きょうは風邪気味で仕事はお休みです。
全身がだるいです。
そのせいか、本日の記事は重いから、途中で切り上げちゃう人も多いかもね。
それでもよければ、ちょいと読んでみてちょんまげ。
今日は、
自民党の石庭さんが参議院の一票の格差問題について、
立憲民主党に苦情を言っているニュースを読んで、
ふと思ったことを書いてみます。
ほぼ人口割りオンリーで決められる議員定数。
たしかに法的には違憲ということになろうが、
これが正しいわけではない。
法は改正されねばならない。立法の責務である。
ためしに飛行機に乗る機会があったら、地上を良く見てほしい。
特に夜間。
地方の細かいところまで車の帯が行き交っている
そんな様子が観察できるだろう。
地方の隅々まで人や物流が行き渡っている様子を示している。
まさに人間の動脈静脈の血流を見るようだ。
ためしに、日本国を人間の体だと思ってほしい。
今、日本という1固体は、激しい人口減少に苦しみ始めている。
少子化は続いているのに、
より便利の良い東京へと人口の一極集中は加速し、
全国の各所に空白域が生まれようとしている。
空白域となった地域の物流はなくなる。
住む人のいなくなった農地や山林は荒れ果て、放置される。
かつて人口が増加してる時代なら、
そんな土地にも移住しようとする者たちがいた。
しかし、東京を除く大阪などの大都市でさえ、
人口が減っている現状である。
郵便局もない、病院もない、コンビニもない、
もちろん「行政の手」も行き渡らない、
そんな土地に移住しようなどという物好きなど今や数えるほどしかいまい。
人体の場合だと、
血流のなくなった部位は壊死することになるが、
これが国土単位で生じようとしている。
そもそも日本という自治体は、
東京など大都市だけで維持できるものではない。
国土全体に活力がみなぎって初めて力を発揮することができる。
うそだと思うのなら、東京だけ日本から独立すると考えてみるといい。
たちまち立ち行かなくなるはずだ。
東京が日本の一部として存在するから、その価値も高まるのだ。
心臓がいくら強くても、
末端の毛細血管に元気がなくなれば、もはや寝たきりの病人である。
誰かの介助なくして自ら立ち上がることなど出来ない。
平和なときなら、それでもなんとかごまかせるかもしれない。
しかし、東北大地震のような大災害が
東京、名古屋、大阪で起きたとき、どうだろう。(必ず起きるけど)
どこに避難する?
だれが助けてくれる?
住宅は?
インフラは?
復興資金はどこから捻出する?
とはいえ、今ならまだ日本全体で国家を維持することは出来るかもしれない。
でも、地方が疲弊し、行政も、物流も、人手も、技術も
失われていたらどうだろう。
どうやって国家として助け合うことができるのだろうか。
米国やシナに頼るのか。
しかし、そうなってはもはや独立国とは言えまい。
しかるに、表題に戻って考えてみよう。
日本は、この2,30年で2千万とも3千万とも言われる人口減少が生じる。
すでに「限界過疎」と言われている村々はもちろん、
多くの自治体が消滅するだろう。
自治体が消滅した地区は、
地震や大雨などの災害が起きても、
復旧は後回しとなり、荒地が広がっていく。
現在でも九州に匹敵する面積が、相続者不明の状況に陥っているが、
今後2,30年でその状況は急速に悪化することになる。
登記変更のできなくなった土地は再開発さえ不可能となる。
もしかすると、
外国から密入国したものたちが、勝手に居ついてしまい、
我が物とするかもしれない。
どうせ所有者のない土地だ。だれも「どけ!」という者もいない。
「私たちのものよ」と言われたらそれまでだ。
しかしながら、日本は大都市中心主義(人口主義)が
幅を利かせているご時勢だ。
なんでも「人権」が一番大事で、
国家など二の次というのが常識だ。
よって、
国会議員の配分も「1票の格差」こそが大問題であり、
差別だという。
これに反論する者などほとんどいない。
その理屈は、
500平米の土地に建つマンションの住人100名と
1平方キロの土地に住む100名は、
人権上同一の権利を持たねばならぬというものだ。
でも考えてほしい。
マンションはエレベータが2台もあれば交通機関は充分だ。
では1平方キロの土地ならどうか。
少なくとも数キロの道路と、移動に要する時間や車が必要だ。
当然これらの維持管理もしなければいけない。
風雨災害が起きないように、所有する農地や山林の管理も欠かせない。
こういったことを考慮に含めない
1固体としての人権のみでもって平等、不平等と言われることに
疑問を持たざるを得ない。
また、よく地方行政は自主財源も少ないのに、
国からの交付税で儲けているという考え方をする人もいる。
これも無茶な理論だ。
例えば、田舎は、
交通機関ひとつとっても自治体自らが運営するか、
民間会社に多額の補助をださないと維持できない。
ところが東京はどうだ。
本来は不要のはずの都営バス、都営地下鉄などがなぜか運行しているが、
ほとんどが民間会社だけでカバーできてしまう。
そこから充分に利益を得られるからだ。
営利企業が見逃すはずがない。
大学、病院、銀行、電気、ガス、各種海運業、etc。
どの業界にも「官」はいらない。
それだけ大都市の自治体は地方に比べてやらなくてよい分野が多い。
よって資金面にゆとりがある。
地方にはないさまざまな住民サービスが存在するのもそのためだ。
それだけではない。
地下交通網の整備や水害対策用巨大貯水槽設置など、数兆円単位の巨大国家プロジェクトを
国土全体で見れば盲腸のように小さな地区に集中投資している。
方や、地方はカツカツである。
常に財政赤字に苦しみ、道路、水道、農地、山林、港などの管理すらままならない。
それなのに、国から多くの交付金をもらい、
実生活以上の生活をさせてもらっている、
と考え違いをする者たちが大勢いる。
国会議員の配分も同様、地方優遇だという。
人口の少ない地区は、法に基づき国会議員を削るべきだ、と。
地方あってこその東京である。
それぞれにそれぞれの役割があり、その価値をお互い認めなければならない。
しかしながら、あらゆる面において東京は強い。
地方の論理は、めったに通用しない。
そりゃそうだ。
新聞やテレビなどのマスコミを含め、
上場企業の約半数が本社を東京に置き、
業種によっては75%を超える。これらの企業からの法人税も東京に落ちる。
企業からすれば、東京に本社を置くことのメリットは多く、
ネームバリュー、各社連携、情報、中央省庁といったものが集中しているのだから当然だ。
むしろ地方に本社を置くことのメリットのほうがないのだ。
もっとも、
国会において、法人税法など一律の法制度ではなく、
特別区などをいくつも設けて、
場合によっては地方に本社を置いたほうがメリットがありますよ、
といった制度を作ってくれさえすれば、多少は改善するかもしれない。
しかしながら、現況そのような動きは見られない。
現行制度のように全国をまったく同じ法律でしばるやり方では、
強者のみが勝ち残ることになる。
考えるまでもなく、東京と鹿児島では企業立地条件が違いすぎる。
このアンフェアな条件にある地区同士を
同一の法律で縛ることこそ、不平等なのである。
何はともあれ、
これらの問題の元凶である少子化対策は緊急に解決すべき問題である。
同時に、「地方の活力」はタフな国家を作るために、絶対に欠かせない。
少子化問題も地方のメリットを生かすことで、解決していけるかもしれない。
そんなに難しい問題とも思えない。
少子化問題も含め、解決策は実はある。
あとは立法府たる国会が国の将来にどれだけまじめに向き合うか、だけである。
とはいえ、
例えば少子化対策を打ち出して、その効果が出るのは20年後だ。
時間はあまりない、と言える。
課題が山積する地方出身の国会議員の役割は大きい。
日本が将来襲われる問題は、決まって地方から日本全体に波及していく。
というか、弱いところに真っ先に症状が現れる。
「一票の格差」問題を論じるときには、そんなことも頭の片隅に置いておいて、
人権という個人の問題とは切り離して、
もっと大きな視点で論じるようにしてほしい。