■こならの森62号■1993.5発行
C・o・n・t・e・n・t・s
3p… 目次
4p-13p 対談埋蔵金=現代用語
8-9p 現代用語
10-13…万葉ラブ「情けを」OCR
14-17p…インフォ
18p…銀幕画廊
19…書評・絵本紹介
20p…結婚
21p…やんば 第2回
22-25…田中正造第造2回
26-29p 文化会館情報/協賛
30こならの森から~
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【本文抜粋記事】
田中正造をめぐる 第2回
私たちは『田中正造』という教師についていながら、まだ何も学んではいないのではないでしょうか。例えば田中正造が私たちに残してくれたもの教えてくれたもの、学ぶということ、分かるということ、それによって変わるということ、始めることよりもそれを次世代にまで受け解いでいく意志ということ…
………それ全てが、田中正造の思想そのものではなかったでしょうか。まさしく田中正造はその先駆者だったのです。私たちは、日々の中でそのことを忘れ去る生活をしていますが、見渡してみれば分かるとおり今では、環境問題や環境破壊、政治腐敗などが顕著に表面化しています。しかも、その現在の状況を正造ははるか昔に予言しているのです。そのことは日記の記述かち読み取ることができます。「被害者も加害者もなく皆滅んでしまう」と訴えているのです。
ここで一原点に帰って〃正造〃を学び起こして見ませんか。そうすれば、新たなる希望がわいてくる、といってしまうとおおげさですが、何かつかめるに違いないと思うのです。「どんなところでも、我々は、我々の愛する人からしか学べないものである。」とゲーテはいったそうです。田中正造は谷中村に入って残留する谷中の人々からいったいなにを学んだのでしょうか。
実は、谷中村の戦い(闘争)のなかで、すべての戦う力をなくした所に、「新たに戦うことのできる可能性を見いだした」という世界のどこでも行われたことがなかった非暴力による国家権力への確固とした対決が見えてきたのでした。
谷中村では聖書に書かれてあるような出来事が現実に目の前で行われている、ということを正造は直視します。
「われらは好んで正しく貧苦にいるもの。人の富はうらやましからず。我ら夫婦は人の害となることはせざるなり。」というある谷中残留民の言葉があります。
これを、正造は聖書にある言葉、人はパンのみに生きるにあらず、だと解釈しているのです。 佐野で行われた石牟礼道子さんの講演会では、「正造によって見いだされた谷中村の人々」という言葉がありました。これはあたかも歴史の主が谷中人であって、従が正造だという印象を受けますが、現実にはどうであったのでしょうか。
真に啓発を受け、谷中人つまり〃普通の人〃を歴史の檜舞台にまで上り詰めさせた張本人は、実は田中正造自身ではないでしょうか。
こんなことがあるのでしょうか。知識を持った人間が知識を持たない人々から啓発を受けるとは…。
でもその理性の関所のたがを外せる人間が、そのことに気がつく人間が何人いるのか。 やがて田中正造は谷中の人々が、神に最も近き人であるということを理解します。そして正造自身も谷中の人々と共にまた神に最も近き人になったのです。この間十年近くの苦闘がこの地でおこなわれました。「田中正造は谷中村で何を学んだか」
田中正造の生涯を知る上で何が一番大切か、と聞かれれば何をおいてもまず谷中村に入った最晩年の生き方だろうと答えます。どうしてでしょうか、第一にはその教材地が佐野市内から車でほんの三十分ほどので行けるということす。
正造は、今まで政治 正造は、今まで政治家として足尾鉱毒問題に取り組んで来ました。その今までの自分として谷中村に入ったといいます。たぶん自分が谷中村に入ることで、谷中村の置かれている状況が変わるだろうと予測しました。たぶんに変えてみたい、変わるだろうという期待があったはずです。しかし、現実にはそうはなりませんでした。
一般的に見れば、行き場を失った最悪の状況に落とし込められてしまったということです。どんな脱出の可能性もない、勝てる見込みのない状況に一人追い込まれ、絶対絶命です。
この戦いに勝者はいません。敗者を排除し終えたときには、実は勝者自身もまか掛び去っているのです。
本当の田中正造の姿は華々しかったのです。議員時代のときとは違っていたはずです。正造自身最後の闘病生活の中で思い起こされた出来事は議員として鉱毒被害の救済に走り華々しく活動し生涯を懸けた時のことではなくて、「天国へ行く道ぶしん」と言われた苦学の谷中村での出来事だったろうと思います。(かつての偉人もそうでした。)「小中村は関東の野の始まりなり」 本来正造の精神や生きてきた奇跡こそに真価があるのであって、それ以外のものは何らの価値もないということは承知のことですが、歴史の亡霊は、今でもさらに正造との戦いを仕掛け続けています。まだ、〃谷中〃の戦いは、(谷中で起こった戦いは)私たちの心の中で続いていると思えるのです。