■ ■■■■■ ■ 日刊 こならの森 ■ ■■■■■ ■

* * * *  *  * * * *
東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森 67号

2008-04-15 | 創刊~100号
       ■こならの森67号■1993.11

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森12月号■
3p… さざんか 目次
4p…結婚しました
5p…やんば 
6-9p…インフォ/現代用語
10-11p 新・ロック評/万葉ラブ
12-17p 特集 国際交流
18-23p…JCジャーナル 
24p…銀幕画廊
25p…書評・絵本紹介
26-29p 文化会館情報/協賛
30こならの森から~

■■■■■■■■■■■


【本文抜粋記事】

特集 国際交流
 
9月19日に、佐野市民会館周辺で行われた国際交流フェスティバルは、各方面からの反応があり、意義があったと思います。そこで今回は、当日までのいきさつや、企画に協力した佐野市国際交流協会等の諸団体との交流をふまえ、また当日の模様などをお伝えしながら、「国際交流」や「まちづくり」といったことをじっくりと考えてみたいと思ます。(今回の企画は、佐野JC並びに同広報委員会のご協力を得て制作いたしました。)

@国際交流と人づくり
 これから五年後、十年後の安佐はどうなっているでしょうか。現在、ボーダレスワールド、国際化社会、といった言葉がもてはやされています。きっと、もっともっと世界が近くなり、外国人の友達も増え、身近な友人達が世界を相手に仕事をしているはずです。私達の子供も留学したり、海外で仕事をしているかもしれません。
 我々は次の世代に対して何がしてあげられるかを考えました。そして、世界の子供の絵画展を思いついたのです。これは昨年からの佐野JCの事業でもありますが、海外からは約500点、実行委員会の外国人スタッフが卒業した小学校に依頼しました。安佐地区の小学校からは約630点。フェスティバル中に展示をし、好評でした。この後、海外の小学生の絵が安佐の小学校へ配られ、安佐の小学生の絵がプレゼントと夢を乗せて海外へ渡ります。これを機会に文通などの交流が始まれば、本当の国際交流に育っていけるのではないでしょうか。そして、そうなることを期待を込めて願っています。

 あなたはあなたの隣人を知っていますか?話をしたことはありますか?一緒にお茶を飲んだことはありますか?どんな顔をしているか知っていますか?もしかしたら、外国の人かもしれない・・・現在、安佐地区に住んでいる外国人は千人若しくは三千人とも言われています。おそらくこれからも増えていくことでしょう。隣近所に外国の人が引っ越してくることはあり得ないことではないのです。そんな時、私達は上手につきあえるでしょうか。隣人と楽しく和気あいあいと暮らしていくところが@まち@であるとしたら、今、私たちはすでに外国人の隣人の存在を無視できない環境にいるのではないでしょうか。そこで愉快に暮らせるかどうかは私達次第なのです。
 我々が国際交流の必要性を感じたのはそこからなのです。現在、安佐地区に住んでいる外国の人は、日系ブラジル人が一番多く、続いてペルー、アルゼンチン、パラグアイの日系の方の順となっています。私たち日本人は比較的欧米人やその文化と接する機会はありますが、アジアや南米、アフリカの隣人が多いにもかかわらず、彼らと接する機会がほとんどありません。彼らに聞いても同じ答えが返ってきます。近所の人たちとの会話もあまり無く、あっても挨拶程度だといいます。
 @安佐のまちづくりを、彼らとの交流から考えたらどうだろう@これが今回の国際交流フェスティバルの原点でした。私達日本人が単一民族だから外国人を受け入れるのが苦手なのかもしれません。言葉、習慣の違いという大きな壁もあります。でもこのままではいけないのではないでしょうか。私達はこのフェスティバルを通して少しでも多くの人たちが出会い、お互いの文化の違いを知り、理解し合う機会が増えればと考えました。@ISSHONIYAROUYO!(一緒にやろうよ)@これが合い言葉です。
@国際交流とまちづくり
 近代から現代にかけてさまざまな都市計画が行われてきました。ブラジリアに代表される計画都市。そして、行政主体の再開発。都市で行われている街づくりをみていると@何か足りないものがあるのではないか@そんな気がしてなりません。青年会議所の活動を通じてたどりついた結論は、その@足りないもの@とは@人とのふれあい@ではないだろうかということです。立派な@いれもの@ができても中に住むひとが@まち@を意識しなければ本当の@まちづくり@ができたとは言えないのではないでしょうか。隣に住む人と気軽にお茶が飲めるような@まち@になってこそ初めて@まちづくり@が完成したことになると思うのです。

国際交流フェスティバル
@フェスティバルまで
 今回このように盛大なフェスティバルを開催することができましたが、当初、(社)佐野青年会議所(佐野JC)国際交流委員会では、外国人による日本語スピーチコンテスト、世界の子どもの絵画展、このふたつを軸とした催しを考えていました。それがこんなにも大きく発展できたのは多くの人、それも外国人の方々との出会いがあったからです。それは、佐野国際交流協会に足を運び、外国人の方々を紹介されたことに始まります。彼らに催しの主旨を説明すると@世界の料理を紹介したらどうだろう@@世界の遊びをやったらおもしろいのではないだろうか@と次々に意見が出され膨らんでいきました。彼らの熱意と委員会の気持ちが共鳴し、いつしかの一委員会の事業が、佐野JCの全体事業となり、全てのメンバーが参加する実行委員会が設立されるようになりました。佐野国際交流協会の中にもフェスティバル部会が作られます。そして合同の実行委員会が設立され、今回の@国際交流フェスティバル@になったのです。もしも彼らとの出会いがなかったら、彼らにあれほどの情熱がなかったら、@日本人による国際交流フェスティバル@で終わっていたかもしれません。

@国際交流フェスティバル当日
 九月十九日は快晴でした。八月に各国大使館を訪れた結果、公使、参事官、領事官そして大使夫人にまでお越しいただくことが出来ました。Jリーグの選手も応援に駆けつけてくれました。当日は三十周年委員会が千食用意した@世界の料理@もアッという間に完売し、好評でした。当初は外国人の日本語スピーチだった企画もWA!WA !WA!(和、輪、話)という名前で内容を再検討し、研修委員会の協力を得て意義のある交流会ができたと思います。安佐未来委員会はガレージセールで盛り上げてくれました。遅れをとって心配だった@世界の子供のゲーム@が当日の一番人気だったのは地域交流委員会の努力の賜です。模擬店でヤキソバ、かき氷などで頑張ってくれたロム長期、三十周年委員会の皆さん。裏方で準備、用意してくれた総務委員会の皆さん、広報活動をあれほどまで頑張ってくれた広報委員会の皆さん。ブース作り、看板作りなどに携わってくれた三役、監事の皆さん。とにかく全員が協力しなければ出来なかった事業でした。
 国際交流フェスティバルは終わりました。しかし、国際交流や安佐のまちづくり、ひとづくりの始まりでもあると思います。もし、このフェスティバルを通して、一つの出会いや一つの理解が生まれていたとしたら、私達にとってこれ以上嬉しいことはありません。これからも安佐の未来について考え続けていきたいと思います。@ISSHONIYAROUYO!(いっしょにやようよ!)@が合い言葉。私達の安佐が益々発展していくことを願ってペンを置きます。
 本誌に3ヶ月にわたり掲載させていただいた、国際交流フェスティバルもおかげさまで成功のうちに終了することができました。
 本当に多くの方々に協力いただきました。協賛していただいた安佐地区の各企業、団体の方々を始めとして佐野国際交流協会と交流協会フェスティバル部会の皆さん、外国人スタッフの皆さん、どうもありがとうございました。この紙面をお借りして、心から感謝申し上げます。

国際交流フェスティバル アンケート結果発表
-(全部で)101人に聞きました-
 当日フェスティバル会場でアンケートを実施しました。
 日本人・外国人合計101人の方にお答えいただきましたので、その結果を発表します。なお紙面に限りもありますので、多かった意見・代表的な意見のみを掲載させていただくことにし、また一部はグラフにしましたので、そちらもご覧ください。
●外国人に対してのアンケート
Q1.国際交流フェスティバルにきての貴方の印象は
◇他の国の人のことやゲーム・ 習慣がよくわかった
◇国々の文化交流はお互いのことを理解するよい機会だと思います
◇文化の違いがよく解り、とてもよかった
◇日本人の方と近づけるよい機会だと思います
◇もっとこのような企画を増やすべきだと思います
………全体的には外国人の方々に好意的に受け入れられることができたようです。異邦人どうしが出会い、お互いの文化を含めた理解をする機会がもっとふえる事が望まれているようです。
Q2.日本にきて一番うれしかったことは何ですか。楽しかっ  たことは何ですか。
◇安全であること (テロ行為が無い)
◇日本の文化に触れられたこと (囲碁が上達した)
◇日本の進んだ技術に触れられ ること
◇多くの日本人が親切であり、 思いやりがあること
………一口で言えば、安全な日本で日本文化に接し、親切な日
本人と生活すること。日本が安全であるというのは、一つの文化なのかもしれません。
Q3.日本にきて一番困って  いることは何ですか。
………やはり一番は言葉で、「日本人の言うことは解るが、こちらからは伝えられなくてもどかしい」という方もいました。その他のお答えは、「せま苦しい」、「交通量が多い」、「親切な人がいない」などです。
Q4.日本人に対して要望はありますか。
 この質問にはいろいろなお答えをいただきましたが、大別すると次の3つになります。
1.日本人との交流関係。
◇外国人との触れ合いをもっと増やしてほしい
◇外国人を差別しないでほしい
◇南米人がすべて同じタイプとは思わないでほしい
2.就職について。
◇パーマネントビザがほしい
◇失業者の救済をしてほしい
3.言葉の問題。
◇日本語教室がほしい
◇英語を話せる日本人が少ない
◇日本語が話せないことを理解 してほしい
●日本人に対してのアンケート

(略)
Q4.貴方が持っている外国  人に対する印象はどんなも  のですか。
………一番多かったのは、「外国人だからといって特にない、日本人と変わらない」というお答えでした。他に、「おもしろい」、「かっこいい」、などおおむね良い印象を持っている方がほとんどでした。なかには、「泥棒が多い」、などの意見もありました。外国人にも(日本人と同じように)良い人もいれば悪い人もいるということでしょうか。
Q5.今、貴方が彼らと出来る  国際交流は何ですか。
◇こうした催しに参加すること
◇外国人と自然に付き合う
◇教育の場で国際理解を育てる(教員の方)
◇パーティーをする
◇子供同士で遊ばせたい
◇料理を教えあいたい
◇スポーツの交流試合
◇簡単な踊りを教えあいたい
………いろいろな考えを聞かせていただきました。しかし難しいのはそれを実行に移すことだろうと思います。そのときには、ぜひ青年会議所でもお手伝いをさせていただきたいと思います。そして皆さんと国際交流の輪を広げていきましょう。




こならの森 66号

2008-04-15 | 創刊~100号

       ■こならの森66号■1993.10発行

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森11月号■
3p… 巻頭詩 どんぐり 
4p…結婚しました
5p…やんば 
6-7pJCジャーナル 
8-11p…インフォ
12-19p 特集 ちゃんとしつカルタ
16-19p…現代用語…夢見る頃を
20-23p インタビュー
24p…銀幕画廊
25p…書評・絵本紹介
26-29p 文化会館情報/協賛
30こならの森から~

■■■■■■■■■■■



【本文抜粋記事】
JCジャーナル 

華やかに国際交流の輪が広がる 
国際交流フェスティバルが大成功のうちに終わる。

 9月の秋晴れの中、(社)佐野青年会議所は佐野市国際交流協会と(財)栃木県国際交流協会の共催で、構想約1年の「国際交流フェスティバル」を大成功に終えた。来場者は日本人、外国人合わせて約三万人で、笑顔で過ごせた一日となった。
 午前10時のオープニングセレモニ一にはパラグアイ共和国大使婦人の臨席を賜った。その後アルゼンチン共和国、ブラジル共和国、ペルー共和国の各公使、参事官、領事官の方々を招いて主催者側及び佐野市長との懇談会を持った。
 会場は、一千食用意して完売した世界の料理、三〇〇冊の世界の絵本、お茶席やいけばな、各国の音楽・踊り、また日本舞踊、大正琴、特産品ブースや、各国のブース、五十二出店のガレージセールなど盛りだくさんの内容で、どこも大変な人出でにぎわった。


 午後には、メインとなる企画のテーブルディスカッション「WA@WA@WA@(和・輪・話)」が行われた。 
 青年会議所本来の目的「国際交流は人づくり、まちづくり」を表現する一番の方法でもあった。 外国人のスピーチでは、「日本人はいつも忙しくしていて、ゆっくり話をしたことがない、話をする機会がない」といった意見が出され、そういったことからも意味のあった企画となったようだ。
 「世界の子どもの絵画展」は安佐地区の小学校28校630点と海外の小学生500点の作品を会場の他ジャスコ佐野店にて展示。展示後は、海外へプレゼントと一緒に送り、今後の交流の一助とする予定だ。
 一緒に企画に参加した外国人の中からも「こんなに楽しいのはじめてだ」との感想を聞く。そして他の市民団体の人達とも友達になることができてうれしい、とのこと。
 今後も市民レベルでの国際交流を展開して行けるよう努力したい。



こならの森 65号

2008-04-15 | 創刊~100号

       ■こならの森65号■1993.9発行

C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森10月号■

3p… こすもす 目次
4p…結婚しました
5p…やんば 第4回
6-7pJCジャーナル 
8-13p…インフォ
14-23p 特集 埋蔵金
18-23p…現代用語…万葉ラブ 第3回
24p…銀幕画廊
25p…書評・絵本紹介
26-29p 文化会館情報/協賛
30こならの森から~

■■■■■■■■■■■


【本文抜粋記事】

 特集 埋蔵金
■埋蔵金わたしの推理■
@埋蔵金を思い立った伊井直弼の立場(身)になって考える。
 あなた伊井直弼だったらどこにかくすのでしょうか。
 まず、とにかく大金で、一目につき安いものです。そんな、大金を夜中であっても陸路で運ぶのは大変なことです。そこで、考えるのは水路の利用です。江戸より下流はありませんから、運び出す時は上りで大変ですが、下るときは楽に運び込めます。大型船を使えば、一度には移動させることも可能ですし、運んでいる品物も分かりません。カモフラージュも楽です。
 そうです、利根川と渡良瀬川をつかい、馬門・越名河岸を使って荷を降ろすのです。ここまで来れば三毳山は目と鼻の先。もともと、この河岸は彦根藩が年貢を江戸へ運ぶために開港したものと聞く。
 そして、自分(伊井直弼)の領地であればちょっとは勝手も分かります。そしてなにより、日光・男体山と江戸城を結ぶ直線上のほぼ真ん中にある山は三毳山以外にない。
 最近、佐野から見える男体山を見ていて思ったのですが、江戸から東照宮は確認できなくても、男体山ならどのあたりと容易に確認できます。「江戸から、家康公の眠る日光・男体山を目指し、最初に現れる山」そしてそれを確認するかのようにその北側にみえる男体山。目標物として考えたならこれ以上のものはありません。地図を持たずとも理屈さえ分かれば宝のありかがはっきりするのです。
そして、ウータンが言うように、亀の形をした岩が宝の目印となるのです。
 また、久能山─富士山─世良田の延長線上に日光があり、江戸から真北にもあたる、そういった立地条件にあるからこそ、東照宮がその地に選ばれたのだと言うし、家康の柩は佐野の朝日岡に一泊しているくらいだから、宝を隠しても信頼がおけるというような何か厚いつながりを思わずにはいられません。
 男体山は富士に似ている。三毳山も佐野に住む私達からすればなんの変哲もない山のようだが、南側つまり、江戸方面からみれば、富士を暗示できない訳でもない。
 新たに新メンバーを加えたこならの森埋蔵金取材班は、そうそうに三毳山の南側方面へ向かってみた。館林郊外の東北道わきまできて、三毳山方面を眺めてみた。回りには、大きく視界を遮るものはなく、関東平野のようすがうかがえるのだが北側にははるかに山の気配が映る。その最たるものが三毳山だった。江戸から、北極星を頼りに東照宮を目指す、するとその半分の距離に現れる山、まさしく三毳山のことだろう。そんなことを考えながら、遥かかなたをうかがっている時、突如として取材はんの一人が、叫んだ。「あっ、ここから見る三毳山って、頭を北側(つまり東照宮)へ向けた亀の形に似ていませんか」なんと、宝の番人を意味する@亀@は、三毳山そのものだったのだ。
 早速、三毳山へ向かってみた、南側つまり「三つの富士」が天・地・人のキーワードとなり、(この言葉さえ分かれば日本中どこにいる人にでも宝がわかる。伊井直弼はこの言葉を胸に暗殺されてしまったのではないか?)天(徳川家康)・地(地下に眠る埋蔵金)・人(江戸城の城主)となるのではないか。そして、仮に三毳山で亀の形をした岩などが発見されればその下に埋蔵金が眠っているに違いない。
 だが、市内に残る伝説や故事等を調べてみても、亀岩や鶴岩まして、亀や鶴に関した史料というものがことのほか少ないように思う。
■もういても立ってもいられない。
 すでにこならの森取材班は、取材を開始した昨年の初春ころから三毳山のある神社の上に点在する祠と、岩陰にその証しを見つけている。
 かってに掘削機を導入して掘ってもいいのだろうか、まあ他人の土地なのだから掘りおこすことは無理だと思うが、幸か不孝か、この山は県南大規模公園に指定されており、いずれ大規模開発が行われる山である。開発が行われたら注目しようと思っている。掘削機やブルトーザーが入ったら、あたりを散策してみるのもいいかも知れない。
 実際にもっともクサイと思われたところに登ってみた。ここはやがて三毳山大規模公園に指定された所である。それが何を意味するか。
 一部に、三毳山大規模公園絶対反対、自然を守れ、どうせなら山全体を県が買い上げろ、というある自然保護団体の声も聞くが、こらなの森埋蔵金取材班は逆説的にも大規模開発大賛成ののろしを上げてしまった。
 赤城山ではないがかなり大規模に、山全体を掘り起こしてくれるとなおいいのにと思っているのだ。だが、そうあまり大きく書くと脅迫電話や、不幸の手紙が舞い込みかねないので、ここまでにするが、幸いにも(?)三毳山周辺には、赤だの青だのといった杭が所せましと打ってある。間違いなく大規模な開発が行われるはずだ。
 埋蔵金を発見した場合は開発業者が第一発見者となるのだろうか、すると開発業者のもの?それとも地主(県)のも?はたまた佐野市のもの。いずれにしても大規模なお金が転がり込むに違いない。すれば、まちおこしだの、活性化だのということは完璧になってしまう(すごくムチャクチャな理論)。まちの繁栄が約束されているようなものだ。ふるさと創成一億円で、ゴルフの賞金まで出そうとしたある町村の例を引くまでもなく、お金だけで「まちおこし」ができるとは思っていない(雷おこしなら買えると思うが…)ともかくまちの発展のためにも、この埋蔵金は掘り当ててほしい。
 地域活性化に、ぜひとも徳川360万両(200兆円)の埋蔵金を掘り出して頂きたい! とこならの森は夢提案したいのだが……。
埋蔵金最終楽章
実はかのベートーベンには第九のほかに幻の第十交響曲があったといいます。あるかないかは皆さんで推理して下さい。こならの森としては、これからも皆さんの反応に答えます。
【参考資料】 鶴と亀がすべった後ろの正面だあれ………。これは宝の謎解き歌だという。後ろに正面があるのだろうか? また、後ろの正面にはなにがあるのか?
 各地に残っているそうしたものを紹介したい。
 @かごめかごめ(岡山)
「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつめあう 夜明けの晩に 鶴と亀とすベった うしろの正面だあれ」
 @でんでんむかで(石川)
「でんでんむかで 千年たったむかで おっとのこは 大事だいじ だいじ だいじ」

※これが本命(埋蔵金最終楽章)
実はかのベートーベンには第九のほかに幻の第十交響曲があったといいます。あるかないかは皆さんで推理して下さい。こならの森としては、これからも皆さんの反応に答えます。