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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森 91号

2008-04-20 | 創刊~100号
       ■こならの森91号■1995.11発行

表紙 「田中重光さん 秋」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森12月号■

おぞねとしこのポエム…………3p
その他の情報…/猫バス15……4p
知らんの5つの市/パラダイス=…5p
海棠市子の映画評……………6p
書評・絵本紹介………………7p
創作童話 1回   ………8p
結婚します…青木さん夫妻…
JC・JOURNAL………10-11p
町ミステリー…富士町………12-18p
野良犬先生     ………19
インフォメーション95………20-25p
現代国語      ………26p
杜 @皇が占う今月の運勢……27
協賛店マップ    ………28-29p
新・こならの森から…………30p

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【本文抜粋記事】


町ミステリー
ロードエンドのある町へ
 ここは、どこへも抜けられないどん詰まりのいやば大きな谷津田のような所である。稲刈りが終わって、ほっと一息ついているのか、休憩なのか知らないが農夫が二人、畦に座ってのんびりとくつろいでいた。
 行き止まりとなっているから知っている人か、本当に用のある人しかやって来ない。通過点ではないのだから見知らぬ人はやって来ない。それが良いのか悪いのかは分からないが、なんだか焦らずマイペースを守っている、そんな生活を思わせる。

野焼き

 はぜかけをしている田んぼが目につく。自家消費分であろうか、天火干のお米は格別にうまいのだと聞く。
 遠くから、真っ赤に熟した柿の実か、何かの実だろうかよく分からない赤い実が見えた。近くまで行ってみると、それは鈴なりに結実したカラスウリだった。それにしてもものすごい数だった。
 近くでは野焼きをしている。話を聞くと「虫が冬ごもりしんよう、焼くんだよ」とのこと。今は殺虫剤も、除草剤もあるのにわざわざ手間暇のかかる方法を選ぶのはどうしてだろう。
 それは、そうした便利なものがなかった、つまり農業というものの歴史のほとんどの時間行われて来たことが、今も営々と続いている光景だった。素朴さを誘う。

ロードエンド、 その先はデッドエンド?

 ロードエンドのその先へ、ともかく駒をすすめる。すると調整池があらわれる。コンクリートをログで覆った、「そこまでやる」と言わんばかりの堤防もある。さらにその奥にある池まで行って見る。水面に木の葉を映している。このあたりは、隠れた釣り場であるらしい。

静かなる魚影

 フナかコイかの姿が見える。
近づいても動かない。………それにしても、えさのミミズが釣り具店で売っているとは、思いもよらなかった。
 水糸が散乱していて、足を取られそうになる。写真は便利な
道具で、その画面の下はペットボトルだらけ。ちょっと引くと、釣り場なのかゴミ捨て場なのか分からない。ここまで来るほどでも無い。
浦島太郎になる
 午後一番で出掛けて来たのに、秋の日差しは早くも西に傾きかける。
 『午後は約束があるんだ。急いで帰らなければ。』と思って、車を飛ばしたのだが、10分もしないうちに、市街地へ戻って来ていた。しかし遠くまで行って来たという充実感が残る。
 また、『浦島太郎現象』とでもいうのだろうか、そこで過ごしているうちには時間がゆっく
りと流れるのだが、下界?へ戻ってみると、元の時間の流れとなっていて、相対的には早く時間が流れていく。走行距離もほんの数キロ。感覚的にはその数倍から数十倍走った感じだ。これこそが、市内ちょっと旅の醍醐味といえそうだ。                  


こならの森 90号

2008-04-20 | 創刊~100号
       ■こならの森90号■1995.10発行

表紙「田中重光さん」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森11月号■

おぞねとしこのポエム…しらはぎ………3p
その他の情報…/猫バス14……4p
知らんの5つの市/食いしん坊=…5p
海棠市子の映画評……………6p
書評・絵本紹介………………7p
創作童話 最終回  ………8p
結婚します…村樫さん夫妻…
町ミステリー… ……………10-11p
JC・JOURNAL………12-17p
インタビュー…田名網 ……14-18p
野良犬先生     ………19
インフォメーション95………20-25p
現代国語      ………26p
杜 @皇が占う今月の運勢…………27p
協賛店マップ    ………28-29p
新・こならの森から…………………30p

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【本文抜粋記事】

インタビュー

田名網忠吉さん
大正14年、葛生生まれ。
1995年に「霊峰男体山と私の健康法」を出版。男体山には46歳のときに初登頂。以後87年に100回、91年に200回、300回が93年、400回は94年11月に達成。現在450回を越え来年1996年には500回達成を目指す。

●最初に男体山に上ったのは何歳の時ですか?
 最初は昭和46年、46歳です。それ以前にも他の山は登っておりました。男体山は他の山が登れなくなってからでも間に合う。あそこは半分は観光のような山だから。アルプスですと剣ですとか、槍とか、穂高とかけっこう歩きました。殆ど単独が多かったです。一時体を壊して登山でなければ体を直せないと思いました。ヘルニアになりましたから、腰椎のね。それで、朝夕の運動を始めました。
 ヘルニアはストレスでやられます。ストレスをうけると血液の循環が悪くなります。運動などの意欲も失ってしまうし、食事も片寄ります。
 身体の精力不足もあるんですね。
●男体山には何時間ぐらいで登るのですか。
 2時間半から3時間ですね。殆ど休みませんし、体調も崩れません。一定のペースで行ける。46歳のときに初登頂して、100回目を昭和62年に達成。私は130回くらいで、ダウンかなと思ったんです。100回を目指していたときに、もうだんだんと参ってくるんです。限界があるし、老化が出てくるから、そうしたら200回は、66年。300回が平成5年。400回は、平成6年11月です。
 一日に2回登って400回にしてしまったんです。現在は一日に2回登っても疲れなくなった。登っても30分ほどたてば回復してしまう。
●300回から400回というのは一年3カ月くらいですね。5日に1回くらいのペースで登っていますね。
 一昨年に退職しましたし、400回まではピッチを上げようと思いましたからね。
●現在の登山回数は何回ですか。
 450回を越えました。来年には500回にしたいですね。
 だいたい一人で行きます。登り口までは自分の車で行きます。 4時半から5時半くらに家を出発します。そして明るいうちに帰ってきてしまう。だいたい1時か2時には降りて来ちゃうんです。冬はほとんど登りませんね。夏場は登りいいですね。日が長いしね。
●最初に登ったきっかけは。
 最初に登った時のきっかけは、何も無いですね、ただ登ってないから登ろうと。
 46歳から50歳までは4回しか登っていません。本式になったのは50歳を過ぎてからです。
 後の人に一つくらいいい記録として残したいと思いました。
 とりあえず100回くらい登って記録を作ろうと。
●登山の服装は。
 冬は完全な装備をします。場合によればピッケルをもって行かなければいけない。
 男体山は春夏秋冬の景色がすばらしいんです。たまにはカメラを持っていきます。樹氷何かもすばらしいものを撮りました。 山では、植物からでるフィットンチットが、新芽のときにたくさん出ます。カビやバイ菌から新芽を守るために出る。これが体の中に入ると、人間細胞の活性化と、中の悪いものを退治します。すばらしい効果を上げるんです。山というのはすばらしいものがあるんです。
 私に、山が無かったらこんな高度な形ではなかったと思います。瞑想だけでは無理で、また、登山だけでも、体力が衰えていただろう。その相乗効果が大きいんですよ。
●男体山登頂の他の人の記録ではどのくらいですか。
 神社の記録では六十数回くらいが最高だといっています。
●そんなに魅力のある山なのですか。
 それはもう魅力がありますよ、それで何回も登っているんですからね。景色は雲がかかれば全然見えないし、霧がかかれば近くしか見えない。これから紅葉の時期に入るとすばらしいですよ。
●昨日も行ってらしたということですね。疲れは残らないのですか。
 一回行って来たくらいでは、家に帰ってもそば打ちをやりますし、百姓もできます。
 生命活動は脳幹、延髄で行っています。感情的なことは、大脳。前頭葉では高度の精神活動をやっている。それらが一致した活動をしたときには、ベーター・エンドルフィンが無限に出ます。ですが、それを止める物質が出ません。運動や食事で楽しいやおいしいという時には、抑制するホルモンが出る。食べ過ぎたり、運動し過ぎたりはいかんということですね。
 それが出るときには味や香りが充満する。これ以上無いという味や香りです。これは、高僧と言われる人でないと得られない。難しいことは無いんです。ただ、ルールをきちんと実行して行けばいい。
 高度の精神活動というのは、老化を消す、それが刺激になって本を書いたんです。今までに無い脳の活性化が基本です。脳を活性化させるとすべてが良くなる。生命体自体がそういう形で作られています。
 細胞活動というのは、進展性をもっています。そして増殖性が活発になればいい方向へ転化する。遺伝子の中にもそういうものが含まれています。脳の中で、イライラや不快感や怒りというものが出なくなります。これが逆な形で悪く作用すると、ガンになります。
●思い出に残る山は?
 同じ山でもいくたびに感動しますよね。どの山もそれはそれなりに良さがあります。また山での出会いもすばらしいものがあります。山は一人で行っても仲間がすぐできてしまう。
 今も山仲間からたくさんの手紙が来ています。本を作ってから特にね。本を作る中で、すばらしいものが身につきましたからね。
 その中ではっきり書きました、『老化を消した』と。今まで、老化は延ばすことはできても消すことはできない、というのが学問上では定則でした。それが私の場合は年を追うごとに体力がついてきた。
 老化では脳の中にえらい塊ができるのです。これができると体の全部の機能が悪くなります。それが解れるとどんどん元気が戻って行く。それは脳の構造を、進化の過程に会わせて調べてみると分かる。
 老化と成人病に対しては、脳を活性化させればいい。私の場合は、高度な訓練に入っています。山に登るという身体に対する訓練と瞑想という訓練。脳の活性化には、だいたい瞑想しかない。気功なども瞑想の一種です。気を体に充満した形で長く保つ。瞑想は脳でそれを集中的に行います。
 脳の活性化が行われると、脳波がアルファー波の状態になりまして、脳の中に良い物質がどんどん出てくる。脳内にホルモン、ベーター・エンドルフィンが出ると脳の中で出る悪い毒素を打ち消して、脳細胞を活発にさせる。これは脳がリラックスしていて、美しい景色を見たり、温かい人との交際の場合でも出ます。絵を眺める、好きな趣味をする。しかし、その場合はすぐ打ち消すホルモンが出てしまう。 精神活動の高度な訓練をすると脳内で老化が解れて行く。音を立てて壊れる感じです。
 高度な精神活動とアルファー波の状態が一緒になったときにはすごい。そうすると完全に脳は生き返ってくる。そこからたくさんのホルモンがでたり指令が出たりする。どんどん体も良くなる。これを、はっきりと体験しました。後は運動と食事に気をつけること、脂肪も良く取る。植物性でなく動物性も取る。動物性のものを取っても筋肉を動かせば、その中で燃えてしまう。どんどん解けますから、そうすれば害がなくなる。
 ホルモンの合成にはタンパク質がたくさん必要ですから、高タンパクな食事も必要です。
●本はいつ出版したのですか。
 今年の6月に書きました。7年間かかって書き上げたものです。体験は10年に渡っています。 この本を出版するにあたっては、医学的なことであるとか、生理学的なことが多いので、東京医大の教授に推薦文を書いてもらいました。ある程度の裏付けがないと、私が妄想で書いたようなことになりますから。
 正しい知恵を身につけるために、生物学や生理学を一通りもう一回勉強し直した。生物学が基本です。人間が分からなけれ
ばだめですから。
●食事や睡眠時間などは。
 食事は高タンパク低栄養、これが主体です。睡眠は7、8時間はたっぷりとるようにしています。
●高度な精神活動の訓練期間は。
 仕事をしながらというのでは、一生懸命やっても3年は必要でしょうね。私は勤めているときは、朝4時半に起きて瞑想をやりました。30分、1時間と毎日続けた。それを始めてから4年で、男体山に一日2回登っても疲れなくなりました。そういう体になるとは思いませんでした。それまでは一回でくたびれちゃったんだから。
●老化を克服したということですが。
 成人病に対しては、瞑想による脳の活性化と、食事と運動。これが出来ればだいたい克服できると思います。40歳から具合が悪くなって寝たというのは一日しかありません。風邪もひかない。ひいたのを感じないうちに直ってしまう。活力があれば、抗体がどんどん作られます。精神状態が良いと、良く働いてくれます。
●脳がその指令を出しているということですか。
 そうです。腹式呼吸で目をつぶって瞑想をする。ヨーガも瞑想も呼吸法です。山へ登るときも、腹式呼吸です。そうすれば、脳内にアルファー波がでます。そうすうとエンドルフィンがどんどん出ますから、それが脳の中に充満しているうちは疲れが出ません。たくさんでなければだめですよ。それには、高度の訓練を得ないといけない。 糖尿病などは、瞑想を経ないと修復は不可能です。医学的には処置なしなんだから。
 ガンの場合は細胞の変質ですしね。それでも信仰心の中で精神的な安定を得て治るという人もいます。
 今まで言って来たことが一般に浸透すれば、老人問題は解決するのではないですか。それは自信を持って言える。
 私自身は老化は消えたと思っている。東洋の知恵の結晶、つまり生命の働きの根源にあるものと一致させよう、これは漢方の基本です。その漢方の中で気・血・動というのが生まれた。気は元気の気を充満させる。血は、血液。これは食事をコントロールして、血液の循環を良くしたりして、いい栄養をまんべんなくえる。動というのは、動く。動かさないところがあるから、堅くなって退化していっちゃう。
 これからは、西洋から得たものを吸収するというのではなく、今までいってきた、東洋のすばらしい知恵を世界に広げていくということですね。


こならの森 89号

2008-04-20 | 創刊~100号
       ■こならの森89号■1995.9発行
表紙 「三滝」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森10月号■

おぞねとしこのポエム…すずむし………3p
その他の情報…/猫バス……4p
知らんの5つの市/なかじま=…5p
海棠市子の映画評……………6p
書評・絵本紹介………………7p
創作童話 第5回  ………8p
結婚します…萩原さん夫妻…
JC・JOURNAL………10-11p
ポラーノ村     ………12-17p
インタビュー    ………18-19p
インフォメーション9………20-25p
野良犬先生      ………26p
杜 @皇が占う今月の運勢…………27
協賛店マップ    ………28-29p
新・こならの森から…………………30p

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【本文抜粋記事】

 インタビュー

 『であいの街アルク』主催、スーパーバザール実行委員長の井上孝雄さんと副実行委員長の豊島逸夫さんに、バザールでのいきさつやエピソードなどのお話しを伺いました。

編集部 今回のイベントの成果は?

井上 結果的には大成功です。豊島 結束が固まったという事が、成功だと言える点ですね。井上 次にやって行く段階でもみんなやる気があるのではないですか。

編集部 次の話しも出ているということですが………。 

井上 あの時期も「もう絶対にいやだ」といっていたのが、一週間たったら、今回は500万くらいかかったけれども、「来年は300万くらいでできるな~」とか、そういう前向きな話に変わってくるんですよ。
 何人かが、ぶつかり合ったりしました。イライラして来ます、あの前後は………。夜中の12時頃にテントを運んだりしたでしょう、明くる日は8時に集まって掃除して、4日間というのはとにかくイライラの連続です。

編集部 眠れないような状況ですか。

井上 寝ていませんね。

編集部 かえってそのほうが面白い………。

井上 そうですね。充実感がありました。でも人材は豊富でしたから、恵まれていますね。
 他のイベントよりは端的で良かったのではないでしょうか。
 ただ、『アルク』という名前をつけたけれどもそれが定着するかどうか、出会いの街アルク、括弧して、医師会通りはまだ入るけれども、これはしょうがないですね。いずれは消していきたい。

編集部 今後の予定は。

井上 とりあえず街路樹をイルミネーションでライトアップする予定です。また、正月中旬に田沼の初午みたいなものをやりたいという話もあります。佐野ではあの時期に何も行事がないそうです。

豊島 なんだかんだ言っても、それまでは、あの通りを知らない人もいた。それが、自分の店などにも新しいお客さんが来てくれた。そのお客さんがここを知らなかったというんです。

井上 こっちは有名だと思っていたのですが、意外とそうでもない。

豊島 ですから、そういう意味でのメリット、金銭よりもそのほうが大きいと思う。
 効果は2点あって、この街の結束と、アルクという名前をつけたこと、それによって人が呼べた。今後はこれを維持して行くことが問題です。
 アイディアは一杯あります、一本松まえでどんど焼きをやるとかね。

井上 私などもたまたま指名されたお陰で、能力もないのに一生懸命やれた。指名されればみんな責任感でやっていける。
豊島 新しい持っている能力を発見しました。本当のコミュニケーションというのはケンカしたり、汗を流して涙流して、なんです。取っ組み合い一歩手前です。そういうことがあったから、より良く分かり合えた。

編集部 手づくりの味というか、今までのパターンではない、そこが良いのではないか。

井上 お金の問題もありましたから、手づくりということにならざるを得ないという面もありました。

豊島 新しい街だから仲間づくりには5年かかった。今までは本当の真剣勝負というのはなかったが、今回のイベントで真剣勝負をせざるを得ない状況になってしまったんです。

編集部 反省点は?

井上 反省点はいろいろあります。言い出したらきりがないが、駐車場なども問題なかったですね。吸収できる。この通りはいろいろなことがやりやすい通りです。

豊島 あえて言わせて頂ければ、地域の人を今度は引き入れたい。いわゆる商店街のイベントではなくて、スローガンは地域のイベントなんだけれども、回りを引き込むだけの力がなかった。時間的な余裕もなかった。
 今度は本当に商店街の利益だけでなく、地域のみなさんとも祭りをしたいなと思います。
 それから、「もっとやって欲しい」という人が多いんですね。当日だけでも5人の人から言われました。これは嬉しかった、いくら疲れていてもね。そういう面ではそれでもう成功だなと思いました。来ている人の顔が他の祭りとは違って見えた。みんなニコニコしていましたね。


こならの森 88号

2008-04-20 | 創刊~100号
       ■こならの森88号■1995.8発行

C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森9月号■

おぞねとしこのポエム…ほおずき………3p
その他の情報…/猫バス……4p
知らんの5つの市/ディスク=…5p
海棠市子の映画評……………6p
書評・絵本紹介………………7p
創作童話 第4回………8p
結婚しました…平塚鉄也さん&優子さん…95/7/23
JC・JOURNAL………………10-11p
公園探偵団………12-17p
インタビュー……丸山…18-21
インフォメーション9………22-25p
現代国語/カクテル………26p
杜 @皇が占う今月の運勢…………27
協賛店マップ………28-29p
新・こならの森から…………………30p

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【本文抜粋記事】

インタビュー

須藤敏夫さん
■PROFILE:1954年、葛生生まれ。
趣味は碁と将棋、ボーリング。座右の銘は、『三歳の童も導師なり』『窮鼠猫を噛む』の二つという。


@高校中退者は年間10万人を越えている

 高校中退者に対して相談するところというと教育相談所とか自分の出身校の先生とかになりますが、出身校の先生というのははっきり言って相談に乗りません。現実に、卒業生が過ぎ去って3年4年経ちますとその子自体が何を考えているか分かりません。本当は本人は何かしたいということは分かっている、自分で決めているはずなんだけれど、最終的な決断が今一歩踏み出せない。それは、仲間がいないからで、仲間がいないということは指導者がいないということです。
 この二つだけで決まってしまっている。小学校、中学校までは、仲間もいたし先生もいた。ですが中退すれば、その先は自分の責任です。そのことが誰にも伝わらないはがゆさがある。
 すべての答えはどこにあるかと言えば、それは本人にある。特に子どもの場合は、はじめに答えが出ている。その念を押すんです。先生など第三者に念を押して、同じ答えを求める。例えば、高校へいきたいのに全部落こってしまった。でも本人は「高校へいきたいんだ」、ということを言いません。しゃくにさわるから、俺は「就職してもいいんだ」と言う。就職してもいいんだということは高校へ行きたいということですから、それを読み取ることです。こいつは本当は高校へ行きたいんだなと。「おまえは本当は答えが出ているんだろう」、そういってやると、素直に『うん』といっちゃう。ここなんです問題は、そのために何とか高校へいけるようしてあげる。
 今までの僕だったら自分で考えろといいましたが今度は大検を始めましたから、自分で考えろとは言えない。ですからその結論に乗ってあげる、しかし、それが悪さをしたいとかそういう結論では困ってしまいます。でもたいていちゃんとした答えは出している。それに念を押した、我々の答えを待っている訳ですね。

@正直な子を救えない

 今はいいですよね公的機関を利用したカウンセリングコーナーができていて、昔は無かったですからね。昔でも今でも悩んでいる人はいるんです。まして今はこの不景気でしょう、働き盛りの大人が悩んでいるんですからね。
 何をやっても中途半端になってしまうという中退者が実際に年間10万人を越えている。
 逆に素直で正直すぎるためにそうなってしまう。我々の方がずるいですよ。いいところに乗っかって社会人としてやっているようなふりをしていますけれど、これは上手に世の中を渡って来ているだけです。挫折する方が普通なんです。しないというのはどこかでずるさを植え付けられているからです。それは一つには学歴でしょう、ないよりあった方がいいということでね。
 そういう正直な子を救えない、そうした制度がないというのはおかしいんですよ。アメリカだったら大変です、社会問題になってしまう。40年くらい前アメリカでも、そういうことがありました。しかし、そういう子たちを救済する制度を国が決めている。日本には何にもない。こういう大検という制度が昭和26年にできたんですが、実際に浸透しているかというとそうでもない。研修会などをやって、周知したぐらいでは駄目なんですよ、それをうまい具合に利用して活かして初めて生きる訳ですからね。ですから、これを使うべきところで使ってもらいたい。理想的には一つの県で1500人くらいの受験者がいてもおかしくない。ですが実際にはその五分の一、不思議な状態なんです。 毎年10万人の中退者がいるということは、昨年10万人なら今年も10万人。単純に5年間で50万人という計算です。しかし、こういう人達が独力で大検を受けようとしてもなかなか受からない。試験が難しいというのではなくて学校を辞めて何年も経ってしまっていますからね、本当は簡単なんですよ、4教科7選択ですからね。例えば数学ですと高校の1年までですから、下手すると、高校2年でやめた人は数学など取る必要無いんです。 悪く取りますと中学を卒業したら高校へは行かずに、そのまま大検の学校へ行ってしまう。毎年8月に試験がありますから、万が一全部受かってしまったとしたらそれで高卒資格が取れる。 文部省から認定書が来ますが、一般社会ではまだ認められていません。何が優先されるかというと、これは大学を受験する準備が整ったということです。
 一般企業の9割が認めていますが、一割くらいは認めていない企業も一部にはある。
 私が今まで塾などで拘わって来た生徒の中には、二十人以上が現在海外へ出てしまっています。そういう生き方を浸透させましたから、『ちまちました生き方はしないでくれ』と。日本を馬鹿にしているわけでは無いのですが、まず視野を広くして、若いうちは理屈抜きで行動しなさい、理屈なんて後からついてくるから。ということはお金だって後からついてくる。そういうものはあてにしないで、知識に対して貪欲であれとね。

@死ぬというのは勇気がいりますよ

 自分も登校拒否をしていましたし、軽い重いは別にしてもあらゆる社会問題を体験して来ました。そして、いわゆるいじめも受けました。そこで自分が悪いのだということに気が付いたのは中学の2年の頃です。その時には『遅かったかな』と思っています。だから、高校生になってからは様変わりをした。ですからおもしろくなかったですよメリハリがなくって、今までは挫折してしまって泣き笑いがあったのが高校からは、友達の多い普通のハッピーな高校生になってしまった。変なもんですよね。起伏が合った方が人生生きていて楽しい。ですから、いじめられた頃を懐かしんでしまったりして(笑)。先天的にのんきな性格で深刻には考えないんですね。ですから今まで生き延びてこれた、ということはあると思いますよ。
 そういった経験もありますから、大検を初めたいがいの相談には乗れるのでは無いかと思います。中学生でも高校生でもね。 おかしなもので、いじめた子もいじめられた子もまた中学や高校へ行き直している、そういう夢をよく見ます。大検もやり直しですから似ていますね。同じ夢が十何回も続きました。ですが、大検をやろうと思い始めてからは見なくなりました。
 その中ではいじめはないんで
す。みんなと仲良くやっている。 いじめの自殺にしても、つまり弱虫だという言われ方をされていますが、その結果を親や先生にいいたくないんです。俺は強い子なんだ、その裏返しとして死んじゃうんです。矛盾しているんじゃ無いかと普通の人は思うのですが、死ぬというのは勇気がいりますよ。それを簡単に選ぶというのは勇気があるんですよ。それだったらしゃべればいいじゃ無いか、自分が困っている、いじめられているということを親に言えばいいじゃ無いか。……それは勇気じゃ無いんです。それを言えば相手に迷惑をかける。親に対して、余計な心配をさせたくないんです。人のことを思ってこれ以上の心配をかけたくない、俺はこれで限界なんだ、自分で何とかしようと思っていたけれども、やっぱりここで人に相談に乗ってもらうのもいやだから俺は命を断つ。そうすればみんな丸く収まる。でもって、自分の意思の強さで死ぬ、自殺を選ぶんです。そう考えた方がいいんですよ。ですからけして意志が弱いからじゃ無い。弱かったら他人にしゃべります。弱虫の子ってみんなそうですよ。誰々ちゃんにいじめられたよって言いつける、そのまんま大人になればいいんですが、無理に大人の格好をするからいけない。自然に任せるというのがいいが、それが欠如しているために子どもが変に大人になってしまった。親にも先生にも相談できない、まして友達にはいじめられている訳ですから相談できるはずが無い。その結果どうなったかと言えば、俺が我慢すればいいんだ、俺がいなくなればいいんだ。それが道として一番正しいんだ………。
ですから、自殺した人はみんな文章が達者、達筆でしょう。書くことにはものすごく慣れている。逆にいえば言えないんです。ですから意志が弱い方がいい。
 めちゃくちゃ意志の弱い子か、めちゃくちゃ意志の強い子を育てればいい。中途半端に育てるから、言い方はおかしいですけれども、結果がああなっちゃう訳です。私はいじめられる側の問題としてしか考えていませんが、被害者側として見た場合には、学校の責任もありますが、そういうふうに育ててしまった親の責任もあると思います。
 相談する側は、話を聞いてもらう人が欲しいんです。ですから聞く人も聞いてもらう人も、自殺とかは考えない。つまり自殺する人は相談する相手がいないんです。相談できる人はまだいい。ですから、その門扉を開かせて、その人の持っているカーテンを「開いてください」という体制を整えてあげたい。

@よく我慢しているなと思います

 いじめの克服というのは、『戦う人間』がいるかどうかということです。今の子供達は戦う姿勢がないんです。何に対しても戦うんだという気持ちがあればそこまで落ち込むことは無い。そうでなければ丸っきりあきらめて、泣きつく。どっちでも命は助かる訳です。ものすごく意志の強い子か、弱い子かということはそういうことなんです。中途半端が一番いけないんです。それが自殺症候群になってしまう。
 いじめにおいては大半の子どもが自殺してもおかしくはない状況です。いじめにあっている人が一万人いるとすれば、九千人は自殺してもおかしくない。よくこんな数字で済んでいる、よく我慢しているなと思います。@相手を殺したに等しい
 ことをやっている
 私の経験では、クラス会とか同窓会をやるといじめた子たちは来ないんですね。しめたなと思いました。会いたくありませんから。いい大人になってからも私抜きでクラス会をやったりする。そういうふうに今でも尾を引いている。電車の中などで会いますけれども、やはり目を背けますよね。こっちはなんでもないし、無理に自分から接することも無い。
 いい大人でもこれですからね、子どものいじめなんて当たり前なんですよ。最近は陰湿になっているということで、問題ですね。ですが陰湿なんていうのは昔からありました。同和問題などもそうでしょう。その延長から来ているんですよ。もちろん教育のシステムもある。ですから陰湿になっているといわれるが、私はそうなっているとは思っていません。自分も陰湿な経験をしていますからね。普通の気の弱い子だったら、泣いてしまうような経験です。よくそれで我慢できましたね、といわれます。大体の人は途中から聞かなくなってしまいます。親に話したらその場からいなくなってしまいました。それくらい聞く方はつらかったです。
 テレビドラマなどでいじめの問題を扱っていますが、多分私のはドラマにならない。放送禁止になります。相手を殺したに等しいことをやっている訳ですからね。本当によく生きていたなと思っています。ちなみに将棋の駒を何個も飲まされました。そんなに将棋が好きなら駒を飲んでみろと言われて。でも、これはまだまだ言える範囲です。これなどはまだ我慢できますが、言葉の暴力、言霊になるようなものは我慢できなかった。行動よりも言葉の方が許せないという部分があります。
 さっき同窓会に来ないと言った人達は、それをやらせた人なんですよ。ですから、同窓会でその話をされるのがいやなんです。酒がまずくなってしまいますからね。
 別に俺は恨んでいない。俺だって会いたくない。しかし、その人はその人なりに、そのことを一生背負っていく。何も犯罪者意識をもつ必要も無いのに、一生持ってしまう訳ですから…。@いじめる子というのは

 基本的には優しい

 『中学生日記』などを見ても、いじめらる子というのは生意気なんです。いじめる子は普通なんです。いじめられる側はどこが異常なんです。ですから異常な子がいじめられるだけなんですね。出る杭は打たれる。もう少し言わせて貰えば、本当は自分が悪い。いじめた人を恨んでいないというのは、無差別にいじめている訳ではないからです。こいつは『いやだ』という意思表示をしていじめている訳ですから、自分にも原因がある。生意気になってしまったんですよ。小学生時代に入退院などで苦労した。そのせいで回りが生温い生活をしていると、馬鹿呼ばわりをしたくなる。そんな事して何がおもしろいんだ、お前たちの年齢で生きたくも死んでいる奴が何人もいる。それでこんなことをやっていて何がおもしろいんだと言ったんです。それが気に食わなかった。ですから言ったものにも責任がある。
 いじめていた子も初めのうちは優しくしてくれた子が大半なんです。ですからいじめる子というのは基本的には優しいんです。優しくし過ぎる生徒がいますね。そういうのが後になっていじめる側に回っていくんです。優しくしてやってるのに、お前は俺に何を言うんだと言ってね。大検の学校、予備校というのは今は東京にしかない
 将来的には、学校にするという事も考えますが、こじんまりとしたものでもいい。大それたことは何も無いし、生徒は何人でも、十人でも二十人でもいいからそれを必要とする人達が来てくれればいいということです。細々とそうした人達とコミュニケーションを持ちながら、なおかつ勉強も教え目的を持たせてあげるというのが一番の願いですね。そして気軽に相談に来られる環境を整えてあげたい。
 大検受験の生徒には、「普通に進学した生徒をライバルと思え」という、いわゆる戦う精神を植え付けさせる。戦争をする訳ではないんですから、戦うと言ったって一向にかまいません。
 大検の学校、予備校というのは今は東京にしかありません。うちでは個人専任性で、一年間で大検に受かるように教えていますが、それも生徒によって変わります。一回で全部は受かりっこ無いですから、受からなかった残りの科目はまた来年受験する。普通一年で受かる人はいないですよ。
 一例で言えば定時制高校へ通いながら大検を受験して半分の年数や一年でそこを卒業をする。定時制はそれが認められています。定時制にしても通信制にしても大検に受かってしまえばそれでいいんです。
 受からないと思うでしょう、でもやる気をもった連中ですからね受験者の手記を読む限りでは上り調子となって、思ったよりも簡単に受かるんですよ。



こならの森 87号

2008-04-20 | 創刊~100号
       ■こならの森87号■1995.7発行

C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森8月号■

おぞねとしこのポエム…ほたる…3p
その他の情報…/猫バス……4p
知らんの5つの市………久保…5p
海棠市子の映画評……………6p
書評・絵本紹介………………7p
創作童話 第3回………8p
トピックス………ノア………9p
JC・JOURNAL………………10-11p
清流ウオッチング………12-17p
ちょ旅……丸山…18-21
インフォメーション9………22-25p
現代国語/カクテル………26p
杜 @皇が占う今月の運勢…………27
協賛店マップ………28-29p
新・こならの森から…………………30p

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【本文抜粋記事】

TOPICS

「佐野南商店街」
 このほど佐野南商店街の愛称が「であいの街・アルク」に決まり、7月29日(土)には、商店街誕生イベントとしてジャズコンサートやフリーマーケットなど多数の催しが予定されている。なぜジャズなのかと良く聞かれるが、指揮者がタクトを振って各人がいっせいにそれに合わせて動くということではなくて、お互いが個性をぶつけ合いながら強調しあって、一体となり一つのことを成し遂げて行く、そういう方向性をとらえてジャズコンサートとしたのだという。
 同会は若いメンバーが中心となって動いており、全体的に活気にあふれている。そんな中で「親睦だけの会でよいものか」と、先進地への視察研修も多く行った。今回のスーパーバザールも、昨年の10月に行った研修会の後の反省会から出て来たものという。研究会としては1989年から発足しており、現在79店が加盟している。
 とにかく会員同士の仲が良く、どんなに議論が白熱しても後日にしこりを残さず、きっぱりとしているところや、昔からまとまりが良いということが現在の活気を生む秘訣だという。また多彩な人材に恵まれていたということも、今回の企画に弾みがついた一因とか。
 今年になってからも既に30回を越す会合を開いており、熱の入った取り組みが伺われる。ただのお祭りやイベントという位置づけは考えておらず、長期的な行動として行きたいと会員は口をそろえる。将来的には商店会の個々が充実していきソフト面やハード面と言ったことを共同で豊かにしていきたいという。新しい商店会の動きにはこれからも目が離せない。