■こならの森63号■1993.7発行
C・o・n・t・e・n・t・s
3p… つゆくさ 目次
4p-13p 特集 夏祭り再考
8-11p…万葉ラブ
12-13p現代用語
14-17p…インフォ
18p…銀幕画廊
19…書評・絵本紹介
20p…結婚
21p…やんば
22-25p インタビュー「木の家」
26-29p 文化会館情報/協賛
30こならの森から~
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【本文抜粋記事】
特集 夏祭り再考
夏祭りの季節となりました。
夏というと、「チューブ(もちろん、ゴム管でもロンドンの地下鉄の名前のことでもない)」てなわけですけれども、そのリーダーがラジオでこんなことを言っていました。「君たち、君たちの夏はあと100回ないんだぜ@イェ~ィ」
よく考えてみると、あたりまえなんですけれど、なんだか説得力のある言葉。一年でも、一番ウキウキする時かも知れません。それに今年の夏祭りは、市政50周年ということもあって、今までにない盛り上がりを見せています。
しかし、本当の意味での市民参加がなされていない。タイトルだって、公募するのがスジだなど。ことしの夏祭りについてはあちこちで意見を頂いた。それだけ、人々の関心が高い行事だといえるのだろう。
「今に始まったことではないが、それにしてもひど@最低の夏。」べつにこれはこならの森が言っている訳ではありませんよ。本当は、こう考えるのはこならの森だけだとひそかに心に秘めて来て、だれにも言わないつもりだったのですが、あちこちの人に意見を求めているとこのような結果になりました。
Q一体だれのための夏祭 りなの?
市民の声が反映されていないところを見ると、やっぱり、自分たちが一緒に遊んでしまう、一部の人だけの@まつり@なんじゃないか。
Qどういう人たちを集 めたいの?
足利などは、毎年同じこと(花火)をやっているんだから、当然地元の人は花火なんて珍しくもなんともない。ちょっと、見晴らしのよいところへいけば見るともなく、見えてしまう。
つまり、それによって地元の商店が潤えばいいという、外部の人を集めるスタイル。それが悪い訳ではけしてない。
Q佐野の夏祭りにはオリジナリティがないの?
ある佐野の夏祭りには早食いが登場。でもよく考えてみれば「早食い」って人に薦められる事なの。
らーめんがここまで有名になったんだか、プラスルアフファーが必要だ。
そのためには、らーめん+ 何かということになる。「夏祭りを見たあと、らーめんを食べて帰ろう」でもいいし、「らーめんを食べたついでに、夏祭りとらでも見てやんべか」でもいいではないか。
関連性をぜひこの機会にとって頂きたいと思う。最 近さのらーめんを食べた後らしきお客さんに、〇〇という施設はどこですかとよく聞かれる。それはどこにでもある施設なのだが決まってさの以外の所を指定して来るという。だれも、分かっていない。さのにはらーめんだけしかないと思っている人があまりにも多い。これはどういうことか。
せっかく、夏祭り期間中にさのらーめんをたべに来たのに、店主がこぞって夏祭りに参加していて店がどこも休みでさのらーめんが食べられなかったというのでは笑い話にもならない。
とにかく人を引き付けはなさないようにする最大限の努力をしなければいけないと思う。我々には、たかだか後数十回の夏だが、『佐野』にとっては永遠の夏なのだ。
Q観光の一助になっているの?
佐野の夏・祭りって佐野の観光全般についてはちっとも役には立たない? 同じ金をかけるならもっと将来的に役に立つものにかける方がいいんじゃない。一度そっぽを向くと二度とそこへは帰って来ないのよ、
そういうことご存じ。やっ ぱりやめた方がいい。醜 い?だけだし、無駄なこ とだと思うのだけれど… ……との声も………。
ここで、過去の佐野の夏祭りを振り返えってみる意味も含めてこならの森15号より、その事情をよく知っていた人のインタビューを少し紹介してみます。
昭和三十年代の佐野というのは、(足利では花火をやっていましたが)佐野では自前の七夕をやっていました。別々に、今とは違ってかなり大きなイベントをやっていました。竹飾りなども自分の家で造っていたんです。
最初は、秋山川で花火をやっていたんです。ですが、三回くらいで止めてしまいました。どうしてかというと、川は南北に流れているものですから西風に吹かれるんですね。ですから、花火の煙が観覧席の方にみんな流れてしまうんです。それで、七夕まつりをやろうということになった。商店の一軒、一軒が競うように、豪華な七夕飾りをしたわけです。今年の七夕が終わるとすぐ来年の七夕を作り始めるというぐあいです。
吾妻寿司、丹波屋、八百信、これは佐野の七夕三人男というんです。それも、すべて自分で作るわけですね。他人の力を借りて飾ったというのはその後からですよ。
(七夕が)駄目になって来たというのは、昭和四十年代に入ってからでしょうね。
●また、こんなことも………
まちづくりというのは、舞台作りです。まちの人達が寄り集まって新しい『舞台』を作っていく。『舞台』がよくなかったら人も集まって来ない。もともと、どの街でも『舞台』というものをもっているんです。そして、それをどう使うかということが『役者』の仕事ですよ。
役者というのは市民ですね。そして、一流の『スター』がいないと駄目です。舞台を理解しなければいけない。それなりの形というものがありますから。
佐野には、佐野の形があります。駅南でも、目新しいものはありますが、すごくはないです。それから、まず第一にそぐわないのは市庁舎で、それをどうするかが問題です。佐野市は個々の開発はやるけれど、総合的な開発はしないですね。 人というのは、どこか中心に向かって集まってくる。光に集まる虫達みたいです。だから、中心街に集まれるような道を作ってやらなければいけない。風通しを良くしてやらなければいけないんです。
でも行政だけではできないですよね。
一番悪い癖というのは、何でも行政に押し付けているということですね。そして、受け手側も何んでも受けてしまう。
佐野市の一億円の問題が出てきましたが、わりあいと執行部は正直に言ったわけです。一億円くらいでは、やりようがないということですね。でも、田沼、葛生
あたりではみんな市民からアンケートを取っています。(こならの森15号より転載)
●それからこんな事まで…
これからは佐野の特長あるものを伸ばしていきたいですね。『佐野ラーメン』でも、ただラーメン店がたくさんあるというだけではなく、例えば横浜の中華街のような本当の「ラーメンのまち」を象徴するような、@通り@というものを作っいきたいと考えています。
そして、そうした佐野市のアイディンティティは、いろいろなまちづくりの基本になってくると思います。もちろん産業が基本ですが、産業というのは流動性が強いんです。しかし、文化はそうではないですね。
そう考えると佐野地区の動き、育ちというものを踏まえて、文化が大きな土台になるべきだと考えています。その上に、産業とかその他のものが育って行く、そうでないとどこでも同じような、どこにでもあるような、まちづくりができてしまうし、まちの方向性が決まってしまいます。
佐野市のオリジナリティは今日までストックしてきたものを、土台としてこそ大きく伸びて行くと思います。
ですから、「人まねはするな、自分のまちにあったもので、まちづくりをする」そういうことが一番大事なことです。産業も、 文化も、政治もそうですね。
(『漫遊ロードさの』より転載)