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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森 70号

2008-04-17 | 創刊~100号

       ■こならの森70号■1993.2発行

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森3月号■
おぞねとしこのポエム………………3
結婚しました…………………………4
見知らんの5つの市…………………5
 特集 現代の迷宮を探る…………6
JC・JOURNAL………………14
協賛店マップ…………………………16
インフォメーション94………………18
お得な情報コーナー…………………20
こならの森2月の情報………………22
海棠市子の辛口映画評………………24
書評・絵本紹介………………………25
MINIニュース……………………26
「ロッキンオンこなら」……………27
「こならの森流・マスメディア論」28
杜  皇が占う今月の運勢…………29
新・こならの森から…………………30

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【本文抜粋記事】

特集 現代の迷宮を探る
馬門町
 その日の、日常的な一日とは別な時間をもつことによって、崇高な時間を供与することができる。それは、趣味に没頭することでも、ほとんどむだだと思えること、あるい非生産的で、発展性のないものであってもである。どこかに、日常とは掛け離れた世界を持たないことには、この複雑化された現代を生きて行けるはずはない。
 新年早々こならの森編集室に届いたのは、年賀状よりも先に、佐野市大祝町在住T氏からのファックスだった。後に電話も入る。年末に集金をするため、東の産業道路を南に向かい、その帰りにとても信じられない町に迷い込んでしまったというのが、彼の電話の内容だった。
 ファックスには、そのとき撮ったのだという写真があったが、解像力も悪く何が写っているのかまったく分からなかった。しかし、それがまた、好奇心を刺激したのかもしれない。ともかく、これでは何も分からないので、T氏の自宅まで出掛けることにした。写真もじっくり見てみたいし、どういう町だったのか詳しく聞いてみたくなったからだ。
 T氏は、先頃足利市で結成されたミステリー・サークル「ロックホー」に所属しており、ルート293の霊魂や、みかもやまレジャーランドの幽霊といった市内の怪奇現象に詳しく、それをこならの森の企画に取り上げてほしいと何度か編集室にも電話をかけてきていた。
 早速に写真を見せて欲しいと言ったのだが、あいにく「ロックホー」の会報に掲載するため、ほとんど送ってしまったという。しかたなく、残った写真数枚と、ネガを借り受け、それを見ながらいったいどういう町なのかと想像してみた。
 彼が言うのは、まったく明治時代が、現代にタイムスリップして来たみたいなのだという。
「ともかく、集金が終わってほっと一息、さて会社まで戻ろうと思ったとき、どこをどう間違っ
たのか途方もな町に迷い込んぢまった。冬でも、昼下がりに日の光を受けながら、ぼやーっと車を運転していると、つい眠くなるまでも、伸びやかな気持ちになるもんじゃありませんか。そんな時に、帰る道を一つ間違えたんだと思いますよ。確か。回りは、全くの農村風景で、最初は『迷宮』だなんてとっても信じていませんでした。でも、河川敷沿いに車を走らせると、
とても想像できない出来事が始まったんです。」
 ………彼の体はかすかに震えているように思えた。目も笑っていない。いつもクールな男を自認する彼のこと、これは何かあると思った。とにかく彼らしくなくいつにもなく、取り乱している風だったのだ。
 佐野に生まれて、佐野に育ったのだからこの辺の地理には詳しい。だから、〃佐野市内〃ならどこでも頭にあったはずだった。ちょっとくらい道を違えても、だいたいどこら辺りということは分かる。だからこそ、尚のこと気にかかったのかもしれない。と彼は言う。まったく見当違いだったのだ。もしからした、四次元空間とまでいわなくても、佐野市ではないところへ迷い込んだのかもしれないという。
 そこまでいうのならこれは調査してみる甲斐はあると思った。 さっそく、忙しい激務の間を縫って、彼にも同行取材をお願いした。しかし、なかなかその地点の入り口が見つからない。現地に行って、地図を広げ見当をつけていた地点までやって来ていた。ここら当たりがその辺だと思うという東の産業道路をとにかく南に向かってみた。
 佐野市と藤岡町の境まで来た。この辺あたりから、おかしくなったというのだ。まさしくこれは、「タイムゾーン」というやつだろうか。
 ぼやーっとした頭のまま、居眠り運転ともつかないで、流れのままにハンドルを握っていると、いつしかあの町に紛れ込んでいたというのが真相らしい。こんなことはよくある。知らない土地で、地図を見ながら進んでいてぼやっとしていると、とんでもない方向へ進んでいても全く気が付かない。ということはよくあることだ。なんのことはない、私だって間違いないと思い込んでしまって、流れのまま前進して、どうもおかしいな、でも間違いないから、と言い聞かせ結局途方もない引き返せない所まで進んでしまったということをよく経験していた。
 しかし、彼の出来事は佐野市内かあるいは〃そう遠くない〃地点での話だと聞く。いくらミステリーに興味があるからといって、この佐野市内でそんな事があるわけがない、というのが私(編集長)の意見なのだが。
 その、佐野市と藤岡町との境目地点から、あちこち脇路を入ってみたり、引き返してみたりを繰り返したのだが、どうも彼の見た町の風景とは違っているという。ことわっておくが、この辺りの農産村風景は、関東平野ならどこでもみられる風景であり、農産村風景の村落の中に突如として、庄屋の大屋敷が現れたり、大谷石造りの歴史的な大倉庫群が君臨するといったことは決して珍しくはないのだから、これといって珍しがるところでもないというのが、私の見解だが、彼は納得しない。まだ半信半疑の様子。日が暮れるまでには、その〃迷宮〃の入り口を探し当てるといっていたが、どうも午後四時にもならないうちに、彼は急用が入ったらしく、携帯電話を切ると、いそいで帰っていったのだった。ここまで来てと思ったので、もう少し辺りを散策した後、帰路についた。これでは仕方ないと半ばあきらめながら、日が陰る方向へ向かって車を走らせていると、彼が力説した風景だと思える町並みが突如として迫って来た。
 あわてて彼の携帯電話に連絡するが、応答がない。会社に電話を入れると、どうやら携帯電話は事務所にあづけていて他の会議に出席しているらしかった。こんなときに、と思ったが、これでは確認できない。しかし、「信じられないような、農寒村なのにちょっとした集落に時代を思い起こさせる、あるいは明治時代初期にタイムスリップしたと思えても不思議ではない風景が展開した。
「その風景の中に突如として、郵便局が表われた。」
「いわれありそうな寺院と、五百年はたったであろう樹木に覆われた鎮守の森の神社があった」「旅館や、洋品店といった店が当時のままの構えで営業していた」さらに「近代的な鉄筋建築の小学校があった。」
「それに付属するこれまた近代的な地区公民館も建っていて面食らってしまった。」いきなり現代に引き戻されたというのだ。 これは、まぎれもなく彼が口にしていた迷宮そのものではないか、しかし、どこかで見たことがある場所だなと思った。
 それは、この角を曲がったときにはっきりとした。
 昔見た映画で、自分が探していた極悪犯は実は自分自身だったという、なんともミステリアスであり、ホラーなものがたりだったが、これがまったくそのとおりになるとは思っていもいなかったのだが、この続きは次回に。


こならの森 69号

2008-04-17 | 創刊~100号
       ■こならの森69号■1993.12発行

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森1月号■

 @目   次@
としこのポエム ひなげし…………3p
結婚しました……小松原……………4p
見知らんの5つの市…………………5p
特集1994を占う…………………6-13p
JC・JOURNALインタビュー…14-15p
協賛店マップ…………………………16-17p
インフォメーション93………………18-21p
万葉ラブ……20-21p
海棠市子の辛口映画評………………22p
書評・絵本紹介………………………23p
「ロッキンオンこなら」……………24p
「こならの森流・マスメディア論」25p
現代国語………24-25p
インタビュー…26-28p
お知らせ………29p
新・こならの森から…………………30p

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【本文抜粋記事】
新春インタビュー
■PROFILE
 安蘇谷康夫さん
(株)アソヤ・専務取締役。
趣味は、SFCのシュミレーションゲームとゴルフ。

 今年の大きな目標は「安佐はひとつ」の原点に返ってということですが、具体的にはどういったことですか。
 安佐はひとつということでは、秋山川清掃が一番に上げられます。民間団体から盛り上げていったということでは先駆けとなった運動で、画期的な事だったと思います。全国的にも例がなかった事でしょうね。日本青年会議所の社会開発運動部門で秋山川清掃の事例を発表したのですが、それが認められ最優秀賞も受賞しています。
 この地域に住む人が共に手を携えてこの地域を良くしよう。それを佐野・田沼・葛生を貫いて流れる秋山川を象徴として取られえ、みんなの手できれいにする事で郷土愛を培う。そして清掃事業にとどまらずすべての面において住み良い環境を作っていきましょう、という運動なのです。ですがそれが、ここへ来て意識がだんだん薄れてきたのかもしれない。そこで、今年は「安佐はひとつ」という原点に返ってみる。今までの歴史にたって、新たな方向性として秋山川清掃を活かしながらどんなことができるのか模索する事が今年の一番大きなことなんです。
 その他で、今年の方針のなかにあるものを教えてください。 
 大きく分けると秋山川に関連する町づくり、国際貢献と環境問題です。環境問題は、秋山川にも関連します。
 町づくりというのはどういうことですか………。
 「安佐はひとつ」という意味が、当初は合併をとらえていたか、もしくはただ意識の上でのことだけだったのか、そういうことがあいまいですので、今年一年間かけて認識を新たにしないといけない。今年は創立29周年ですが、ここで考えを一つにできれば30周年に向けて、安佐に対して提唱できる運動にもなっていくと思っています。JCにはそれができると思っています。そこで、この問題を再認識しようと、昨年から先進地の方々を佐野にお招きしたりして勉強を始めています。
 町村合併という事を含めた考えですか。
 安佐の住みよい町づくりを考えているわけですから、その中でベストな方策が合併であればそれに向けて考えていかなければいけない。もし、それをそこに住む人が望んでいなければ無意味ですから、その辺の認識を改めて調査して分析する必要があると思います。そこで具体的な一歩が踏み出せるかどうかは分かりませんが、ある程度の形となれば30周年という節目の年に何らかの具体的な行動していきたい。 秋山川清掃では、単に清掃だけにとどまらず、その後になにかイベントを考えていると伺いましたが。
 いろいろな委員会が今年の目標である「安佐はひとつ」ということを考えて、行動しますから国際委員会の立場で秋山川を考えたら、ここに住んでいる外国人の方がただ住んでいるだけではなくて、安佐の地を良く知ってもらおうということも含めて、秋山川清掃の日に呼んでそこで交流ができれば、安佐の地を良くすることにもなるのかと思います。外国の人もここに住んでいる以上はそういう運動をやってみませんかと、呼びかけ、一緒に清掃ができればまたひとつ大きな流れになると思います。
 その他のイベントは………。
 内部的に方向性を見つめ直すというのが今年の一番の目的なんです。ただそれだけでは、外部に対してアピールできませんので、秋山川清掃などでイベントは持っていきますが、あくまで次年度の30周年のステップであって今年はそのための内部充実の年とらえています。
 昨年行った国際交流フェスティバルなどを行うという予定は………。 JCだけで行ったイベントではありませんので、私共だけで決められませんが、話がうまくまとまれば行うこともあります。
 JCというのは、物事を起こす団体だと思うんです。ですから、継続にするにしてもそれには新たな意味づけを持ちながら、運動を起こすのが本来の姿だと思います。
 あるべき運動をただ単に消化するだけでは、意味がないかも知れない、それが今年と違った形で目が出せれば、今まで関係なかった人をも巻きこめる運動になると思う。
 どういう意味付けでやるにしても同じ形ではなく、ちょっと味付けを変えて今度は、それ以外の団体も巻きこむ。するとより大きな運動に発展する。その辺が毎年同じ事業をやっていくポイントではないかと思います。
 それから日本青年会議所では、「もったいない運動」というのを提唱しています。もともと日本人には、もったいないという心が存在していたけれど、その辺の心が少しずつ失われて来た。それは、ものに対する慈しみだけではなくて、人に対する思いやりとかいろいろな意味を含んだ言葉ではないか。と、昨年の会頭が提唱しました。今年は具体的な運動としてもっと地域でやってください、といっています。六月がその「もったいない運動」強調月間ですので、その月にはなんらかの発信をしたいと思います。
 JCは単年度制ですので、つながりを強制することはできないのですが、精神としてはすくなからず受け継がれていく。それが、どういう形となるかは委員長や理事長の考え方で決まってくると思います。
 日本社会の先行き感といったところから、反省をこめて振り返えってみようという運動と言えますか。
 日本のレベルでとらえるとそういうことだと思うのですが、これには、地球規模の環境問題まで含んでいると思います。例えば、リサイクルの問題で再生紙が盛んに使われて来ていますが、これは日本が紙を無駄に消費して世界各地の森林を破壊している、そういうことにつながってくる。その辺のことまで視野に入った運動としてとらえられると思います。それは一地域の問題ではない。日本JCが提唱して、地域でそれを実践すれば日本全国に広まりますし、地球規模の問題まで考えることができると思います。
 現在は各地で市民レベルの草の根的な運動ができていて、町づくりに関しては相当数の実績を得ている。今まではどうしても汗をかかないで済むような運動に安易に落ち入りがちだったのが非常に地道に、地に足がついた運動となってきている。私達はそれを見習うと共に、手を携えてやっていかなくてはいけないのではないか。
 認識を新たにしてもう一度安佐の地でそういう草の根活動をしていらっしゃる方達と同じ土壌で話をして、お互いに交流しながら運動を展開できるのではないかと思います。
 今までお話を聞いて来て、いろいろな考えを持って行動している組織だということが良く分かったのですが、一般的にはJC、佐野青年会議所と聞いてもどういうことをしている会で、入会するにはどうしたらいいのかといったことが今一つ分からないのですが………。
 とにかく最初は例会を見学していただくと良く分かると思います。受付は随時行っていますから、その場で入会をされてもいいと思います。JCの一番いいことは、いろいろな人と出会える、その中で自分の選択肢が増える。ただ仕事だけだとそれだけの付き合いになってしまってその部分だけの選択肢しかないわけですが、今度は全方向へ広がっていく、その事が大きいですね。
 メンバーの年齢層も若いし、まだやり直しができる年齢ですので、失敗を恐れずに伸び伸びと活動ができると思います。
 最後に今年の抱負をお聞かせください。
 私は良くクールな男だと言われてしまうんです(笑)。なかなか燃えるところを人に今まで見せなかった。今年は、理事長の年なので本当に悔いのないように、燃える一年にしたいと思っています。JCの活動も机上の理論だけで終わってしまう所があるものですから、自ら汗を流すということですね。やってみなければ分からない。今年は体当たりでぶつかっていきたいと思っています。