしないでしょうか。

「成長しようとする本能」を潰している犯人が

親であり、教師になっていやしないでしょうか。

もちろん、生徒の自主性を伸ばすことに力点を置いて

生徒をどんどん成長させることに成功されている先生方もいます。

そういった先生方は、よく今のこの教育環境の中で、

自分の主体性を失うことなく、子供たちの教育に当たれているなあ、と頭が下がります。

もっとそのような先生方の自由に教育現場をゆだねる事ができたら

物凄い先生方がどんどん出てくるかもしれない。

でも上意下達的縦社会の教育界である限り、

それも難しい。

 

どうやったら、主体性にあふれる子供たちを育むことができるんでしょうか。

ただお勉強ができるだけの子供を育てていたのでは

大学に入るなり、やる気を失うでしょう。

そうではなくて、生涯にわたって

自主的、主体的に学び続ける力を身につけさせることができるか、

ここが親の教育、学校の教育の真髄なのではないでしょうか。

 

その答えが、実は、江戸期の教育の中にあるような気がします。

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昔の人は賢く、偉かった(その3)

2018-10-21 22:31:29 | 日記

本日も

龍野 定一先生のお父様の教えが続きます。

その前に補足です。

昨日、「(3)捨て石、無用の要」の中で

お父様らと対局を楽しんだ「山 徳峯」という方がいます。

この人自身もたいへん囲碁が強かったようですが、

息子の山 平寿(ヤマ ヘイジュ)という方はプロ棋士になり、

新聞の囲碁解説などもされた方でした。

龍野先生のお父様の

「捨て石の打ち方で、その男の器がわかる」

の発言を見ると、

お父様も相当の打ち手であったと想像できます。

それでは昨日の続きです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(4) 短所欠点を長所に

   人間井は誰にも短所欠点があるものであるが、各自の知恵を自由に働かして研究工夫すると、その短所欠点があるがゆえに長所ができることもあるものである。短所欠点を嘆くことなどは、人の工夫が足らない証拠で、これこそは人としての恥である。

   徳之島では、いつも一番になる優等生も角力(スモウ・当時の相撲はモンゴル相撲に近い組相撲だった)や競争に最も優れた者でも、

「あれは大富里のツノキリだ」

といい、闘鶏でも牛や馬でも、常に勝つような強いものを、他国ならば「常勝将軍」ということを「ツノキリ」と言う。その「角切り」というのは、大富里の斗牛であるが体格は小さく、一方の角は折れており、普通の牛ならば斗牛などできる牛ではないのである。ところがこの「角切り」は、まことに利口で勇気があり、どんな大きな牛と戦わしても決して恐れず、その一本の角ですぐに敵の頭の中心のマキ(※眉間のこと)を突くのである。マキを突かれるとどんな牛でもすぐ敗走するので常勝となり、「角切り」と言う名が「常勝将軍」という意味に用いられるようにまでなったのである。

   牛でさえも短所を気にせず、それゆえに一本の角だけで戦う「マキ突き」の戦法に出ると常勝の名牛となるのである。人間は自分の短所欠点など嘆かず、貧乏など気にしないで、これを活用することの工夫が肝要である。

 

(5) 新道ができても旧道を忘れるな

  「亀の甲より年の功」というように、年取った人の経験というものはまことに貴いものである。新しい学問の研究も大切だが、昔から多くの人間が経験したことなどを教えた諺などには、今日の生活にも極めて大切なものがある。「唾は飲め」、「痰は吐け」というが、人間の唾液は大切なもので、これは全て飲むがよく、痰は悪いもので、必ず吐き出すのが健康のためによいのである。「馬は引く」、「牛は追う」というのも、「木もと竹うら」というのもまことに大切な経験から出た教訓である。「木もと」というのは、木を割るときは木の根のほうから割るとたやすく割れるが、末のほうから割ると割れないものである。竹を割るときは、反対に竹の末のほうから割るとすぐ割れるもので、「新しい道ができても旧道を忘れるな」ということもある。すべて経験者の経験は大切にすべきものである。

 

(6) 真の孝行

  「家貧しくして孝子あらわる」というが、孝行というものは親に仕えることだけではない。「いつまでもあると思うな親と金」というように、どんなに元気な親でも何時亡くなるかわかるものではない。どんな財産でも何時どんなことでなくなるかわからないことは、大富里の財産がなくなったときのことを思えばわかるだろう。

   そこで、真の孝行というものとは、として

「お前の親がお前を愛して育てているように、お前自身でもお前自身を愛して育てることに努めるのが親孝行である。お前の親がお前の弟を愛して育てているように、お前もお前の弟を愛して教え育てることに努めるのも親孝行である。そして、お前たちの親がお前たちを愛して、できるだけの教育をしたように、お前たちもまたお前たちの子供を愛して、できるだけ立派に子供を教育することに努力するのが、親に対する孝行というものである。こうすると親勝りの子供が育ち、子供勝りの孫が育って、一家は末広がりに栄えて広がり、国家社会もますます栄えることになる。これが真の孝行というものである。」

と言われた。

   私と弟隆直(後に裁判官、弁護士)が仲良く助け合い、弟が私に従順であり、自分が高師(広島高等師範)に入学して、弟を大学(東京大学法科)に進ませたのも父の教えを守るためであり(※)、また、すべての生徒を愛して育てたのも、父のこの教えを思うて、恩師坂牧校長 や津隈秋江先生、関恰先生が私を愛し育てたように、私も生徒を愛し育てたいと考えて努めたのであります。

※ 龍野先生は、全科目平均99点という県下随一の秀才でした。なお、2位は92点だったそうです。勉強だけではなく、中学校(鹿児島ニ中)の図書室の本は読み尽くし、県立図書館の本もむさぼり読んだといいますから、頭が下がります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は、ここまでです。

明日は、「母の教訓」です。

これもすごいです。

 

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昔の人は賢く、偉かった(その2)

2018-10-20 21:09:04 | 日記

本日も

徳之島が生んだ偉大な教育家

龍野 定一先生のお父様の言葉

「その2」です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2)自分のことは忘れて友の為に

  「昔々、この世ができたとき一番偉い神様がすべての神様を集めて領地領分をお決めになりました。お前は山の神になれ。お前は川の神だ。木の神、水の神、海の神、井の神、かまどの神と次々に決められたので、すべての神様方が喜んでその持ち前のところに行かれるのをご覧になって、一番偉い神様も大いに喜ばれ、御自分も行ってなされると、御自分の行くところは決められなかったので、どこに行ったらよいかわからず、いろいろと探しても行くところがありませんでした。

   そこで一番偉い神様も大変おこまりになり、他の神様方とも相談して居所を探したところ、一番偉い神様が部下の神様方にはお気の毒と考えて、割り当てられなかった便所だけが、ただ一つ残っておりました。一番偉い神様はそれを知って、『よしよし、おれが便所の神になる』と言われました。それから、便所はどこの家でも外に建って入り口を低くし、便所に入る者はすべて頭を下げてはいるようになりました。」

という話を子供のとき幾度か父から聞かされました。これで私たちは、便所には一番偉い神様がおられるのであるから、汚さずきれいにしなければならないと思い、また、一番偉い優れた者は、自分のことなどは忘れて考えず、すべての者のことを考えていつでも成すべきものだと言う気持ちがわかり、友達の世話などをする気持ちが分かったような気がします。

   それに私たちが少し大きくなったとき、母がまた

「人間は上役に仕えるということよりも、多くの人を使うことが難しいものである。十人を使う者はよく十人の心を知らねばならない。二十人を使う者は二十人の心持ちを察してやらねばならない。百人の長となるには百人のお世話ができ、千人の長となるには千人の心をよく知ってそのお世話ができなければならないものである。これは、佐和応祖父さまの教えられたことである。」

と繰り返し、幾度か話して聞かされたので、私が教師となり、学校長となって多くの生徒を教え育てるにも、また社会教育者(※全国公民館連絡協議会の会長も務めた)として世間多くの人のお世話をするにも大変私の戒めとなり、力となりました。

 

(3)捨て石、無用の要

大富里の本宅があったころは、何かの祝いとか祭りのときはもちろん、休みの日には禎用喜(テイヨキ)、禎賢(テイケン)以下の兄弟や親戚が集まり、平生は山 徳峯(ヤマ トクホウ:徳之島に初めて学校を作った人で当時一番の学者)、亀藤盛(※戸長などを務めた)など有志の方々がお出でになって、よく碁を打って楽しんでおられました。そのときのお茶くみの役だけは女の子ではなく、私たち男の子に命ぜられましたので、何となく碁の気分というものがわかったようであります。

あるとき父の話に

「碁というものは面白いものである。捨て石が打てるか、打てないかで男の器量が分かり、その捨て石の打ち方で賢さとおろかさが分かるものである。捨て石も打てないような男はだめである。人間の生活にも世間の交際などまったく無駄と思い、無要と思われることでも、案外に役立つ大切なことあるものである。」

と言われ、

「蛤の吸い物も貝の身しか食べないから貝殻は無要のようであるが、吸い物椀に貝殻も入れておかなければ御地走にはならないだろう。大きなイセエビの料理もえびの肉だけさらに入れたのと、赤くきれいな殻もきれいに大皿に盛ってあるのとは違うだろう。」

などと話されたことがあります。この話もまた、私の今日の生活にいろいろ考えさせられる教えとなっております。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

また、明日に続きます。

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昔の人は賢く、偉かった

2018-10-19 22:39:39 | 日記

今日読んだ資料に

「郷土の先輩」(S54)というのがあって

この中に徳之島が生んだ偉大な教育家

龍野 定一先生の生い立ちを

ご自分で書かれたものがありました。

途中、龍野先生を育てた両親の言葉に感動を覚えましたので、

このブログに転載させていただきたいと思います。

 

その前に、ちょっとだけ先生を紹介しておきます。

龍野先生は、

明治22年生まれ。

「厳訓無処罰」といって

難しいが、シンプルな教育方針で

次々と、日本の各地で崩壊しかけていた学校を建て直していった方です。

学生(旧制中学)たちが

「放火事件」、「傷害事件」、その他いろいろな事件を起こしても

決して退学や犯罪扱いといった処分はしませんでした。

教師とは、

「生徒が間違ったことをしたとき、正しい道に導くことこそがその使命である」

といって、

問題を起こした生徒を校長自ら(龍野先生は30過ぎから既に校長を任されていた)

直接、指導にあたりました。

 

あるときは、問題を起こした生徒を何ヶ月も校長室に預かり、

勉強を見、物事の善し悪しについて教えました。

また、あるときは喧嘩をして

ナイフによる傷害事件を起こした生徒に

被害者、加害者両方の親を説得して、

怪我を負って入院した子の面倒を見させます。

病院に寝泊りさせて、苦しむ被害者の世話をさせるのです。

もちろん龍野先生も一緒に病院に泊まります。

その中で、自分が犯した罪がどんなものかを自覚させ、

深い反省を促すのです。

この二人の場合、その後、無二の親友になり、

また、険悪だった両家は、大変親密な間柄になって、その付き合いは長く続いたといいます。

このようにして、1件1件の問題をつぶしていくのです。

一方で、学校の中に生徒会組織を立ち上げさせて、

学校の運営を生徒に任せます。

「学校は生徒のためにある」

という信念のもと、教師は常にそのフォローにあたります。

 

龍野先生が書かれた本は『話せば子供はわかる』など数冊ありますので、

教育に興味のある方は、ぜひ図書館などで読んで見てください。

「目からうろこが落ちる」かもしれません。

 

さて、先生の両親の言葉です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

四、父の教えの思い出二つ三つ

(1)仲よく団結する

   私の母かねの父安田佐和応は、学問は委しく、私もいろいろ教えていただきましたが、父前定の父、龍禎用喜(リュウ テイヨキ)は鉄砲や弓のことに委しく、私たちが子供のときまで大富里(ウフザト・屋敷名)の家の居間の大床には、朱塗りの鉄砲掛けに五つの鉄砲が飾られてありました。

   それで私は、父から鉄砲や猪狩りの話をいろいろ聞かされましたが、ある時の話に

 「昔の火薬は煙硝といって、硫黄と硝石と木炭の三つを混ぜて作るものであった。硫黄も硝石も木炭もすべて火をつけて燃やすと、くすぶって燃えるぐらいのもので爆発などする力は無いのである。その三つを混ぜ合わせて一つにすると恐ろしい爆発力のある火薬にもなる。人間の働きも同じである。硫黄や硝石や木炭のように平凡な力の持ち主であって、特に秀ぐれた力はない人間でも、三人、五人と多人数が心を合わせ、力を合わせて働くと非常に優れた大きな力を発揮し、一人ではとても出来ない立派な仕事がなされるものである。

   それで世の中に出て大きな立派な仕事をするには、兄弟はもちろん多くの友人と争わず、みな仲よく心を合わせ、力を合わせて働くように心がけ、努めなければならない。それでこそ平和な幸せな世の中は出来上がるのである。

   昔は、冬になって猪狩りを始めるとき、徳之島全島三間切(マギリ・行政区画のこと)の有力者が集まって、親睦の宴会をするのが例であった。その時、鉄砲はもちろん、狩り犬などの品評会みたようなもので龍野の家がその中心であった。前評判がいろいろあったある年の集まりに、祖父禎用喜は、自分の家で生ませて育てた四頭の兄弟犬だけを犬ひきの男にひかせて行ったが、隣村のある金持ちが、全島から買い集めた大きな犬ばかり十六匹連れてきた。龍野の犬は兄弟犬だから大きなものもおれば小さなものもいたので、その晩の主人たちの宴会中に十六匹の犬ひきの男たちが度々龍野の犬にけしかけるので、龍野の犬ひきは困ってしまい、これを避けて争わせまいとすると余計にけしかけてきて避けようがなくなってしまったのである。そこで龍野の犬ひきが祖父にそのことを申し上げると、『かまわないからけんかをさせてみよ』と言われたので、安心して喧嘩に都合の良い広い場所で休んでいたところ、隣の犬ひき男がまた十六匹を連れてけしかけたら、龍野の犬ひきが犬を放ったので、大げんかになり、龍野の犬が隣の犬をかみ倒しておさえたが、小さな二匹は隣の大犬にかみ伏せられた。すると二匹の大犬がこれを見て自分でかみ伏せた犬を捨てて隣の大犬にかみつき、それをかみ伏せて二匹の子犬を救い、また隣の犬をかみ伏せ、助け合って戦ったので、そのうちに隣の大犬の一匹が泣いて逃げ出したところ、他の犬もみな逃げてしまった」

という話をして、

「犬でも兄弟の情があって、団結すると小数でも強くなって勝つ。烏合の衆は多くても大きくても、愛情が無く、団結しないから弱いものだ。」

と、昔から歴史話をして聞かされました。私たちが貧しくても、りっぱな仕事をするには、資金よりも人間であることを知り、兄弟だけではなく、友人たちとも仲よく協力し、団結して働くことの大切なことを知ったのは、父に教えられたのであります。

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長くなるので、今日はここまで。

こんなことを息子に話せる父親って、かっこいいですね。

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なぜ、自己顕示欲を持つのですか

2018-10-06 16:07:50 | 日記

「辛い顔をして仕事をするのも仕事。ケロッとした顔をして仕事をするのも仕事」

「苦しんで仕事をするのも仕事。楽しんで仕事をするのも仕事」。

そのうち退職して、ボーっとして、

そのうち死ぬが、同じ一生をどんな風に過ごしたい?

そもそも仕事って辛いものなの?

それって誰かが代わってやってくれないかな、

と思っているから辛くなるんじゃない?

それとも「自分」には「出来ないかもしれない」という不安や

「自分」が「人から馬鹿にされたくない」という気持ちが原因じゃない?

 

ずっと昔から、今までたくさんの人たちが同じような仕事をしてきて、

同じような深刻な顔をして、

時には虚勢を張って仕事をこなし、

退職して、去っていった。

そしてこれからも我々の時代を引き継いで、

次の世代の人たちが

同じように「深刻」に仕事をこなして、

その次の世代の人たちが又その後をついで、

時に虚勢を張ったりしながら、

同じように「深刻」に仕事をしていく。

その時、そのときの担当者は、

まるで自分だけが、同じように不安や恐と戦って仕事をしている、

かのような気持ちを抱きながら。

ただ、その時、その役割を、自分が担当するだけのことなのに。

自分だけがその役割をこなしているかのような気になる。

そして無事乗り切ると、やり遂げた感でいっぱいになる。

中にはまるで専門家になったような偉そうな顔をして見せる人もいる。

まったく大したことをしたわけではないのに。

 

いつも少しも気負うことなく、

淡々と、きれいに仕事をこなし、

次々と処理していけばいいだけの話。

時々、馬鹿な話をして周りを楽しませて、

その喜ぶ様子を見て、また自分も楽しむ。

それだけでいいのに。

お互い知らない事だらけなんだから、

自分だけ知った顔なんてしてちゃいけない。

なんでも聞いて、教えあわなきゃ。

そこには少しも出来たから偉いとか、

優越感とかそんなものは存在しない。

むしろ、あったら不愉快な事だし、邪魔でしかない。

 

人間は、人間関係の中ですぐに「感情」というものが発生する。

これは「自分」に固執することで生まれる。

脳科学的には存在しないはずの「自分」に

なぜか「感情」が発生する。

これは、生体独自の絶対的価値から生まれる感覚

なんて立派なものじゃなくて、

個々の生体が成長する中で作ってきた

単なる「こだわり」にある現象が引っかかったために、

脳内に摩擦が生じただけのもの。

なんら倫理的に正しいわけでも、普遍的なことでも、何でもない。

「自分」が勝手に固執しただけ。

 

そんな「感情」は、判断の優先順位としては最下位におかなくちゃいけない。

そして、決して「言葉」になどしてはいけない。

「感情」から生まれる「言葉」には、まず間違い無く「害」がある。

 

 

本来、「自分」なんてものは存在しない。

それなのに、そんな「自分」の存在が気になることがある。

でも、「自分」というものは虹のようなもので、

見えるんだけど、決して捕まえることはできないもの。

そこにあるように見えるけど、

それは幻で、実は存在しない。

 

我々は、相手がいるから「自分」を自覚することができる。

この身体はあるけれど、これ自体が何か大事なものではない。

たまたま分子が集まって形作っているだけで、

いずれ散って、消える。

我々の本体はこんなものじゃない。

「波動」だ。

「宇宙」そのものかもしれない。

時々、共鳴することがある。

そのときに「感動」が走る。

そういう存在だ。

だから「波」を乱すものを嫌悪し、

「波」に身をゆだねると気持ちよく生きることが出切る。

 


我々、一生の半分は、就職して仕事を割り当てられて、

社会のために働く。

代わりに報酬という生活の糧を得る。

その間、ブスッとした顔で辛そうに働くのはもったいない。

様々な問題を同じ職場の人たちと共有し合い、

助け合いながら、一つ一つ課題を解決し、

お客さんが喜ぶ顔を自分の喜びとし、

仕事仲間が嬉しそうにする顔を見て、

自分もニッコリ笑える、そんな生き方をしたいものだ。

それもこれも「自分」なんぞ無いのだ、

と自覚できてこそ、出来ること。

 

 

「相手がいてはじめて、『自分』は存在できる。」

これにどれだけの人が気づいているんだろうか。

例えば、

誰か相手を想定しないで一人でニッコリ笑えるだろうか?

相手がいないのに、一人で怒り出せるだろうか?

誰かを想定せずに考えることが出来ますか?

もし、この世に私以外誰もいないとして、食べ物もあるとして、

さて何か考えることがあるかしら。

寂しくはなるかもしれない。

でも怒ることも、笑うことも、話しかけることもなくなる。

深刻そうな顔をすることも無ければ、

優しそうな顔をする必要もない。

服を着る必要も無い。

そんな状態で、「自分」という自覚が生じるだろうか。

周囲を見て、花を見て、海を見て、森を見て、

何か感じることがあるだろうか。

あるままに見るだけではないだろうか。

そこに「自分」を意識させることはないだろう。

全て、人間が相手にいて初めて生じる感覚だ。

 

人間社会があって初めて私たちは、私たちでいられる。

島に「人は人の中(チュウやチュンナー)」という言葉がある。

人は人の中にいてこそ人である、という意味だ。

人の中には、盗人や乱暴者、支配欲にあふれた者といった悪人たちもいる。

そんな人たちは、どの道よい一生は送れない。

それだけで罰を受けているようなものだ。

ほっとけばよろしい。

 

「自分」とは「波動」である。

「波動」は共鳴させることによって、「感動」を生じる。

「波動」に素直に従えば、「自分」が生き生きとしてくる。

せっかく身体をもらってるんだ。

「波動」を感じながら生きる。

それこそが最高の生き方。

まず、その第一歩として

「自己顕示欲」(watasi is Number 1)を捨ててしまいなさい。

良い人生の邪魔だから。

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電気復活!でもまた25号がやってくる

2018-10-01 22:29:58 | 日記

 

台風24号、なんとか通り過ぎました。

我が家もガムテープで目貼りしていた窓から

雨が噴き出してきて、若干被害はあったものの

その程度ですんで、ホッとしているところです。

 

土曜日の夕方から停電していましたが、

先ほどようやく(21時過ぎ)に明かりが灯りました。

丸二日余、電気のない生活を送ったことになります。

徐々にろうそく生活に慣れ始めたところで、

しかも今日、防災無線で

「電気の復旧の見通しがまだ立たない状況です。

皆様にはご迷惑をおかけし、大変申し訳ありません」

と九電から放送があったばかり。

それだけに

パッと電気がついたときには、ちょっと戸惑いました。

それと同時に

なんだか蝋燭生活が終わるのが残念な感じもしました。

じっと見ていると、あたたかで、心が落ち着いてきて、気持ちがいいのです。

あの蝋燭の「ゆらぎ」には、人の心を癒す何かがあるような気がしました。

 

それに、

「夜は暗いものなんだなあ。」

「星もきれいだったなあ。」

「それに電気のない生活って、とっても静かなものだなあ」

という良さも感じることが出来ました。

しみじみ。。

 

とはいえ、24号はすごかった。

人生、私もかれこれ長くなりましたが、

あの風の音は初めて聞いたような気がします。

台風が長々と居座るので(通過するのに9時間あまりもかかった)、

とてもタバコが吸いたかった私は

ちょっと風の弱まったときに

多分、台風の目に入ったのだろう、と

風向きと反対側のベランダに出て

一服したわけですが、

たちまち遠くのほうから「グオーッ」という

不気味な地響きのようなものがしたと思ったら

突風が襲ってきました。

私に直接風が当たったわけではないですが、

数十メートル離れた建物に

その風が「ブオン」という音とともに

「ドカン」と当たったと思ったら

その余波がこちらにも弾けて来ました。

その瞬間、私、おしっこをチビッてしまいました。

 

みなさん、人間、ホントにビビるとおしっこを漏らすようです。

身をもって知りました。

怖かったです。

南の島に暮らしていると台風の風にも少しは慣れてくるものですが、

このときばかりは怖かった。

 

本当は写真なんか撮りたかったんだけど、

真夜中に通過したのでそうも行かず

このときの様子を皆さんに伝えられないのは残念ですが、

まだ明るい時間に撮った海の様子がありますので、

アップします。

まだまだ台風の序の口の時間帯です。

 

ちなみにこのカメラ、

オリンパスのC-2100 Ultra Zoom

という20年近く前に発売されたデジカメです。

相当な優れものだと思います。

今時のソンジョそこらのカメラに負けていません。

荒れたひどい天気の中、

窓ガラス越しにそれも1kmほど離れた場所から撮っているんですけど

これだけ写せたもんね。

う~ん。すばらしい!

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