■こならの森103号■1996.11発行
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森12月号■1996.11
おぞねとしこのポエム…まつかさ……3p
その他の情報…/猫バス27……4p
結婚…須永さん夫妻…5p
両毛神楽物語………6p
知らんの5つの市/…7
JC・JOURNAL………8-9p
特集/踏切………10-17p
インフォメーション95………18-23p
海棠市子の映画評……………24p
書評・絵本紹介………………25p
現代国語………26p
占う………27p
協賛店マップ………28-29p
新・こならの森から…………………30p
■■■■■■■■■■■
【本文抜粋記事】
特集/踏切のある風景
踏切にどんなイメージをお持ちですか?
踏切というと、どんなイメージを持ちますか。テレビなどでは、JRの踏切事故撲滅キャンぺーンが繰り返し流れています。ですから、そんな怖いイメージもあるでしょうか。
またあるシンガーソングライターの歌詞のように、踏切の向こうに君がいて……でしょうか。本当にこの歌は一瞬一瞬を切り取った写真のような感覚があります。
そこで人々を二つに分け、ある一定期間遮断する踏切にス
ポットを当ててみました。よく似たものに、横断歩道があります。あまりにも有名すぎてしまって多くの亜流がドラマで作られました。道から流れて来るのは、電車にも劣らない猛スピードと、巨大な車体。同じような状況なのに、車に飛び込んで自殺する人はあまりいないような気もします。
暗くなるのでやめます。今回は夢のある企画だと思っています。
暗いと言えば夜の踏切だったらブルートレインや銀河鉄道の通過を待ちますね。真っ暗な闇の中で通り過ぎる何かを待つ、轟音をたてて通過していく列車、分かってはいてもその一時はスリリングな一時であるに違いありません。
一度列車の旅を経験するとその流れのゆったりとしたところに感動し強く記憶に残ります。車での旅はどんなにラグジュアリーな車であってもカーブやブレーキといったことは避けられません。スムーズな流れが延々続くということはまれです。ぼんやり窓の風景を感傷的になって眺めていたり、読み切れなかった本を読破したり、はたまたうっとりと惰眠を貪ったり、そうしたことができないでしょう。特に景色が単調だったりすると、その傾向は強くなります。そんな旅情的な列車の旅ですが、一つだけその流れを乱すものがあります。そうあの踏切の警報ですね。ドップラー効果とあいまって非常に耳障りです。高原列車ならまだいいが、いや高架線となって踏切などない都市部の方が、かえっていいくらいですか。
安佐でも列車と道路の整備が後手後手に回っているのでやたらと踏切が多いものです。
100メートルに一つはあるのではないかと思ってしまいます。交通の流れと列車の流れはいつも対峙します。いつになく渋滞している道をやっとのこと抜けたと思ったら、踏切に遮断されたりすると、今日はツイてないな@ と思います。それに安佐では、単線も多くすれ違いの場合は、駅のすぐ近くの踏切は一時開かずの踏切状態となります。それにそういう時間帯は道路も渋滞する時間帯でもあります。一つ踏切を遠回りした方が早いのではないかと思うほど、イライラがつのります。
路線日本一は
, ところで日本で一番線路が密集しているのは上野駅から西日暮里の間と聞きます。10線路、複線だから20の線路がひしめきます。確か記憶が正しければ、山の手線、京浜東北線、東北線(宇都宮線)、東北本線、上信越線、上信越本線、高崎線、京成線、常磐線、寝台列車専用線、以上の10だと思います。もしここに踏切があったとしたら、たぶん日中に渡ることは不可能でしょう。どこかの線路に必ず電車が走っているはずですからね。
ここまでは、電車や列車といったことから、踏切を捕らえて来ましたが、視点を変えて陸橋の上から遠くの踏切をウオッチング。
秋も深まり肌寒くなった夕方。仕事も終わり早く帰って暖かい部屋で、暖かい食べ物を食べたい。と思っているのだろうか分からないが、自転車に乗った人や、歩きの人がじっと踏切の前で電車の通過を待っています。しかし、なかなか電車はやって来ません。
車ならヒーターも効くし、音楽だって………。これで雨でも降って来たら泣きっ面に蜂といったところです。
早く帰りたい、その思いがいっそう募ります。その一時を止めてしまう何とも憎っくきもの、遮断機とはよく言ったものです。しかし、その思いが強いほど、帰って来たときの感動が二倍にもなるものでしょうか、非常におおげさですが。では、踏切は必要悪か?
などと勝手なことを考え始めたくなります。
そうしたこととは別に、踏切を風景の一部として捕らえみましょう。やっと今回の本題に入れそうです。何げなく通り過ぎて来た、またイライラさせられて来たものが、違った表情をもってきます。歩ってどこかへ行くということがめっきりすくなって来た昨今、歩行者専用踏切といったものや、自転車位までしか通れない程の幅の踏切、はまたまもう使われなくなって閉鎖された本当の開かずの踏切。など興味は尽きません。
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森12月号■1996.11
おぞねとしこのポエム…まつかさ……3p
その他の情報…/猫バス27……4p
結婚…須永さん夫妻…5p
両毛神楽物語………6p
知らんの5つの市/…7
JC・JOURNAL………8-9p
特集/踏切………10-17p
インフォメーション95………18-23p
海棠市子の映画評……………24p
書評・絵本紹介………………25p
現代国語………26p
占う………27p
協賛店マップ………28-29p
新・こならの森から…………………30p
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【本文抜粋記事】
特集/踏切のある風景
踏切にどんなイメージをお持ちですか?
踏切というと、どんなイメージを持ちますか。テレビなどでは、JRの踏切事故撲滅キャンぺーンが繰り返し流れています。ですから、そんな怖いイメージもあるでしょうか。
またあるシンガーソングライターの歌詞のように、踏切の向こうに君がいて……でしょうか。本当にこの歌は一瞬一瞬を切り取った写真のような感覚があります。
そこで人々を二つに分け、ある一定期間遮断する踏切にス
ポットを当ててみました。よく似たものに、横断歩道があります。あまりにも有名すぎてしまって多くの亜流がドラマで作られました。道から流れて来るのは、電車にも劣らない猛スピードと、巨大な車体。同じような状況なのに、車に飛び込んで自殺する人はあまりいないような気もします。
暗くなるのでやめます。今回は夢のある企画だと思っています。
暗いと言えば夜の踏切だったらブルートレインや銀河鉄道の通過を待ちますね。真っ暗な闇の中で通り過ぎる何かを待つ、轟音をたてて通過していく列車、分かってはいてもその一時はスリリングな一時であるに違いありません。
一度列車の旅を経験するとその流れのゆったりとしたところに感動し強く記憶に残ります。車での旅はどんなにラグジュアリーな車であってもカーブやブレーキといったことは避けられません。スムーズな流れが延々続くということはまれです。ぼんやり窓の風景を感傷的になって眺めていたり、読み切れなかった本を読破したり、はたまたうっとりと惰眠を貪ったり、そうしたことができないでしょう。特に景色が単調だったりすると、その傾向は強くなります。そんな旅情的な列車の旅ですが、一つだけその流れを乱すものがあります。そうあの踏切の警報ですね。ドップラー効果とあいまって非常に耳障りです。高原列車ならまだいいが、いや高架線となって踏切などない都市部の方が、かえっていいくらいですか。
安佐でも列車と道路の整備が後手後手に回っているのでやたらと踏切が多いものです。
100メートルに一つはあるのではないかと思ってしまいます。交通の流れと列車の流れはいつも対峙します。いつになく渋滞している道をやっとのこと抜けたと思ったら、踏切に遮断されたりすると、今日はツイてないな@ と思います。それに安佐では、単線も多くすれ違いの場合は、駅のすぐ近くの踏切は一時開かずの踏切状態となります。それにそういう時間帯は道路も渋滞する時間帯でもあります。一つ踏切を遠回りした方が早いのではないかと思うほど、イライラがつのります。
路線日本一は
, ところで日本で一番線路が密集しているのは上野駅から西日暮里の間と聞きます。10線路、複線だから20の線路がひしめきます。確か記憶が正しければ、山の手線、京浜東北線、東北線(宇都宮線)、東北本線、上信越線、上信越本線、高崎線、京成線、常磐線、寝台列車専用線、以上の10だと思います。もしここに踏切があったとしたら、たぶん日中に渡ることは不可能でしょう。どこかの線路に必ず電車が走っているはずですからね。
ここまでは、電車や列車といったことから、踏切を捕らえて来ましたが、視点を変えて陸橋の上から遠くの踏切をウオッチング。
秋も深まり肌寒くなった夕方。仕事も終わり早く帰って暖かい部屋で、暖かい食べ物を食べたい。と思っているのだろうか分からないが、自転車に乗った人や、歩きの人がじっと踏切の前で電車の通過を待っています。しかし、なかなか電車はやって来ません。
車ならヒーターも効くし、音楽だって………。これで雨でも降って来たら泣きっ面に蜂といったところです。
早く帰りたい、その思いがいっそう募ります。その一時を止めてしまう何とも憎っくきもの、遮断機とはよく言ったものです。しかし、その思いが強いほど、帰って来たときの感動が二倍にもなるものでしょうか、非常におおげさですが。では、踏切は必要悪か?
などと勝手なことを考え始めたくなります。
そうしたこととは別に、踏切を風景の一部として捕らえみましょう。やっと今回の本題に入れそうです。何げなく通り過ぎて来た、またイライラさせられて来たものが、違った表情をもってきます。歩ってどこかへ行くということがめっきりすくなって来た昨今、歩行者専用踏切といったものや、自転車位までしか通れない程の幅の踏切、はまたまもう使われなくなって閉鎖された本当の開かずの踏切。など興味は尽きません。