インドラネット

パソコンが壊れる度に全てが消えるデジタルデータ。このブログをクラウド代わりに活用させてもらいます。

アウトプットしよう

2017-12-29 17:23:54 | 日記
前回は「写本のすすめ」だったが、今日は何でも「書くことのすすめ」。

どちらもアウトプット作業です。まあ、同じことになりますがクドクドと今日も書いておこうと思います。


みなさん日記書いてますか。

日記をつけることは記憶の確認、定着に大きな効果があることが知られています。

私もかれこれ25年くらいは日記を書いています(エクセル管理)。

私の場合、脳の記憶容量が他人よりも小さいようで、何せ忘れっぽいと家でも職場でも注意されます。

もちろん1ヶ月以上前の古い話などほとんど覚えていません。

すでに見たはずの映画を再度新鮮に見ることができます。

そのたびに周り中からあきれた顔をされます。

(小学校のころは「アメニモマケズ」をクラスでたった一人暗誦できずに、外が暗くなるまで教室に残されたこともありました。つらい出来事だったから、いかな私でも覚えています)

自分には、やばい欠点がある。何とかしなきゃ仕事でも迷惑をかけちゃう、ってなわけで

最初は手帳にせっせとその日の記録をつけてたんですが、いかんせん字が汚いし記入欄も数行しかない。

そんなことだがら、日記をパソコンで管理ができるようになったときは、私、救われた気がしました。

ああ、懐かしきウインドウズ95。IBMのデスクトップをすぐに購入しましたっけ。

あの当時は、ほんと感動しました。

それまで何とかパソコンを自分の仕事に活用したい、と願ってはいても、

MS-DOSとかいうプログラム言語が厚い壁となって手が出ず、

すでに操作できる人は自慢するばかりで、一向に素人に教えようなんて気はないし、

うーん困った、とにもかくにもワープロで慣れておくか、てな具合に職場でもややあきらめ気味でしたもんね。


でも、ウインドウズ95が出て以降、日記がパソコン管理できるようになり、

文章で細かく記録することで、少なくとも重要と思われる事案だけは記憶に残せるようになりました。

さらに有難かったのは、日記に検索を入れると、すでに忘れてしまっていたことでもちゃんと確認できること。

しかも時系列に。

今では当たり前のことになっているけど、それまで「検索」なんてできなかったんですよ。

これで自分に足りなかった能力をコンピュータに助けてもらえる。

しかも記憶力のよい人よりも細かく記録を残すことができる。

ほんと私のためにパソコンができたのだ、としか思えなかったな。

これに味をしめた私は、近い将来急速に普及するであろうAI(人工知能)についてもフルに活用したいと心待ちにしております。

何せ自分に足りないものは多々ありますから、そこは優れもののAIを全面活用しようというわけです。

どんな活用方法があるかは未定ですが、囲碁の人工知能「アルファゼロ」のように、我々をより高みに導いてくれることは間違いないでしょう。

「人間」と「コンピュータ」、さらにそれを搭載した「ロボット」がうまく共存できる社会が実現されることを願っています。



いかんいかん。まったくわき道に話がそれてしまった。

今日のテーマは、アウトプットのすすめです。

ちなみにこのブログもアウトプット作業の一つです。

これによって記録や記憶できる効果だけではなく、書くことで自分の脳を鍛える効果が期待できます。


たとえば、京都市立堀川高校の例があります。

1999年まではごく普通の私立高校で、進学も国立に10名程度しか通らなかった高校です。

高校再編したときに「探求科」なるコースを新設し、2年次までに各自自由にテーマを決め「卒論」を仕上げることを義務付けたそうです。

するとこれをやり遂げた生徒たちが急速に成績を伸ばし、なんと一気に100名余も国立大学に受かることとなりました。

この結果は、「卒論」を仕上げる中で、生徒自身が主体的かつ能動的に調査し、課題を見つけ、解決策を検討し、

それらをまとめて書き上げる力を身に着けたことが大きいといいます。

卒論を仕上げるには、まず基本的知識を身につけるため、テーマに沿って数多くの関連本を読まなければなりません。

加えて、そこからひとつの論文の形にまとめ上げていく構想力も必要になります。

ひたすらインプットし、自分の言葉でアウトプットする。

これが考える力を身に着ける最良の方法といえるように思います。

大学だってそうでしょう?

教授の指導の下、査読を受けながら卒論を書きあげる。

これが大学で学ぶことの一番大きな意義と言っていいんじゃないかな。

ひとつのテーマにあらゆる角度から光を当てて、自分なりのひとつの結論を導き出す作業。

これを経験したかしないかは、その後の人生に大きな意味を持つと思いますよ。



人生は、良質なアウトプットができてこそ意味がある。

ただ吸収するだけでは、ほとんど意味はなさないですから。

これを社会に還元して、はじめて社会貢献したといえる。努力した甲斐があったといえる。

こつこつ勉強し、自分の成長を楽しむ。

その成果は必ず社会貢献に生かす。それこそが自己研鑽に励むことの最終的目標といえると思います。

努力とは自分のためにするものではないのです。



私も普段、雑多にインプットしているわけですけど、アウトプットとなるとなかなか難しい。

決まったテーマを持っているわけじゃないものね。一貫性が無いというか。。

とはいえ、来年もできるだけせっせとブログを書いていきたいと思っています。


今年は生まれて初めてのブログに挑戦してみました。

一つあげるごとに充実感があって、なかなか楽しいではないですか。

来年も気ままに、気軽に、そして誰にも気兼ねすることなくブログを書いていきたいと思っています。

もしよろしかったら来年もまたこのブログにお寄りください。

では、よいお年を~。



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写本のすすめ

2017-12-24 17:29:16 | 日記
最近頭を使ってないせいか、お題は浮かぶのだが、ブログを書くほどの構想が練れない。

まあそんなことで、普段チョコチョコやっているお勧めの趣味をひとつ



皆さんご存知の正岡子規という俳人が明治の半ばにいました。

彼は10代のころからおびただしい数の写本を行い、

そこから得た膨大な知識をもとに優れた創作を生み出し、20代で俳句界のリーダーとなった人物です。

意外なことにあまり本を読むことは無かったそうで、同級生の夏目漱石から「もっと本を読んだほうがよい」と忠告されたこともあるそうな。

そこから想像されることは、どうやら彼の知識は写本によってその多くが成り立っていたということ。

よく江戸時代の学者に博学な人たちがいたが、彼らもそうでした。

書物は高価だったから、若いときはせっせと写本して自分の蔵書としたのです。

しかしそうやって手に入れたからこそ、先人の深い知識と理解を体感することができたのでしょう。



以前、仕事で読書百遍という感じである古文書に触れたことがあります。

その編集作業にウンウンうなっているときにふと感じたことがある。

(このときは写本ではなく、パソコンへの古文書入力という作業だったが、)

その作業中、自分がまるで著者と同時代を生きているかのような錯覚を度々覚えたのだ。

自分も同じ役所の中でいっしょに協議の場にいるような、出張するときは馬で同行しているような、そんな感じ。

ああ、江戸時代といったって、現代とまるで何も変わることは無いじゃないかと実感させられた。

そのときに写本の重要性を感じることができたように思う。

ただ読んだだけではわからないものがそこにはある。

最近ネット上で読んだ記事に、写本は読書とは違い、記憶の定着度や理解度が十倍以上も違うと書かれていました。

それだけでも十分価値がある。でしょ?


ま、そんな経験や思いもあって私もせっせと写本をしようと思っている。

今は現代語訳『学問のすすめ』に取り組み中。

とはいえ、ものぐさな自分のこと。毎日やるわけではない。

そんなことだがから、もうかれこれ数ヶ月もたつのにまだ半分しか進んでいない。

本当は原文がいいのだが、手元にかったので、斉藤先生の現代語訳を写本。

(と書いたところで、今ネットで探したらあった。「青空文庫」。これからはこれにしよう!)

現代語訳でもなんだか福沢先生が乗り移ってくるような感覚になる。まるで自分が福沢先生になって慶応義塾の学生に講義しているような感じ。

この感覚が大事なのだろうと思う。

ただ読書しただけでは伝わってこない気迫や考えが自分の中に浸透してくる。

当然、その進度はかなり遅くなるから、写本すべき対象は「座右の書」に限るということになる。

私は筆ペンを使って江戸時代の気分を楽しみながら書いているが、鉛筆や万年筆でもいいだろう。

写本中は、なんとも言いがたい満足感と心の安らぎを覚えることができる。


この次は中村天風先生を予定している。買うと高いからね。

ぜひ多くの方に写本をすることをお勧めしたい。

けっこうワクワクしますぜ!
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東京に行ってきた

2017-12-13 21:35:55 | 日記
この土日をはさんで東京に行ってきました。

いやー寒かった。毎朝連日0℃前後まで下がってました。

耳が痛くてマフラーが欠かせなかった。さすがにヤマトは違う。

ちなみに写真は秋葉原です。

ここではトルコ料理のドネルケバブとかいうローストした肉を削ったものをナンのようなものでくるんだやつを食べました。

1個600円なのに1万円渡したら9500円帰ってきたので、「???」となり

トルコ人らしいお兄さんに「おつりが100円多いよ。」って言ったんだが、それでいい、って感じの反応をされてしまいました。

よくわからないが、「ま、いいか」とその場でおいしくいただきました。

ただし、ハトが七羽、食事の間中私にまとわり付いて離れないのは往生しました。




と、そんなことはどうでもよいのです。

私、本日島に帰ってきましたが、寒い。東京にいるのとあんまり変わらないくらい寒い。

今、足元は毛布をくるくる巻いて、このブログを書いています。

いやもう、寒いのはこりごりだったので、やっと暖かい南国に帰ってこれたと喜んだのもつかの間

いつまでたっても暖かくならない。というか陽が落ちるほどに気温が下がってくる。

あげく、つめたい雨まで降ってきて、しかもこの音が硬いものだから、ますます寒々しくなりました。

あー、明日も寒いのだろうかと思うと、とても弱気になってきて

いっそ、パッチをはいて、マフラーをして出勤しようかと大変軟弱な発想に取り付かれています。

ちなみに気温は今12,3度です。

ね?寒いでしょう。


ま、それはまた明日考えるとして

実は今回、東京へはバニラエアを使い奄美から成田へ飛びました。

なんと往復で1万円です。

鹿児島へ片道行くより安いです。最近まで東京といえば外国も同然だったのに。

ありがたや、ありがたや。

おかげさまでこれからは気軽に東京に行くことができそうです。

バニラ様には今後一層のご発展を祈念しております。


今回の旅でつくづく感じたこと、

なんといっても東京は食べ物がおいしいってことです。

「あ、あの店おいしそう!」「この店、次は入ろう」なんて感じで、街を歩くだけで人の食欲を刺激してきます。

そのせいで私、このほんの数日間で3,4キロ太りました。

持参した服の一部が急激な体重増加のため、着ることができなくなったほどです。

都合により来年からは年に数回、東京に通わなくてはいけないので、どんだけ太ることになるか心配です。

体重をあと10キロ減らすことを目標としている私としては、普段の摂生がこれからとっても大事になりそうです。
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カラスバトがやってきた?

2017-12-02 12:43:40 | 日記
こりゃ、カラスバトじゃねえ?

アパートの横の枯れ松にこれで3日連続飛来中。

つがいのようです。2羽います。

声は「ウー」みたいな感じ。まあよく聞くような声です。

ただ、3日前に飛来したときは「カリカリカリ」みたいな音を出していました。

そのときは、「あ、カラスだ」と一瞬思い、でも変な声だったので、大きさからするとサシバのようでもある。

しばし ???

でもなあ頭は小さいし、首も長い。色もカラスみたいだ。

と、ここで「あ、まさかこれが世に言うカラスバトというものか?」

と疑心暗鬼になりながら目を凝らしているうちにこのときは飛んでいってしまいました。

ただ、女房が言うには「昨日も来ていたよ」とのこと。

するとこれで3日連続飛来中ということになる。

でも、確信はないので、わかる人は「そうだよ」とか「それは〇〇だ」と教えてくださるとありがたい。

ちなみに拡大してみると一羽の腹の下は白い班が見えるようです。

カラスバトは全身黒っぽいはずなので、この点どうなのかしらんと素人は自信をなくすところではあります。

ま、もそっときれいに撮れることがあるかもしれません。

そのときはまたアップさせてもらいます。

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貴乃花の罪

2017-12-02 03:10:46 | 日記
またまた貴乃花のことです。

マスコミでも盛んに取り上げているのであまり気乗りはしないのですが、、、



貴乃花による貴ノ岩への処遇は異常です。

27歳にもなる貴ノ岩の部屋を周りから見えないように封鎖しているという報道があります。

恐らくは携帯電話も取り上げているのでしょう。

このため貴ノ岩からの肉声がメディアからもほとんど入ってきません。

もしこれが本当ならいつ監禁罪に問われても不思議ではありません。

加えて親方から貴ノ岩に対し11月場所の休場、さらには来場所への休場命令が下されているとのこと。

医者からは11月場所ですら出場は可能との診断がされていた、にもかかわらずです。

これにより貴ノ岩は今場所、来場所と大きく番付を下げることになります。

本人の意思は無視したということでしょう。これこそパワハラそのものではないでしょうか。


これをわかりやすく例えるならば、

ある会社の社長が社員に対し出勤停止を命じたうえに、長期間にわたり部屋に閉じ込め、しかも外部との連絡をさせない、といっているのと変わらりません。

この場合だと、本人や家族からの訴えがあれば明らかに犯罪になるでしょう。

貴ノ岩への貴乃花親方の命令は、まさにこの社長の行為と同じです。

彼はこの間、親方から相撲を取ることを許されていないのです。

プロのスポーツ選手が体のどこも悪くないのに、監督命令で練習が一切できないのです。

これでは貴ノ岩は肉体的に、いやそれ以上に精神的に大きな傷を負いかねない。これが師匠の弟子に対する態度といえるでしょうか。

そもそもこの一件は、当事者である日馬富士と貴ノ岩の間では事件翌日、

お互いに「すまなかった」と詫びあっていて、当事者間では終わった話でした。

これを刑事事件まで話を大きくしたのは貴乃花です。

これにより日馬富士は横綱としての責任を取る形で、引退という最も重い判断を下さざるを得ませんでした。

引退会見では「どうしてこんなことになるのかわからない」と伊勢ケ浜親方が涙を流して残念がっていました。

さらには「被害者」たる貴ノ岩も休場、降格、監禁という三重苦を味わっています。

このままでは彼までもが引退まで行きかねません。

ここまで話を大きくした以上、貴乃花は当然この責任を取らねばならないのではないでしょうか。

親方としても、相撲協会理事としても、またそれ以上にひとりの人間としての責任であると思います。

結果的に彼は大きな罪を周りのすべての人に犯してしまいました。

その代償は必ず払わねばならないはずです。

もし彼が何らかの「正義」を貫きたいのであれば、

(すでに手遅れではありますが)日本相撲協会の理事として、理事会において問題提起を行い、

正々堂々自分の信じる「正義」を訴えればよかったのです。

そこに相撲に対する熱い思いと私欲の無い誠意あふれる態度があれば、共感する方々も出たのではないでしょうか。

今回の一件を見ていると、貴乃花は自分の主張を通すことだけを考え、

周囲の意見に耳をふさぎ、ただひたすら駄々をこねる子供のようにしか映りませんでした。

その貴乃花に周囲の人たちが何がなんだかわからないままに振り回され、

いつのまにか大事(おおごと)になり、

このままだと誰も何一つ得るものも無いままに終わりを告げることになりそうです。


貴ノ岩にとって貴乃花は少年のころからの憧れの力士であったといいます。

せめて、貴乃花には自分を慕ってやってきた貴ノ岩の将来を摘むようなことだけはやめてほしいと願っています。
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