インドラネット

パソコンが壊れる度に全てが消えるデジタルデータ。このブログをクラウド代わりに活用させてもらいます。

密教の世界(その2)

2019-08-25 12:09:03 | 日記

今日は、前回に続き、「密教の世界」(その2)です。

とてもわかりやすく表現されていますが、それでも大変難解です。

というか、実感が難しい世界です。

でも

「あー、それそれ、その世界」

と同感することはできると思います。

私が「最友」から講演録の部分を書き写しておいたものです。

それではお読みください。

 

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平成29年11月13日東京高野山東京別院にて、400名余参加

池口恵観「第3回密教特別講演会 意識の世界に働きかける要諦」

 

池口師は

「私たちの意識は、他の誰のものでもなく自分だけのものであり、

各自がじかに経験する現象である。

生まれた瞬間から死ぬ瞬間まで私たちは意識を持ち続け、

それぞれが固有の存在である。

では、『意識』は進化するのか、死によって消滅するのか。」

と語りかけ、

死後の意識についての宗教的見地にとどまらず、

「意識とは何か」

「意識はホモ・サピエンスの時代から始まったのか」

「意識は進化するのか」

などの切り口から、インド古代伝統哲学であるヴェーダや脳神経外科の視点を例に挙げ、

古代の社会では、「意識」は他の人々の「意識」と結びつくこと、

現代医学における「意識」は別の人間の体に影響を及ぼすこと、

などを紹介し

「意識」と「見えない世界」との密接な関係について述べた。

さらに世界各地の古代文明を

習慣、建造物、工芸品などから詳細に観察すると、

全く接点のない様々な場所、異なる時代に生きた民族であっても、

すべての文明が情報を共有していたことがわかるとし、

理論的には説明しがたい

「人類全体の精神世界の構造」

についてもわかりやすく解説した。

また、伝統的な「密教の視点からの見えない世界」の捉え方を説いたうえで、

最先端科学の「量子力学における見えない世界」へのアプローチが

伝統的な密教の概念と一致するとして、

「量子力学では、宇宙のすべてのものの究極の構成要素は眼に見えない粒子であり、

宇宙のすべての存在は、たとえ何億光年離れた場所での些細な出来事であっても、

時間と空間の制約を受けずに影響しあっている」

と論じるが、これは仏教の縁起とも完全に一致すると述べ、

密教の「加持祈祷」の構造と原理についても現代科学になぞらえながら解説した。

 

当日は、真言宗徒以外にも多くの聴講者が訪れ、眼に見えない世界に働きかける方法や潜在意識の作用についての興味深い講演に熱心にメモをとる姿が見られた。

※ 途中、適当に改行を入れました。(インドラネット)

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量子力学で解説する「宇宙のすべての存在は、時間と空間の制約を受けない」

とはすごい研究ですね。

過去、現在、未来が同時混在する世界。

始まりもなければ終わりもない世界。

 

自分という固体に拘ることの無意味さを感じます。

 

恵観先生の話は、なんだか宗教というよりも、哲学の世界です。

「哲学」を「行」によって、「実感」まで持っていこうとしているように思えます。

以前、恵観先生は

「時間というものは、早くすることも遅くすることも可能」

とおっしゃってましたが、

だからこそ、超人的な活動が可能なのかもしれません。

十数年、恵観先生の活動をみていると、

一人の人間ができる量を超えていましたので、、

まさに「時間」のコントロールをした、ということかもしれません。

 

次回は、「第4回講演録」です。

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密教の世界

2019-08-21 01:22:06 | 日記

密教、つまり真言密教のことですが

以前、鹿児島最福寺が出していた「最友」を、私よく読んでいました。

難解な密教の奥義を、わかりやすく説いてくれるので

大変勉強になりました。

 

「最友」で真言奥義を解説されていたのは

弘法大師空海以来の「百万枚護摩行者」である池口恵観大僧正で

徳之島にも来てくださったことがあります。

ラッキーなことに、直接お会いすることができました。

少しも偉そうな方ではないので、そのときは少し驚きました。

 

その少し前に別の宗派の大僧正と、ある懇親会で飲む機会があり、

少し話もさせていただきましたが、

その方は、どことなく威圧的で、かつ世俗的な印象があり、

「本当に坊さんかいな」

といささかがっかりしましたので

池口恵観大僧正はどうなのかな、と思っていましたが

お話を聞くと、飾らない、とても真面目な方のようでした。

今は、空海が入定される最後の日に彫刻したという「廿日大師」を本尊とする

高野山真言宗別格本山「清浄心院」という

お寺の住職となられましたので、「最友」も休刊(?)しているようです。

 

ところで、

この「最友」が休刊する少し前に

恵観先生の体感された

珍しい「悟り」の世界

について書かれた講演録が3,4回に分けて掲載されていました。

その内容は、私の感じていたものと、とても似ていて

「あ、間違ってはいなかったんだ」と大変心強く思いました。

もちろん、私などとは違って

恵観先生は、500年来の修験者の家系の者として、

一生を修行に明け暮れ、

しかも弘法大師空海以来、

1200年ぶりに「百万枚護摩行」を達成された

大行者ですから、

悟りに至った苦行の重み、体感された「悟り」の深さ

などなど全く及ぶものではありませんが、

講演で表現された宇宙の真理には、共感するものがありました。

下に、その「第2回」の講演録を紹介させていただきます。

(「第1回」分を見つけることができませんでした。残念。)

修験者の「悟り」です。

とても参考になると思います。

 

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平成29年10月12日東京高野山東京別院にて

池口恵観「第2回密教特別講演会 真言密教・祈りの秘鑰(ひやく)『眼に見えない世界を感じるために』」

 

 密教では、生と死はひとつの全体として捉えられ、「この世」と「あの世」は同時に存在し、そこでは死は新たな生の始まりに過ぎず、無意識が時間と空間を超越しているのと同じく、あの世も時間と言う概念はない。

 また、欲望も物質的条件も超越したエネルギーの波のようなその世界では、愛と知恵に満ち溢れ、感情のある現在・過去・未来の生命体の存在が微細な粒子となって集合し、巨大な一つの意識となって、雲のように連なっている。

 そこでは、一つの小さな粒子が人間であり、本来、私たち一人ひとりの意識であり、それが集合しつながった状態は、水は氷や水蒸気となって循環するように、人間の魂や意識といったものも水と同じく循環している。

 私たちの意識は大海の一滴であり、壮大な輪廻と言う循環を繰り返している。

 その中で生きる私たちが、純粋で素直な思で深く物事を認識し、すべてが変容していくと言うことに気づけば、自分の中の柔らかく、ふわふわとした何か、その何物にも打ち砕かれることも、変化させられることもない、本質的な存在に気づくことができる。

 (話は変わるが)アメリカを例に出せば、西洋医学だけに基づく医療が既に50%を切り、ハーバード大、コロンビア大など権威ある大学が「祈り」を研究の対象とし、その研究例は1200を超え、「精神神経免疫学」という新しい分野が開設され、古来より人間が続けてきた「祈り」が、最先端の研究分野になりつつある。

 密教が重んじてきた「祈り」の効果や、その作用が、現在科学的に解明されようとしている。

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なんだか、真言密教の宣伝みたいになってしまいましたが

宗派は関係なく、

結局、真剣に行に打ち込んだものにだけ見える何かがあるということなんでしょう。

日常生活のみで、特に修行をしているわけでもない人たちも

似たような感覚は感じることができると思いますが

気を失うような、厳しい行の中で感じた「悟り」は

より深く、「実感」する感覚なんだろうと思います。 

 

私流に解釈すれば、

〇 宇宙は一つの意識体で、我々はそれを個別に感じているゆえ、別物と思いがちだが、その意識は同一のもの

 

〇循環する意識が、たまたま人間と言う固体に宿っている状態、それが私

 

〇現在・過去・未来が同時に混在し、「気」として動いている。「祈り」はその「気」の動きと同調させる働きを持つ

 

〇逆に言うと、その「気」の動きから外れることで不協和音が起き、「苦しみ」は生まれる

 

ということでしょうか。

 

 

次回は、第3回講演録を紹介しますね。

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岡目八目

2019-08-10 23:30:25 | 日記

前回ブログをアップしてから20日もたってしまった。

ちょっとまじめに仕事をしたら、

腰は痛くなるわ、バイオリズムはおかしくなるわ

やっぱり、年のせいかしらん。

その間に、とっても幻想的な写真が撮れたので

とりあえず、貼り付けときます。

向こうに見えるのは、「奄美大島」です。

 

 

さてと、

いろいろ書いておきたいことはあるけど、

今日は、「岡目八目」的生き方です。

 

よく『正論』を読んで、愛国心が高まって熱くなる人たちがいます。

「正論」は立派なメディアで、日本にとって有益な存在ですが、

こういう人たちに「正論」は、むしろ危険なように思います。

 「シナも朝鮮も許せない!」、

「こんな奴らは日本から追い出せ!」、

「社会の悪だ」 と、単純にこうなりがちです。

 彼らは、自分で考えないから簡単に思い込むことができるし、

他人の意見や世間の風潮にあっさりとなびきます。

 戦前、新聞にあおられて

「自分たちは正義の戦争をしているのだ」

「鬼畜米英だ」

と、感情にまかせて行動したタイプと同じに思えます。

この考えが別に間違っているわけではないですが、

この手の人たちは、集団心理に落ち易く

思考が停止するから困るのです。

「極右」にも「極左」にもなり得る人たちです。

 

こういうタイプは、時代が変わると

米国が大得意のGHQ的情報戦略にコロリとやられてしまうことにもなります。

教科書に書かれたことを鵜呑みにし、

批判や疑問を受け付けず、

新聞やテレビ、権威あるものの言うことをそのまま信じる人たちです。

右から風が吹けば左になびき、左から風を送れば右になびく。

為政者からすると大変扱いやすい

従順な「庶民」なのです。

昔から「民は草。風が吹けばなびく」という格言があって、

今も為政者の常識です。

あなたもそうなってはいませんか。

 

我々庶民が気をつけること、一番大事にすべきことは「バランス」で、

常に自分をニュートラルにしておくことを心がけること。

感情のままに動かないこと。

「国家とは何か」、「国民とは何か」

をしっかりと理解しておくこと。

そうしないと右にも左にも簡単に洗脳されちゃいます。

いったん洗脳されたらもうだめです。

眼が覚めるまで(つまりすべてが終わるまで)、

何も見えなくなります。

価値観が単純化するために、結論が一目で見えるようになり、

注意する者を小バカにするようになります。

自分の頭で

「それは本当か。裏の目的があるのではないか。」

といった冷静な分析ができなくなるのです。

 

普段から一歩、渦中から離れ、

他人事のように

別の場所や上空から眺めなおしてみる癖が必要です。

これが、この情報戦争だらけの社会で、

右往左往しないで済むコツです。

現代のようにどんなに情報があふれていても、

その中にニセ情報がまぎれていても、

ぼんやりと眺めてみれば、「おやおや」と見えてくるものです。

大掛かりに仕掛けられている情報戦略の場合には、

もそっと高みから見なければわからないわけですが、

そんな時には、自分には見えなくても、ちゃんと分析のできる人はいるものです。

彼らの言葉に耳を傾けることさえできれば、

地に足を付けていられます。

 

情報氾濫のネット社会ですが、

耳を澄ますことさえできれば、

そのネットのおかげで

とても貴重な意見や、重要な情報を知ることができます。

数十年前なら本屋で探し求めるか、

直接、これはと思う先生に教えを受けない限り、

真実など知ることなどできませんでした。

 

もちろん大手マスコミや「電通」が支配していた時代でも、

その洗脳作戦に影響されず、

その危険性に警鐘を鳴らし続けた少数の知識人たちがいました。

実際はもっといたのでしょう。

然し、庶民にその情報が伝わることがなかった。

今や世界は「インドラの網」と同じ環境が現実の社会で張り巡らされ、

地球の裏側のことまで、手に取るようにわかる時代になりました。

これからはもう二度と、かつての「為政者の時代」はやってこないかもしれません。

「風」を吹かそうにも、

穴の開いた鞴で風を送るようなもので、

米国のような巨大国家やユダヤ人が支配するマスコミでさえ、

うまく庶民をコントロールすることができなくなりました。

「情報」や「分析」があちらこちらから漏れ伝わりますから。

 

彼らに残された手法としては、

10年以上の期間をかけて、組織力とお金を使い、徐々に情報量を増やし、

人々を「感化」させる方法のみが残されているといっていいでしょう。

為政者(ある目的を持った組織)側からすると、

非常に根気の要る長期計画になります。

しかも、どこかでばれたら終わりですし。

相統巧妙に、かつ謙虚に静かに、時には弱者の姿で、

粘り強く、神を信仰するかのごとく、強い意思をもって継続し続けることになります。

 

 

ところで、

「脳内爆発」という言葉があります。

一定期間同じテーマで勉強したり、

運動したりしていると、

突然何もかもが旨くできるようになることです。

脳内にバラバラに保存されていたデータが、

突然に連携を取り合えるようになる瞬間を指します。

これと同様に、インターネットの社会もこれだけ情報が飛び交うようになると、

「脳内爆発」と似た現象が起きる可能性が高い、と思います。

それがどのような形で出現するのかはわかりませんが、

その視点でこのネット社会を見つめておく必要があります。

AIも同様です。

人や国家による独裁者は現れにくくなりましたが、

代わりにインターネット網の発達が

ある種の「脳内爆発」を起こすような気がするのです。

 

 

話を戻します。

一番怖いのは「思い込み」です。

人間ですから「思い込み」はあってあたりまえですが、

これが一番「思考」を狭めます。

そこで少しリスキーですが、

ぜひ「投資」をやって見ることをお奨めします。

資産の1/5程度を「投資」に回してみるのです。

失敗しても、成功しても自己責任です。

でもとても勉強になると思います。

そこでわかることは、

失敗する原因の最大のものが自分の「欲」、

そしてそこから発生する「思い込み」だということです。

「上がるはずだ」、「下がるはずだ」というやつです。

社会的、政治的、経済的な諸条件や

過去のデータ推移などを検証はするのですが、

それが正しいわけではありません。

多分に「情緒的」であったり、

「気まぐれ」であったり、時には「故意」であったりするのが「市場」です。

10年以上かかるかも知れませんが、

そのうち、一切自分の「思い込み」を信じなくなります。

 

「投資」の世界で有名な言葉に

「まだは、もうなり。もうは、まだなり」という言葉があります。

これはまさにそのことを表しているように思います。

多くの人が「まだ、上がるだろう」とか「もう、下がるだろう」と言うときは、

その逆が起こる前触れ、と言う意味です。

「投資」の世界では、一切の「欲」から離れ、

シンプルに物事を見る努力が必要です。

 

 

こういった精神状態を端的に表した言葉が

「岡目八目」です。

仕事でも、投資の世界でも、普段の生活でも、

何か自分で判断が必要なときに必要となる、大事な考え方です。

いかにして、「自分」から離れた状態を保ち続けるか、

上等な生き方をしている人は、それができているんだと思います。

私など、わかっているのにすぐに気が緩むから、すぐに「自分」に捕まっちゃう。

人生はいつだって油断大敵玉手箱なのです。

10回のうち8、9回は、「自分」への拘りから離れて

冷静に「判断」や「行動」ができるのに、

どうしても1,2回はうまくいかない。

こういうときは、気が緩んでいるときで(今まさにそれ)、

すべてをオジャンにしてしまいます。

ああ、「俺」ってやつは懲りないなあ、と思うのです。

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