インドラネット

パソコンが壊れる度に全てが消えるデジタルデータ。このブログをクラウド代わりに活用させてもらいます。

「自分が選んだ」と自覚する

2019-05-27 16:37:19 | 日記

「自分が選んだ」と自覚する

 

「寝る」、「遊ぶ」、「仕事」、「テレビを見る」、「本を読む」、「ぼうっとする」、「散歩する」

こういったことをするとき「自分が選んだ」と自覚してますか。

 

もしかすると

「嫁に言われたから」

「先輩の命令だから」

「恩人に頼まれたから」

「知人に呼び出されたから」

なんて思ってませんか。

そんな風に思いながら行動して具合が悪くなりませんか。

 

「せっかく今日は休みだったのに。」

「どうして私の自由を奪うんだ。」

「でも言うとおりにしておかないと後がめんどくさいな。」

なんて思いながら1/365日を過ごす。

 

そんな調子じゃ365/365日、自分の自由な時間なんて来ないでしょうね。

 

よく若い人達が

「女性にもてないのは、容姿に恵まれないからだ。」とか、

「勉強ができなくなったのは、先生の教え方が悪いからだ。」とか、とか

他人のせいにするのは定番ですが、

大人になってからも、同じようなことを言う人は結構いるものです。

 

 でも本当は、

「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」

と言われるように、

「飲む」か「飲まない」かは自分で選んだものなんです。

例えば、休みの日にゴロゴロしているのは

「自分がそうしようと決めた」のであって、

誰から命令を受けたわけではありません。

 

人生は、いつも二股の選択肢が目の前にあって、

常にどっちかを選び続けて生きているわけですが、

100%すべて自分が選んだものです。

 

まさか

「いやあ、気が付いたら無意識に仕事してたよ」

なんてことはないでしょう?

仕事だって、指示を受けてやるにしろ、

「必ず成功させるぞ」とか「てきぱき仕上げて、ありがとうの一言ぐらいもらっちゃおうかな」

なんて考えながらやっているはずです。

 

どちらかを選択するときは、

実はそのほうが自分にとって都合がいいから選んでいるのです。

ニートだって、あれ、自分に都合がいいことがあるからやってるんです。

その人なりに何らかのメリットがあるということです。

でも、ニートの場合は、「自分でそれを選択した」という自覚はないかもしれません。

もし自覚してたら、もっとアクティブに生きるはずですから。

 

 「自分が決めた」 そうわかって行動すると、

とたんに気分が明るくなるから不思議です。

我々は、ともすればぼんやりと行動しがちですが、

「よし、ゴロゴロするぞ」

と思うと、そのゴロゴロもますます気持ちのよいものになります。

「どうしようかな」と一瞬迷ったときは、

「どっちが気持ちいいかな」と考えます。

決めたら

「自分が決めた」と心の中で一言つぶやくのです。

それだけで、その行動をとったことに対する後悔の念は決して起きません。

「やらされた感」と「やった感」の違いは大変なものです。

「消極的」になるか「積極的」になるかもそこで決まります。

 

失敗してもいいのです。

「だって自分で決めたことだもの」

と言って、素直に失敗も受け止めることができます。

誰かのせいにするのと比べて、とても健康的にいられます。

落ち込んだり、精神的に不安定になったりすることもなくなるでしょう。

たぶん人柄も落ち着いてきて、誰からも好かれる人になるはずです。

 

 

日々、折々たった一言

「自分が選んだ」

ぜひ、みなさんもやってみてください。

休みの日にゴロゴロするのも一層楽しくなりますよ。

 

 

あ、でもテレビだけは気をつけてくださいね。

「テレビを見る」と決めたところまではいいのですが、

いつのまにか無意識に見させられてしまうから。

 

それから

「かなりの覚悟までして、決めて選んだ」はずの「嫁さん」だけは

なぜか、「後悔しないわけにはいかない」

というあなた。

「いいや、間違いなく自分で決めたんだ」

と、毎日再確認してみると効果あるかもですよ。

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丸山穂高議員への辞職勧告

2019-05-17 21:02:49 | 日記

みなさんはどう思いますか?

丸山穂高議員への辞職勧告

 

どうも私は嫌な感じがしてなりません。

丸山議員が元島民の方々へ

「戦争しないとどうしようもなくないですか」

と聞いたのは、国会議員として確かに不謹慎。

この発現が原因で、所属する日本維新の会から除名までされました。

選挙も間近に迫っていますので、党として

いささか過激に反応してしまうのは止むを得ない、とは思います。

 

でもねえ。

議員を辞めろ、はないでしょう。

日本維新の会は、国政において是々非々を通す態度はすがすがしく、

足立議員を筆頭にその自由奔放な発言がまた心地よく、

党としてそれを許す大胆さがありました。

正しいことは正しい、

とする潔さがようやく国民に浸透してきていて

これからの日本政治の「新しい風」として期待されつつありました。

 

ところが、

今回の個人的とも思われても仕方がないような松井代表の

度量狭き反応には、

多くの国民があっけにとられたのではないかなと思います。

この程度の男だったのか?と。

私としても未だに信じたくない気分です。

党を除名するのはあってもいいでしょう。

まだ若い丸山議員に反省を促す意味で。

だけども「国会議員を辞めろ」はいけません。

「言葉狩り」ならぬ「議員狩り」です。

大変危険な発想だと思います。

 

 

菅官房長官もかつて維新に鞍替えしようとしてたことがあるそうです。

安倍総理に引き止められて、官房長官を引き受けることになったと言います。

以来6年。見事な働きっぷりです。

安倍首相は運がいいと思います。

その菅さんがかつて認めた党です。

政治を真面目に考える人たちにとって期待の党なのです。

 

 

「君子は豹変す」

と言う言葉があります。

上に立つ人間は、自分の過ちに気が付いたら、すぐ改めるのに躊躇しない、

と言う意味です。

松井代表には、今からでも遅くないですから

「彼も十分に反省しただろう。私も些か感情にかられた面もあった。

党として除名処分という極めて厳しい処分をくだしたのだから、

これ以上は何も言わない」

と、公式に発言すべきです。

 

このまま、松井代表が意固地な小さい度量を見せ続けると

維新の会全体の評判が、ガタ落ちしかねません。

すでにネット上には

「こんな党だとは思わなかった。もう維新は応援しない」

「まるでリンチではないか」

「ここまでしなくても」

といった声が多数上がっています。

このままでは、維新は共産党にも似た組織としての烙印を押され

きっと国民から見放されます。

 

松井代表の

大人の対応を期待しています。

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2019年は、「動乱」元年か

2019-05-12 22:39:06 | 日記

今日は、「予感」です。

ですから、2点ほど極めて簡単に書いておきます。

 

 

《 北朝鮮は、政権交代が近い 》

 

下の記事を読んで確信しました。

「北朝鮮ミサイル発射の陰で消えた幹部」

 

2013年に張成沢氏が粛清されたときとは、状況が違います。

あの時は、

金正恩委員長に対する軍の求心力を高めるため

政治局と軍幹部を大量に粛清することで、

大衆を「恐怖」させましたから

反対勢力は全滅状態でした。

 

でも、今は違います。

決定的だったのは、2月末に行われた

ハノイにおける「第2回米朝首脳会談」での大失敗。

愚かにもトップ自らが交渉の矢面に立ち

大恥をかかされたわけです。

この時点でクーデターが起きるのではないか、

とも思いましたが、

それはありませんでした。

しかし、あきらかに求心力が毀損、低下したことは事実です。

 

しかもまずいことに、

「大勢の餓死者が出た「苦難の行軍」の再来か」

と上記の記事中にもありましたように

現在、北朝鮮では飢饉が発生しています。

これは、他のメディアでも指摘されています。

それなのに、ミサイル発射など無駄なことに国家予算を浪費し、

国民は絶望するばかりです。

「この指導者の下にいては、我々が餓死するだけだ」

そういう気分が国内に蔓延するのは当然でしょう。

ただでさえ薄い国民の国家忠誠心は、

もはや無いと言っても過言ではないでしょう。

 

しかしながら、北朝鮮政府は、

身内として唯一の味方であるはずの南朝鮮に対し、

「『人道主義と民族を愚弄』北ネットメディア、韓国批判」

という愚かさをさらしています。

とはいえ、

この手の反応は朝鮮半島に独自のもののようで、

いつものことと言えばいつものことなのですが、、、

なんといってもタイミングが悪い。

自分で勝手に

孤立する要因を増やしています。

 

米国を中心とする西洋世界は、

核兵器開発をやめない北朝鮮への経済封鎖を

決してやめることはありません。

 

金正恩の求心力が失われつつある今

もはや国内の不満勢力を抑えきる力は

彼には無いのかもしれません。

もともと「兄殺し」の汚名を持っています。

「力」を失ったとき

一気に政権はひっくり返るでしょう。

 

 

《 米支覇権戦争が本格化 》

 

米国は「現在の危機に関する委員会」において

「中国共産党とは共存できない」

と先日明言しました。

この中ではっきりと、シナ共産党政権が「敵」であることを宣言しました。

私は、

米国は、習金平総書記をその地位から追い落とすまで

その攻撃の手を緩めることはない

と考えていましたが、

どうやら米国は、

「中華人民共和国」の政治体制自体を「敵」と見なしています。

 

今回の米支経済協議は決裂しましたが

米国からすれば、シナリオ通りということでしょう。

あとはシナが「米国の意志」をどこまで深刻に受け止めるか、です。

 

「ソビエト」が崩壊したときのように

米国はシナを国際的に孤立化させ、

経済的に無理難題を突きつけて追い込み、

かつ内部崩壊を企て

じわりじわりと追い込む気でしょう。

先に野心を表したのはシナの方ですが、

もはや、米国から「宣戦布告がなされた」

と理解したほうがよいと思います。

 

これは、「米国の意志」

というよりも、もっと大きな組織の意志だと考えています。

米国単独の戦争なら、誰も協力はしませんが

どの国も、この米国の独断的とも思える行動を

非難するものはいません。

このことが、米国単独の行動ではないことの証しのように思います。

 

シナは国家計画として

軍事、経済で米国を圧倒した上で、

「世界基軸通貨ドル」

の地位を奪おうとしたわけですから

世界金融経済を掌る組織からすれば

「消滅」させるべき国家ということになるのかもしれません。

 

来年1月には、台湾総統選挙もあります。

ここには「習金平の兄弟分」郭台銘が立候補しています。

現在のところ、親日派の与党・民主進歩党は、敗北必死な状況です。

ここで、誰が勝つか

台湾だけの問題ではすまない、激しい戦いが起こるでしょう。

米国の絡み方次第で

なんだかきな臭くなる可能性も捨て切れません。

 

 

備忘録として簡単にメモっておくつもりが、少し長くなってしまいました。

どこまでもまだ書いてしまいそうなので

この辺でやめておきます。

それではお休みなさい。

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ウイグルの惨状

2019-05-09 11:29:59 | 日記

シナ共産党がチベットに引き続いて、ウイグルで無茶苦茶なことをしているようです。

宮崎正弘氏のメルマガに貴重な情報が出ていましたので、

転載します。

シナ共産党の本質が現れています。

日本も国内に共産党支部がありますが、

気をつけないと、こういうことになります。

なお、宮崎先生のブログは下のとおりです。

そこからメルマガを無料登録すると、貴重な情報を読むことができます。

http://miyazaki.xii.jp/

 

--------------------------

中国は侵略的援助で覇権目標を世界に浸透させようとしている

ポンペオ国務長官、ヘルシンキでBRI(「一帯一路構想」)は経済的目的ではない

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 5月8日フィンランド訪問中だったポンペオ国務長官は中国のBRIについて、

「スリランカのハンバントタ港が借金のカタに取られたように、中国は経済的、商業的見地からだけでBRIを展開しているのではない。

  中国の国防上の目的は世界にその影響力を浸透させることであり、シルクロードの究極の目的である。たしかに道路も鉄道も、橋梁もつくられた。だが、金融的側面からみても、そこには透明性がないうえに説明責任を果たしていないではないか」と激しい批判だった。

 シュライバー国防次官補は、ポンペオ国務長官ヘルシンキ発言と同時期に、新彊ウィグル自治区における強制収容所問題を取り上げ、150万人のムスリムが拘束され、再教育と称する非イスラム化、「漢化洗脳」を行っていると強く非難した。 国防総省の幹部が、ウィグル問題に言及するのは珍しいことである。


  ▲「イスラム聖地の破壊はここまで進んでいた」と英紙ガーディアン


 さて、問題はそのウィグルだ。

 英紙『ガーディアン』は、衛星探査専門家と組んで、ウィグル上空からの撮影記録を精密に調査し、近年だけでも31のモスクと、二つの巨大な神殿が破壊され、2016年から2018年の間に、ムスリムを隔離し、再教育をなし、聖地に近付かないように監視態勢を強化し、また外国人のトレッキングもみとめない期間に、神聖なるモスクを破壊しつくしていたと報じた。

  中国全土にムスリムは2000万人、モスクならびに宗教施設は三万五千箇所あった。 
  典型的な聖地のひとつはタクラマカン砂漠にある「イマム・アシム神殿」で、幾つかの複合的な神殿をフェンスで囲み、八世紀頃からお墓のまわりに巡礼者があつまって祈りを捧げる聖地とされてきた。

   2011年頃の写真を見ると、無数の布が張られ、まるでチベット仏教とシャーマニズムが混在しているような風景で、イスラムが遊牧民につたわって伝統的習俗のうえに、新しい信仰儀式が重なっている印象を受ける。

  現在、墓地をのぞいて全てが破壊され、建物は撤去され、しかも巡礼者はいない。ホータン地区で最大の宗教祭礼は中止されたままとなった。モスクの破壊は2016年から2018年のあいだに行われた。

  聖地巡礼はイスラム教徒のつとめであり、比較的自由にウィグル族もサウジアラビアのメッカ巡礼をするひとが多かったし、財政的にサウジまで行けない人々は国内の聖地を巡礼してきたのだ。


 ▲モスクの多くが破壊され、埋められ、聖地が消えてしまった


 カシュガルやホータン(和田)では文革時代にも破壊されたり、倉庫に使われたモスクがあった。だが、2016年以来の中国共産党の遣り方は、完全な破壊であり、イスラム宗教施設の絶滅にある。

  中国の言い分は「施設は環境が悪く、昭明、電器系統、エアコンディションをそなえた近代的な建物に造り替えているのだ」と強弁を繰り返しているが、ムスリムはそんなことを誰も信じていない。
  カルギリク地区にも高いミナレット、豪華な入り口の門などがあって、庭園には花々が咲き乱れ、オアシスとしての水、緑豊かな木々があった。このカリギリクのモスクは完全に無くなっていた。

 英紙ガーディアンは、上空からの偵察を専門家と協力して行った結果、「多くが破壊され、埋められ、聖地が消えてしまった」と伝えた(2019年5月7日)。

 陳全国はチベットから転じて、新彊ウィグル自治区の党書記となるや、「宗教活動を厳密に規制し、イスラム文化の表現をやめさせ、辻々には検問所を設け、顔識別とAI機器を駆使して手配者の逮捕を強化し、さらに砂漠に次々と強制収容所を設営し、拷問による改宗を強要した」(『TIME』2018年8月27日号)。 

  陳は団派から習近平に靡いた結果、幹部入りした人物である。

 危険な宗教や民族的な慣習を廃止し、信信仰の迷妄からさめて科学的社会主義に社会を変える使命があると、陳全国ウィグル自治区党委員会書記は叫び続け、強圧的な漢化政策を実施してきた。

  やがて新世代はモスクの存在も知らず、いやウィグル語も満足に喋れなくなり、ウィグルとしてのアイデンティティを失う。これが中国共産党の進める政策であり、西側が民族浄化と非難する遣り方なのだ。
  

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テレビなどでは、決して紹介されない事実。

世の中には、このように「事実」のみを追い続けて、

世の中に届け続けておられる方たちがいます。

新聞やテレビは、

必ずある方向を意識して活動しているため

事実を組み合わせて、或いは事実部分を切り取って

「創作」ニュースを制作しがちです。

 

 

世の中には、

テレビや新聞からしか情報を得ていない人たちがいます。

その人たちと政治や経済問題を語ると

決まって反体制的な、ひねくれたような意見を述べます。

最初は、その人個人の考え方の癖なのかな、

と考えていました。

ところが気をつけて観察して見ると

(みな無批判・従順な性格なのかもしれませんが)

大手メディアからの情報を

鵜呑みにする癖があることがわかりました。

年齢はバラバラで、

上は90歳から下は30代まで。

特徴として、

日常的に「マスコミ」からしか情報を得ていない

と言う点があります。

これに気が付いたときは、いささかショックを受けました。

 

面白いことに、20代以下にはこの傾向がありません。

というか、テレビ、新聞を読んでいないようです。

よほど彼らのほうが健全な意見を述べるのです。

自分で考えている。

 

皆さん、マスコミを経由した情報は避けるようにしましょう。

必ず「ある意図」が入っています。

洗脳されますよ。必ず。

情報は、自分で探さなければ

そうして、信用のできる情報発信源をいくつか持つことです。

騙され、振り回され、洗脳され

いつの間にか、人生に絶対に必要な

「主体的思考」ができない人間になってしまいます。

 

秋篠宮家でしたか、子供たちが生まれた頃からテレビを見せていない

と言う記事を読んだことがあります。

また、優秀なジャーナリストや、実はテレビのタレントも自分たちはテレビを見ない

と言う人たちがたくさんいます。

その「嘘っぽさ」をよく知っているのです。

スポーツや、語学、あるいは息抜きにお笑い番組を見るのはよいでしょうが

ニュースやその解説番組、歴史検証番組、自然保護、人権もの、

それらのほとんどに「作為」が入っています。

ついでに言わせてもらえば、

他人を批判するのだけを楽しみにしている3面記事番組

そんなものはあなたの脳を腐らせるだけです。

 

「真」、「善」、「美」のみを自分に取り込むように心がけ

人生を豊かに送りたいものです。

 

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身を捨つる人は

2019-05-07 22:13:53 | 日記

「自我」は3,4歳になって言葉を覚え、

彼我を意識したときから生じる。

だが、これは「魂」でも「自己そのもの」でもない。

あくまでも相対的人間関係の中で生じるもの。

では、我々、「自我」以外に何を持っているだろう。

 

 空白

 

何もないんじゃないか。

 

「めんどくさいなあ」

「何で、自分のことをほって置いてくれないんだろう」

「みんなの注目を浴びたい」

「悩んだり、苦しんだりすることこそが生きてる証だ」

「カッコよくなりたいな」

「有名作家、音楽家といった有名人になりたいな」

「うらやましい」

「誰からも必要とされていないじゃない?」

「もっと充実した日々を送りたい」

「一目置かれる存在になりたい」

「人や国を支配したい」

「お金持ちになりたい」

「美人の彼女がほしい」

「他人の不道徳が許せない」

 

そんなことを考えている自分が、「自分」だと思ってるんじゃない。

 

それって単なる肉体の欲望だ。

肉体から生み出される「自我=欲」だ。

 

決して貴方の本体「魂」ではない。

 

こんなものを自分だと思っていると

釈迦の手のひらから抜け出せない孫悟空みたいに

一生、「小世界」の内でしか生きられないで

迷い、悩み、何にもわからないまま

むなしく「死」を迎える

 

「身を捨つる人は   まことに捨つるかは

捨てぬ人こそ   捨つるなりけれ」(一遍)

 

自分の身体にこだわり続ける限り

永遠に迷いの中で生き続けることになる

 

自分の身体からの離脱 = しがらみ、こだわりからの開放

 

そうできてはじめて

「自由の身」となり

何の規制を受けることなく自在に生きられる

 

「真の自分」を縛ってがんじがらめにしているのは

実は自分だと思っているその肉体自身

「死」を迎えれば

再び電子の結合が解かれ

ばらばらに雲散霧消してしまう

便宜的に寄り集まってできただけの存在

なぜこれを「私自身」と思えるのか

これが私自身のはずがない、と何故気づかないのか

 

生きているうちに

このことに気が付いた人は

このことを皆に知らせたくて

うずうずする

 

皆にもこのワクワク感を味わって欲しいから

そして「皆」も「私そのもの」だと思うから

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