■こならの森68号■1993.12発行
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森1月号■
@目 次@
としこのポエム………………………3
結婚しました…………………………4
見知らんの5つの市…………………5
すてきな・お店紹介…………………6
JC・JOURNAL特別号………8
インフォメーション93………………10
@特集「女性起業家のゆめ構想」…14
@新シリーズ
「こならの森流・マスメディア論」23
「ロッキンオンこなら」……………23
海棠市子の辛口映画評………………24
書評・絵本紹介………………………25
12月の情報……………………………26
協賛店マップ…………………………28
新・こならの森から…………………30
…………………………………………………
【本文抜粋記事】
特集「女性起業家のゆめ構想」
@パネラー@
佐野市・白沢会計事務所
税理士 白沢みのる
足利市・(株)浅沼経営センター
常務取締役 浅沼 公子
太田市・(株)太田自動車教習所 代表取締役 遠藤キン子
桐生市・(株)ファッション企画
アトリエ・スミ
代表取締役 荒島スミ子
※佐野女子短期大学で行われた公開
シンポジュームにより収録。
(構成・文章編集 こならの森)
@白沢 私は起業家というよりも、税理士ですので企業家をバックアップする立場では無いかと思います。
私が税理士になろうとしたのは、母親の「自立できる方法を探してほしい」という言葉が焼き付いたからです。父親はこういう仕事をしろとはいいませんでした。ですから大学に行こうと思ったときにも商学部にいくことにしました。でも税理士になるのは簡単なものではなかったですね。
大学卒業の翌年に結婚。その年の暮れに簿記の試験を受けましたら受かったんですね。その時は「ああ、受かったでは無いか」と思いました。やがて長女が生まれましたが、その頃ウイルス性の肝炎がはやりまして、夫がそれにかかってしまったんです。死とかは感じませんでしたが、「やっぱり私、何かできなくては困る」と思いました。それが転機となって、また資格試験の勉強をやろうという気持ちになりつつも、忙しく子育てに追われていました。それでも、大きなおなかを抱えて試験場には足を運びました。そういう時というのはどうなんでしょうね底力が出たのか、財務諸表が受かったんです。これで二科目取った。(公認会計士の資格は)後三科目なんですが、これを仕事と家事・子育てをしながらやろうとしたら毎年一科目ずつ取れるとは限らないから、何年かかるか分からない。どうしようかと思ったときにひらめいたのが大学院へ行くことなんです。大学院の法学研究科を卒業すれば、残りの三科目が免除されます。ですからそれをやってみよう。でも、もう大学を卒業してから五年もたっている、と自問自答しましたが、これは「やってみなければ分からない」と思いまして、子どもを寝かせてから自分でも結構一生懸命やったと思うほど勉強しました。もし落ちたら、後は試験でやろうと思っていましたが、運良く合格することができました。
朝は家の中の事をすませてから大学院へ出かけ、帰って来ても家事を全部やって………近くに母もいましたが、なるべく親には迷惑をかけないようにしようと思いました。自分で「これは絶対やるんだ」と決めたことですから、最後まで通しました。それで何とか卒業することができました。
資格を取った時には主人も同じような仕事をしておりましたので、私は自分の許容量というものをこれだけと決めました。最初は、子育てをしていましたから少なかったですね。でも今までやって来た所の仕事は完璧にやって行こう。最初は範囲を狭くして両立できるようにしました。その代わり持った仕事は一〇〇%こなしました。
家事・育児があり、それでも男の人と同じ仕事量をやろうと思いましたらとても無理なことで、自分が二人いないとできません。また、私自身にはそれだけの能力がありません。一人分の能力しかありません。ですから、そうやってしかやって来れませんでした。
やる時にはやらなければいけないと思います。「あの時やっておけば良かった」という悔いだけは残してほしくないと思います。私にもできました、『そういう時』に一生懸命やってみると、案外うまく転ぶ場合が多いと思っています。やってみなくては分からない。だから、あの時に大変だったけれど頑張って良かったなと今ここへ来て思っています。
私には、これが一番いい方法だという最良の方法は分からないんですね。でも私は、これが私の一番いい方法だと思って今までやって来ました。
チャンスがあったら、そのチャンスにぜひ挑んでください。そして、何かのときに「自分はこれができるんだ」ということが、これから先の心の支えになるだろうし、充実感も味わえるだろうと思います。
@浅沼 私はグループAGの副代表をしております。女性が百十名、男性が六十名くらいいます。私には何の資格もありません。家庭では二男一女の母で長男はつい最近結婚しました。入学と卒業が重ならないように、しっかりと四年毎に子供を産みました(笑)。もし、入学と卒業が重なりますと、これは仕事が一時的に乗り切れなくなると思ったんですね。四年毎に産んで各育児はどうやったのか………。
家事というのは、朝起きてから夜寝るまで、後始末的整理の連続です。食事の後片付け、洗濯物の後片付け、部屋の掃除の後片付け、八〇%は後片付的整理です。創造的な部分は料理とかインテリアとかいう二〇%くらいと思います。
そんなところから、誰がやっても出来上がりの同じものは人に任せようと思いました。家事という品質管理をきちんとすればいい。そして、私のやった事と同じ事ができればいいのだと。 結婚して長男が生まれるちょっと前に、高卒の答辞を読むくらいの優秀な女性を採用し、名刺を持たせ家政課という課をつくりました。制服を着て洗濯したり、掃除をしたり、おむつを洗ったりしたわけです。課員は別に一人でもいいんですね。
家事というのは、どうしてもオフィースに勤めている女性から見ますとお手伝いさん的、育児といいますと子守というような低いレベルになる。ですから、家事を家事学、育児を育児学におくことによって、「学」というものをやっているんだという意識をもたせました。
このビジネスの世界はいつも新鮮で行動的で芸術的で自分の人生を燃焼させるすばらしいものだと思っています。今でも他にこれほど手ごたえのある人生があるだろうかと思っております。女性の生き方は生まれ育った時代、生育環境というものによって一〇〇人に聞けば、一〇〇人の生き方というものがあると思います。
例年九月の初旬になりますと、学卒者の試験と面接があります。そこで何の仕事を希望しますかと聞きますと九〇%の人が一般事務ですと答えます。私のキャリアでこんなことにチャレンジしてみたいとか、こんな仕事はありませんか? こんな仕事がやりたいんです、というのはなかなか聞かれないんですね。もちろん緊張している面もあるでしょうが、会社の中に一般事務というのはなくなりつつあります。そして人間でなくてはできない専門能力や技術、高度なサービス、マネージメント能力、またオリジナリティナな発想力、そういうものが非常に大事になってきています。さらにその上に、第三の能力『人間関係能力』があると思います。今のような高学歴社会では、人間関係が大事になってくる。態度能力、言語能力、表現能力この三つが人間関係能力ではないかと思います。
この間一つの文章が私の所に届きました。当社でアルバイトをしていた短大生が書いたものですが、「…アルバイトとして入ってから一週間たって、わざわざ私の前に並んでくれるお客様が現れるようになりました。そして、あなたから買いたいと思って来たのよと言ってくださったときには、顔を上げると涙だがあるのが分かりそうなので、なかなか上げられませんでした。そして私はそのときにサービスは何かを考えました。│それは一つの幸せに参加し、一つの感謝の場面に参加する。そう考えたとき、『サービスは生きることを豊かにする』と思った。そして、良い仕事をするということに奇跡は起こらない。次の日になったら突然一流のセールスマンになったりするなどということはない。一歩一歩の経験と努力しか無いということを知った。」というものでした。
時代は大きく変わって来ています。今は『ABCCの時代』だといいます。Aはアメニティ…快適。Bはビューティ…ビューティな生活がしたいと思っている人が多くいます。Cはコミュニティ…社会の連帯感が求められ、コミュニティというものが非常に強く打ち出されて来ています。それからCのコンビニエンス…手軽とか利便性とか、そんなものが求められている。でもこれは全部女性の特質を要求するもので、これからの女性は時代が要求する能力をたくさんもっていると言えます。
@遠藤 私は現在自動車教習所をやっておりますが、人間の出会いというのは本当に大切でありまして、私の場合は今まで仕事関係では、知らない人達というのがほとんどなんですね。でも、いろいろなきっかけで発展していく訳なんです。人と人との出会いから、色々発展していくと思うんですね。
教習所も最初は全然分からないことをやっていきながら、ひとつひとつ覚えていくということもあるわけです。そして、色々難しいことも消化して、最後に合格したときの嬉しさというのは人に言えないほどの喜びではないかなと思います。私たちの時代では、女性が免許を取る比率が低かったんです。それからその頃は、あくまでも先生が自分の口で講義をしていましたが、現在はハイテク全盛ですね。 私のところでも女性指導員がいます。今は教習所も女性の方が多い訳ですから、女性指導員もいておかしくない訳ですね。今までは、男性オンリーだったわけです。女性指導員は私のところでは、四、五人ですが、これからは女性の仕事として充分通用すると思います。
今は男性でも女性でも変わりなくやっている訳ですが、女の人も苦労が多いと思います。ですけれども、人がやってできないことは無いはずです。女性はまずは結婚があります。そして、出産・育児がございます。そういうことを繰り返して一生懸命やってクリアーして初めて一人前になる。これは男性から見たらハンディーであるわけです。ですがそれは、女性である以上どうしても仕方がないわけですから、自分の環境を見ながらどうその環境を生かしていくかということがその人の英知ですね。私もすこし出産が遅かったんですが、四二歳のときに産んだ子どもが一人おります。育児の問題がありますから、どのように育てていったらいいかということはその人の環境によって違う訳ですから、その中で考えていかれるといいと思います。
私もいろいろ考えましたけれども、幸いにして良いお手伝いさんを見つけまして、その方は子どもが大好きだった訳です。そして、おばあちゃんもいましたのでなんら心配することは無かった訳です。
子どもとの接し方というのは、母親として一番大切な事なんですね。ですから、子どもとは常に対話をして接していく。それは、欠かしてはいけない部分ですから皆様もそういう部分を頭にいれながら、やっていただければよろしいんじゃ無いかと思います。
企業は人なりとは良く言いますけれども、本当に企業をやっていくには人と人との接し方というものがある訳です。
取りとめの無い話でしたが、最後まで聞いていただきましてありがとうございました。
@荒島 はたして私は、女性起業家と言えるのだうかと思いましたが、勉強の機会が与えられたということで大役をお引き受けすることにしました。
私が大学を受けようとしたのは四〇年前のことです。細かいことをすることが好きでしたので女子美術大学を受験し合格しました。
そこで現在の造形大学の創始者、桑沢先生が女子美の教授でありまして、私は桑沢先生の担当のクラスに入りました。遠藤さんも人との出会いと言うものを言われましたが、私も桑沢先
生に出会いましてかなりの影響を受けました。考え方が全然違うんですね。
私にはプライドはありませんでしたが、小さいころから人と同じことはいやだと思いましたので、少し生意気な態度の女の子だったんです。姉妹はみんな大学へいっても、花嫁修業なんですね。就職をすることには縁がなかった訳です。私はそういう姉たちを見ていて、自分は自立しようと思った訳です。
二年間があっと言う間に過ぎ、編入しようとしたら、学校に残ってくれと言われました。
卒業する前から研究室の手伝いをされられ、三月に卒業すると四月から担任をさせられたんです。三月まで生徒だったのに、四月になったら先生と言われるようになりました。
そういうような状況でしたが、積極的にトライしてみようという気もありましたので、かなり意気込んでやっておりました。それで三年間くらいやっておりましたが、どうも学校という環境が性格に合わないと思いはじめたんです。学校にはある枠があるんですね。ですからその枠の中で、教えるということに悲しくなりました。それから自分の考えていることを、形にしてみたいという創作意欲がつねにありましたので、そうお話ししましたら「後が見つかるまで」と、とうとう4年間いました。
その後は、桑沢先生の関係であちらこちらと他流試合をさせていただき、それなりの勉強をいたしました。後になってからではできないので、その年その年を大事にして、吸収すべきことは、すべて吸収しました。
他流試合をしているあいだに出会いがありまして、結婚をしました。結婚して、子育てもありましたので七年間は、主婦業をしておりました。
たまたま桐生に戻って来ましたら、一週間後にオープンするお店がデザイナーを募集しているという事でそこに入りました。 その後独立した訳ですが、独立しても、経営力があるわけではなく苦労しました。
一日は二十四時間しかありませんので、限界があります。そこで、人が三時間かかる仕事を二時間でしあげました。それまでひ弱だった私が、出産してからは寝込んだりという事が無くなりました。母は強しですね。
@質疑応答@
フロアーから…白沢さんに質問ですが、先程「あのときにやっておけばよかった」ということの無いように、という話しをお聞きしましたが、白沢さん自身で「あのときにやっておけばよかった」と思うことがありましたら、お伺いしたいのですが…。
@白沢 私の場合は「あのときにやっておけばよかった」という後悔はしないで今までやって来れたんですね。今これをしなくては、今がチャンスなんだというときにはやって来たんです。そして何とかそれがクリアーできたんです。
その時に何をするかということが問題で、私の場合は試験を受け合格することができました。そして、その次にもう一つ受けようという気持ち、また財務諸表が受かった翌年の三月に、では大学院に挑戦してみようというその気持ちが大切なんです。もちろん落ちてしまったらしかたなかったのですが、たぶん私はそうなっていてもやっただろうと思います。
大学院では、男性学生ばかりでしたがやって来れました。もちろん勉強は大変で、図書館から書物を何冊も借りて来て、夜子どもを寝かせてから一生懸命勉強しました。今ではできないかも知れません、あの時だったからこそできたと思います。
みんなと一緒にまた学生気分が味わえた、つらかったけれども、先生からもいいアドバイスも受けられました。大学が法学部でなかったこともありまして、基礎的な知識で足りないこともあったんです。こういう部分は当然知らなければいけないんだよと言うようなことを遠回しに言われたときにはショックでしたね。その時に私は「ここで負けてなるものか」と思ったんですね。そういうときだけ力が出てくるんです。でもその中で、いい先生にも巡り会えました。今でもその先生方と交友を持っています。
そういう時期が来て、それに挑戦することができたということ、そしてそのときに挑戦できるものはやって来たつもりです。ですから「あのときに………」ということは無かったと言っていいでしょう。
そういう時というのはおそらくどなたにもある転機ですね。何かが取れるという時には、自分が出来る限りの挑戦をして見るということが大事だと思います。今まで生きて来てそう思います。
フロアーから……… 女性が仕事を続けて行くうえでは、セクハラを含めていろいろな障害があると思いますが、その時にまたやる気を出すには、仕事を続ける使命感が無ければできないと思います。皆さんは、何のために仕事をなさっているのか、その点を聞かせていただければ嬉しいのですが………。
@白沢 セクハラに関しては、割り切ることにしています。そんなことに乗らない、適当にかわす。ただ、仕事上のことでは、「女の人だから……」と言うことだけは非常に不愉快ですよね。私よりとしが上の方はもっとそういう場面に多くであったといいます。ただ、その時は自分には資格がある、男の人と何にも変わらない、見解が同じなら正しいことは突き進もう、そういう気持ちがあったから乗り切れたのかなと思います。また、それをよく解釈すれば逆手にとることもできるんです。男の人が相手だと感情的になることも、女性だと和らぐといういい面もあります。逆に女の人の方がいいよといわれる場合がこの頃あります。「女の人だと、対応が優しいからね」ということは、逆手にとることにしています。
これからは、女の人がどんどん世の中に出てくる時代です。ですから、例えばお茶を入れるとかということについても、男の人より女の人の方が入れた方がおいしいのではないか。そういうことでは、男の人より勝っているのではないか。そういうふうに思って事にあたれば、悔しいことはないと思います。
@浅沼 「股尻三年、胸八年」ということが昔は言われたんですが、セクハラは女性自身側がちゃんとした気構えを持っていればおこらないと思います。自分が一人のビジネスウーマン、キャリアウーマンであるのだという気構えの確立が、キャリアということを白沢さんがおっしゃいましたけれども、そのようなものでかわして行けるのではないかと思います。ただし、女性ですのであくまでしなやかに、しとやかにという事が大事じゃ無いかと思います。
長い間事業をやって参りまして、名刺を出す相手は、私の年代ですと全部男性です。でも、私はそのようなセクハラということにあったことは一度も無いと言っていいと思います。絶対相手と対等だと思っております。やはりそういうもののスキがないんじゃ無いかなと思います。
それから、仕事をするのはなぜするのか、という一番重要な質問なんですけれども、女性には百人には百人の生き方があります。女の生き方などというものは、一本のものさしで押し付けられるものではないと思います。これは、私固有のものだと思いますけれども、人生は一回だと思います。地球はこの後何万年も続くかも知れませんけれども、その中で、浅沼きみ子という人間が生きていたというようなことなどだれも分かりません。ケシの実程の人生だと思うんです。そういう中で、なんで薄めた牛乳のような人生が送れるものか、と絶対に思うわけですね。後ろに続く女性のためにも、手応えある人生を送りたいと思います。
@荒島 私にとっては、セクハラが起こる状況事態がナンセンスです。
いつも私は外見的には女性で接していますけれども内面は男性という意識で男性と接しています。 これはほめ言葉なのか、どうなのか分かりませんが、きせずしてある男性から、「今まで男女間の友情というのは成立しないと定義づけていたけれど、荒島さんと付き合って成り立つんだということが分かりました」という言葉を戴きました。
新入社員がお茶くみをするというのではなくて、気持ちとして、「ああ、お茶を入れてあげたいな」と思ったらだれが入れてあげてもいい。お茶くみをすることが自分のプライドを傷つけると思うこと自体がナンセンスで、やはり人間というものは心と心との触れ合いで成り立っていて、大きな社会の中で自分一人で孤立することはできない。誰かがそういう仕事をしなければいけない訳です。ですから、それは新入社員でも、社長でもかまわない。だから、与えられた仕事をするだけで無くて、自分から率先してするようにすれば少しも不愉快なことは無いわけです。私はそうして来ました。ですから私は、人のためにしてあげるのではなくて自分のためにしてあげるのだと思えば何にもいやなことは無いと思います。人と人の触れ合いは心の勉強でもあると思うわけです。人生を振り返ってみて何をやって来たかでは無くて、どう生きたかという事が問題では無いかと思います。
ですから、いつも心を平静に持って、楽しく笑って暮らすも一生、泣いて暮らすも一生だと思ってから、とても道が開けました。何もかも自分のためにしていると考えると、嫌なことが何もなくなる。努力するのも、人のためにするのでは無く自分のためにする。その努力が十年か二十年先に報われるわけです。もしかしたら報われないかも知れない。でも、報われる事を夢見て努力するのが人生だと思います。
@遠藤 いろいろでましたのでもう私が申し上げることは何もございません。
その通りだと思います。この先は私はどう生きるのかということを今は真剣に考えています。いろいろなことに挑戦をして頂いて、その中でも一番いい道を探して伸びて行くということが大切だと思います。
司会 何のために仕事をするのかというのは素朴な質問ですが、一番的を射た質問だなと思いました。四名の方からそれぞれお話しを頂きまして、一つの取りまとめになったと思います。お話しの中にもありましたが、「百人の女性には、百人の生き方がある」、ここで一つの結論を出すということもある意味ではナンセンスかと思います。
現在ご活躍の皆様方は、ここに至るまでに様々なご苦労があったという事をお聞きしましたが、皆さんに一つ共通していることは、自分のおかれた立場を最大限に活かして、常にチャンスを逃さないようにし、それが訪れたときにはしっかりと受け止める準備をなさっていらしたのではないかということです。
本当にお忙しいところをありがとうございました。
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森1月号■
@目 次@
としこのポエム………………………3
結婚しました…………………………4
見知らんの5つの市…………………5
すてきな・お店紹介…………………6
JC・JOURNAL特別号………8
インフォメーション93………………10
@特集「女性起業家のゆめ構想」…14
@新シリーズ
「こならの森流・マスメディア論」23
「ロッキンオンこなら」……………23
海棠市子の辛口映画評………………24
書評・絵本紹介………………………25
12月の情報……………………………26
協賛店マップ…………………………28
新・こならの森から…………………30
…………………………………………………
【本文抜粋記事】
特集「女性起業家のゆめ構想」
@パネラー@
佐野市・白沢会計事務所
税理士 白沢みのる
足利市・(株)浅沼経営センター
常務取締役 浅沼 公子
太田市・(株)太田自動車教習所 代表取締役 遠藤キン子
桐生市・(株)ファッション企画
アトリエ・スミ
代表取締役 荒島スミ子
※佐野女子短期大学で行われた公開
シンポジュームにより収録。
(構成・文章編集 こならの森)
@白沢 私は起業家というよりも、税理士ですので企業家をバックアップする立場では無いかと思います。
私が税理士になろうとしたのは、母親の「自立できる方法を探してほしい」という言葉が焼き付いたからです。父親はこういう仕事をしろとはいいませんでした。ですから大学に行こうと思ったときにも商学部にいくことにしました。でも税理士になるのは簡単なものではなかったですね。
大学卒業の翌年に結婚。その年の暮れに簿記の試験を受けましたら受かったんですね。その時は「ああ、受かったでは無いか」と思いました。やがて長女が生まれましたが、その頃ウイルス性の肝炎がはやりまして、夫がそれにかかってしまったんです。死とかは感じませんでしたが、「やっぱり私、何かできなくては困る」と思いました。それが転機となって、また資格試験の勉強をやろうという気持ちになりつつも、忙しく子育てに追われていました。それでも、大きなおなかを抱えて試験場には足を運びました。そういう時というのはどうなんでしょうね底力が出たのか、財務諸表が受かったんです。これで二科目取った。(公認会計士の資格は)後三科目なんですが、これを仕事と家事・子育てをしながらやろうとしたら毎年一科目ずつ取れるとは限らないから、何年かかるか分からない。どうしようかと思ったときにひらめいたのが大学院へ行くことなんです。大学院の法学研究科を卒業すれば、残りの三科目が免除されます。ですからそれをやってみよう。でも、もう大学を卒業してから五年もたっている、と自問自答しましたが、これは「やってみなければ分からない」と思いまして、子どもを寝かせてから自分でも結構一生懸命やったと思うほど勉強しました。もし落ちたら、後は試験でやろうと思っていましたが、運良く合格することができました。
朝は家の中の事をすませてから大学院へ出かけ、帰って来ても家事を全部やって………近くに母もいましたが、なるべく親には迷惑をかけないようにしようと思いました。自分で「これは絶対やるんだ」と決めたことですから、最後まで通しました。それで何とか卒業することができました。
資格を取った時には主人も同じような仕事をしておりましたので、私は自分の許容量というものをこれだけと決めました。最初は、子育てをしていましたから少なかったですね。でも今までやって来た所の仕事は完璧にやって行こう。最初は範囲を狭くして両立できるようにしました。その代わり持った仕事は一〇〇%こなしました。
家事・育児があり、それでも男の人と同じ仕事量をやろうと思いましたらとても無理なことで、自分が二人いないとできません。また、私自身にはそれだけの能力がありません。一人分の能力しかありません。ですから、そうやってしかやって来れませんでした。
やる時にはやらなければいけないと思います。「あの時やっておけば良かった」という悔いだけは残してほしくないと思います。私にもできました、『そういう時』に一生懸命やってみると、案外うまく転ぶ場合が多いと思っています。やってみなくては分からない。だから、あの時に大変だったけれど頑張って良かったなと今ここへ来て思っています。
私には、これが一番いい方法だという最良の方法は分からないんですね。でも私は、これが私の一番いい方法だと思って今までやって来ました。
チャンスがあったら、そのチャンスにぜひ挑んでください。そして、何かのときに「自分はこれができるんだ」ということが、これから先の心の支えになるだろうし、充実感も味わえるだろうと思います。
@浅沼 私はグループAGの副代表をしております。女性が百十名、男性が六十名くらいいます。私には何の資格もありません。家庭では二男一女の母で長男はつい最近結婚しました。入学と卒業が重ならないように、しっかりと四年毎に子供を産みました(笑)。もし、入学と卒業が重なりますと、これは仕事が一時的に乗り切れなくなると思ったんですね。四年毎に産んで各育児はどうやったのか………。
家事というのは、朝起きてから夜寝るまで、後始末的整理の連続です。食事の後片付け、洗濯物の後片付け、部屋の掃除の後片付け、八〇%は後片付的整理です。創造的な部分は料理とかインテリアとかいう二〇%くらいと思います。
そんなところから、誰がやっても出来上がりの同じものは人に任せようと思いました。家事という品質管理をきちんとすればいい。そして、私のやった事と同じ事ができればいいのだと。 結婚して長男が生まれるちょっと前に、高卒の答辞を読むくらいの優秀な女性を採用し、名刺を持たせ家政課という課をつくりました。制服を着て洗濯したり、掃除をしたり、おむつを洗ったりしたわけです。課員は別に一人でもいいんですね。
家事というのは、どうしてもオフィースに勤めている女性から見ますとお手伝いさん的、育児といいますと子守というような低いレベルになる。ですから、家事を家事学、育児を育児学におくことによって、「学」というものをやっているんだという意識をもたせました。
このビジネスの世界はいつも新鮮で行動的で芸術的で自分の人生を燃焼させるすばらしいものだと思っています。今でも他にこれほど手ごたえのある人生があるだろうかと思っております。女性の生き方は生まれ育った時代、生育環境というものによって一〇〇人に聞けば、一〇〇人の生き方というものがあると思います。
例年九月の初旬になりますと、学卒者の試験と面接があります。そこで何の仕事を希望しますかと聞きますと九〇%の人が一般事務ですと答えます。私のキャリアでこんなことにチャレンジしてみたいとか、こんな仕事はありませんか? こんな仕事がやりたいんです、というのはなかなか聞かれないんですね。もちろん緊張している面もあるでしょうが、会社の中に一般事務というのはなくなりつつあります。そして人間でなくてはできない専門能力や技術、高度なサービス、マネージメント能力、またオリジナリティナな発想力、そういうものが非常に大事になってきています。さらにその上に、第三の能力『人間関係能力』があると思います。今のような高学歴社会では、人間関係が大事になってくる。態度能力、言語能力、表現能力この三つが人間関係能力ではないかと思います。
この間一つの文章が私の所に届きました。当社でアルバイトをしていた短大生が書いたものですが、「…アルバイトとして入ってから一週間たって、わざわざ私の前に並んでくれるお客様が現れるようになりました。そして、あなたから買いたいと思って来たのよと言ってくださったときには、顔を上げると涙だがあるのが分かりそうなので、なかなか上げられませんでした。そして私はそのときにサービスは何かを考えました。│それは一つの幸せに参加し、一つの感謝の場面に参加する。そう考えたとき、『サービスは生きることを豊かにする』と思った。そして、良い仕事をするということに奇跡は起こらない。次の日になったら突然一流のセールスマンになったりするなどということはない。一歩一歩の経験と努力しか無いということを知った。」というものでした。
時代は大きく変わって来ています。今は『ABCCの時代』だといいます。Aはアメニティ…快適。Bはビューティ…ビューティな生活がしたいと思っている人が多くいます。Cはコミュニティ…社会の連帯感が求められ、コミュニティというものが非常に強く打ち出されて来ています。それからCのコンビニエンス…手軽とか利便性とか、そんなものが求められている。でもこれは全部女性の特質を要求するもので、これからの女性は時代が要求する能力をたくさんもっていると言えます。
@遠藤 私は現在自動車教習所をやっておりますが、人間の出会いというのは本当に大切でありまして、私の場合は今まで仕事関係では、知らない人達というのがほとんどなんですね。でも、いろいろなきっかけで発展していく訳なんです。人と人との出会いから、色々発展していくと思うんですね。
教習所も最初は全然分からないことをやっていきながら、ひとつひとつ覚えていくということもあるわけです。そして、色々難しいことも消化して、最後に合格したときの嬉しさというのは人に言えないほどの喜びではないかなと思います。私たちの時代では、女性が免許を取る比率が低かったんです。それからその頃は、あくまでも先生が自分の口で講義をしていましたが、現在はハイテク全盛ですね。 私のところでも女性指導員がいます。今は教習所も女性の方が多い訳ですから、女性指導員もいておかしくない訳ですね。今までは、男性オンリーだったわけです。女性指導員は私のところでは、四、五人ですが、これからは女性の仕事として充分通用すると思います。
今は男性でも女性でも変わりなくやっている訳ですが、女の人も苦労が多いと思います。ですけれども、人がやってできないことは無いはずです。女性はまずは結婚があります。そして、出産・育児がございます。そういうことを繰り返して一生懸命やってクリアーして初めて一人前になる。これは男性から見たらハンディーであるわけです。ですがそれは、女性である以上どうしても仕方がないわけですから、自分の環境を見ながらどうその環境を生かしていくかということがその人の英知ですね。私もすこし出産が遅かったんですが、四二歳のときに産んだ子どもが一人おります。育児の問題がありますから、どのように育てていったらいいかということはその人の環境によって違う訳ですから、その中で考えていかれるといいと思います。
私もいろいろ考えましたけれども、幸いにして良いお手伝いさんを見つけまして、その方は子どもが大好きだった訳です。そして、おばあちゃんもいましたのでなんら心配することは無かった訳です。
子どもとの接し方というのは、母親として一番大切な事なんですね。ですから、子どもとは常に対話をして接していく。それは、欠かしてはいけない部分ですから皆様もそういう部分を頭にいれながら、やっていただければよろしいんじゃ無いかと思います。
企業は人なりとは良く言いますけれども、本当に企業をやっていくには人と人との接し方というものがある訳です。
取りとめの無い話でしたが、最後まで聞いていただきましてありがとうございました。
@荒島 はたして私は、女性起業家と言えるのだうかと思いましたが、勉強の機会が与えられたということで大役をお引き受けすることにしました。
私が大学を受けようとしたのは四〇年前のことです。細かいことをすることが好きでしたので女子美術大学を受験し合格しました。
そこで現在の造形大学の創始者、桑沢先生が女子美の教授でありまして、私は桑沢先生の担当のクラスに入りました。遠藤さんも人との出会いと言うものを言われましたが、私も桑沢先
生に出会いましてかなりの影響を受けました。考え方が全然違うんですね。
私にはプライドはありませんでしたが、小さいころから人と同じことはいやだと思いましたので、少し生意気な態度の女の子だったんです。姉妹はみんな大学へいっても、花嫁修業なんですね。就職をすることには縁がなかった訳です。私はそういう姉たちを見ていて、自分は自立しようと思った訳です。
二年間があっと言う間に過ぎ、編入しようとしたら、学校に残ってくれと言われました。
卒業する前から研究室の手伝いをされられ、三月に卒業すると四月から担任をさせられたんです。三月まで生徒だったのに、四月になったら先生と言われるようになりました。
そういうような状況でしたが、積極的にトライしてみようという気もありましたので、かなり意気込んでやっておりました。それで三年間くらいやっておりましたが、どうも学校という環境が性格に合わないと思いはじめたんです。学校にはある枠があるんですね。ですからその枠の中で、教えるということに悲しくなりました。それから自分の考えていることを、形にしてみたいという創作意欲がつねにありましたので、そうお話ししましたら「後が見つかるまで」と、とうとう4年間いました。
その後は、桑沢先生の関係であちらこちらと他流試合をさせていただき、それなりの勉強をいたしました。後になってからではできないので、その年その年を大事にして、吸収すべきことは、すべて吸収しました。
他流試合をしているあいだに出会いがありまして、結婚をしました。結婚して、子育てもありましたので七年間は、主婦業をしておりました。
たまたま桐生に戻って来ましたら、一週間後にオープンするお店がデザイナーを募集しているという事でそこに入りました。 その後独立した訳ですが、独立しても、経営力があるわけではなく苦労しました。
一日は二十四時間しかありませんので、限界があります。そこで、人が三時間かかる仕事を二時間でしあげました。それまでひ弱だった私が、出産してからは寝込んだりという事が無くなりました。母は強しですね。
@質疑応答@
フロアーから…白沢さんに質問ですが、先程「あのときにやっておけばよかった」ということの無いように、という話しをお聞きしましたが、白沢さん自身で「あのときにやっておけばよかった」と思うことがありましたら、お伺いしたいのですが…。
@白沢 私の場合は「あのときにやっておけばよかった」という後悔はしないで今までやって来れたんですね。今これをしなくては、今がチャンスなんだというときにはやって来たんです。そして何とかそれがクリアーできたんです。
その時に何をするかということが問題で、私の場合は試験を受け合格することができました。そして、その次にもう一つ受けようという気持ち、また財務諸表が受かった翌年の三月に、では大学院に挑戦してみようというその気持ちが大切なんです。もちろん落ちてしまったらしかたなかったのですが、たぶん私はそうなっていてもやっただろうと思います。
大学院では、男性学生ばかりでしたがやって来れました。もちろん勉強は大変で、図書館から書物を何冊も借りて来て、夜子どもを寝かせてから一生懸命勉強しました。今ではできないかも知れません、あの時だったからこそできたと思います。
みんなと一緒にまた学生気分が味わえた、つらかったけれども、先生からもいいアドバイスも受けられました。大学が法学部でなかったこともありまして、基礎的な知識で足りないこともあったんです。こういう部分は当然知らなければいけないんだよと言うようなことを遠回しに言われたときにはショックでしたね。その時に私は「ここで負けてなるものか」と思ったんですね。そういうときだけ力が出てくるんです。でもその中で、いい先生にも巡り会えました。今でもその先生方と交友を持っています。
そういう時期が来て、それに挑戦することができたということ、そしてそのときに挑戦できるものはやって来たつもりです。ですから「あのときに………」ということは無かったと言っていいでしょう。
そういう時というのはおそらくどなたにもある転機ですね。何かが取れるという時には、自分が出来る限りの挑戦をして見るということが大事だと思います。今まで生きて来てそう思います。
フロアーから……… 女性が仕事を続けて行くうえでは、セクハラを含めていろいろな障害があると思いますが、その時にまたやる気を出すには、仕事を続ける使命感が無ければできないと思います。皆さんは、何のために仕事をなさっているのか、その点を聞かせていただければ嬉しいのですが………。
@白沢 セクハラに関しては、割り切ることにしています。そんなことに乗らない、適当にかわす。ただ、仕事上のことでは、「女の人だから……」と言うことだけは非常に不愉快ですよね。私よりとしが上の方はもっとそういう場面に多くであったといいます。ただ、その時は自分には資格がある、男の人と何にも変わらない、見解が同じなら正しいことは突き進もう、そういう気持ちがあったから乗り切れたのかなと思います。また、それをよく解釈すれば逆手にとることもできるんです。男の人が相手だと感情的になることも、女性だと和らぐといういい面もあります。逆に女の人の方がいいよといわれる場合がこの頃あります。「女の人だと、対応が優しいからね」ということは、逆手にとることにしています。
これからは、女の人がどんどん世の中に出てくる時代です。ですから、例えばお茶を入れるとかということについても、男の人より女の人の方が入れた方がおいしいのではないか。そういうことでは、男の人より勝っているのではないか。そういうふうに思って事にあたれば、悔しいことはないと思います。
@浅沼 「股尻三年、胸八年」ということが昔は言われたんですが、セクハラは女性自身側がちゃんとした気構えを持っていればおこらないと思います。自分が一人のビジネスウーマン、キャリアウーマンであるのだという気構えの確立が、キャリアということを白沢さんがおっしゃいましたけれども、そのようなものでかわして行けるのではないかと思います。ただし、女性ですのであくまでしなやかに、しとやかにという事が大事じゃ無いかと思います。
長い間事業をやって参りまして、名刺を出す相手は、私の年代ですと全部男性です。でも、私はそのようなセクハラということにあったことは一度も無いと言っていいと思います。絶対相手と対等だと思っております。やはりそういうもののスキがないんじゃ無いかなと思います。
それから、仕事をするのはなぜするのか、という一番重要な質問なんですけれども、女性には百人には百人の生き方があります。女の生き方などというものは、一本のものさしで押し付けられるものではないと思います。これは、私固有のものだと思いますけれども、人生は一回だと思います。地球はこの後何万年も続くかも知れませんけれども、その中で、浅沼きみ子という人間が生きていたというようなことなどだれも分かりません。ケシの実程の人生だと思うんです。そういう中で、なんで薄めた牛乳のような人生が送れるものか、と絶対に思うわけですね。後ろに続く女性のためにも、手応えある人生を送りたいと思います。
@荒島 私にとっては、セクハラが起こる状況事態がナンセンスです。
いつも私は外見的には女性で接していますけれども内面は男性という意識で男性と接しています。 これはほめ言葉なのか、どうなのか分かりませんが、きせずしてある男性から、「今まで男女間の友情というのは成立しないと定義づけていたけれど、荒島さんと付き合って成り立つんだということが分かりました」という言葉を戴きました。
新入社員がお茶くみをするというのではなくて、気持ちとして、「ああ、お茶を入れてあげたいな」と思ったらだれが入れてあげてもいい。お茶くみをすることが自分のプライドを傷つけると思うこと自体がナンセンスで、やはり人間というものは心と心との触れ合いで成り立っていて、大きな社会の中で自分一人で孤立することはできない。誰かがそういう仕事をしなければいけない訳です。ですから、それは新入社員でも、社長でもかまわない。だから、与えられた仕事をするだけで無くて、自分から率先してするようにすれば少しも不愉快なことは無いわけです。私はそうして来ました。ですから私は、人のためにしてあげるのではなくて自分のためにしてあげるのだと思えば何にもいやなことは無いと思います。人と人の触れ合いは心の勉強でもあると思うわけです。人生を振り返ってみて何をやって来たかでは無くて、どう生きたかという事が問題では無いかと思います。
ですから、いつも心を平静に持って、楽しく笑って暮らすも一生、泣いて暮らすも一生だと思ってから、とても道が開けました。何もかも自分のためにしていると考えると、嫌なことが何もなくなる。努力するのも、人のためにするのでは無く自分のためにする。その努力が十年か二十年先に報われるわけです。もしかしたら報われないかも知れない。でも、報われる事を夢見て努力するのが人生だと思います。
@遠藤 いろいろでましたのでもう私が申し上げることは何もございません。
その通りだと思います。この先は私はどう生きるのかということを今は真剣に考えています。いろいろなことに挑戦をして頂いて、その中でも一番いい道を探して伸びて行くということが大切だと思います。
司会 何のために仕事をするのかというのは素朴な質問ですが、一番的を射た質問だなと思いました。四名の方からそれぞれお話しを頂きまして、一つの取りまとめになったと思います。お話しの中にもありましたが、「百人の女性には、百人の生き方がある」、ここで一つの結論を出すということもある意味ではナンセンスかと思います。
現在ご活躍の皆様方は、ここに至るまでに様々なご苦労があったという事をお聞きしましたが、皆さんに一つ共通していることは、自分のおかれた立場を最大限に活かして、常にチャンスを逃さないようにし、それが訪れたときにはしっかりと受け止める準備をなさっていらしたのではないかということです。
本当にお忙しいところをありがとうございました。