35号 1991.3.1発行
表紙 かたくりの花
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2p…看板娘
3p…結婚
4p…としこ/カラムコラム
5p-16p…散歩道
17p~20p地域社会を考える
21p-22p…トピックス
23p…モータースポーツ
24p…アウトドアー
24p…コーヒー/本ベスト10
25p…美容と健康/街角
26p…本/絵本紹介
27-29p…情報
31-32p…協賛店名
33p…子育て編集日記
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【特集企画】
街角の散歩道
「もはや安佐の道には風景がない。」と思っていいるひとへ贈る。もう一つの散歩みち
東の産業道路から離れ、女子短大へ入る丁字路を少し行くと、竹薮のあたりから小道が続いている。車でいきなり入るにはそれなりの勇気がいる。散歩道はここから始まる。
ひとたび、春ともなれば菜の花が咲いて人影もない道は趣がます。そっと日だまりの中に春が見え隠れする今は姿を変え、息を潜めて…。ひがらいてもいいと思う。道はまだ続く。もっと足を伸ばせば水道塔があり、おやっと思わされることだろう。淋しい田園地帯であったのが信じられないほど、ここ数年で急激な変貌を遂げたところだ。工業団地から続く丘陵地帯の片鱗が見えて楽しいものだ。もうすぐ、全く自然のままの姿の野草が芽を出す。小道を入り、人家が続くがやがてすーと消え、写真のような建物が続く。時代劇の一シーンのようだ。別に時代遅れと言おうとしているわけではないが、高く長いベルリンの壁の如く立ちはだかる建物は異様な感じがする。
見た限りは一つの続いた大きな建物のように見えるが実際には、二つの部分から出来ており、建物と建物の間は、人一人が通れるか通れないかといったところ。壁の高さは5~6メートルくらいだろうか、その上にこれまた大きな屋根が乗っているわけだから建物全体の大きさは10メートル以上と言う事になる。ちょっとしたビルなみである。小さな笹が壁に沿って続く。反対側は、小さな栗林となっている。今年はどうだが分からないが昨年は道路側に菜の花が咲き誇って壁の黒々とした色に映えていた。栗林の先には、みかも山が人家の屋根と同じ高さに見える。家に囲まれてしまったが、この一角だけひっそりとしている。
黒々とした威圧感は人々を寄せつけないのだろうか。
道は車一台分ほど舗装されているが、狭いので行き交うのは難しい。そのために人影もない。
ただ気になるのはゴミの多さである。せっかくの散歩通が台無しだ。
少し道からそれて、栗林の中を歩ってみた。ふり変えってみる
と、すくっと木のあいだから浮かび上がるその大きさに、再び驚かされる。このあたりだけ別世界のようだ。璧のそばの狭い道を歩っていると、その威圧感から長く歩っているような、はたまたどこまでも続いていくような視覚効果の影響を受ける。しかし、実際に歩って見ると、それほど長い距離ではない。
璧の圧迫感から逃れたら見慣れた住宅地が見えてくる。道はまだ狭い。やがて丁字路に出る。右手は、市営高萩住宅だ。左に行くと、田園の中に取り残された小道が続く事になる。これも、情緒があるのでいってみるのもいいだろう。少し行ってやはり、住宅がきれると、前ページの写真のような、塔が出現する。これは箱庭の田園と人家を分けるランドマークとなっているのだろう。やがてこの田園が消える時、これも取り壊されることだろう。
稲を作らなくなった田んぼは、やがで名も知れぬ野草の宝庫となる。花ばなの群落が素晴らしい。
こんな散歩道他にあるだろうか。
旗川沿いには、面白い景色が展開している。
並木町は、佐野の外れ。足利市との境に位置している。しかし、安楽寺をはじめ市内でも屈指の文化遺産を有しているところである。この町を抜けているのは寺岡・館林線だが、お分かりのように、何も見るところはない。そこで、旗川に沿って歩き出すことにした。白旗橋から北へ抜けていく。土手の高さから見る町並はまた変わって見える。いくつもの蔵や、いく時代も越えてきたような建物が点在する。不思議なくらいにはっきりと他の建物と区別出来る。
【原風景】
さして重要なものがないからだろうか、道も広くなく、趣もあって楽しめる。トラックやダンプカーが激しく行き交う道ではないのがいい。どこか昔の物語の世界に入って来たような錯覚に陥る。
こういう道を歩って行くと、戦後の長い歴史の中で人々が失ってきたものが、あるような気がしてならない。だれしも子供の頃に見た風景の中で印象に残っている風景というものがあるが、どこだか分からない。そんな風景に出会ったような気になる。それも、そのもままの姿だったりすると、なお嬉しい。こんな風景はちょっと前だったらありきたりだったのだろうけれど、今は探さないとないのかと思うと残念である。
こうした町並を抜けていくと、国際都市東京とか、歴史の町京都、経済国家日本、高い工業生産能力、ハイテック技術など、『見られて』いる日本とはだいぶかけ離れているように思える。しかし本当の日本に触れたようで、なぜだかほっとするのも事実だ。
【小野茂木】
さてこの町の中の、通り名となっている、字名で『小野茂木』というのがある。ちょっと変わっている。というより、なんか変だなと思う。良く町を歩ってみれば分かるが、一軒が小野さんの家だとすると、その次も小野さん。いくつか続くと、今度は茂木さんが続く。そう、ここは小野さんか茂木さんだけの集落なのだ。もちろん何軒か例外の家も混じっているが…。な~んだ例外も…という人に、特別に教えてしまえば、藤岡町都賀の、一つの集落は十七軒ほどだが、みんな小関さんばかりなのだ。完璧!。
川沿いに、さらに北に進むと、橋一本で足利市稲岡町になる。やっと足利市に入ったと思うが、すぐ北へ行くと赤見の町なのだから不思議な気もする。機会があったらここも紹介してみたい。
こんな散歩道どこにだってある。
田沼町というのは面白い。深く知ってしまえば知るほど、魅力にあふれている。町全体が貴重な歴史財産だともいえる。開発が進んでいないだけ得な面もあるのか、面積のほとんどが山林という事もあるのだろうが…。
【岩崎】
ここでも思わず立ちどまってしまうような情景に多くであう。これも散歩の楽しみの一つだろう。特に夕暮れの雰囲気は独特なものを持っている。小さな集落を曲がりくねりながら進んで行くとどことなく急激な変化から取り残された風景と出会う。しかし、こういった地でも一つが変わればあっというまに変わって行くような気がする。そのハドメをにぎっているところ。そういうと大袈裟だろうか。変わる時は変わる。しかし、変わらない時はずーと変わらないそんな息吹が肌で感じられるだけでも来て歩ってよかったなと思う。
【ツ・イ・ン】
ツイン・ビルというものは日本はおろか各地にある。けして珍しくも、新しくもない。間組が青山に立てた、狭間のある青山ツイン。ニューヨークの国際貿易センタービル。モダンデザインの象徴的な存在だが、田沼でも各地でこうしたビルをみる。タバコ乾燥小屋か何かの建物だ。しかしどれもツインなのだ。佐野市内で見かけるものは単体のものが多く、同じものが二つというのはみた事がない。構造上どちらが効率が良いのかとかそういうことは分からないが単にデザイン上だけの事ではないだろう。しかし、デザイン的な事なのだとしたらかえて素晴らしい意味を持つし、そう願いたいものだ。今が素晴らしいのではなく、長年の時代を経てなお存在し、人々の生活や風景の一部となるものそういうものがグッドデザインというものだろう。奇をてらったものや、流行のモチーフに惑わされては本物がみ見えにくくなる。その点が今騒がれている、ポスト・ポストモダンの考えであろう。流行を越えた、流行が存在する。それは身近に、栃木駅、葛生駅と言った大正ロマンの建造物であったりする。見ると両者はよく似ているが、非なるもの。これが変に画一化されたモダンデザインとなれば、何か大切なものを失ったような、心の貧しさに気づくいに違いない。第一、それが残る。
草もなく、小動物も行き交わない。そんな姿は自然とはいいがたく、散歩する気にはなれないのは当然だが、長い時代を越えて存在するものにはそれなりの理由というものがあるのだろう。古いもの、壊れ行くものその不安定さがまたいい。
こんな散歩道だれも知らない。