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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森 42号

2008-04-06 | 創刊~100号

       こならの森42号1991.10.1発行

目 次

■こならの森10月号■
2…看板娘・加藤さん
3…町・「日本のウクライナ」
5…特集 まちおこし再考 
11…佐知倶楽部NEWS
12…結婚します。和田家・重野家
13…ミニ特集 そんなバカな~
17…インホメ91 《芸術の秋特集》
23…モータースポーツWORLD
24…新米ママ奮闘 安藤さん一家
25…カラムコラム・街角の肖像
26…書評・絵本紹介
27…情報コーナー @佐野市
28……………………@館林市
29……………………@足利市
30…映画情報・ブックストップ10 
31…協賛店MAP
33…こならの森から~



【本文抜粋記事】

特集 まちおこし再考

 バブルが崩壊した今、もう一度考えてみよう、まちおこし。
 現象といってしまえばそれまでだがバブルが去ったのだからもう無意味な開発は行われないと思っていたのだがそうでもないらしい。行政指導型のハコもの文化はもういらないといわれて久しいのに、まだまだ欲しがる人々が多いのにはびっくりさせられる。
 現在、佐野では田村耕一記念館建設でもめていますが、作るにせよ作らないにせよ、徹底的に議論すべきです。田中正造生家保存問題でも、何が本当の利益になるのか議論すべきだったのです。それがなかったばかりに、平行線で終わってしまった。話し合いも無く、やってしまえば結果オーライ、壊してしまえば、全てはおしまいなのです。そうならない前に、話し合いの場の方を先に作るべきです。もっと初心に返ってまちづくりを考えてみましょう。
 もちろん一億円のようにどう使おうとおかまいなしのお金があるなら少しは別だがそれにしても、一億円ではね。といわれているがはたしてどうでしょう。 

■一億円の事例
事例集をあたってみるとあるわあるわ各地のおもしろ事例。
 キャバレーを建てて遊んでしまった所。帰りの手荷物の多さから見て、どうしても11日間海外旅行無料ご招待としか取れない、新妻海外研修。新たに温泉を掘り、温泉街全体の湯量を少なくしてしまった所。(これでは町つぶしになりかねない。)金の延棒やら、金のこけしはまだしも、ただ一億円の札束を拝ませただけなんて所までさまざま。
 結局、竹下政権の人気取りの苦肉の策だったのに、躍らされただけのようだ。自衛隊の海外派兵ではないが泥縄政策ばっかりでは社会党のことを笑ってばかりもいられない。だから、町中であそんじゃったところは実にえらいと思う。
 さて、みんなはどういっているのか、地域社会を考えるの中からランダムにあたってみよう。

………………………………………………………………………

 らーめん会のきっかけはその話しが始まる前に、組合の親睦旅行で喜多方へ行ったんですが、あちこち食べ歩きして、いろいろみてきました。そこでこれからの自分達の商売のことやまちづくりを考えさせられましてね。そんな時に、たまたま市長さんから市の活性化に役立つ目玉は無いかと、商工課長さんを通じてお話しがあったんです。それではということで、仲間が発起人になって商工会議所や、商店連合会、観光協会が前向きに協力してくれて、会づくりの話しがもり上がったわけです。
 佐野の人がもっと開拓者精神というか冒険心をもってほしいですね。結果を怖がって、何もしないのではなくて、前向きにやってみる。そういう事がよくても悪くても、地元の活性化につながると思います。(古沢幸一さん 佐野ラーメン会会長)

 佐野でも例えば鉢の木に通じる人情だとか、水と緑と万葉のということから『水で有名な町』というふうにする。佐野市の鳥はオシドリですが、それをきれいな水で飼っているとか、各小学校にきれいな水ということを象徴させるようなものを置くとか、現実に結び付けたほうがいいですね。まちづくりというのは残念ながらハード面ではない。住んでいる人が大切なんです。道路でいえば安全に通れるようにすることが最小限のことだと思います。少し店を削っても自転車を置けるところくらいは作るべきだと思いますね。しかし私たちはそれを理解して具体的にする事には弱いんですね。やはり行動に結び付いてこそ、初めてそれが生きたといえるような気がします。(山野井武夫さん 和光産業 代表取締役)

 この辺の特色はわりと豊かな土地がらで、昔から飢饉もあまりなかった。西那須を中心にして、開拓地がわりと多かった。そこに里芋などが植えられたわけですね。山間と平場と、北と南を分ける里芋文化です。あとは葛生の山間などもそうですし、田沼なども戦後の開拓なんですね。米が出来ないものですから、里芋とかそば、仙波そはなどは有名ですね。
 面白いのは栃木県の中でも足利は食生活の面で他と違っているということです。『しもつかれ』を取っても佐野や館林、邑楽郡あたりまでは作るみたいですが足利は作らないんです。体質に合わないというんです。佐野とか、栃木と比べて農業人口が少ないせいもあると思いますし、あまり作られていなかったりしてなじみがないみたいですね。(香川道男さん 農文協関東支部係長)
 地域の活性化というと、どうしても本音と建前が違ってきます。建前は健全性とかいうことですが、本音の部分の不健全性の方が実は活性化につながるんです。(阿部久司さん 佐野飲食組合 会計)

 両毛地域経済というのは北関東横断道路ができることから北関東の中でも重要視されます。ですから行政側は県単位ではなくて、もっと大きな、(関東というと大きすぎますが)単位で対処して欲しいと思いますね。 一村一品運動という聞き慣れた言葉になってしまいましたけれども、大分県知事の話を聞かせてもらった事がありましたが、その中で『自分達で創造していく』ということを学びました。
 『ふるさと創生一億円』の使い道ですが、ハード面でなく、ソフト面を重視して行かなくてはいけないと思いますね。(藤波一博さん (株)波里代表取締役)

 駅南も魅力あるまちづくりというものが基本構想にあるのかというと、そうでもない。大型店を誘致するとか共同ビルを造るとかそいう案もいくつかでているんですが、みんなたちぎれている。(曾根紀夫さん 佐野軽飲食組合長)

 この地区は、東京の周辺から見れば地価の上がり方が少ないですから、まだ大企業が進出する余地はある。地理的に東京に近くなって来ることは、佐野の外からの資本と人が入って来る余地というのがものが大きく膨れあがってくるわけです。よそからの資本が入ってくれば、想像もつかない発展をします。その土地の人から見れば無秩序な発展です。それが想定されるとすれば、逆にこちらから提案をしながら枠を作るんですね。 
 ただ東京の発展を持って来るかと言うのは別問題です。東京に連動して無秩序な発展をしてしまった所、そういうような事例を回りで多く見ている訳ですから、そういう事を除いた発展の仕方というものが工夫出来ると思いますね。それには、知恵も出し合わなければいけないし、議論もしなければいけない。そういう事を回りのみんなが考える雰囲気になっているのかというと、何か自己満足で終わっているような気がしないでもない
。 例えば、自治体がネームバリューを上げる為に活用しよう、という型のお祭りがたくさんありますが、そういうものがあってもいい。自分達が楽しみつつよそから人を呼べる、そういうお祭りがあってもいいと思います。それは市が中心となってやっている七夕祭りだと思うんです。 ある意味で真面目だから、遊び心がないのかもしれませんね。遊びの中からの発想というものも良いものがあると思うんですね。ダイナミックな発想というか、ちょっと毛色が変わっているけれど面白い発想。歯車をあわせれば、もっと発展をすると思いますね。(新村文克さん 前NTT佐野支店長)

 北関東道ができればできたで、今までよりも通りがよくなってもっと先に行こう、田沼なんかより足利か、桐生へいこう、なんて事になる。便利になるけれどもそれに乗ってどんどん離れて行くようなきもします。(小林三郎さん 田沼旅飲組合)

 現在の佐野を近代化するにあたって会議所は、駅南もそうですが、大ショッピングセンターを作り市庁舎も入れる、という提案を行ったわけです。それだけでなく人の集まるものを作って行かなければいけないと。
 足利の中央通りもあれだけのことをやったが人集めの場所がないから、商工会議所をはじめアピタとかができて賑わいが川南へ移ってしまいました。だから、佐野の場合も外へ出てしまってもいいんですが、その前に街の中の体制もそれなりに作ってからでないと駄目ですね。
 例えば、戦後の日本の近代化というのは西欧諸国のまねをすることでした。でも、初めから舞台が違う。カナダのバンフやジャスパーの国立公園を見て来ましたが、あそこの舞台作りは国がやっています。住宅や商店街などは、その国立公園に密着したものを作っているわけです。そして、この街の商店は、何件というふうに決まっている。観光局が商店街をもっているわけですからね。そして、その舞台回しをしているのは、商工会議所の会頭なんです。それだけの権威を持たしているんですね。
 だから日光などは、同じ国立公園であれだけの舞台を持っているのにかかわらず舞台回しができないのですからもったいないですね。だからといって、カナダでやっている事を持ってくればいいかというとそうではない。それなりの形というものがありますからね。
 佐野には、佐野の形があります。駅南でも、目新しいものはありますが、けしてすごくはないです。第一にそぐわないのは市庁舎で、それをどうするかが問題です。佐野市は個々の開発はやるけれど、総合的な開発はしないですね。
 人というのは、どこか中心に向かって集まってくる。光に集まる虫達みたいです。だから、中心街に集まれるような道を作ってやらなければいけない。風通しを良くしてやらなければいけないんです。市民の動きというのは、車によるわけです。その、道筋を作るのが行政なわけですね。町づくりも同じです。でも行政だけではできないですよね。一番悪い癖というのは、何でも行政に押し付けているということですね。そして、受け手側も何んでも受けてしまう。 
 昔、田中角栄が打ち出した『日本列島改造論』では、北関東の事を取り上げている。ここの重要性を認め、日本の人口の三〇パーセントくらいを集めて活用しよう。そして、その中心になるのが那珂湊港から、高崎までを結ぶ北関東自動車道なのです。それと、同じに両毛線の見直しも大切です。鉄道の輸送力の見直しですね。確かにトラックで運んでしまうと楽は楽。ですが、輸送経費が多く掛かる。鉄道の輸送力は、大きいですから、見直しをし大きな貨物基地を作りそこからトラックで運び出すということですね。また、両毛線上にある都市が連携をしていない。だから、両毛線上の首長が集まって、いかに開発すべきかを議論しなければいけないと思います。
 そして、両毛線と水戸線を一本化するという大きな課題があります。逆に言えば、今の両毛線と水戸線上に橋脚を付けてそこに、高速道路を作ってしまうというような構想もいいですね。それから、昔のように水路を利用してもいいのではないでしょうか。古河に広大なる陸の港を作って、利根川から大洗まで運河を作ってしまう、というような構想です。那珂湊港を大きな港として、大体二〇万トンくらいの商船が入るくらいなものです。そうすると、物資の輸送というものは、違ってくると思います。これは関越道を通して日本海へとつながる。(小林正作さん 佐野商工会議所専務理事)

 今になって思えば、越名沼を干拓したのは大きな損失でした。現在ではインターチェンジができていますし、人を呼べる絶好の場所になっていたでしょうね。佐野は中心街になにもない、だから城山公園あたりを整備して観光に利用したらいい。(新井金光さん 佐野料飲組合幹事)

 あちこちでまちおこしなどといっていますけれども、もう観光でしか食ってい行けない地域というのがある訳です。また工業化して行くしかない地域もあるわけですよね。川崎市など公害に悩みながらも工場で食って行くしかなかった訳ですから。昔から、この地区の人は東京へ出て行くときに「食えなくなったらいつでも帰って来い」といわれて出て行く。それくらい豊かなんです。ですから、その融通性がかえって裏目に出てしまった。ところが四国とか九州から働きに出る人は、「もうお前の帰ってくる場所はない」です。だから、向こうで成功して帰って来いよ、ということになる。そういった県民性はあると思います。
 それから、それぞれの市長さん、町長さんがいかに人の意見を聴いて若い人お年寄り、そういった年齢に関係なく革新的な意見をどれだけ処理できるかその能力の問題だと思います。しかし、地域性がありまして優秀なブレーンを育てられないという感じを受けます。若い人がやらなければいけない、と理解してくださる方が多ければいいですけれども…。
 この地区からは、経済界の大物がたくさん出ている。ですが、その人たちを追いかけようともしていない。また、その人達も振り向こうとしていない。山口県では町の公園とかいろいろな場所に歴史的な人物の銅像がたくさんたっているんです。そういう人物の銅像をみて育った県民姓というのは違うと思いますね。佐野駅や佐野市駅といったところに田中正造の像があってもいいと思いますね。
(石川道明さん (株)石川定次郎商店 代表取締役)

 駅南が、古いものもある新しいものもあるというのではなく、もっと早くできなければだめですよ。まだ数年かかるようですが、一緒にパッとできなければね。(高見聖介さん 佐野飲食組合長)
 安佐の人の人格というものが地元の人間にもかかわらず分からないですね。足利の人は自分を表現するパフォーマンスがうまい。栃木は逆にいぶし銀のように光るところがある。こんなに近いところで、会社でいえば営業と経理のように違っていて、その中間に佐野が位置していて影が薄くなっている。それから、佐野というところはまだ自然が残っています、ですからその自然を残しておくということが文化につながると思います。
 クリエィティブな仕事はもとより、発想性の根源というのは、自然とか空気がきれいだとかいう環境ではないでしょうか。ただ残すだけではなくて、古いものは細工をしてでも残して行くという演出も必要ではないかと思います。それが、文化と、それを生み出す元につながると思います。ですから、その地の利を最大限に生かすべきです。(松田光央さん (株)松田 代表取締役)まとめ

 全国の事例を引くまでも無く、開発もむらおこしも紙一重といわれています、紙どころでなく同一紙というのが常識。また、大規模なリゾート開発がたいして地元の利益なっていない、という記事が最近は新聞に出ているくら。しかし、そういいながらも変わらないのがこの世界。それをよく表しているのが、なんとかコンサルタントとかいう職業の旺盛だろう。どれを取っても似たり寄ったりの案ばかり、中華菓子の方がまだアンが詰まっていそうなものだ。しかし、彼らもそれほどばかではない、もっとましな案があるに決まっていると信じたい。にもかかわらず、こうもワンパターンを出してくるにはそれなりの理由というものがあるようだ。ようするに、受け手をばかにしているというか、無難なもの、よそでもやっているものそして成功していればなお説得力があると思っている。一番いけないのは、批判を受けたものだ。奇抜なデザインでもプランでも批判を受けていなければ大丈夫なのだ。これでは、コンサルタントなぞいらないではないか、なのに結婚式に呼ぶ議員のように箔をつける為に競って使うところはどうも田舎者臭い。それも、近在のコンサルタント会社などではない。これもばかのひとつ覚えのように東京だけなのだ。一地方都市からばっかりの案にたよっていたら同じものが出てくるに決まっている。一億円の一件でも一番儲かったのはコンサルタント会社ではないか。

■今回の提案
 そこで提案ですが、やはり作るならもっと人が呼べるところがいいのではないでしょうか、複合的なそして、一度いったらまた来てみたくなるそうな、それでいてむかえる側も2時間くらいなら優に楽しませてあげられると自信に満ちたものを出せる、そんなものができないものでしょうか。
 その一番の候補地は逆手に取ったところに作った方が良いと思います。そこで上がってくるのが、城山公園、三毳山、唐沢山といったところでしょうか。最も候補に上がるのは唐沢山ではないでしょうか? どうしてかというと、市内から近くもなく遠くもない。歴史はあるが、とりたてて有名でもない。ということはこれから有名にする余地が充分にあるということでしょう。 以 上


こならの森 41号

2008-04-06 | 創刊~100号

       こならの森41号1991.9.1発行

表紙/岩舟コスモス=三毳山=広角

C O N T E N T S

■こならの森9月号■

2…看板娘・庭田悦子さん
3…町・「カタクリの里」
5…特集 池・沼に注目@ 
13…若き芸術家の世界 田中重光さん
17…インホメ91 《芸術の秋特集》
21…カラムコラム・街角の肖像
22…結婚します。
23…モータースポーツWORLD
24…アウトドアースクール
25…新米ママ奮闘記 山田さん一家
26…書評・絵本紹介
27…情報コーナー 佐野市
28……………………館林市
29……………………足利市
30…映画情報・ブックストップ10 
31…協賛店MAP
33…こならの森から~



【本文抜粋記事】

特集 湖沼にこだわる

【池? 湖?】
 池・沼にスポットをあてると、いろんなことが見えてくる。そんなことを探してみませんか。池、沼、湖とランクはされているが、それだけではどうも割り切れないものがある。上高地の神秘的な湖?は大正池と言う名前が付いている。池だから汚いとか、見る価値もないというのは偏見。沼はどうであろう、ただのよどみともとれかねない。 三毳山には、たくさんの溜池がある、というより残っているといったほうがいいかもしれない。
【名水百選】
 さて、池といわれるとまず真っ先に思い浮かべるのは、名水百選に選ばれた出流原の弁天池だろうか。しかし、この池も野放しでは名水どころが泥沼になりかねない様相だ。汚れてもすぐきれいになるからまだいいが元が汚染されてしまったらもうどうしようもない。富士の押野八海で今流れている水は何十年前に降った雨のものと言われている。弁天池でもそれくらいの流れをへて湧き出ているに違いない。そうすると元が汚染されているということになれば、その元が元に戻ったとしても、その後何十年も汚染され続けるということになる。こうなっては手遅れなのだが…
 だから、埋もれてしまいそうなこの池と沼に光を当ててみたい。
 三毳山には、熊沢蕃山が作ったという歴史的な水路と池がのこっている。また四季折々の風景がまたたまらなくきれいなのだ。
  信州の松原湖は、大小の池がいくつか集まってこの湖の名前になっているという。だから松原湖は特定の一つの大きな湖を指す言葉ではないということだ。また、信州の地元ではかつて〇〇池と言われていたあまりパッとしなかった湖が、女神湖と名前が変わってから爆発的な人気になったということも聞く。〇〇池〇〇沼というより湖とつけると響きが断然違ってくる。
【リバイバル】
 残念ながら安佐地区に湖はない。こんな平野部に湖があったら大変だという気もしないでもない。かつての越名沼を、干拓したのにもかかわらず、また水を張り、湖にしようというはなしもある。これも沼という名称をやめ阿曽湖とか、三毳湖、とつけるといいかもしれない。
【湖の一生】
 その湖にも人と同じように一生があると言う。湖として水をたたえながらも、土砂が流れ込み湿地化してやがて陸地になってしまう。今話題になっているの戦場ガ原がまさにそうである。そして先の大正池にいたっては現在、土砂でほぼ埋まってしまっている状態と言う。逆に長寿なのは日本一という琵琶湖。数百万年も生き延びていると言うことだ。また、今では透明度世界一と言われたバイカル湖も汚染被害に会い、透明度四十二メートルどころか五メートルがやっとという。ならば摩周湖が世界一ではという期待も出てくる。何しろこの湖には流れ込む川が一つもない。つまりは汚染源がないということなる。そして一年の何カ月は雪に覆われ人を寄せ付けない。道なき道を下り、湖面まで降りて来たという人の貴重な話によれば、限り無くすんで宝石のようにきれいだったと言う。
 話はだいぶそれてしまった。こうまで書いておいて、沼や池の話をするのはつらいが、さにあらず。三毳山の北西部には沢山の池が今でもひっそりとたたずんでいる。絶滅の危機に瀕しているというフジバカマもかってはいたるとこに生息していたが、今ではさすがに見つけるのは困難。しかしながらそのそばでは花木センターが建設されているのは何とも皮肉なことのようだ。
 花木センターわきの夏草の生い茂る「万葉のみち」と名ずけられた道を行く。好きで良くあるった道だった。この道への入り方は難しい、地元の人しか知らない道だった。それを行くと、深い森の中に囲まれた二つのため池が現れる。あまりに森の中なのであぜんとしてしまうのだった。
 三毳山に詳しい人の話によると、こんな池は回りのあちこちに存在しているそうだ。オフロードバイクにまたがり、道なき道に分け行って探し歩く過程がよいともいう。それは、想像以上の発見を約束した。森の中の池を発見すると自分が最初に発見したかのように興奮し、勝手に名前をつけて回ったと言う。清水の池、妖精の湖と思いつくままにつけてアンシャーリーの陶酔に浸っていた訳だ…。これも今となっては誠にうらやましい話。 唐沢山近辺にも沢山のため池があるが、隠し湯的な神秘性はないような気がして残念だ。