インドラネット

パソコンが壊れる度に全てが消えるデジタルデータ。このブログをクラウド代わりに活用させてもらいます。

UFOってどうやって移動するんでしょうね

2018-06-30 15:27:56 | 日記

私、霊感が全然ありません。

幽霊も見たことがなければ、金縛りにもあったことがなく、第6感が働いたこともありません。

そんな私が見ることのできたUFOは、間違なく物体だったわけで、

確かに、そこにいて、

オレンジ色の強いフラッシュを、2段になった枠からババババッと連続的に発光させていました。

(あの発光って何の意味があるんだろう)

でも、雲が消えるとそこにはいなかった。何で?どうやって移動したの。

ただ言えることは、

今回見たUFOは、非常に地球人的発想形といいますか、

我々が宇宙船だったらこんな感じじゃない?とイメージしがちなもの。

うーん。

宇宙人も地球人と発想が変わらないなんて、

宇宙も狭いのう、という印象。

なんかこう、もう少し斬新な☆型をしているとか、タコ型をしているとかでもよさそうなもの。

してみると、彼らはどこか遠くの星からやってきた宇宙人というよりも、

実は未来の地球人?

時間移動をしてやってきた?

そんな可能性も考えられそう。

 

実はこのブログを書くに当たって、

念のため、UFOって世界各地でどういったものが撮影されているのか、

ユーチューブで見てみたんだけど、意外と私が見たタイプってないのね。

 

中でもすごいな、と思ったのは

イスラエルで複数の人が複数の場所から撮影したUFO。

町の中心部の建物のすぐ上まで降りてきて、じっとしたと思ったら

何か驚いたようにピカッと光線を放ったと思ったら、

物凄い高速で上昇していって消えた。

やっぱりいるんだ、

ということが実感できる映像だった。

ただ、形状や移動手段が私の見たものとは違う。

イスラエルのような発光体ではなかったし、

あんな移動はしなかった。

巨大なUFOはスッと消えていた。

 

すると物理的に高速で移動するタイプもあれば、

瞬間移動を繰り返すものなどがあるのかもしれない。

まあ、できたら、私が見たあんな大きなものが、

物理的に移動する様子を見たかったなあ。

迫力があっただろうなあ。

 

まあ結論から言うと、

UFOたちがどんな手段を使って、宇宙空間ないし、時空を移動するのかまるで見当がつかない。

この宇宙空間のほとんどを占めるといわれる、

「波動のような何か」を利用しているんだろうとは思う。

 

ともあれ、

ユーチューブなどに出ている様々なUFOの発見例を見ていると、

UFOにもいろんなタイプがあることがわかる。

どうやら宇宙のいろんなところから、いろんな目的を持って訪問してきているようだ。

 

もしかして、宇宙法に基づく旅行規約みたいなものも既にあったりして。

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UFOのことみんなに話してみた

2018-06-26 22:04:10 | 日記

今日は職場で10名余りに

「昨日の晩、俺、UFOを見たぜ」

と詳細を話して聞かせてみた。

「何、本当か」、「いつ頃」、「どこで」

と、結構興味心身。

数名は、ニヤニヤして

「ドローンか、軍用機でも見間違えたんじゃないの」

と、まるで信用せず。

でも、思ったより反応がいいんで嬉しかったな。

中には

「俺も、もう数十年前になるけど、UFO見たことあるぜ。

大分にいたときだけど、たくさんの光の集合体が、一斉にものすごいスピードで移動した」

「一生に一度ものだからなあ。おれも見たかったなあ」

という者もいた。

でも大きな町の前の海の上空なので、他にも見たものがいるはずだ、

ということになり、

ちょうど夜釣りの好きな者がやってきたので、

「昨日、夜釣りに行かんかった?」

と聞いたら

「うん、港で釣りしたよ。」

というので、

「じゃあ、UFOいたでしょう。」

と聞いたら、

「いや」という。

「時間は」と畳み掛けてみたところ、

「9時から9時半」だという。

「残念。お前もう少し前か、もう少し後までいたらUFO見れたのに」

といったら、「え?」という感じで戸惑っていた。

 

実は、8時半ごろ巨大なUFOが現れたわけだが、

10時ごろ、「ブーン」という重低音が、3分ほどだろうか、窓の外から聞えてきて

「うるさいな、なんだろう。飛行機?船?」と思って、あわてて窓を開けてみたのだが、

港には船はおらず、空に飛行機らしいものも見えない。

その重低音も、どこかに遠ざかるわけでもなく、スーッと静まっていった。

「???」

「まさか、今のもUFOと関係があるんじゃなかろうか。」

そんなこともあって、音についてもみんなに聞いてみたのだが、よくわからないようだった。

ただ、5,6キロ先にUFOが見えたときは、無音だったから、なんとも言えないけど。

しばらく、折あるごとにみんなに聞いてみることにしよう。

 

ここは徳之島。

何か情報があったら、教えてね。

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つ、ついにUFOを見てしまった。

2018-06-26 00:10:01 | 日記

びっくりですわい。

9時前になってベランダで月を眺めながら、

「今日の月は、12夜かな、いやいや11夜だな。」

なんて思いながら、タバコをくゆらせていたら、

地上500mほどのところにある雲の塊の一部が

バラバラバラという感じに光り始めた。

それもきれいに2段になっている。

見たところ、円形(円盤形)の光の帯である。

すると雲の右下の切れ間に妙な動きをする光がある。

最初、飛行機か火星のように思えたが、

こいつが動くのだ。

地平線と雲の位置からすると、5~7キロ程度離れているようだ。

すると光の帯の物体は、直径が100mほどはあるんじゃなかろうか。

 

でも不思議ですね~。

こういう時って、やたら冷静に観察してしまうもののようで

あ、ビデオ撮らなきゃ、と思ったとき

雲の中にスッと消えてしまった。

あれだけの光の帯だったのに。

と同時にチョコチョコしていた光も消えた。

仕様がないので、もう一本タバコをふかせながら待ったのだが、

徐々に雲が薄くなっていき、

もう隠れることは出来ないぞ、

と思ったら、もうそこにはいなくなっていた。

長い時間待ったような気がしたが、

これでどうやら5.6分といったところだったようだ。

絵にすると、こんな感じ。

一生に一度あるやなしやのUFOウォッチング。

明日は、職場で自慢しよっと。

 

 

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一日一度は心にシャワーを浴びよう

2018-06-22 23:58:02 | 日記

めがねを掛けてる人はよく分かると思うけど

一日何度か汚れを取らないとよく見えないよね。

我々の心も同じ。

すぐに汚れちゃう。

どんな聖人君子といえども

どんなに功徳、修行を積んだ偉いお坊さんでも

油断してほっておくと、心に汚れがたまって

目の前にあるものをあるがままに見ることが出来なくなる。

汚れた目で、うっかり受け取っちゃう。

肉体を使って感じたり、考えたりしなきゃいけないから

感情というものが生じがちだ。

これが人生に悪さをしてしまう。

体だって毎日シャワーを浴びなきゃ、臭くなる。

 

さて、そこで大事なのが毎日の日課だ。

立派な人間なら必ずやっていること

それが夜寝る前の心のシャワーだ。

一日の生活の中で曇ってしまった心に

言葉のシャワーを浴びせ、洗い流すこと。

そしたらまた明日をきれいな気持ちで過ごすことが出来る。

今日から早速皆さんもやってみてね。

 

今夜のシャワーは、

中村天風氏の言葉です。

------------

昼間、起きているときには、我々の暗示感受習性というものは、

われわれが、ああ、いいな、これは共鳴するわ、と感じたこと以外のものは、

潜在意識の中に入らない。やってごらん。

 

ところが、夜の世界だけは、特に寢がけに、寝床の中に入ってからは、

此精神のアンテナというものは、無条件に、良いことでも悪いことでも、

もうすべてが差別なく入り込んでしまう。

だから、いいことを考えるんだ。

うそでもいいから、俺は優れた人間だ。

俺は思いやりのある人間だ。

俺は腹の立たない人間だ。

俺は憎めない人間だ。

俺はやきもちを焼かない人間だ。

こう思えばいい。

それを寢がけに余計腹を立ててるやつがいる。

昼間、興奮している間は思い出さなくて、

寢がけになって思い出しやがって、

「あん畜生、あんなことしやがった。ざまあ見やがれ。」

もういっぺん起き上がって腹を立ててるやつがいる。

夜の寝床の中だけは、

神の懐に入ったような、

穏やかに気持ちになってごらん。今夜から。

寢がけだけは絶対に尊い人間になるんだ。

毎晩尊い人間になったからといって、

税務署から調べに来たなんてことはない。

どんなに体にいい結果がくるか、

やってみたものだけが知る味だ。

やってごらんなさい。今夜から。

--------------------

さあ、何も考えずに、おやすみなさい。

 

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国の盛衰はなぜ起こるのか。諭吉先生にはわかってたようで。

2018-06-14 15:41:02 | 日記

国家というものは、新しい国体が出来てから7、80年で衰退が始まるそうな。

これを「国家ライフサイクル理論」というのだそうです。

世界史を勉強したことがある人なら、けっこう「そう言われればそうかもね。」

と思うんじゃないかな。

ほとんど人間の寿命と同じだね。

人間のやることだから当たり前なのかもしれないけど。

でも、なんで国家にもライフサイクルが起きるんだろう、とぼんやり気になっていた。

そしたら、驚きですね。

140年も前に福沢諭吉先生が「学問のすすめ」の中に書いていました。

ちょっと転載しますね。

 

「(前略)  たとえば、インドという国は古い。その文化が起こったのは、紀元前数千年前であり、そこで生まれた理論の精密で奥深いことは、おそらく今の西洋諸国の哲学と比べても恥じることのないものが多いだろう。

   また、昔のトルコも非常に強い国であって、政治・文化・軍事などすべてが見事に整っていた。君主は賢明で、役人は公正だった。人口が多いことと、兵士が強いことは周りの国で並ぶものがなく、一時はその名誉を四方に輝かせたものだった。

   したがって、インドとトルコを評すれば、一方は名のある文化国で、一方は武勇の大国だったといわざるを得ない。

   しかし、今このニ大国の様子を見れば、インドはすでにイギリスの所領となって、インドの人民はイギリス政府の奴隷同然である。今のインド人の仕事といったら、ただアヘンを作って支那人を殺し、イギリス商人のみを毒薬商売で儲けさせることだけである。

   トルコの政府も、名目上は独立してはいるものの、商売上の利権はイギリス人、フランス人に独占されている。自由貿易の元で自国の産業は衰え、機を織るものもなく、機械を製造するものものなく、額に汗してと土地を耕すか、懐手をしてただ無意味に日を送るかで、一切の工業品はイギリス、フランスの輸入に頼っている。又、自国の経済をコントロールする手段もなく、武勇の兵士も、貧乏のせいでさすがに役に立たないということだ。

   以上のように、インドの文化もトルコの武威もその国の近代文明にちっとも貢献しないのは何故だろうか。それぞれの国の人民の視野が、ただその国内だけに限定されていたからだ。自国の状態に満足しきって、他国との比較は部分的なところでだけにして、そこで優劣なしと思って判断を誤ったからだ。議論もここで止まり、仲間を作るのもここで止まった。勝ち負けも、栄誉も恥辱も、他国の様子の全体を相手に比較することなく、人民が一国内で太平を楽しんだり、兄弟喧嘩をしているうちに、西洋諸国の経済力に圧倒されて、国を失ってしまったのだ。」

 

以上。

どうです?

結局、国民や政府が国内のことばかりに目を向けるようになって、内向きなってしまうから、国家が衰退するというのです。

福沢先生のこの発言は、まだ明治維新間もない頃ですが、すばらしい洞察力です。

 

ところで日本の現状はどうでしょう。

日常の話題が内向きになってやしませんか。

国際的な問題やニュースにはまるで目を向けず(というかほとんど放送されないのだけど)、

「モリカケ騒動」や「日大問題」、「伊調問題」、「セクハラ問題」にばかり目を向けていませんか。

北朝鮮問題、中華人民共和国による南方支配、同じく世界各国での大規模な土地買収問題、中東でのイスラエルを中心とした紛争、イタリアやスペインの政治・経済不安。

ほかにもロヒンギャなど各所で起きている人道問題、グローバル企業の税金不払いなどの横暴、経済世界のAI化などなど、いくらでもあります。

常に視点を1国家などではなく、地球規模で大きく見るようにして、

常に外国の動きに敏感になり、国家、国民の危機感を維持する必要があります。

決して自己満足、や自己批判に明け暮れることがないよう、

意識的に諸外国の動向や話題に目を向けることです。

そうすれば、ともすればマンネリ化しかねない国内に活気があふれてきます。

自分の人生だってそうです。

自分のことにかまけていては、落ち込むばかりです。

もっと周りを見、かかわっていくことで、活気があふれてきます。

 

 

第2次世界大戦から70年あまり。

「国家ライフサイクル理論」からいくと

そろそろいろんな国にほころびが生じてくるころです。

特に大国といわれる国々。全盛期を迎えた国々。

ソビエト連邦はすでに崩壊しました。

アメリカは、建国300年だけれども、世界に躍り出てきて100年。

そろそろ危ないかもしれません。

世界の基軸通貨「ドル」も徐々に揺らぎ始めているし、

国家も政府も大赤字を抱えてしまい、「世界の警察はもうやめる」と言い出したり、

気持ちが内向きになってきたのか、「アメリカ・ファースト」なんていいだす始末です。

やや末期症状の気配ではあります。

 

中華人民共和国も、欲望むき出しのジャイアンぶりに世界があきれ、

国内では莫大な隠れ借金のために、徐々に首が回らなくなってきています。

いつ経済崩壊を起こしてもおかしくない、との声が高まってきています。

一方、国民のほうはネット情報化社会によって世界中の情報に触れることで、

お里の知れた共産党をさげすむようになり、

中華人民共和国という国家が「共産党のための共産党による国家」であることもばれてしまい、

もはや国民に愛想をつかされている。

なんでも「人民の夢」は、シナから出て、外国で暮らすことなのだそうだ。

ましてや習近平は、自分のために国法までも変え、永久国家主席の地位を得てしまった。

共産党が独裁国家である(すでにスターリンで証明済みだけど)ことを証明してしまった。

本性丸出し。もはや皇帝も同然である。

後々、もっと権力を掌握できたときには、皇太子も立てるかもね。

新国家樹立となるか、そのまえに国家崩壊するか。

すでに国民の心は国から離れ、財政基盤はぐらぐらである。

国として末期症状を呈しているのかもしれない。

 

周辺の国々を見渡してみて、

「 政治や話題が『内向き』の傾向が強いな、この国」

という国があったら、けっこうその国は終末期を迎えてるのかもしれません。

してみると、

ほんと、日本は大丈夫なのでしょうか。

 

みんな、もっと世界に目を向けよう!

けっこう、危険な状態なんですよ。狙われてるんですよ、日本!

そしてもう一方で、多くの国々から頼りにもされているんですよ。

かつてのインドやトルコのようにならないように

日本は、世界の一部なんだという意識を、普段から醸成させていく必要があります。

 

世界のために、日本が果たすべき役割ってなんだろう。

国内で、もっとそんな話題が増えると、日本はどんどん元気になっていけると思います。

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繰り返すことの重要性

2018-06-09 19:07:11 | 日記

《 繰り返すこと 》

 

最近、ずっと心に留めていることに「繰り返す」というのがある。

できそうでなかなかできないことだけど、「繰り返し」って大事なんです

3日坊主で、何度中断してかまわない。

また始めればよい。後悔なんぞ不要です。

このことに関して、ブログやメールマガジンなどを読みながら

以前から、ちょこちょこかき集めていたものがありますので、ちょっとだけ紹介させていただきます。

 

◎  「学ぶというのは、繰り返し朗読をして、繰り返し書き写し、そして繰り返し考えることである」 (ユダヤの格言)

◎ ユダヤ人の究極の記憶法とは、「体をキツツキのように揺らしながら、口でつぶやくこと」

 

◎ 最も学習効果が高い方法は、「動作を伴う発言」 だ。 (午堂登紀雄)

 

◎  「才能とは、絶え間なく続く繰り返しに耐えられること」 (宇野千代)

 

◎  「30分の流し読み」を7回繰り返そう。

   7回読みの1回あたりの速度は、非常に速いもの。

   私の場合は、300ページ程度の本を、1回30分程度で読んでしまう。

   読むときは、気負わない。集中しなくてはいけないと思うと、それが雑念になる。

   「本を開いてページをめくっているなら、読んでいるということだ」

   と思って、気楽に読み流す。

   もっとも大切なポイントは「網羅性」。

   7回読みに必要なのは、1冊の基本書です。 (山口真由)

 

◎ 脳の記憶のアーキテクチャーは、コンピュータと違って、

    それまでに蓄積された記憶が構造化を提供して、次の記憶が入りやすいようになっています。

    たとえば英語をよく知っている人は、新しい単語を提示されても今までの単語と脈絡、ひもづけをして覚えられやすいのです。 (茂木健一郎)

 

ほかにもあるが、文章の長いものが多いので省略。

「茂木先生のやつはちょっと違うんじゃね。」

と思った人もいると思うけど、

繰り返しによって、体の一部にすることで、

次々といろんな情報を関連付けて取り入れることが可能となる、ということです。

例えば、大リーグの守備の名選手といわれる人たちは、小学生がやるような基礎練習を毎日欠かさないそうです。

もう、体が覚えているのだから、そこまでやらなくても、と他のプロの選手などは思うこともあるといいます。

ところが超人的なプレーの裏には、どうやらこの基礎訓練があるらしい。

「木」で例えると「幹」の部分になる、ということのようです。

そこがしっかりしていると、立派な枝葉が繁茂するようになるのです。

 

私が趣味にしている囲碁などでもそうです。

歴代最高の80ものタイトルを取った趙治勲9段は(だったと思うが、ちと記憶が怪しい)、

「詰め碁に強くなりたいのなら、簡単なものを繰り返して解きなさい。

難問ばかり、いくら解いてもなかなか上達するものではない。」

と、おっしゃっていた。

私もその教えを信じて、

布石や詰め碁といった本をあれこれ購入するのではなく、

質のよさそうなものだけを選び、ただひたすら繰り返すようにしています。

そうすると、相変わらず解けない問題があったりするわけですが、

解けるものは、だんだんスピードが上がり、ひと目で解けるようになってきます。

おかげで、対局中に頭をあまり使うことなく、読める箇所が増えてきたように思います。

 

たしか、英語を学ぶとき、もっとも早い習得法として「基本形の繰り返し暗記」があります。

特に会話文などは、パターンも少なく、決まり決まった言葉の羅列なので、

これをそのまま覚えることで、瞬く間に上達するそうです。

まだ、私は実践したことがないので、言い切りはできませんが、間違ってはいないでしょう。

 

ずいぶん昔の話にはなりますが、

寺子屋師匠が子供たちに教育を授けるとき、

「往来物」というテキストを使って、手紙の基本形を教えていました。

これを学んだ子供たちは、大人になってもすらすらと手紙が書けたようです。

さもありなん、と思います。

定型文さえ身につけてしまえば、その応用形など自在に操れたでしょう。

私も以前、仕事で古文書の編集作業をしたとき、

文章に「恐れながら願い上げ奉り候」で始まる定型句が多く、

それを繰り返し入力していたら、

自分が手紙を書くときに、不思議と次々に文章が浮かんでくるようになった経験があります。

手紙やその他の文書の書き方がうまくなった、とほめられるようにもなりました。

それまでは文章を書くのが苦手で、「プッ」と笑われることさえあったのだけど。

 

今の教育には、この「基本練習の繰り返し」が足りないような気がします。

文科省が欲張って、あれもこれもやる必要はないのです。

基本の型のテキストを繰り返し、繰り返し、体で覚えるまで繰り返してさえおけば、

あとは子供たちがかってに自学自習していくことが出来るようになります。

実に効率的で理想的な学習法であると思います。

 

いろんなスキルを身につけたいのに時間が足りない、とか

ピアノや語学、仕事や趣味など、もっと効率よく、もっと上達する方法はないだろうか

と考えている人は、

ぜひ、基本中の基本に立ち戻り、繰り返すことを心がけてみてはどうでしょうか。

アレもこれもすることなく、

厳選したテキストのみを

自分の体の一部としてしまうつもりで、

毎日繰り返してみてください。

毎日20分、基本の型を繰り返す。

たいした努力もすることなく、恐ろしく力がつくと思いますよ。

 

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◎国会議員の定数配分問題

2018-06-07 13:11:04 | 日記

きょうは風邪気味で仕事はお休みです。

全身がだるいです。

そのせいか、本日の記事は重いから、途中で切り上げちゃう人も多いかもね。

それでもよければ、ちょいと読んでみてちょんまげ。

 

 

今日は、

自民党の石庭さんが参議院の一票の格差問題について、

立憲民主党に苦情を言っているニュースを読んで、

ふと思ったことを書いてみます。

 

ほぼ人口割りオンリーで決められる議員定数。

たしかに法的には違憲ということになろうが、

これが正しいわけではない。

法は改正されねばならない。立法の責務である。


ためしに飛行機に乗る機会があったら、地上を良く見てほしい。

特に夜間。

地方の細かいところまで車の帯が行き交っている

そんな様子が観察できるだろう。

地方の隅々まで人や物流が行き渡っている様子を示している。

まさに人間の動脈静脈の血流を見るようだ。

ためしに、日本国を人間の体だと思ってほしい。

今、日本という1固体は、激しい人口減少に苦しみ始めている。

少子化は続いているのに、

より便利の良い東京へと人口の一極集中は加速し、

全国の各所に空白域が生まれようとしている。

空白域となった地域の物流はなくなる。

住む人のいなくなった農地や山林は荒れ果て、放置される。

 

かつて人口が増加してる時代なら、

そんな土地にも移住しようとする者たちがいた。

しかし、東京を除く大阪などの大都市でさえ、

人口が減っている現状である。

郵便局もない、病院もない、コンビニもない、

もちろん「行政の手」も行き渡らない、

そんな土地に移住しようなどという物好きなど今や数えるほどしかいまい。

 

人体の場合だと、

血流のなくなった部位は壊死することになるが、

これが国土単位で生じようとしている。

そもそも日本という自治体は、

東京など大都市だけで維持できるものではない。

国土全体に活力がみなぎって初めて力を発揮することができる。

うそだと思うのなら、東京だけ日本から独立すると考えてみるといい。

たちまち立ち行かなくなるはずだ。

東京が日本の一部として存在するから、その価値も高まるのだ。

心臓がいくら強くても、

末端の毛細血管に元気がなくなれば、もはや寝たきりの病人である。

誰かの介助なくして自ら立ち上がることなど出来ない。


平和なときなら、それでもなんとかごまかせるかもしれない。

しかし、東北大地震のような大災害が

東京、名古屋、大阪で起きたとき、どうだろう。(必ず起きるけど)

どこに避難する?

だれが助けてくれる?

住宅は?

インフラは?

復興資金はどこから捻出する?

とはいえ、今ならまだ日本全体で国家を維持することは出来るかもしれない。

でも、地方が疲弊し、行政も、物流も、人手も、技術も

失われていたらどうだろう。

どうやって国家として助け合うことができるのだろうか。

米国やシナに頼るのか。

しかし、そうなってはもはや独立国とは言えまい。

 

しかるに、表題に戻って考えてみよう。

日本は、この2,30年で2千万とも3千万とも言われる人口減少が生じる。

すでに「限界過疎」と言われている村々はもちろん、

多くの自治体が消滅するだろう。

自治体が消滅した地区は、

地震や大雨などの災害が起きても、

復旧は後回しとなり、荒地が広がっていく。

現在でも九州に匹敵する面積が、相続者不明の状況に陥っているが、

今後2,30年でその状況は急速に悪化することになる。

登記変更のできなくなった土地は再開発さえ不可能となる。


もしかすると、

外国から密入国したものたちが、勝手に居ついてしまい、

我が物とするかもしれない。

どうせ所有者のない土地だ。だれも「どけ!」という者もいない。

「私たちのものよ」と言われたらそれまでだ。


しかしながら、日本は大都市中心主義(人口主義)が

幅を利かせているご時勢だ。

なんでも「人権」が一番大事で、

国家など二の次というのが常識だ。

よって、

国会議員の配分も「1票の格差」こそが大問題であり、

差別だという。

これに反論する者などほとんどいない。

 

その理屈は、

500平米の土地に建つマンションの住人100名と

1平方キロの土地に住む100名は、

人権上同一の権利を持たねばならぬというものだ。

でも考えてほしい。

マンションはエレベータが2台もあれば交通機関は充分だ。

では1平方キロの土地ならどうか。

少なくとも数キロの道路と、移動に要する時間や車が必要だ。

当然これらの維持管理もしなければいけない。

風雨災害が起きないように、所有する農地や山林の管理も欠かせない。

こういったことを考慮に含めない

1固体としての人権のみでもって平等、不平等と言われることに

疑問を持たざるを得ない。


また、よく地方行政は自主財源も少ないのに、

国からの交付税で儲けているという考え方をする人もいる。

これも無茶な理論だ。

例えば、田舎は、

交通機関ひとつとっても自治体自らが運営するか、

民間会社に多額の補助をださないと維持できない。

ところが東京はどうだ。

本来は不要のはずの都営バス、都営地下鉄などがなぜか運行しているが、

ほとんどが民間会社だけでカバーできてしまう。

そこから充分に利益を得られるからだ。

営利企業が見逃すはずがない。

大学、病院、銀行、電気、ガス、各種海運業、etc。

どの業界にも「官」はいらない。

それだけ大都市の自治体は地方に比べてやらなくてよい分野が多い。

よって資金面にゆとりがある。

地方にはないさまざまな住民サービスが存在するのもそのためだ。

それだけではない。

地下交通網の整備や水害対策用巨大貯水槽設置など、数兆円単位の巨大国家プロジェクトを

国土全体で見れば盲腸のように小さな地区に集中投資している。


方や、地方はカツカツである。

常に財政赤字に苦しみ、道路、水道、農地、山林、港などの管理すらままならない。

それなのに、国から多くの交付金をもらい、

実生活以上の生活をさせてもらっている、

と考え違いをする者たちが大勢いる。

国会議員の配分も同様、地方優遇だという。

人口の少ない地区は、法に基づき国会議員を削るべきだ、と。

 

地方あってこその東京である。

それぞれにそれぞれの役割があり、その価値をお互い認めなければならない。

しかしながら、あらゆる面において東京は強い。

地方の論理は、めったに通用しない。

そりゃそうだ。

新聞やテレビなどのマスコミを含め、

上場企業の約半数が本社を東京に置き、

業種によっては75%を超える。これらの企業からの法人税も東京に落ちる。

企業からすれば、東京に本社を置くことのメリットは多く、

ネームバリュー、各社連携、情報、中央省庁といったものが集中しているのだから当然だ。

むしろ地方に本社を置くことのメリットのほうがないのだ。


もっとも、

国会において、法人税法など一律の法制度ではなく、

特別区などをいくつも設けて、

場合によっては地方に本社を置いたほうがメリットがありますよ、

といった制度を作ってくれさえすれば、多少は改善するかもしれない。

しかしながら、現況そのような動きは見られない。

現行制度のように全国をまったく同じ法律でしばるやり方では、

強者のみが勝ち残ることになる。

考えるまでもなく、東京と鹿児島では企業立地条件が違いすぎる。

このアンフェアな条件にある地区同士を

同一の法律で縛ることこそ、不平等なのである。

 

何はともあれ、

これらの問題の元凶である少子化対策は緊急に解決すべき問題である。

同時に、「地方の活力」はタフな国家を作るために、絶対に欠かせない。

少子化問題も地方のメリットを生かすことで、解決していけるかもしれない。

そんなに難しい問題とも思えない。


少子化問題も含め、解決策は実はある。


あとは立法府たる国会が国の将来にどれだけまじめに向き合うか、だけである。

とはいえ、

例えば少子化対策を打ち出して、その効果が出るのは20年後だ。

時間はあまりない、と言える。

課題が山積する地方出身の国会議員の役割は大きい。

日本が将来襲われる問題は、決まって地方から日本全体に波及していく。

というか、弱いところに真っ先に症状が現れる。

「一票の格差」問題を論じるときには、そんなことも頭の片隅に置いておいて、

人権という個人の問題とは切り離して、

もっと大きな視点で論じるようにしてほしい。

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WHOの世界禁煙デーのまやかし

2018-06-01 00:24:52 | 日記

◇世界禁煙デー

  世界保健機関(WHO)が1989(平成元)年に制定。国際デーの一つ。
  1995年の段階で世界の喫煙者は10億1000万人で約5人に1人の割合となっ
  ている。毎年世界で300万人が喫煙が原因とみられるがんや心臓病で亡
  くなっており、このままでは2030年代初頭には喫煙による死亡者が年間
  1000万人に達するとWHOは警告している。
  (World No-Tabacco Day)

 

なんだそうです。

なんかおかしいと思いませんでした?

1995年の段階で5人に1人が喫煙者なんだそうです。

それで毎年300万人も喫煙が原因で死んでるんですって。

で、このまま推移すると、

なぜだか、喫煙による死亡者が1千万人にもなるんだそうです。

タバコに毒でも混ぜられているんでしょうか。

ちなみに

日本なんて以前は男性7割ほどの喫煙率だったのが、今じゃ3割ほど。

3人に1人になっています。

でも不思議ですね。

肺がんなどは、どんどん増えてるんです。

?????

誰が調べたんでしょう。肺がんの原因はたばこだ、なんて。

ちなみに

ニコチンに発がん性はほとんどありません。

主成分のひとつタールにも発がん性はありません。

そのためにタバコのパッケージからは「ガンになります」との表記は大分以前からなくなりました。

科学的に証明されていないことが医学会で批判されたからです。

たばこを毎日直接吸い込んでいる人でもガンになる確率は、ほとんど非喫煙者と変わらないそうです。

 

解剖学者の養老孟司先生は次のようにおっしゃっています。

「昔、タバコを吸っている人の肺は真っ黒になると写真でよく紹介されていたことがあるが

実は、年を取るとみなああなるのだ。」

と。

それなのに、いまじゃ副流煙(この言葉変換できない。近年の造語?)なるものが、

恐ろしく体に悪く、危険なものなのだそうです。

普通、ごみや薪を燃やすと、燃え方が悪いとツーンと目と鼻に刺さるような煙が立ちますが

これが、タバコの場合はどういうわけか猛毒なんだそうです。

だとしたら、喫煙者はとっくの昔にガンにかかって死んでなきゃいけません。

私の周囲にも90歳を過ぎてもタバコを楽しむ方はいくらでもいます。

むしろ長生きの人が多くない?と話題になったこともあります。

泉重千代さんが医者の奨めでタバコをやめたのは、120歳で亡くなる1年ほど前のことです。

まるでタバコをやめたから亡くなったのではないか、と疑いたくなるほどです。

 

厚生労働省やWHOは大分以前から確信犯的うそつき集団です。

これまで数多くの偽科学データを捏造し続けてきた団体です。

つねに利権団体と結びつき、あるいはトップの嗜好によって、なぜかある一定の方向性が決められるようです。

研究所や学者たちは、WHOや厚生労働省の動向を見極め、その希望する論文を捏造する仕組みです。

すべてはお金です。

彼らに媚を売らないと研究費がもらえないんです。

もし純粋に研究をしたくても、厚生労働省などと方向性が違えば研究費は認められないのです。

 

地球温暖化対策花盛りのときもひどかったですね。

原子力村と環境省が一体となって、

「化石燃料は悪、クリーンエネルギーは善」

「地球を守ろう」

の大合唱。

本当の狙いは、原子力事業の拡大。

マスコミや地元のイメージ対策費だけでも毎年数兆円が使われたといわれていました。

実は、1975年ごろまでは、「地球は温暖化している」という研究と

「地球は寒冷期に入ろうとしている」という研究と二分した状態だったそうです。

ところが、原子力大国フランスから始まった

「地球温暖化の最大原因は二酸化炭素排出」との議論が盛んになって以降、

一気に「地球は温暖化している」の研究と発表のみが行われ、

反対意見はまったく姿が見えなくなりました。

ところが3.11以降、急激に「原子力村」が力を失うと

「地球はまもなく寒冷期にはいる。すでに温暖化の兆候は見られない」

といった研究や意見が急に聞かれるようになりました。

 

 

今日は、冒頭の記事を読んで

かつ、厚生労働省本省でわずかに1台だけ設置されていたタバコの販売機が

ついに撤去された、というニュースを見て、

嫌煙者による、喫煙者に対する、そのあまりの横暴ぶりにショックを受けましたので、

眠い目をこすりこすり、がんばって記事を書いてみました。

まるで「焚書坑儒」並に、自分達の気に入らないものは排除しようとする

危険な風潮に恐怖さえ感じる今日この頃です。

 

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