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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森 4号

2008-03-12 | 創刊~100号
     4号 1988年8月発行

C O N T E N T S
1p  看板娘/目 次 
2-5p [特集]夏だアウトドアー
8p タウン・スナップ/人物紹介
12p 韓国語・英語・日本語 教室
13p お店紹介
17p 結婚しました
19p 美容と健康
20P タウンウオッチング 
22p 僕の好きなMONO
24p 「センチュリー・ラン」
28p 情報コーナー


本文抜粋記事

【美容と健康】

老いを楽しむ 
 リズム体操指導者 山田喜美江

 健康ですか
  「健康」 とは、誰もが望む 「幸せ」 の条件だが、私の元にもいつまでも動ける健康で美しいからだ作りを目指し多くの御婦人方が集まって来ます。
 「無理は禁物」 私は常に、指導の中でこう申し上げています。手抜き、多いに結構だとも・・。 何故ならば、 人間のからだはよく出来ていて、 手入れをしながら使うと手入れどおり動いてくれるものだし、 その反対にかなり無理な行動をしても 「恒常性維持機能 (ホメオスタシス)」 が働いて復元する様になっているからだ。 だが、 年とともに、この機能作用も低下し、 若い気だけではどうにもならなくなる。 では老若の違いはと言うと、おかしな言い方ですが、若いうちには、複雑な老年を生きる資格も才資もないのです。自分の体の自由がきかなくなったり、記憶力が悪くなったり、美しい容貌の人が醜くなったり、社会的地位を持っていた人がそれを失わなければならない事によって、後に唯残るのは、自分の気力と本当の徳の力だけというような事になったら若者らはとうていそれらを耐える力は無いと思われるのです。そしてそのような老年の条件の中で、多くの人はその人なりに成長します。つまり幕末の儒学者として名高い佐藤一斎によれば、三十才迄は視、さらに進んで五十才迄は観、その上に年輪を重ねて七十才迄は察の時期ではあるまいかとのべ、更に察の時期にその天命を知り、心鎮かな境地に達し、人は皆 「見るな視よ、そして観よ、察せよ」 と言志四録で書きしるしている。なんの事はない、昔も今も健康の価値感と、骨組みは変わらない年相応に人に率直に、自分に正直に、心も体も健康に・・・・・だと思う。




創刊3号

2008-03-11 | 創刊~100号
     創刊3号 1988年7月発行

表紙の人 右から亀田さん、武藤さん、米山さん

C O N T E N T S
1p  目  次 
2-5p [特集]東武佐野線沿線を行く
6-7p タウン・スナップ/人物紹介
8-9p 僕の好きなMONO
10p つれづれインタビュー「佐野らーめん会会長」
12p ミサコ&クリサナのタイ語・英語・日本語 教室
13p お店紹介
14p 協賛店マップ
17p 結婚しました
18p アウトドアー
20P 漢方
21P 美容と健康
22p 芝居三昧
23p コーヒータイムその3
24p 職人語り「土鈴」山口壬三さん
26p 「センチュリー・ラン」3回 作・大川 圭吾
28p 情報コーナー
32p こなら通信


■本文抜粋記事

つれづれインタビュー
佐野らーめん会会長
古沢幸一さん

当時はらーめんが五〇円だった
◆お店はいつごろから始められたんですか?
『古沢』 三七年の八月四日に金井上町に開店しました。当時はらーめんが五〇円だったんですが一〇円引きで三日間サービスしましてね。
◆それじゃ開店から大忙しだったでしょう。
『古沢』 エエ、マァそれがうけたんですが、出前が出ちゃうと、とにかくどんぶりがたりなくなっちゅうわけですよ。今日売って儲かった分で五〇枚買ってくるか、三〇枚買ってくるか・・・(笑)。本当に忙しい開店時期でしたが、無我夢中でしたからね。
◆修業時代の思い出は?
『古沢』 そうですねぇ四年間修業しましたが、昔の主人ていうのは、なかなか手をとって教えてくれないんですよ。出前がほとんどで、それがない時でもネギの皮むきとか、メンマ切りとか、スキがないんですよ。メシ食うひまもないくらいでしたから。
◆まともには覚えられないですね。
『古沢』 そう、ネギ皮をむきながら、そっとそばぶちを盗み見して(笑)、その内「覚える気があるか」と聞かれましてね、それでも昼間はできないですから。
◆というと?
『古沢』 朝の八時から夜は十一時まで仕事でしょう、その間は給料もらってるわけですから、そばぶちなんてとんでもないわけで、仕事の後、主人と若い衆の白衣と前掛けを洗濯して、残り火にメンマをかける。早くても家に帰るのが一時くらいになっちゃうんですよ。そして朝は、五時ごろから起きだして八時ごろまでに店でそばをぶちあげる。それで段々慣れてきたんです。
◆そうした修業時代の経験から、ズバリ古沢さんのらーめん哲学はなんですか? 
『古沢』 やっぱりお客さんの声ですね。お店のお客さんより出前のお客さんの方がハッキリ言ってくれるんですよ。
◆今日のスープはどうだったとか。
『古沢』 そうそう、店のお客さんはどんぶり下げに行くと必ず直に跳ね返ってきますからね。
◆ところで古沢さんがらーめん会を始めたられたキッカケは?
『古沢』 会の話しが始まる前に、組合の親睦旅行で喜多方へ行ったんですが、あちこち食べ歩きして、いろいろみてきまして・・・・。
◆らーめんの先進地ですね。
『古沢』 エエ、そこでこれからの自分達の商売のことやまちづくりを考えさせられましてね。そんな時に、たまたま市長さんから市の活性化に役立つ目玉は無いかということで、商工課長さんを通じてお話しがあったんです。それではということで、仲間が発起人になって会議所さんや、商店連合会、観光協会が前向きに協力してくれて、会づくりの話しがもり上がったわけです。
◆最後に古沢さんのが佐野市に望むものは?
『古沢』 そうですね、佐野の人がもっと開拓者精神というか冒険心をもってほしいですね。結果を怖がって、何もしないのではなくて、前向きにやってみる。そういう事がよくても悪くても、地元の活性化につながると思います。
◆その通りだと思います。今日はどうも有難うございました。


創刊2号

2008-03-10 | 創刊~100号
       創刊2号 1988年6月発行
表紙の人
駒場 賢一さん・佐智子さん

C O N T E N T S
1      目   次 
2-7   [特集]いい結婚がしたい
8-9    スナップ
10p   人物
11p   タウン・ウオッチング
12    ミサコ&クリサナのタイ語・英語・日本語 教室
13p   こなら百景/タイムスリップ
14p   看板娘=田中
15p   としこ ピーナツ
16p   モーター・スポーツ
17p   芝居三昧
18-19p アウトドアー
20P   漢方
21P   美容と健康
21P   コーヒータイム 2回
22   「センチュリー・ラン」2回 大川 圭吾
24    お店紹介
27P   結婚しました 
28-29P 佐野市文化会館情報/
30-31  行事カレンダー
32P   協賛店・会員一覧


特集記事
 いい結婚がしたいと考えるのは誰しも同じだが、思った事を実行に移すのは容易な事ではない。一口にいいと言っても千差万別で抽象的ですが、ともあれ結婚前の人には憧れを、結婚を控えたカップルは参考に、そして、既婚者と婚期を逃した人(失礼)にはやっかみを込めて探ってみましょう。
 式が終わるとたいがいの人は、「結婚なんて一度でたくさん」「なにがいいかって、 そりゃーやらないのが一番いい。」と冗談ともつかない感想をもらす。
 しかし、そう言ってしまえばおしまい、話にならないのでまず「こならの森」流結婚式の提案をします。(あくまでモデルプランですのでこうすれば[いい結婚]という事ではありません) さてその前に、 通らなくてはいけないのが結納というもの。  そして、「身代金」とか「保釈金(箱入り娘を箱からだしてもらうための)」といわれている結納金だ。 ひと頃は、 給料の三倍というのが相場でしたが、聞くところによるとだいたい二〇〇万円くらいが満足な数字とか。決してこれでなくてはいけないと言うことではないが、これ以下だとあげる方も、貰う方も対外的に公表しないようだ。
一口に二〇〇万といってもボーナスもつぎ込み、まるまる一年ただ働きという数字。だが雑誌などをみるかぎりは東京あたりの相場が五〇万円くらいという。ある人は、給料の三倍ということをまにうけてそのままの金額を払ったということだが、後で花嫁はもとより回りのひとからのひんしゅくをかったとのこと。きちょうめんすぎてもいけないが、見栄をはって限界を越えるのもどうかと思う。
 次ぎに挙式だが、形式はどうあれ、より多くの人に見守られてを原点に披露宴の最初にもってくるのはどうだろうか。当然、厳粛ななかに執り行う事が前提。 当初花嫁はキリスト教式で、 ウエディグドレスが絶対着たい。テレビドラマのように海外でやりたいという願望が強いが、具体化してくると日本人であることに回帰するらしい・・・。


 県内有力首長を祖父に持つ人の場合。結婚当時二二才。恋愛結婚、現在二児の父。
[結納]有名旅館において執り行う。両家合わせて五〇名ほど出席。古式に則り行われ、会食も含めて六時間近い日程。これだけでも、ちょっとした結婚式・披露宴のようだ。結納金の額は平均の二、三倍を越える。ダイヤの婚約指輪は新郎が買い求めたものとのことで、そう高価ではないとのこと。
[挙式]
一般的な神前式。
[披露宴]
県内でも最大規模を誇るホテルにて四〇〇名近い出席者。(一人では自分の席がみつからず、一度席を立つとなかなか自分の席へ戻ってこれない)
 各地の有名政治家をはじめ、助役以下の職員が一堂に列席。来賓、恩師他のあいさつが延々続き、乾杯に至るまでに一時間近くかかる。ドライアイス、スライド上映、ビッグサウド、レーザー光線、テクニカル照明など考えられる全てのものを使った豪華な演出。余興も盛りだくさんで、三回のお色直しをはさみ延べ四時間の大宴会となった。 最後に、ホテル前に停めてあった純白のオープンカーで出席者に見送らながら駅まで向かって終わり。料理もさることながら引き出物も豪華、ひとりあたま二万円前後するとしてしめていくら、と計算したくなる。ちなみに衣装代だけでも百万円は越えているとのことだ。
[新婚旅行] 
今までと打って変わって香港五日間と実に質素。この辺が二人の本音かもしれない。
 出来る限り、親のお金をあてにせず、二人でためたわずかばかりの資金で手作りの結婚式を目指した。さて、結果は・・・・。

創刊号

2008-03-09 | 創刊~100号
創刊号(1988年5月発刊)

表紙の人 飯塚典子さん
■表紙撮影協力 ヘアータイム「M」

創 刊 号  C O N T E N T S
1      目 次 
2      [特集]安佐ぐるっと一周峠越え
6      フラッシュ・ショット さくら さくら
10     タイムスリップ「安佐の駅」
12     ミサコ&クリサナのタイ語・英語・日本語 教室
13     サークル紹介「レッツ・ダンス」
14     タウン・マップ「らーめんマップ」
16     おぞね としこのポエム たんぽぽ 
17     タウン・ウオッチング 丸ポスト
18     アウトドアーのコーナー
20     お店紹介&ぐるめーる
22     「センチュリー・ラン」大川 圭吾
24     モーター・スポーツ 
       美容と健康 珈琲タイム
26     インフォメーション 
       私たち結婚しました。境沢
28     佐野市文化会館情報/
30     情報カレンダー
31     協賛店・会員一覧


■本文抜粋記事■

きままにアウトドアー

こいでも、こいでも 痛快エッセイ

「今日はカヌー屋さんです。」
    中村 公也

 「カヌー?このあたりでやる所あるの。危なくないの。あんな凄いことやる気しないね。」
 店から一歩外に出ればこんな会話がほとんどですね。カヌーが今ブームになっているようですがまだまだ一部の雑誌や数少ない人達の中だけの話です。
 テレビからの影響がかなり強いし、スポーツ競技の分野に属するのでしょうか放送されるものはかなり高度なスラローム競技ばかりですから、無理も無いことだと思います。
 そんな訳ですから当然我が「滝川カヌー」のドアを開けていただけるお客さんは大変少ないことになります。早い話、・・・・・・・お金になりませんね。 来ていただける方はお客さんなのですが、自分自身に店主としての自覚がありませんので、数少ない「仲間」であると思って接しています。
初めてカヌーというものにふれた時、初めてカヤックに乗った時に今までに無かった何とも不思議な魅力が感じられたのです。
 動機は不純です。何度も都内のカヌーショップを見て回る内に、あるカヌーショップの店主ととても気が合ってしまい、店主いわく 「飯は食えないが、おかずぐらいなら何とかなるョ。」この一言でカヌー屋になってしまいました。人生って簡単ですね。
 カヌーに乗りたい一心で、「カヌー屋になれば毎日カヌーに乗れる」軽薄としか言いようの無い動機です。 (次号につづく)
 「前からやってみたいと思っていたんだけれど・・・・。」 そんな「仲間」が店に来るたびに、まず乗ってみてから「話をしましょう。」と言う段取りになってしまいます。時間があれば近くの渡良瀬川まで付き合ってもらいます。「面白いか、面白くないか」本人に判断してもらう事にしています。だから初心者にはカヌーが欲しいと言っても一度乗って貰ってからでないと売りません。
 私自身カヌーに惚れてしまったせいか、この素晴らしさをいろいろな人達に知って貰いたいと思っている。だから、一時の流行や興味本意のスポーツではなく、日常生活の中の遊びの一部としてカヌーを定着させたいと思っているのです。
 「遊び」で良いと思っています。そして、「楽しくなければ」やらなくていいと思います。
 仲間どうしのツーリングやイベントをと言う声もそろそろあるのですが、今はまだそこまで考えていません。今は地道にいろいろな人達にカヌーと出会える機会を広げたいと思っています。
 第一に身体障害者の人達に、特に車椅子の生活をしている人達に、何とか利用してもらえないものだろうかと思っています。
 最近の障害者のスポーツもテニス、バスケット、ソフトボールなど多方面にわたっていますが、その多くはハンディを背負ったままの、障害者同志のガラス越しのスポーツだと感じます。 ごく限られた障害者の人達にしか出来無いかも知れませんが、車椅子を操る人一倍強い腕でバドルを握り、川を湖を、そして激流を、魚のように、水鳥のように健常者とハンディを背負うこと無く自由にカヌーを操ることが出来たならきっとそれまでの視野から「新しい世界」を感じ取れると思うのです。
 同じ目の高さから同じ感激を自然に共に分かち合う事が出来たならきっと素晴らしいはずです。