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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森118号

2008-04-30 | 101号~200号
       ■こならの森118号■1998.2発行

表紙 「れんげ」

C・o・n・t・e・n・t・s


■こならの森3月号■

おぞねとしこのポエム…にんじん……3p
その他の情報…/猫バス42……4p
結婚(誕生)…駒場さん夫妻…5p
オープン情報…6p
知らんの5つの市/……ラオッテッモ……7p
JC・インタビュー…川村……8-11p
歴史講座 第10回………12-19p
インフォメーション97………20-23p
現代国語…せせ…24p
両毛神楽物語………25p
海棠市子の映画評……………26p
書評・絵本紹介………………27p
協賛店マップ………28-29p
新・こならの森から…………………30p

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【本文抜粋記事】

JC・インタビュー

 第二回目の対談は、安佐地域を中心にボランティア活動を続けている「みんなの会」会長の川村富士雄さんです。川村さんは、ご自身も生まれてすぐに脳性小児マヒという大病をされ、この障害に立ち向かい戦ってこられました。現在、同じように障害に苦しむ方々の社会参加のお手伝いをされています。また、二十四時間テレビチャリティーでは、二年連続で実行委員長として活躍され、三年に一度行なわれている「現代座」という劇団の公演では、この地域の実行委員もやっていらっしゃいます。   

聞き手 中田 裕久(なかだ ひろひさ)さん
   
■PROFILE:
川村 富士雄 (かわむら ふじお)さん
1957年 佐野市生まれ。
           

身障者と健常者がいっしょにできる活動を

中田 川村さんは、「みんなの会」を通して、あるいは個人的にも様々なボランティア活動をされていますが、こうしたボランティア活動をやろうと思ったきっかけを教えていただけますか。
川村 最初のきっかけは、町内の先輩の薦めで入った植野町の青年会です。そこで自分がハンディがあるということを気にせずにまちづくりに参加できまして、すごく充実した活動ができたんです。その後出会ったのが「みんなの会」です。そこでは障害者と健常者がいっしょになって、まちづくり、交流の場を持っていました。
中田 川村さんがそういった運動をやろうとした時に、自分自身ハンディがあるということで、大変ご苦労をされたのではないかと思いますが。
川村 ここでの活動は、みんなと楽しくできていまして、楽しいから一所懸命になれたんですね。
「みんなの会」に入って十五年になりますが、そういった活動を通して、非常に自分の存在感を感じることができました。
中田 今、障害者と健常者がいっしょになって何かをするという機会は、だんだん増えてきているんでしょうか。
川村 障害者の方というのは、まず家から外に出ることさえ大変なんですが、みんなと遊びに行きたいとか、話がしたいとか、買い物をしたいなど、いろいろな夢があります。一緒にいるということ自体、なかなか機会に恵まれないというところがあるんです。これからも健常者と障害者がいっしょに集まって行なう活動を続けていきたいと思っていますし、ボランティアの仲
間も、いろいろな活動を通して、障害者の方たちとふれ合う時間を大切にしたいと考えてくれています。
中田 川村さんは、この二年間、二十四時間テレビでチャリティーをやっていらして、佐野の「秀郷まつり」とか、葛生の「原人まつり」などでボランティアの皆さんとチャリティー活動をされていますが、それを率先してやろうと思った理由は何でしょうか。
川村 若い人と一緒になって何かをやりたいと思ったのが最初です。若い人にたくさん集まってもらうにはどうしたら良いかということで始めまして、ボランティアを募集しましたら高校生・大学生の人が七十人ほど来てくれました。
中田 昨年、青年会議所も参加させてもらいましたが、この高校生・大学生の人がものすごく真剣にやってくれていますね。
川村 そうですね。とても楽しんでやってくれまして、また障害者の方に対しても理解をしてくれていると思います。今年もまたテレビチャリティーはやりたいと思っていますので、ぜひご協力をお願いします。
中田 阪神淡路大震災以来、ボランティアというものが注目されていますが、十五年間ボランティア活動をされている川村さんから見て、これからのボランティアはどうあるべきだと思いますか。今後川村さんは、この地域、あるいはこの地域以外でも、どんな活動をやっていきたいと考えていらっしゃいますか。川村 ひとことで言えば、やさしいひとづくり。障害者の方々に対する社会参加のお手伝いをしながら、人と人との結びつき、人に対する思いやりの気持ちを大切にしたいと考えています。障害者の方も積極的に参加できるようなボランティア活動、もっと外に出やすくなるような環境づくりを、私自身が障害者の方へのパイプ役になって続けていければと考えています。
中田 今も毎週病院に通っていらっしゃるということですが、ぜひ体を大事にされて、川村さんの言われる障害者と健常者のよりいっそうの交流がはかれるように頑張ってください。このまちに住むみんなが参加できるような暖かいボランティア活動をしていってください。
 青年会議所も今年度「高齢身障者対策委員会」というものを作っていますので、ぜひ一緒に活動をさせていただきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。


こならの森117号

2008-04-30 | 101号~200号
       ■こならの森117号■1998.1発行

表紙 「三毳山/雪」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森2月号■

おぞねとしこのポエム…しいたけ……3p
その他の情報…/猫バス41……4p
結婚(誕生)…五十畑隆宏さん&ゆう子さん…5p
現代国語…せい……6p
知らんの5つの市/……ニコラス……7p
JC・インタビュー………8-13p
歴史講座 第9回………14-21p
インフォメーション97………22-25p
海棠市子の映画評……………26p
書評・絵本紹介………………27p
協賛店マップ………28-29p
新・こならの森から…………………30p

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【本文抜粋記事】
JC・JOURNAL…インタビュー

早瀬 昇(はやせ のぼる)
1955年大阪府生まれ。京都工芸繊維大学在学中に「大坂交通遺児を励ます会」の活動に参加。以後様々なボランティア活動に参加する。阪神・淡路大震災時には、全国の市民団体と連係し「被災地の人々を応援する市民の会」を結成。
現職
社会福祉法人 大阪ボランティア協会 理事・事務局長
大阪大学人間科学部 客員助教授
日本NPOセンター 常務理事 他
著書
「元気印ボランティア入門」 他多数

聞き手
中田 裕久(なかだ ひろひさ)さん

 早瀬 昇さんは、日本を代表するボランティア・リーダー。学生時代から様々なボランティア活動に関わり、今、新しい形のボランティア・NPOを全国に広め、社会変革を起こそうとしています。今回は対談を通して、これからのまちづくりのために我々は何をしたら良いのかを示唆してくれました。

始まりは責任感との出会い

中田 早瀬さんの本をいくつか読ませて頂きまして、特に私が思いましたのは、京都工芸繊維大学の電子工学科を出られて、ボランティア関係の方に移った時にお父さんが非常に怒って、お母さんがもうあきらめなさいと言ったということが書いてあるんですが、ボランティアの方へ行ったきっかけというのは何だったんでしょうか。
早瀬 大学に入った年に、五月三日の深夜に、大阪のまちを一晩歩いてみませんかというイベントの紹介の新聞記事を見たんですね。おもしろそうやと思った。で手紙書いてしもうたんですよ。ちょっとこれ詳しいこと決まったら教えてくださいと。そしたらハガキが来たんですね。何月何日に説明会を開きますから来はりませんかと。東京に事務所が有ったんですけども、関西から東京に手紙書いた人が二十何人おうてはったんですね、でね、説明会に行ったん二人だけなんですね。そのうちの一人が僕だったんですよ。で行ったはいいけどあらへんのですよ。看板もあらへん。おかしいなあと思って聞いたんですね、フロントに。そしたらここですよと。で行ってみたとこが「交通遺児を励ます会」だったんです。つまり、元々は福祉も何もあらへんわけですよ。僕はただ真夜中にみんなで大阪のまちをぐるぐる廻る変なイベントをする奴がおるなと思っただけで、それがおもろいなと思ったのが、たまたま「交通遺児を励ます会」やったと。そういうことですね、元々は。ところがそれをやってみたらどういうことになったかというと、僕は事務局になったんですけど、僕が泊まり込みで事務所を預かってると、マスコミから電話がかかってくるわけですよ。今先頭はどこにいますか、あるいは一番後ろはと。NHKですけど、朝日新聞ですけどとね。そしたらね、ひょっとしたら今俺は世界を変えてるんじゃないかという幻想に浸るわけですよ。こういった一種の勘違いですね。これがきっかけですね。そこからおもしろさを知ってしまったんですよ。
中田 ボランティア協会に入られてだんだん楽しさが分かってきたということですけど、我々JCでもそうなんですが、最初の取っかかりのきっかけの部分が続けていけるかいけないかの部分になっていくと思うんですが。
早瀬 そうですね。でも僕は最初の頃は不真面目ないいかげんなメンバーやったと思いますよ。どこで変わったかというとね、たまたま前の代表してるやつがやめよったんですよ。で三人しかメンバーが残らなくなった。解散しても良かったんですけども、そこで責任を感じたんですね。せなあかんとちゃうかなと。結局ね、こういうものってのは最初はかなり乗り手は多いと思うんですよ。それがどっかで、おまえがせえへんかったら他に誰がすんねんと思う時が有るんですよ。で、やっていくと自分が代表にもなるし、新聞にも名前が載るようになるし、おもしろいじゃないですか。そのおもしろさに加えて、なんか俺がするのかなと思う時ですね、それが出会いですよね。そういうものが人を造るんちゃいますかね。

専門性を活かしてこそボランティア

中田 それとこの辺の地域ではあまり聞かないボランティア協会の内容なんですが。この辺ですと福祉協議会と間違えてしまいがちなんですけれども。
早瀬 大阪ボランティア協会というのは、今から三十二年前に生まれた日本で一番古いボランティアセンター、市民活動のサポートセンターなんですね。何をしているかというと、社会福祉協議会やボランティアセンターとほぼいっしょと言えばいっしょなんですが、違うのは、福祉に限定してない、出入りする人が極めて社会人が多いということ。これはね夜間やってる、九時まで開いてる、土日も開いてる、これが一番大きいですよね。それと民間だということですよ。運営資金は年間一億二千万ですけど、そのうち行政の資金は千五百万ぐらいしかないから。だから自由なんですよ。
中田 あとの資金の供給のしかたというのは。
早瀬 二千五百万ぐらいは企業と財団からの寄付、二千万ぐらいは個人あるいはNPOからの資金、残り事業収入が五千万ぐらい。要は事業をしてるんですよ。NPOは収益事業ができるわけですからね。収益事業もするけど収益事業だけではもたないわけで、寄付も受けるし、助成金ももらうし、行政からも資金をもらう。だから行政とも関係があるわけですよ、大切なことはね。役所とも繋がってるし、企業とも繋がってるし、市民とも繋がってるし、自分たち自身でも資金を集めてる。四つ足持ってるわけですよ。そういったバランスで動いてる組織です。
中田 たとえば、企業の方がボランティア協会に来られた時にその使われ方というのは。
早瀬 まずボランティア協会を拠点に活動しているグループが八十ぐらいあるんですね、人数にして六千人ぐらいの人がいろんな活動に参加してはるんですね。それがまずありますね。それからボランティア協会の経営に関っているボランティアスタッフが二百人ぐらい。たとえば「月刊ボランティア」という協会の発行している情報誌には、毎日新聞とかフリーランスのライターがボランティアで入っている。本の出版の委員なんていうのは大学の先生とか、自分自身が出版社を経営している人間とかが集まってきて、もうひとつの仕事をしているということですよね。
中田 それはもう最先端の組織ですよね
早瀬 だからおもしろくて来るわけですよみんな。自分がすごく生き生きするじゃないですか。必ず何かの専門性を皆さん持ってるわけですから、その専門性を活かされるような仕事、逆にいえば専門性を活かせないボランティア活動の領域というのはないんです。みんなそれぞれ発展できる所があるんですから、そういうものをうまく、僕等自身じゃなくて、彼らが創っていけるわけですよ、うちは。
中田 ボランティアと奉仕の違いがいろいろあるかと思うんですけれども、ボランティアという言葉を聞くと慈善活動というイメージがありますよね、それと奉仕というと、青年会議所には三信条というのがありまして、奉仕・修練・友情なんですが、最近の青年会議所では今までの奉仕を中心としたCDというまちづくりの手法がですね、だんだん奉仕という言葉での表現ではなくて、もっといわゆるNPO的なものに変えていかなければいけないのかなとなってきているんですけれども、ここら辺の現実的な違いというものをお話し頂ければありがたいんですけれども。
早瀬 多分主語が違うんですよ。ボランティアの場合、したいというのは自分なんですよね。奉仕というのは奉って仕えるわけでしょ、誰かに。それは神にであったり、正義にであったりするかもしれませんけれども。少し窮屈なんですよ、奉仕というのは。せなあかんことなんですよ。そこの窮屈さを僕等は取り除きたい。ボランティア活動というのはもっと自由で、自由というのはリスクを背負うというのもあるんですけど、そういう変革的なイメージを多分持てたんですよね。でも、こんなんは文化によっても違って来るから、あまり奉仕やったらあかんとかあんまり言う必要はないと思いますけど。

大災害とボランティア

中田 話は変わりまして、阪神淡路大震災の時のことが本の中にも書かれているんですが、阪神淡路大震災がおこって最初は一日に二万人ぐらいのボランティアがいて、どんどん淘汰されてくるのかどうか分かりませんが、だんだん減ってきますね。その辺の所はどうお考えですか。
早瀬 当たり前なんですよ。最初は簡単やったからですよ。災害ボランティアほど簡単なものはないですよ。水汲みでもボランティアになるんですから。一日限りでも良かったんですよ。減ってしまうのが当たり前の話であって、もう難しくなってる。
中田 今でも早瀬さんは関られてるんですか。
早瀬 いや、もう僕等が関れるような問題じゃないですよ。もう現場にずうっといないと。今、仮設に行って何ができますか。差が開きすぎてしまってるんですよ。まだ四万強いるんですよ、仮設に。大変な人口ですよ。最後に公共住宅が完成するのが一九九九年か二〇〇〇年なんですよ。復興してる人はとうに復興してるわけですよ。差ができてくるでしょ。その人とずうっと顔の見える関係を作らんとできへんですよ。難しくなった。だから減っただけですよ。ある大きな、人々の心を動かすような事件が起きるとみんな動くんですよ。あの時にはそういう人々の心を動かすようなものがあったし、且つ非常に参加しやすい形式であったというのがあれだけ大きな広がりをつくった。他にもいろいろ理由がありますけどね。

行政・企業と競えるNPOを

中田 それとNPOですね。NPOの意味についてはどうお考えですか。
早瀬 非営利ということであれば政府もボランティア団体もNPOですよね。今言ってるNPOはNGOのNPOなんですよ。つまり政府に取り組まれていない非営利組織。たとえば今、社会福祉法人というのが有りますが、現在の社会福祉事業法によると、社会福祉事業は行政と社会福祉法人しかしちゃいけないことになっている。業務独占ですよ。社会福祉法人というのは行政が厳しい認可制度で認可するんですよ。つまり行政の言いなりみたいな組織を作るわけですね。競争がないわけですよ。そのような社会から、もっと競争原理で動くような非営利の活動が生まれてきて、それと行政が競争し合うような、そういう社会を創ろうじゃないかということなんですね。今までの旧来型ではない、独立して、市民の発意で、まさにボランティアがつくるようなNPO。そこんとこだと思いますね。社会変革をしたいちゅうことですよ。新しい社会のタイプを創っていくという点で言うと、NPOがNPOらしく、ボランティアらしく動けるということは、行政から独立しているということですね。しかも、経営能力があって企業なんかと対等に動けるということですね。そういう意味で言うと、これからのNPOにはマネージメント能力が必要になってくるわけですよ。そういうものを使って行政や企業と伍せるものを創っていくというのがこれから重要になってくると思います。
中田 佐野青年会議所では生活圏の同じ佐野・田沼・葛生の合併の住民発議運動をやっていまして、それはやはりこれからの高齢化社会とか、いろいろな課題に対応するために地域として力をつけなくてはということからある程度の自治規模、財政規模の必要性を訴えていますが、その枠組だけ創ってもそこに住んでいる人達がちゃんと意識を持ってないとだめで、システムだけ変わったことになってしまう。意識の改革というものがそこに必要になってくるだろうと考えているんですが。
早瀬 地方分権だけでは地方自治は進まないですね。地方分権というのは単に政府が小さくなるだけで、政府は政府なんですよ。政府は政府のことしかできへん分けですよ。政府を小さくすることは僕は大賛成ですけれども、プラスそこにNPOとか市民の発意がなかったら対等にできへん分けですよ。結局は権力ですからね、政府のままでは。
中田 我々の住民発議も住民自治が一番根底にありますから、そういう意味での部分なんですけれども。それと少子高齢化という問題もこれからありますが。
早瀬 どうしたら少子化をやめさせられるかというとね、シングルマザーを支援することですよ。ということはね、結婚しはった人は子供産んでるんですよちゃんと。出生率下がってない。要は結婚しなくなってるんですよ。そしたら結婚しなくても産めたらよろしいわけや。日本は結婚せんかったら産んだらあかん思ってるんですよ。スウェーデンは何で出生率二.二まで上がったかというと、あそこはシングルマザーを保護したからですよ。これはね大変な価値観の転換ですよ。そういうことができるのはNPOしかないでしょうな。政府は二分の一以上の賛成がないとできへんから。後はね、高齢化を止めるためには外国人労働者をどんどん入れることですよ。両方とも政府は嫌がるんですよね。別の話をするとね、高齢化社会というのは個性化社会なんですよ。赤ちゃんはね、みんなかわいいんですよ。それが年取ったらね、いろんな人ができてくるわけですよ。子供ん時は政府がやってもいいんですよ、一つの価値観で。でもいろんな価値観持った人がいろんなことをやろうとしたら、いろんな価値観をそれぞれ具現化できるようなシステムをつくらないかん。それがNPOなんですよ。
中田 これは確かに行政ではできないことですよね。

NPOは経営という発想

中田 それでは最後に、青年会議所に期待することをお話しして頂けますか。
早瀬 さきほども話しましたけど、マネージメントというのがこれから非常に重要になってくるんですね。NPOとは何かというとね、これから社会貢献を考える時に重要なのは、投資という発想なんですよ。僕等は寄付する人から投資されているんですよ。たとえば五万円の寄付をもらったとする。五万円入って儲かったと思ったらあかんわけですよ。その五万円のお金は負債ですよ。その五万円のお金でいかにその五万円を越えるような効果を社会に返すかなんですよ。我々にお金を渡せばこんなに行政を越えることができるんだと。そういう話っていうのは経営なんですよ。NPOというのは企業といっしょで、わずかな資源でもって最大の効果を出さなければならない。そこには目標管理、時間管理が必要ですよ。マネージメントが必要ですよ。そこの点でJCメンバーのノウハウをNPOに持ってくる、逆に言うとNPOで培った様々な新しい市民社会の価値観を企業の経営に持ってくる、そういう変換をできるのがJCなのではないかと思います。
中田 今日はどうもありがとうございました。